ここから本文です

書庫9台湾【南部】

記事検索
検索

台湾で日焼け14 「天后宮」


イメージ 1道路を挟んで憲兵隊跡の対面にあるのが天后宮 馬公市の中央里にある媽祖を祭る明代 1604建造の台湾で最も古い媽祖廟であり 澎湖の中心 天にそり上がり 突き刺さった屋根が見事、廟内の「沈有容諭退紅毛番韋麻郎」の碑は 台湾最古。
澎湖の歴史は古く 歩んできた道のりも違うので 台湾と切り離して考えられている部分がある。
1604年オランダが澎湖を占領したことに対して明朝は オランダに台湾の領有権を認めることを交換条件に 澎湖をオランダから回収しているし
日清戦争の結果の下関条約で 清朝は第二条二項で「臺灣全島及其ノ附屬諸島嶼」三項で「澎湖列島即英國「グリーンウィチ」東經百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度ノ間ニ在ル諸島嶼」を日本に割譲
地理的には 台湾の附属島ではあるけれど 歴史的政治的には別というのが 国際的認識だった。
この認識は現在も続き WTOなどの国際条約においても 台湾からの加盟申請は その地域を「台湾・澎湖・金門・馬祖」としていることからもわかる。

イメージ 2

台湾で日焼け13 「憲兵隊」 


本日中に65万ヒットでしょうか
さて

イメージ 1 観音亭からひと時海を眺めた後 北部に向かおうとバイクを走らすと 古い建物がありバイクを歩道の駐車スペースに止める 古い建物は「天后宮」道路を渡ろうとしたところ 如何にも日式の建物があり撮影「憲兵隊跡」とあった。
澎湖県文化局のHPから
澎湖憲兵隊位在馬公市「澎湖天后宮」西鄰,原址在清康熙23年(1684)將台灣澎湖收入版圖後,曾被闢為澎湖水師協鎮(副將)署,清法澎湖之役後改以總兵駐防澎湖,協鎮署因此在光緒15年(1889)被改為通判衙門。日治之後通判衙門被改為澎湖島憲兵分隊隊址,民國34年(1945)國軍接收後,先將憲兵隊營區撥交澎湖防衛司令部運輸組使用,到民國47年(1958)為因應「八二三」金門砲戰的新局勢,改組為馬公港口指揮部。
最近歴史建物ということで古蹟指定された。
日本統治時代の建物は同じ性質の組織に接収 この建物は軍関係だったのが幸いしたのか 軍というものは建物を無駄に建て替えないこともあり 軍の財産は普通 他の組織への転用も難しいので 保たれた。台湾人からすれば 日本統治時代の貴重な日式建造物というのが歴史建物としての保存の動機であるが 国民党からしてもその歴史的意義を戦後の「823金門砲戦の司令部が利用した」と付け加えられたら 反対してくても反対できない こんな形を用いて多くが歴史建物として保存決定されている。

イメージ 2イメージ 3

イメージ 4イメージ 5

イメージ 6

台湾で日焼け 12「観音亭」


イメージ 1澎湖1日目 民宿の近くにあるレンタルバイクを3日間借りる。まずは起点として澎湖県政府の所在地のある馬公市 飛行機から見えた馬公市は 離島と思えない街並み 那覇市ぐらいの大きさと思えたが 人口32万の那覇と比較し6万ほど 沖縄本島の面積1,206.98 km2 澎湖諸島合わせて126.864km²と面積的にも10分の1とかなり小さい しかし内湾を見渡す場所に立つと 県を名乗るほどの大きさで それは沖縄本島の海岸線の長さ周囲476kmに対し 澎湖は約300kmとそこにあるのだろう。
橋でつながれた白沙島から西嶼郷へ行き戻ってくるのは半日仕事 馬公市観光は後日として 観音亭のみ訪れた。

イメージ 2澎湖湾に面した観音亭は南海観世音菩薩祀り 清朝期の1696年に創建、1884年に清国フランス戦争で破壊され、1891年に改築。と台湾交通局のHPにある。
鎮座する唐獅子 ケバイしいかにもといったものだが その台座には 元々1887年清朝の役所澎湖総鎮署に据えられたもので 昭和10年観音亭に移設されたとのこと。
ケバク 最近のものかと思ったのは 台湾では唯一 石灰を使用した唐獅子というその素材によるものだった。
澎湖は玄武岩と珊瑚由来の石しかなく 玄武岩は堅く加工性におとり 石材を中国から運ぶ経済性もなく 石灰製となったのだろう 風土と文化は切り離せない。
しかし ほど近い台湾から獅子加工に適材な石材をこの時期に取り寄せられなかったことに対して疑問があるがそれは保留。

イメージ 3


イメージ 4

台湾で日焼け11 「ペンション」


イメージ 1空港へ ペンションの30歳半ばのオーナーさんに迎えに来ていただき 20分ほどで宿に到着。
澎湖の花のお茶とお菓子を頂きながら 3日間の観光の手順を説明を受けながら立てる。
ご夫婦でペンションをやられていて宿舎に隣接する棟で両親と暮らしているとのこと。ペンションは3年ほど前から 観光シーズンは4月から10月まで 冬場は気候的に完全にオフという。海鮮レストランもシ−ズンオフにはシャッターを下ろしオフシーズンの観光というものはないようだ。その期間は旦那は 土木関係の仕事をするとのこと。
ご夫婦ともに澎湖出身 台湾人と顔つきが違うが 大陸的というのでもなし 澎湖は台湾より早く歴史に登場 漢族の開拓も 台湾のそれよりかなり前 常に台湾の窓口であり 海外勢力もまずは澎湖からというそのような地理的位置にある。
倭寇の侵入は1388年から230年間におよんだ。
民族問題もあり所謂「独立派」系の学者は 台湾人のDNA解析に熱心で 書物も出版されている。一般的にミトコンドリアDNA的には日本人と高砂族や台湾人はその繋がりは地理的な近さがあるものの 離れている。その中で唯一 澎湖人のみ日本人特有の遺伝子が入り込んでいて 住民の十数パーセントに確認でき 親戚関係にあるとのこと。倭寇の支配した230年間の混血がもたらしたものだ。
そのような書物を読んでいたので 澎湖のひとの顔をみると 確かに薄い面影は感じられた。

イメージ 2

台湾で日焼け10 「澎湖へ」


イメージ 1久しぶりの台湾 今回は台湾の島シリーズということで
台湾の外洋に浮かぶ 緑島 蘭嶼(ランユイ)島 小琉球に続いて 澎湖諸島へ決定
元旅行会社に勤務したことのある 奥さんの強味を行使、段取りは簡単 「行くよ」と決めてスケジュールを埋めてもらう。実家に帰っている奥さんと 朝の九時に松山空港で待ち合わせ 前夜飲み過ぎた私が目覚めたのが 9時10分
やってしまった。タクシーに乗り込み電話 「なにしてるの」との罵声を無視し とりあえず空港に向かう 到着後空港のカウンターに連れていかれると 飛行機はディレイ しかし既に満席状態で 夕方の便になると言われながら 最終的に空きがでて席が確保できた。カウンターの受付の職員さんに「ラッキーね」といわれる。
離陸は11時近く 運がよかった。もしこれで旅行がご和算になれば 殺されていた。まじにラッキー。

ブログバナー

にっぽに屋にっぽん
にっぽに屋にっぽん
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索
友だち(106)
  • sally
  • ちぷたん
  • https://ameblo.jp/jewelry-azusa
  • nini19760925
  • ふっちゃん
  • honron
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事