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書庫25【歴史・人物】台湾のこと

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世界中の暴力団幹部が集結 台湾暴力団トップ葬儀に(朝日)

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80年代に台湾・国民党政権の命令で米国在住の反体制作家を殺害し、先月香港で死去した台湾最大の暴力団「竹聯幇(チューリエンパン)」のトップ、陳啓礼氏(享年66歳)の葬儀が8日、台北であった。葬儀には多数の立法委員(国会議員)や企業幹部のほか、日本の山口組を含む世界中の暴力団幹部が集結。台湾警察も800人を配備して警戒にあたった。
・・・・
葬儀には山口組や香港の「新義安」、韓国、米国の台湾系組織などから大幹部クラスが出席。王金平・立法院長(国会議長)が名誉葬儀委員長を務め、与野党の有力国会議員や台北市議員、有力メディア幹部も姿を見せた。台湾社会でも陳氏は「国のために働いて逮捕された被害者」と英雄視する人も少なくなく、市民らも含め、数万人が出席した。

暴力団の親分さんの葬儀に 日本のヤクザが参列するのはわからんでもないが


なんで中国国民党の王金平立法院長が名誉葬儀委員長を務めなきゃならないの?


そう思われる方はおられるでしょう。

このひとは 蒋経国の暴露本を書いた作家を 蒋経国の息子で後継者とされていた次男の蒋孝武の命令で 米国で殺した主犯なんですね。この事件を「江南事件」というのです。


殺人者ですよ。



『「国のために働いて逮捕された被害者」と英雄視する人も少なくなく』



とありますが


中国国民党の為に働いて 米国の指摘でしぶしぶ国民党政権に逮捕された。いわば ヤクザの親分さん(国民党)の為に犠牲となったということです。


そんな闇の世界とつながりのある国民党は 黒道(極道)からも支持されているわけですから 選挙に強い。


数多くの人を殺した 蒋介石、蒋経国、そして蒋孝武という蒋家三代の殺人を認めず いまだに神の様に仰ぐ 中国国民党は 当然英雄として彼の葬儀を取り仕切ったのです。


反省するならまだしも 中国国民党は全くそのことを恥じていない。だからファシスト政党のままなんですよ!



国民党の悪政は過去のことで 経済的問題は国民党にお任せ!ということで 国民党支持を恥じないひとがいますけど


民主主義とは程遠い 恐怖と圧制の体質は全く変わっていないということです。



洗脳されてませんか〜?


怖くありませんか〜?




歴史を封印されるということは恐ろしいことです。



知ってくれ 歴史を!




格調高き玉山の碑文 どこに 台湾最高峰 

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【台北=野崎雅敏】台湾最高峰で、日本統治時代は「新高山」と呼ばれた玉山(三、九五二メートル)山頂から、格調高い中国語の碑文が消えた。代わって登場したのが、味も素っ気もない山の名前の英語表記。玉山を愛する人たちは強く反発している。
 かつてあった碑文は、「願 心清如玉 義重如山」(心は玉のように清く、義は山のように重いことを願う)。「玉山主峰」の文字と標高を記した石碑の手前に、一九九〇年代の終わりごろ、この言葉を刻んだ石板が据えられた。玉山の登頂経験者は「山頂から周囲の絶景を見下ろしたとき、胸にしみるいい言葉だった」という。
 これが山名と標高を英訳しただけの石板に替えられたのは今年十月。日本人を含め、海外からの訪問者も多い玉山一帯の路標などに、中国語と英語の併記を進めた一環という。十一月に入り、この事実を台湾紙「自由時報」が報じると、管理事務所には「外国人にこびるものだ」「玉山の精神をよく示すものだったのに、なぜ」と、抗議の電話が相次いだ。
 管理事務所は緊急に協議。山名と標高の石碑の前後にそれぞれ「心清如玉−」の碑文の石板と、英語表記の石板を据えることは可能という結論になったが、問題は、はずした後、山頂付近に放置したままの碑文の石板。そうと知らない登山客らに踏みつけられて壊れたという情報がある。近く確認するが、修復不能な状態なら当面、碑文復活の方策はないという。

ニュースから台湾の歴史をみると

玉山リンク
先住民ツオウ族の言語ではパットンカン (pattonkan、石英のこと) と呼ぶ。清代初期の文書によれば、八通關山(パットカンの音訳)、雪山と呼んでいた。欧米では、商船主モリソンが報告したことから、モリソン山と呼ばれた。
日本統治時代には明治天皇により「新しい日本最高峰」の意味で新高山と名づけられた。富士山の標高3776 mよりも高いことから、日本一標高の高い山として知られ、学校でも「日本一の山」として教えられていた。また1934年には新高阿里山国立公園として、日本の国立公園に指定されていた。
1941年12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」のニイタカヤマとは当山の事であるといわれているが、当時の海軍の通信符号表には“ニイタカヤマ”は登載されておらず確証はない。
第二次世界大戦に日本が敗戦し、台湾の領有権が中華民国に移るに際し現在の名前に戻された。その後は重要な軍事拠点とされ入山には政府当局の許可が必要であった。なお民主化以降も一部の観光地を除いた地区の入山には許可が必要である。しかしこれは自然保護の観点からであり、事前に申請を行えば民主化以前に比べれば容易に入山する事ができる。
登頂
日本の人類学者、鳥居龍蔵は明治33年(1900年)4月11日、台湾調査のかたわら、この山の登頂に成功した。異説はあるものの、記録上これが玉山初登頂となっている。

中国語碑文の撤去は正名運動の影響も多少あるのだろうか? パットンコアン(八通關)の名前をこの山が取り戻せていない事の方が 実は碑文の損失より数万倍重い。

新高の山のふもとの民草も 茂りそいぬと聞けばうれしき
明治大帝御製

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「初の台湾人俳句会で寄与 黄霊芝氏に旭日章」



【台北3日共同】台湾で戦後初の台湾人俳句会を設立した黄霊芝(本名・黄天驥)氏(78)に対し、日本文化の紹介に長年寄与したとして、旭日小綬章が授与されることが決まった。秋の外国人叙勲受章者の一人として3日、日本政府が発表した。
 黄氏は戒厳令下、植民地時代の言葉として日本語への風当たりも厳しかった1970年に台北俳句会を設立。現在も会員約60人で毎月第2日曜に月例会を開く。
 授章の知らせを受けた黄さんは「(立派なことは)何もしていないのに、なんでわたしに…」と意外に思ったという。
 「なぜ屈辱の言語で書くか」とよく聞かれた。日本統治下で17歳まで教育を受けた黄氏にとって「一番得意な言葉は日本語」。日々の暮らしの中の思いを俳句で書き留めていくことは「自然なことだ」と言う。
 「日本人はにんにくを臭いと感じ、台湾人や朝鮮人は芳しいと感じる。言語が何かは関係なく、にんにくを芳しいと思って詠んだものは、台湾文学だ」が持論だ。
 今気に入っている自分の句は「初☆に雨、雨、雨、雨」。先陣を切って土から出てきたが、毎日雨。日差しの中で思い切り鳴き声を上げることなく、短い命を終えるセミを思って詠んだ。
(注)☆は虫ヘンに憚のツクリ
(2006年11月03日


「台湾俳句歳時記」の著者 この本ほど台湾の風俗、俗習を学べるものはなく 私の愛読書であります。日本語の使い手は台湾に今後も残るであろうが 確実に滅び 継ぐひとがいないのが日本語世代 最後の華である。

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