格調高き玉山の碑文 どこに 台湾最高峰
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【台北=野崎雅敏】台湾最高峰で、日本統治時代は「新高山」と呼ばれた玉山(三、九五二メートル)山頂から、格調高い中国語の碑文が消えた。代わって登場したのが、味も素っ気もない山の名前の英語表記。玉山を愛する人たちは強く反発している。
かつてあった碑文は、「願 心清如玉 義重如山」(心は玉のように清く、義は山のように重いことを願う)。「玉山主峰」の文字と標高を記した石碑の手前に、一九九〇年代の終わりごろ、この言葉を刻んだ石板が据えられた。玉山の登頂経験者は「山頂から周囲の絶景を見下ろしたとき、胸にしみるいい言葉だった」という。
これが山名と標高を英訳しただけの石板に替えられたのは今年十月。日本人を含め、海外からの訪問者も多い玉山一帯の路標などに、中国語と英語の併記を進めた一環という。十一月に入り、この事実を台湾紙「自由時報」が報じると、管理事務所には「外国人にこびるものだ」「玉山の精神をよく示すものだったのに、なぜ」と、抗議の電話が相次いだ。
管理事務所は緊急に協議。山名と標高の石碑の前後にそれぞれ「心清如玉−」の碑文の石板と、英語表記の石板を据えることは可能という結論になったが、問題は、はずした後、山頂付近に放置したままの碑文の石板。そうと知らない登山客らに踏みつけられて壊れたという情報がある。近く確認するが、修復不能な状態なら当面、碑文復活の方策はないという。
玉山リンク
先住民ツオウ族の言語ではパットンカン (pattonkan、石英のこと) と呼ぶ。清代初期の文書によれば、八通關山(パットカンの音訳)、雪山と呼んでいた。欧米では、商船主モリソンが報告したことから、モリソン山と呼ばれた。
日本統治時代には明治天皇により「新しい日本最高峰」の意味で新高山と名づけられた。富士山の標高3776 mよりも高いことから、日本一標高の高い山として知られ、学校でも「日本一の山」として教えられていた。また1934年には新高阿里山国立公園として、日本の国立公園に指定されていた。
1941年12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる海軍の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」のニイタカヤマとは当山の事であるといわれているが、当時の海軍の通信符号表には“ニイタカヤマ”は登載されておらず確証はない。
第二次世界大戦に日本が敗戦し、台湾の領有権が中華民国に移るに際し現在の名前に戻された。その後は重要な軍事拠点とされ入山には政府当局の許可が必要であった。なお民主化以降も一部の観光地を除いた地区の入山には許可が必要である。しかしこれは自然保護の観点からであり、事前に申請を行えば民主化以前に比べれば容易に入山する事ができる。
登頂
日本の人類学者、鳥居龍蔵は明治33年(1900年)4月11日、台湾調査のかたわら、この山の登頂に成功した。異説はあるものの、記録上これが玉山初登頂となっている。
| 中国語碑文の撤去は正名運動の影響も多少あるのだろうか? パットンコアン(八通關)の名前をこの山が取り戻せていない事の方が 実は碑文の損失より数万倍重い。 |
| 新高の山のふもとの民草も 茂りそいぬと聞けばうれしき |
明治大帝御製
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