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羅東はここまでとあきらめ 前回クリスマス前に取り残した宜蘭市へ 自強号で北上 23元。 |
11台湾【東海岸】
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これも日本時代のものであるようだ。台湾のネットでは二宮尊徳の銅像ですら大戦時の金属供出で砲弾になったのにそれを免れたこの金属製の燈篭は非常に珍しいと解説してあった。元々どこにあったものかはわからないようだ。 そしてこの銅像「陳純精(1878年12月16日−1944年2月19日)」というひとの銅像、台湾のwikipediaによると宜蘭國語傳習所を卒業し裁判所の通訳になりその後最終的に羅東の街長までなった人物 街長というのは行政単位の長なので 羅東の規模からすれば町長といったところ。 木材の集積地を林業の役場をその手腕で羅東に持って来て王子製紙の工場誘致など 羅東発展の基礎を築いた人物。戦後功績を讃えられ銅像が建てられたとある。 日本統治時代に活躍された 終戦前に亡くなられた人物。韓国では近代国家では禁止されている『事後法』まで作り 日本統治下に協力した人の子孫の財産まで没収するといった無法が成り立っているが なんという違いだろう、比較するにも韓国という国、それを構成する国民というのは絶望的に民度が低すぎる。 |
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「忠烈碑」という碑もあった。神社跡は国民党軍の忠烈祠となるケースが多いのだが 碑があるだけでそれらしき施設もなく 碑の扱いも粗雑で 神社跡かつ忠烈祠もない不思議な空間で ここは神社跡なのか?と疑問を抱えたので帰国後調べると 羅東中山公園は羅東神社ではなく別の場所にあった。戦後神社は壊され この忠烈碑が建てられ 両サイドに神社時代の狛犬が設置され 祠はないものの忠烈祠になったが 道路の拡張計画で壊され ここ中山公園に移されたようだ。 忠烈碑の石柱はもともと羅東神社と刻まれたもので文字を剥ぎ取り違う面に忠烈碑の文字を刻んだようだ。神社関係の遺物が粗材に扱われているのは理解できるが この忠烈碑も元々の神社時代の台座から降ろされこの公園にぽつりと置かれているのも不思議な感覚である。東海岸では伝統的に民進党の基盤の宜蘭であることも関係しているのだろう。 池の端にある橋 これもネットでは日本の神社の神橋とあった。 |
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このSLは 型式 六輪聯結蒸気車 重量14トン 牽引重量125トン 日本車両株式会社 1923年(大正12年)製造 建造費1万8400円とプレートにあった。鉄道の敷設は1924年 羅東は木材の集積地と木材工場で発展した木材都市だったとのこと。 トイレに行っていた専属モデルが 子供に「おねーちゃん原住民?」と話しかけられたそうだ。 どこをどう見ても原住民顔の専属モデル 「子供は正直にものをいうね しかしどのような意味合いなのだろうか 羅東では珍しいのかね」と
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さらっと眺めると 台座を失った日本式燈篭が目に 四方から撮影。 【羅東郡■協議会員 昭和十二年建之】■=下?とある。 過去のネットの写真をみるとコンクリートでガチガチにかためられていたが月日とともに文字がここでも浮き出てきていた。もはや今後 コンクリートで固められることも文字が削られることもないと望みたい。 ちなみに『建之』って『建立ってことだろう』となんと読むか考えたこともなかったので調べることに 読み下しで『これをたつ』ということになるらしいが 音読みだと「ケンシ」「コンシ」「ケンノウ」とか定まったものはないとか。 さて ここは神社跡だろうかと公園内を隈なく探索することに。 |







