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海岸に近い植生のなか遊歩道がついていたので 植物を愛でながら炎天下の中を歩く 駅前で購入したお茶は汗となって蒸発。 草花の名でも覚えればより楽しいものになるに違いないのだが 草木は朝顔にひまわりからあまりその数が脳に刻まれていない。英単語と同じで語彙はさっぱり増えないのはなぜだろう。 ここは台湾の北海岸といえば北海岸と表現できるが東海岸の最北。日本から見れば一番近い砂浜があり 日清戦争後台湾を領有するために日本軍が上陸した歴史的海岸でもある。 砂浜は三つの地区に活動を規制されていて 海水浴場、サーフィン、ボートと区分されていた。
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11台湾【東海岸】
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2008年度の乗車人員は1日平均782人ほどとのこと それからすれば田舎なのに駅舎は立派、2005年改築とのことで 台湾電力の協賛とありお金が出ているようだ。そうここ福隆には原子力発電があるのだ。 福隆は駅弁「福隆弁当」で有名らしく 駅前は弁当屋が軒を連ねていて一緒に駅を出た家族連れは早速購入する為に店に入っていった。自分の場合は腰を下ろして弁当を食べる時間的余裕もなくコンビニへ駆け込みおにぎりを購入し駅周辺を撮影後 海へ向かう。 |
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台湾はよく九州に相似しているといわれる。面積だけではなく わりと同じ位置にある都市が 機能的に似ていたりするところもである。 台東は九州でいえば宮崎の位置にあって交通の不便さも同じである。 福岡から宮崎が飛行機でないと如何に不便かというと 子供の頃で家族旅行で1回、仕事で1回、友人の結婚式で1回、大学の後輩の女の子に会いに1回行ったが 全て泊まりとなるスケジュール 子供の頃の1回は 博多から小倉か門司で東京からの寝台特急に乗り換え 寝台車で宮崎入り ちょうどミューヘンオリンピックのバレーボールの決勝が地球の裏側で行なわれている時で 早朝宮崎入りした時男子の金メダルを取ったことと 早朝駅のロータリーを歩く男女がいてスカートの中に手を入れてお尻をまさぐっている光景と共に子供の私は鮮明に記憶しているのです。話は横道に行ってしまったが 九州といっても宮崎は遠く 台湾といっても台東は遠いのであり 西海岸側に新幹線が開通しようが 高速道路が通ろうが 飛行機でなければ半日掛かりなのだ。移動手段とだけこの時間を捉えるなら やはり飛行機で行かないとあきませんね。しかし一度台東には自転車で行って見たいと今 夢見ている。 |
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台東県観光HP 台東檳榔駅は日本統治時代の1922年に設置され、その名は山里駅というものでした。当時の狭軌列車は旧卑南渓の辺を走り、檳榔、東成、初鹿、嘉豊、中興を通って鹿野駅へ到着するものでした。檳榔駅は1943年に駐車場となり、台湾光復後に檳榔駅と改称されました。山里駅は小さい駅ですが南北の列車がすれ違う重要な駅でもありました。駅舎は日本式の木造で地形の高低により、建設時は2階建てで、2階が切符売り場、駅舎、待合室、1階が駅員官舎となっており、現在に至るまで80年余りの歴史があります 台東線は花東線とも言われ 東海岸の都市 花蓮〜台東を結ぶ 軽便鉄道で開通し後に鉄道の改軌によって廃線になった区間に ここ檳榔駅があり 1982に廃駅となった。 以前の姿が左で 近年保存の為の改修が行なわれ非常に綺麗な姿になっている。 右から横書き 「服従領袖 反抗大陸」の文字がある。 左側は古い写真であり「服従領袖 反抗大陸」はペンキで上書きされ消されているが 改修工事と共に 新たに「服従領袖 反抗大陸」の文字を復活させている。 これは蒋介石の時代のスローガンが復活したわけではなく 国中の壁に書かれたこの文字は今では色あせ自然に消えるに任されていて見かけなくなり 観光地などレトロな昔懐かしい雰囲気の演出ということなのである。 |







