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書庫11台湾【東海岸】

台湾東海岸情報ほとんどないけれど


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台東小米酒の旅37 竹生と石生


現在 卑南族は原住民中では比較的狭い範囲に居住し 総人口も1万人に満たない。旧部落 の10蕃社間ではそれぞれ言語などの隔たりも大きいようだが 大きくこの10社を分けて 石生起源と竹生起源の社群の二つに分けて認識されている。「石生」「竹生」という名の由来は神話のなかにある。部落ごとにストーリーに違いがあるのだが 石から生まれた子孫の部落を石生、竹から生まれたものの子孫の部落を竹生といい下記のように分けられる。


起源社群旧蕃社名現地名現地名
石生知本知本社Katipol知本
石生知本射馬干社Kasavakan建和
石生知本呂家社Likavon利嘉
石生知本阿里擺社Alipai上賓朗
石生知本班鳩社Vankiu班鳩
石生知本大巴六九社Tamalakao泰安
石生知本北絲亀社Ulipulipuk初鹿
竹生卑南卑南社Puyuma南王
竹生卑南檳榔樹格社Pinasiki下賓朗
竹生卑南寶桑社Apapolo寶桑
※石生で現地名で 阿力拜、明峰というのもあり

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太平洋からインド洋のマダカスカル島に広く分布するオーストロネシア語族は 中国南部から台湾島に入った人が台湾から広がったという学説がほぼ定説になっている。しかし卑南族やルカイ、パイワン族などは一旦 台湾島から出た後 フィリピン群島あたりで形質的に南方適応下した後 再びそれぞれ時期は違うがUターンして台湾島に再上陸したようである。
卑南族の場合は 神話にあるように一家族がランユイ島経由でかなり新しい時代に戻ってきたようだ。 その時既に東海岸には空地はなく 山間部をさまよい何かをきっかけに 台東平野に進出するのであるが 台東平野での最初の分裂を表すのが 「石生」「竹生」なのだろうか
ちょうど現在の卑南族の居住地は アミ族、ルカイ族、パイワン族の接点のような場所 少人数で進出する場所はこの干渉地帯ともいえる場所しかなかったかもしれない。
神話にはアミ族、ルカイ族、パイワン族との婚姻の話もあり 「石生」はルカイ族 「竹生」はアミ族との繋がりの濃さで分けられた歴史があるようである。(南部の台東県太麻里郷、屏東県満州郷、牡丹郷はパイワン族に吸収)

イメージ 2神話の話を調べていると ランユイ島のヤミ族に「石生」「竹生」の伝承があり ランユイ島経由で3人で台湾島に上陸した話も正確に伝承が伝えているようで 無意味に物事は伝わっていかないものであるようだ。 日本神話を避ける教育はとても正常なものとはいえないな。

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台東小米酒の旅36  都蘭遺跡


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卑南遺跡の卑南文化といわれる北に 麒麟文化というものがありその遺跡の一つ都蘭遺跡
に行く 約3000−4000年前の巨石文化。
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台湾の東海岸には旧石器、新石器、鉄器時代の遺跡が海岸線に4、50箇所ほどある遺跡の宝庫 花蓮から台東へ車で走られたことのある人なら中間地点にある八仙洞は道沿いで有名な遺跡なので寄られたこともあるひと多いでしょうかね。

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自転車で台湾一周する時にはひとつひとつ寄ってみたいというのが私の夢

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台東小米酒の旅35 異次元逆流スポット

イメージ 1台東で有名な逆流スポットへ行く 何人かのブロガーさんがこの逆流スポットに行かれて記事を書かれて知ってはいた。だいたいこの手のものは写真で表現できるものではなく 現地で体験しないとこの不自然な自然現象に驚きの感覚を得られるものではないので 記事にすることに意味があるのかわからないが まさに『あああ びっくり』 驚愕でした。

イメージ 2車を運転していて下り坂を上り坂 上り坂を下り坂と認識することは度々経験しました。 確かに長い急な下り坂の後の緩やかな下り坂を上り坂と感じるものの 二度目三度目に通過すると確実にその「タネ」は分かるもので その経験から そのようなものだろうと考えていた。しかし現地に立って 頭の中を整理して 風景地形の影響を整理しながら考えても 水が一生懸命登ってきている。周辺の下り坂の組み合わせだろうと手でさえぎって 水が流れてくる基点のみを見ても水が登ってきている。

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三半規管と視覚的感覚から分析すると 「流れの上流は僅か25mぐらいの距離で 1.5mは登ってきている 起点は自分の足元より1.5mは下にある。 上流側ではそれほど不思議を感じないで眼の錯覚と片付けられるが 下流側からみるとまさに異常な現象。ここに行って「眼の錯覚」と片付けられている人もおられるようですが 下流側から上流を見下していないのかも まさにそこがポイントだった。
風景やその組み合わせの状況が1.5mとあり得ない水の登りを見せているのかもしれないが 実際それでもわずかながら水は逆流しているのは事実のような気がする おそらく立っている場所の引力が地球の中心に向かわずにほんの少しずれたところにあって 微妙に傾いて立っていられる重力異常があるのではないだろうか。実に不思議 そのなぞを解明してもらいたいものだ。

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おまけの考察
実際には逆流していないにせよ 下流側のポイントに重力の働く方向がズレ まっすぐ立っているつもりの人に 傾きAがあれば 通常の重力ならB角のところがC角の角度で見え その差D角が高低さで見えるということでないでしょうかね 上流側からは風景の影響のみで錯覚と片付けられる程度のもの。

ここまで来て下流側に立たなかった人はもったいないことをしていますので行かれる機会があるなら是非 参考にしてくださいませ。


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台東小米酒の旅34 台東で林家臭豆腐


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イメージ 2小腹もすいたところで ピュマさんが旨い臭豆腐があるのでテイクアウトしようと行った店。
入り口のところで白人の外人さんが食べていた。ピュマさんがその外人に旨いか?と尋ねると 当然と言った感じで 笑いながらうなずく。過疎気味の台湾の東海岸の中心地ではあるが際立った産業のない小都市の台東にいる欧米系の外国人はまず間違いなく宣教師などのキリスト教系教会の関係者 信仰そのものや宣教師たちは健全なのだろうけれど 彼らが活動するにあたって言葉は悪いが狙いを定める場所はある意味不健全な土地 そのような場所で彼らは私にはそういう形で目立って見えてしまう。台東は環太平洋で海と空は明るく澄み切っているが 産業的に反映する台湾においては 高い中央山脈にさえぎられて見えない場所のまま放置され続けている。

イメージ 3臭豆腐との出会いは最初に住んだ台北の農安街の近くのマンションから歩いて10分ちょっとの会社までの朝の通勤途中だった。台湾人の朝食といえば 朝屋台で軽食を購入する人も多く マンション近くにも 朝っぱらからあの香ばしい下痢気味の時のあの匂いを放つ屋台が出ていた。
風向きと二日酔いなどの体調がうまく重なり鼻を直撃すれば まさに公害そのものだった。
いつしか食べるようになったけれども この臭いをかいで パブロフの犬のようによだれが出るほどの刷り込みはいまだにはない 福建系のシンガポール人も台湾人同様 台湾の臭豆腐に反応し「ああいい匂い」というのである 尋ねると懐かしい味という。子供の頃からの刷り込みというのは大きい。
観光地では食べ歩きながらほくほくと満足そうなひととすれ違い 商店街ではいまだに臭豆腐は繁盛店として健在である。しかるに生活空間で臭豆腐の匂いをかぐ機会はこの10年でずいぶんと減ったような気がする。新規出店には苦情が来そうな街並みに台北は変貌しつつある。


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台東小米酒の旅33 卑南遺跡


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台東で行きたかったのは 日本統治時代に発見された卑南遺跡 鳥居龍藏の1896年に撮影したこのモノクロの写真の実物を是非この眼で見て見たかった。結婚式がお開きになり 帰りの飛行機の時刻までまだ時間がありピュマさんがどこに行きたいかと問うて頂いたのでここをリクエストさせていただいた次第。
月形石柱と呼ばれ小公園に整備されているだけだった 画像にあるように北に都蘭山(トランザン)を望み 台東駅と隣接していた。

イメージ 3【卑南遺跡(卑南文化)月形石柱】
鹿野忠雄により初めて卑南遺跡を考古学的遺跡として研究され 1945年に金関丈夫・国分直の発掘調査により、住居跡と土器が埋まっていることが発見されたのだが 終戦後発掘調査は行なわれなかった。1975年に地方遺跡。1978年に三級遺跡に指定されるも保護されず 1980年台東駅の建設により破壊大問題になり保護がはじまり発掘調査 石棺など多量の発掘物は台湾考古学史上空前絶後の規模となったわけです。炭素測定法よると、5,300年から2,300年前のもので、古代卑南集落の住居は南北に列に連なり都蘭山のほうを指し また死者を埋葬した石棺も同じく都蘭山に向けられていたとのこと。
但し卑南遺跡、卑南文化といっても 卑南族とは関係がなく地名から名づけられたもの 遺跡、文化の担い手の民族が誰だったのかは アミ族との関係は指摘されているもののまだ判明していないのであります。台湾は都蘭山(トランザン)とこの卑南遺跡をセットでユネスコの世界遺産の候補とリストアップしていますが 現状の台湾の置かれた国際的立場では悲しいことに遠い夢なのです。

イメージ 4【月形石柱は家屋の柱だった】→→→→→→→→→
トランザンを眺めながら月形石柱をその風景に照らし合わせながら現地に立つと 残念ながらどうやら鳥居龍藏の撮影した月形石柱と公園の月形石柱違うもののようだ。 反攻大陸を掲げそもそも台湾を仮の宿にした蒋介石率いる占領政府が 台湾の遺跡に興味を持つわけもなく 破壊されるに任せ 貴重な鳥居龍藏の撮影した月形石柱が消失した歴史がそこにはある。

ちょうどよいところで月形石柱を最初に世の中に紹介した鳥居龍藏さんのニュースがありました
産経
台湾の木造船や農機具 徳島で鳥居龍蔵展

徳島市出身の考古・人類学者、鳥居龍蔵氏(1870〜1953年)による台湾調査を紹介する企画展「鳥居龍蔵の見た台湾」が、徳島市の県立博物館・企画展示室で開催されている。
 鳥居氏は5回にわたり台湾のほぼ全域を調査。原住民族の言語・風俗習慣を記録するとともに、日常生活などをカメラで撮影、多くの写真を残した。企画展は県立鳥居龍蔵記念博物館が鳴門市から徳島市の文化の森へ移転リニューアル開館1周年を記念して実施した。
 会場では、鳥居氏が撮影した写真や収集した民具を中心に366点を展示。なかでも台湾から日本へ持ち帰った全長約4メートルの木造船や漁具、農機具などは現在の台湾にもほとんど残っていない貴重な史料という。
 「近年台湾では精力的に学術調査を行った鳥居龍蔵氏を再評価する動きも見られる。民族・考古資料や当時の写真を通じ、台湾調査の一端に触れてほしい」と同博物館の下田順一主任は話す。3月11日まで。


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