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眷村

眷村

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国民党の悪事として 特定の族群への集中的な国家予算の投入という露骨な 人種差別的政策がある。それは特定の族群とは所謂「外省人」に対してへの 超法規的、選民的優遇である。その選民的政策として「眷村」の老朽化した住宅の丸か買え立替費用負担というのがある。

戦後60年たちこれらの集落が老朽化するのは当然だが それを「眷村」だけは ほぼ100%国民党忠誠者であるから この人たちの住宅を国の予算で建て替えてあげようというのが 国民党の政策である。別に家が老朽化するのは 眷村だけではない。

そこで「眷村」とはなにかというと
Wikipediaリンク
眷村(けんそん)は台湾において外省人が居住する地区を示す名称。1949年から1960年代にかけ、,国共内戦で大陸を失った国民政府により台湾への移住が行なわれた中華民国国軍とその家族60万名が建設した家屋が密集した地区が誕生し、既存の集落と区別されてこの名称が使用された。

1949年、国共内戦に敗北した中国国民党は多くの政府官僚、公務員、軍人と関連住民に対し台湾移住政策を実施した。統計によれば1946年時点の台湾の人口は610万人であったのが、1950年には745万人に急増しており、その大部分はこの時期台湾に移住した、所謂「外省人」であったと推測される。急増した150万人以上の住居問題を解決するため、国民政府は住宅建設を進めると同時に、それらの移民が集団で生活できる知己を設定し、この政策により大都市では小規模移民村としての眷村が誕生した。

眷村の多くは日本統治時代の建築物を利用したため、日本統治時代に日本人が多く居住していた台北市、嘉義市、台南市、高雄市などに集中して成立した。まだ、軍事基地付近の台北県と桃園県等でも多い。
眷村の形成は 国共内戦に敗れた国民党兵士が大挙して台湾に盲流し200万とも言われるこれらの人々が 集団形成した集落のこと。日本人引き上げと重なったことから 日本人が居住していた住宅・地域にちょうど入れ替わるように多く住み着いたケースも多い。

台湾映画の有名な監督は外省人が多いわけだが よく日本時代の建物などが 戦後を描いた作品であっても多用される。これは単に日本時代の名残がある背景と 外省人の映画監督が眷村の日本式住宅を熟知しているといった背景があるようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし このような国民党の人種差別的卑劣な政策を非難すると

「族群対立を煽る行為だ」


とばかりに 人種差別政策に異をとなえるものに対し 逆に「人種差別者」とのレッテルを貼ってくるのも彼らの常套手段である。


(中には それに無邪気にのせられる 愚かな日本人共感者がいるのもこまったものである)




台湾の基礎知識「サルでもわかる 蒋介石のプロパガンダ」 H君の為に


最近このブログで話題の蒋介石神話を検証してみましょうかね

1)プロパガンダ  戦争賠償金の放棄、「以徳報怨」をもって中国は対日賠償請求を放棄し 米国までも説得して米国の賠償請求を放棄させた。

1)−プロパガンダの結果  多くの日本人は「以徳報怨」の蒋介石の考えのおかげで 中国、米国への賠償を免除され 戦後復興の原動力になった。感謝、感謝と日本国内までも蒋介石の銅像を建て 大陸の実行支配を失った中華民国を長く承認し続けることとなる。
1)ー事実  戦後賠償の交渉という  交渉に必要な 日本の正当な投資と戦争被害の緻密な積み上げの引き算は 時間のかかりこの作業を避け また莫大な日本資産の存在から 最後は慰謝料程度の期待できない和解金となると判断。 さらに正式な交渉であると国庫に入れなければならない為 これを避け いち早く台湾と満州国の日本資産を 国ではなく国民党が接収という私物化という猫ババ行為を実行するには 賠償交渉を行わない方が都合がよかった。また米国の賠償請求放棄を確認できたので これも蒋介石のお手柄と日本人に恩を着せる為に「以徳報怨」というプロパガンダが流布。実際に「以徳報怨」という方針は 全てが決まったあたりから出現。その後日本は何度も中華民国対し 戦後処理交渉を申し込んだが蒋介石は拒否している。
(理由はどうあれ 韓国に対しては日本資産との引き算で賠償する必要がなかったが独立のご祝儀と言う形で 賠償金を支払ったことから 「中国」に対しても国の大きさに比例した賠償金額をなんらかの形でせざるを得なかった。これを「中華人民共和国」へは その後ODAと言う形で行うわけだが 戦後の苦しい時期でなく 経済大国になってから行えた事は 日本にとってメリットはあった。)

2)-プロパガンダ 中国の日本軍のすみやかな帰還を 「以徳報怨」をもって実現させた。

2)−プロパガンダの結果  ソビエトのシベリア抑留と比較して 短期間に帰還できたのは蒋介石のおかげ 多くの命が救われ 日本兵に対する報復が最小限に食い止められた。
2)ー事実 日本軍が武装解除した兵器類が中共に渡るのと 日本軍が元日本軍となり中共に強力するのを恐れ 一部日本軍を国民党軍に協力させるために打ち出された方針。
(目的はどうあれ200万人の日本軍がすみやかに帰還できた。(日本軍の統制の高さに負うべき所が多いが))

3)-プロパガンダ 日本留学で日本に対し好意を持っていた蒋介石は 以徳報怨をもって 日本分割占領に反対し 米国はこれを受け入れた。

3)−プロパガンダの結果  日本がドイツのような分断国家にならずにすんだのは 蒋介石のおかげだ。
3)ー事実  中共との内戦の拡大を控え 日本に軍隊を駐留させる余力もなく 日本分割占領案は日本単独占領の意思をもった米国の前に消え去った。後付のプロパガンダである。
(ソビエトが日本分割占領に意欲を持っていたがこれを引っ込めさせるには 蒋介石の占領断念が役に立ったことは事実)

4)−プロパガンダ 知日の蒋介石はいわゆる「天皇制」の存続は日本国民にゆだねるべきだと主張した。

4)−プロパガンダの結果 天皇制は蒋介石の助言で存続となった。
4)ー事実  ルーズベルトに助言しているが いわゆる「天皇制」維持の決定は  進駐後のマッカーサーの判断からで 占領政策をすみやかに実効する為に決定したこと。
(このプロパガンダは 本来戦争犯罪人として扱われるべき昭和天皇は マッカーサーの占領政策により助命され 天皇は戦争責任から逃れたという 左翼のプロパガンダによって影の薄いものとなった。


蒋介石の意思は ある時期の日本人の感謝を感じる「以徳報怨」とは別次元の考えで行われたということを知り 評価はなされなければならない。

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国際連合憲章 加盟条項

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第2章 加盟国の地位

第4条

   1. 国際連合における加盟国の地位は、この憲章に掲げる義務を受託し、且つ、この機構によってこの義務を履行する能力及び意思があると認められる他のすべての平和愛好国に開放されている。
   2. 前記の国が国際連合加盟国となることの承認は、安全保障理事会の勧告に基いて、総会の決定によって行われる。

台湾はその義務を遂行する能力と意思があり国連加盟は認めらなければならない。


ここで問題となるのは 台湾が国であるということが前提になり 台湾が「国家の要件」を満たしているか否かということになる。

国家の要件Wikipediaリンク
国家の要件として掲げられるいくつかの事項

国家として承認するかどうかの判断をするには、その対象が「国家としての要件」を満たしていることが前提となる。ゲオルク・イェリネックの説が、最低限の「国家としての要件」として事実上の国際習慣法と化している。具体的には、以下の3条件である。

   1. ある程度以上確定された一定の領土を持つこと。
   2. 国民が存在すること。
   3. 統治機構を持ち実効的支配をしていること。

また、モンテビデオ条約は、これら以外に「諸外国との関係に参加する能力」(外交当事者能力)を追加している。

 国家の要件の意義

国家として認められるに足りる「国家の要件」については、さまざまな学説がある。しかし、一般には、厳密に「新国家が国家としての要件を満たしているかどうか」という判断に基づいて機械的に国家の承認が行われたり行われなかったりするわけではなく、承認する側の国家の内政的事情によって承認が行われるかどうかが決められることが多い。基本的な「国家の要件」について考えることは重要であるが、それが現実世界で特定の国家を承認するかしないかを決定するものではないことに注意が必要である。

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「中華民国」の場合 これが主張する領土、すなわち中国大陸での領土、国民、支配の実態はなく国際社会から承認されなくなったのは当然のことである。しかし「台湾」の場合は国家の要件を満たしていて あとは「承認」の問題となる。

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林森北路の飲み屋

林森北路の飲み屋


林森北路の飲み屋は「台湾クラブ」など台湾人の世界をまず除外して語ると そのスタイルは大きく分けて「クラブ」「スナック」「ラウンジ」と分けられ 日本には見られない「厳格な違い」が存在。
「クラブ」:まず日本と違い高級だからクラブと言うわけではなく 台湾の「クラブ」というのは「お持ち帰りが可能な店」と言う意味。
「スナック」:日本と同様接客女性の躾がなされている店、相当品のないママでない限り お持ち帰りなど存在しない。日本でいうならスナックよりクラブに近い存在。
「ラウンジ」:基本的に正規従業員による接客は少なく バイトの子が多く 店が広いのが特徴。

台湾のクラブの半数は店の歴史が長く はっきり言って40〜50を超えたババアの店が多く お持ち帰りも可能だが 飲むだけで日本語のかなり年季の入ったおばさんが相手をしてくれるので 観光客など北京語に不自由な日本人が多く利用。今の大陸の感覚で遊びたいなら 認可のない新しい店を 駐在員に紹介していくぐらいだろう。

スナックに関して人気のある店は よっぽどのことがなければ新規の客は入れず 店の入り口で観光客が値段を交渉している姿を良く見かけるが そのような客は 客が入ってなくても断る場合が多い。また台湾人を店に入れると 飲み方が基本的に違うので北京語や台湾語で入って来ても 日本語で応対で遠慮してもらうケースが多い。観光客やいちげんさんを入れる店は高齢化のかなりすすんだ店。常連さん中心の店は店の性質から若い子ばかりというわけでもない。いずれにせよ 若い子がいるのは「台湾クラブ」と呼ばれるカラオケスナック 台湾人の金の使い方が半端でないので お金を稼ぎたい若い子はここに集中。近年 台湾の所得レベルが上がり 一般的に所得や学歴が低い原住民でも林森北路で働くケースが減っており 原住民スタイルの店でさえ台湾人や外省人が民族衣装を着ている場合がある。人が集まらない=高齢化現象 と 台湾駐在員の高齢化で若い子がそれほど必要としていないという二つの要因があると思われる。したがって台湾人と林森北路へ飲みにいくと「なんでババアの店に日本人は行くのだ?」ということになる。


台湾の国連加盟支持について

記事リンク

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台北駐日経済文化代表処のHPにあったポスター、「台北駐日経済文化代表処」は1972年 国交断絶にともない 大使館機能を民間が肩代わりする形式をとって設置された機関。ここでも台湾を名乗れず「台北」という名称になっている。


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