<中国気になる話>ある意味怖い中国人、車にひかれ重傷の少女を誰もが見て見ぬふりRecord China2011年10月17日、ニュースサイト「KINBRICKS NOW」は、中国市民の怒りをかきたてた交通事故のニュースを紹介している。 【その他の写真】 ある交通事故の映像が中国で話題となっている。「もはや中国には助け合いの心は存在しないのか」と見る者すべての背筋を凍り付かせる内容だ。16日、羊城晩報が伝えた。 2011年10月13日、広東省仏山市のある路地で、その事故は起きた。2歳の少女・悦悦ちゃんが車にひかれた。少女をひいた車はそのまま走り去っていった。 それだけならば、「たんなるひき逃げ事故」だが、その後が恐ろしいところ。重傷を負って動けない悦悦ちゃんを通行人は見て見ぬふりで、十数人が通りがかったが誰一人助けようとしなかった。ずっと道に横たわったままの悦悦ちゃんは別のトラックにもひかれてしまった。 この一部始終をとらえた監視カメラ映像が南方テレビで放映された。少女が車にひかれる瞬間、見て見ぬふりの通行人、道路に倒れたまま動かない悦悦ちゃん、抱きかかえて連れて行く悦悦の母親……そのすべてが映像におさめられている。 16日現在、悦悦ちゃんは広東省軍区陸軍総医院の集中治療室(ICU)にいる。脳腫瘍ができ、深い昏睡状態にあるという。ICU副主任の文強医師は、まだ脳死だと断定はできないが命を保てる可能性は少ないと話している。なお、ひき逃げ犯2人は16日までにいずれも逮捕された。 転んだまま誰にも助け起こされることなく死亡した老人、病院の前でのたれ死んだ老人、人を助けようと川に飛び込み溺死した大学生の遺体の引き上げ料を釣り上げる漁師……。こうした事件がおきるたびに、「中国社会に助け合いの心は、公共心はないのか」と問題になる。今回はあまりにも残酷な動画が残されているだけに、従来の事件以上の衝撃を人々に与えることになるだろう。(筆者:chinanews)
※ 台湾はこのようなことはなく 日本と同じ救急医療が受けられます |
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コメント(39)
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中国出張中に 大人しい私も実はニ三度もめたことがあって なんとそれは中国人ではなく 欧米人、今考えると欧米人じゃなくて 欧州人だったと思う。 とにかく奴らはアジア人を虫けらとしか思っていない連中で思い出しても腹の立つ態度 具体的に私の話はクソ面白くないので 別の上海駐在の同僚の話題に 上海も台湾と同じように大きいパラボナアンテナをマンションの屋上に設置すれば日本の衛星放送を楽しめるわけで 我が同僚もBS放送を楽しみに見ていたわけですが ある日突然 番組が全てイタリア語に 衛星放送というものは衛星の方向にパラボナアンテナを向けないといけないわけで 他の衛星の電波を拾うものではないわけです。人のアンテナに勝手に分離機を設置するのも論外ではあるのですが イタリアの衛星に人のアンテナをあろうことか角度を変え 分離機をつけて自分の部屋に 同じマンションに住んでいたイタリア人は ケーブルを引き込んで衛星放送を楽しんでいたとのこと 衛星放送の角度を元にもどしても 直ぐにイタリア語放送に 抗議してもスットボケテいたとか 中国人は北京原人からたいして進化していないが 欧州人もクロマニヨン人からたいして進化していない それが現実の民度ってやつですかね。 范冰冰です美しさこの上なし 中国美人をたまにUPしているのは 北京政府からの工作活動の指令なのです(爆) |
残留日本兵 石田東四郎(中国河南省)
Wikipedia石田東四郎 石田は、戦時の銃撃により左耳後部に負傷し、聴覚を失い記憶喪失に陥ったまま、襤褸を纏い、物乞い同然の生活を送っていたが、終戦から満1年を経た1946年(昭和21年)秋、河南省南召県黒石寨の往来で商売をしていた農民・孫邦俊によって、同県太山廟郷の自宅に保護された。一家は、暮らすための農業を教えたが障害のため身に付くことはなく、半身不随となるが、一家の介護で歩けるようになる[5]。 1950年代に戸籍登録が行なわれ、中国名「李同」を得る。 1955年(昭和30年)に開始した中国政府による残留日本兵の帰還活動に際しても、本名不明のため、帰国はならなかった。 1962年(昭和37年)の孫邦俊の没後は、子息の孫保傑が保護を続けた[5]。 1972年(昭和47年)の日中国交正常化以降、孫保傑は石田を日本に帰すべく奔走し、1989年(昭和64年)、方城県に住む日本人・根本利子に石田を引き合わせ、根本が日本への帰還のために活動した[5]。 1990年(平成2年)、日本の兵庫県からの播州訪中団が訪れ、石田の情報を持ち帰る[5]。1991年(平成3年)11月、「石田らしい旧日本兵が発見された」と新聞に掲載され、同報が家族の元に届く。 「経済ニュ−ス速報」の副編集長・津田康道がこの旧日本兵を石田であると確信し、1992年(平成4年)、同県南陽市に渡り本人に面会する。秋田大学法医学研究室によって、1993年(平成5年)2月、DNA型鑑定の結果石田東四郎であることが確認され、同年5月7日、弟の石田小十郎からの書簡が孫保傑に届き、同年6月11日、満80歳で帰国した。・・・・Wikipediaは事実関係を述べているわけで ここのどこに感動的なエピソードが隠れているかよく分からないので 人民中国 1947年の秋、孫さんはいつものように、隣村の黒石寨に商売をしに行く途中、ぼろぼろの衣服を着て、全身垢だらけの物乞いに出会った。聞けばこの男は日本の傷病兵で、1年以上もさまよっているという。 当時、抗日戦争は終わったばかりで、太山廟鎮の多くの村々は、日本兵の蹂躙に遭ったため、村の人々の日本に対する印象はきわめて悪かった。「もし日本がわれら中国を侵さなければ、彼だってこんな風にはならなかっただろうに」と、心根の優しい孫さんは、この異国で流浪している日本人を見てかわいそうに思った。 孫さんは、この傷病兵が餓死しないように、家に連れ帰った。家族は彼の衣服を取り換えてやった。傷病兵は耳も聞こえず、口もきけなかったが、この時から孫さんの家族の一員となったのである。 ・・・・・・・ 中国の農民が、親子3代にわたって敵国の兵士の世話をするということは、通常はあり得ないことである。日本侵略者に対する恨みの感情が強い中で、しかも農村の苦しい生活条件の下で、半身不随の日本の老兵を介護・治療することは、孫邦俊さんにとって大変なことだったろう。 「日本の軍隊は憎い。でもこの人だって犠牲者だ、今、わしらがこの人を見放したら、飢え死にしてしまう。違うかね、あんた」――石田さんを連れ帰った時、孫さんはこう言って妻を説得した。 文化大革命の時期には、孫さんの息子の孫保傑さんは、中学卒業後、上級学校への入学資格を取り消された。家に日本人がいるという理由だった。こんな困難があっても孫さん一家は、この日本の傷病兵を助けようという初心は変わらなかった。 孫さん一家の行為に心を打たれて、村人たちもだんだんにこの日本の傷病兵を仲間だと思うようになった。自分で耕して収穫を得ることができる自留地を分配するときも、この日本の傷病兵の分として分けてくれた。社会的な地位や生活水準の違いにもかかわらず、こうした国境を越えた人類愛は、人道主義の気持ちを持つ人々の中からこそ生まれるのだ。 孫邦俊さんは亡くなる前に、息子の孫保傑さんに「この日本のおじさんの面倒をよく見て、機会があれば肉親を探すように」と言いつけた。中日の国交が正常化した後、両国の往来が頻繁になり、この日本の傷病兵の消息が日本に伝わった。そして1993年になって、血液鑑定の結果、石田さんの身元が判明し、帰国できたのだった。・・・・・・(人民中国というインターネットの官製メディアですので この記事の前後にくだらない話があったのでカット致しました)
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あっという間に時間もなくなり 引継ぎの挨拶や仕事、身の回りの整理などに追われまくっております。 そんな中思うことをちょっと 当ブログでは中国と国家の姿や 中国人の社会や民族性に関して 日本人の自分が体験したことを ありのままに伝えるように心がけて参りました。 私の場合 シルクロードにあこがれる的な また中国の歴史、文化に興味を持ってこの国に接することが 第一ではありませんでした。 それは 台湾時代出張ベースで数十回トータル100日の出張と 香港に来て約3年 週に3〜4日は中国入りしているあくまで仕事でありました。成長著しい中国のこの時期にこの地で仕事が出来たことは喜びでしたが 伝統や文化的には この急成長の前に既に破壊し尽くされた博物館にあるような中身のない形だけの中国しかこの国には残っていなかったし 大切な文化伝統を守る手段さえ講じていないそんな殺伐とした姿であり 当の中国人が自らの歴史や文化と断絶して生きているといった感じで イギリスナイズされた香港や 海峡で隔てられた台湾はゆうまでもなく彼らよりは漢族的伝統と文化を保持しているし 今の日本人の方が この地より伝わったものを大切に保持しているとの感想です。 私の場合民族主義者的傾向が大きいですから 自らの文化的背景を大切にしない人たちというのは尊敬の対象ではないのです。生活に根ざしたよいものを紹介したくても私のセンサーに引っかかってくるものは結局はなく 政治的な話題や生き残っているこの国の悪しき伝統のみしか紹介できなくて残念な感じです。 今後中国、中国人と直接接する予定もないので中国ネタは 当ブログで扱うネタは 対日、対台湾関係の時事ネタと中国の芸能おねーちゃんネタのみとなる予定ですので 最後に『現代中国人評』ということに致します。
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対中国人ビザ緩和に関してサーチナ中国人観光客に対する訪日個人ビザの申請基準を緩和へ 中国を訪問中の溝畑宏観光庁長官は13日、日本政府は中国人観光客への個人ビザの発給基準を緩和する予定で、早ければ4月、遅くても5月には新しい基準を発表すると明らかにした。チャイナネットが報じた。 記者会見に出席した溝畑宏長官(左から2人目)日本への個人ビザの発給は、2009年7月1日から中国の一部の省や市の住民を対象にスタートしたが、申請者の年収は25万元(約340万円)以上、あるいはその他の厳しい経済条件の審査を通過しなければならない。 観光というビザのすそのを広げれば 必ず就労や学生ビザ基準も甘くなることでしょう。民主党政権は全く現実や実態を無視し 交流という美名のみを基準に政策を行なうとぼけた集団です。中国、台湾人の友人より仕入れた実態を紹介します。
その他 日本への留学経験者に話を聞けば 中国人留学生の犯罪の話は100%近くの確率でヒットするのが実態です。中国人の犯罪性向の高さは 偏見なしにかなりの高さであり 同じ国家となった香港でさえ観光ビザには高い障壁をもうけていて 真面目に中国の日系企業に働く質の高い人でも簡単に香港へは出られません。台湾や韓国は 観光に対して日本円で20万近くの保証金を入れさせている。これが中国人に対する正しい偏見なしの常識 全くいい加減にして欲しい民主党の友愛政策 実態ぐらい把握しろ! |



