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地獄谷に足を運ぶが 地獄谷の門は5時に閉まり中に入れず、せっかくなので山の上から池が見下ろせる場所へ行くことに。 池は泥の粒子が太陽光の特定色のプリズムになるのか いつも緑がかった青で美しい。 日本家屋の残る道を少しばかり歩く。 下の中央と右の写真は逸邨大飯店、日本統治時代の温泉旅館「星乃湯」、入り口が閉鎖されていたので営業を停止してしまったのだろうか?この逸邨大飯店(星乃湯)は不動明王寺を建てた佐野庄太郎が経営した由緒ある旅館。北投の温泉宿はほとんどホテルとなり 貴重な日本統治時代からの建物を残す温泉旅館はもう2軒しかない そのうちの一軒がクローズとなるのは残念なのでどうなるのか気になるところだ。 ○○○ ←朽ちた水の自動販売機 ミネラルがスーパーで販売される前のものだろうが この人通りの少ないこの場所で成り立ったのであろうか? 昨年も奈良で一度、この台北で一度、その後8月に福岡で1度と立て続けに彩雲に出会う。 それほど珍しい現象ではないと言われればそうかもしれない。 なにか吉兆の前触れと信じたいが 宝くじに当たるでもなく 物は落としても臨時になにか良いことが いまだに私の目の前には表れない。 何ともツキもないのかと嘆いている。 しかしツキがないわけではなく 本来運命に定められた大きな不幸を取り除いてくれていることに気が付かないでいると考えることにしている。 ○○○ ←爽健美茶の「黒覚醒」 日本にあったかな? |
4台湾 【北投温泉】
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詳細
わが街「北投」
日本統治時代から日本人が温泉地ということもあって多く住みつき
いたるところに 日本との歴史的繋がりのあるところ。
戦後は 高度成長期の農協のおじさんたちの悪名高き団体旅行も今は昔
MRTの引込み線も伸びて 落ち着いた温泉地として生まれ変わった
日本統治時代から日本人が温泉地ということもあって多く住みつき
いたるところに 日本との歴史的繋がりのあるところ。
戦後は 高度成長期の農協のおじさんたちの悪名高き団体旅行も今は昔
MRTの引込み線も伸びて 落ち着いた温泉地として生まれ変わった
コメント(22)
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場所は公園の中にある温泉博物館と図書館に隣接したベストロケーションです。 日本のもてなしの心を日本式でということで 従業員の方も日本で研修したとか 日本式の温泉文化が 台湾の温泉地で受け入れられるものなのか まあ先のことはわからないですね。 しかし 中国の日系企業の場合この当たり前のことが出来ません。ひとたび暴動があれば標的にされるのが怖いからですかね ほとんど見かけません。しかし何かあっても前面に国が出てきて守ってくれる国じゃないですから 企業の自主性が情けないわけではないのです。 星条旗は当たり前のようにあり シンガポールなどアセアン諸国の国旗はみかけます。但し台湾企業はなし。 こんなことを考えていると 当たり前のように日の丸を掲揚できる国がまともってことなのでしょうね。 |
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1913年(大正2年)に建てられ外観は今も美しい。孫文も1913年に訪れその関係で公園内には所縁の地として銅像が立っている。昭和天皇も皇太子時代 台湾行幸の際に足を運ばれておられるところだ。 この博物館の庭には池があり 池の周りに敷いた建設資材の石が余ったかのような端に 石が山積みされていて一体なんであろうか考えていた。 台湾人のブログを見ていると その時破壊された日本式石灯篭などの瓦礫は 現在の凱達格蘭文化館(平埔族、台湾原住民の博物館)が建つ前にそのあたりに放置され 建物の裏あたりにころがっていたものを 凱達格蘭文化館が建つ時に 北投温泉博物館の敷地内に捨てずに運び込んだものとの情報があった。 形の崩れた石しかなかった記憶しかなかったので 再度調べることもしなかったのだが 今回よく見たら何かあるかも知れないと思い立って 近所の公園にカメラを持って出かけた。 ありました、石灯籠の一部と思われるパーツが。北投神社というものは写真で見る限り 祠に毛が生えた大きさしかない小さな神社だったので灯篭の数もそんなにはなかったと思われ パーツといえども残り わざわざ公園に置かれ 捨てられなかったのは稀なことだ。周辺住民の思いが残骸であっても残してくれたと考えたい。 凱達格蘭文化館 近所にあって入場無料 時期によって特別企画があったりするのでたまに行っています。観光客の多くがここをスルーするのは非常に残念。 |



