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書庫4台湾 【北投温泉】

わが街「北投」
日本統治時代から日本人が温泉地ということもあって多く住みつき
いたるところに 日本との歴史的繋がりのあるところ。
戦後は 高度成長期の農協のおじさんたちの悪名高き団体旅行も今は昔
MRTの引込み線も伸びて 落ち着いた温泉地として生まれ変わった
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烏来から北投へ温泉はしごで彩雲 十日目(6)89


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イメージ 8烏来からの帰路 帰国する留学生は北投にも行ったことがないということで 私を送ってもらうついでに北投見学。
地獄谷に足を運ぶが 地獄谷の門は5時に閉まり中に入れず、せっかくなので山の上から池が見下ろせる場所へ行くことに。
池は泥の粒子が太陽光の特定色のプリズムになるのか いつも緑がかった青で美しい。
日本家屋の残る道を少しばかり歩く。
下の中央と右の写真は逸邨大飯店、日本統治時代の温泉旅館「星乃湯」、入り口が閉鎖されていたので営業を停止してしまったのだろうか?この逸邨大飯店(星乃湯)は不動明王寺を建てた佐野庄太郎が経営した由緒ある旅館。北投の温泉宿はほとんどホテルとなり 貴重な日本統治時代からの建物を残す温泉旅館はもう2軒しかない そのうちの一軒がクローズとなるのは残念なのでどうなるのか気になるところだ。
○○○
←朽ちた水の自動販売機 ミネラルがスーパーで販売される前のものだろうが この人通りの少ないこの場所で成り立ったのであろうか?

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イメージ 13○時間も5時をまわり家まで送ってもらう。その途中 西日を見上げれば彩雲が新北投の駅の上に。 
昨年も奈良で一度、この台北で一度、その後8月に福岡で1度と立て続けに彩雲に出会う。
それほど珍しい現象ではないと言われればそうかもしれない。
なにか吉兆の前触れと信じたいが 宝くじに当たるでもなく 物は落としても臨時になにか良いことが いまだに私の目の前には表れない。
何ともツキもないのかと嘆いている。 
しかしツキがないわけではなく 本来運命に定められた大きな不幸を取り除いてくれていることに気が付かないでいると考えることにしている。
○○○
←爽健美茶の「黒覚醒」 日本にあったかな?


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北投温泉の「加賀屋」

北投温泉の「加賀屋」

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イメージ 4北投温泉に日本の温泉旅館「加賀屋」さんが進出してオープンして 如何ほどか時間が経過いたしましたので 商売繁盛されていいるものか写真を撮りに行きました。
場所は公園の中にある温泉博物館と図書館に隣接したベストロケーションです。
日本のもてなしの心を日本式でということで 従業員の方も日本で研修したとか 日本式の温泉文化が 台湾の温泉地で受け入れられるものなのか まあ先のことはわからないですね。

イメージ 5普通のことですが 日系企業となりますので日の丸が揚げられておりました。当然といえば当然な風景 台湾進出の日系企業の工場などにも日の丸は掲揚されています。
しかし 中国の日系企業の場合この当たり前のことが出来ません。ひとたび暴動があれば標的にされるのが怖いからですかね ほとんど見かけません。しかし何かあっても前面に国が出てきて守ってくれる国じゃないですから 企業の自主性が情けないわけではないのです。
星条旗は当たり前のようにあり シンガポールなどアセアン諸国の国旗はみかけます。但し台湾企業はなし。
こんなことを考えていると 当たり前のように日の丸を掲揚できる国がまともってことなのでしょうね。


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温泉地北投に住むという悲劇

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台湾駐在時代 老後は台湾で住むことを決めマンションを購入した。
日本人好みの天母は高級住宅街でとても中古マンションといっても手が出ないので
少し市街地から外れてはいるが 周囲三方を山に囲まれた北投にしたのだった。
購入時の事情などはいずれ書くこともあるだろうから今回はやめておくことにする。

イメージ 3北投といえば北投温泉 湯量も多く台湾では最大の温泉地 源泉は奥北投の谷を登れば硫黄谷と龍鳳谷で湯気を噴き出している光景を見ることが出来るのだ。だがこれが悲劇の始まり
風向きによっては谷をイオウの匂いが下り まさに温泉地であり それほどこの匂いは苦にはならない。しかし実害として 写真のように これは香港の1セントだけれど 銅は3ヶ月もあれば真っ黒になる、銀製品も黒ずみ 金も純度が低くければ輝きを失う。

イメージ 4据えつけたクーラーは2年間で3台全て破壊 修理が出来たのもその後2年だった。
ドライヤーは 半年で3台、テレビは 7年間で3台、冷蔵庫も洗濯乾燥機も使用不可になった。
南国台湾でクーラーなしの生活になれ 更に南の香港ではクーラーをつけずに生活できるようになったおかげで 皆さんが日本の夏の暑さに苦しんでいる中 寝室にはクーラーなしでも
平気で安眠できるようになったことが 温泉地北投に住むという悲劇から唯一得たこと。


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北投温泉博物館(北投温泉浴場) にある北投神社のもの

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イメージ 2北投温泉の代表的な観光スポットといえば日本統治時代の「北投温泉浴場」だった「北投温泉博物館」付近住民の熱心な活動で1997年に国家三級古跡に指定されている。
1913年(大正2年)に建てられ外観は今も美しい。孫文も1913年に訪れその関係で公園内には所縁の地として銅像が立っている。昭和天皇も皇太子時代 台湾行幸の際に足を運ばれておられるところだ。 
この博物館の庭には池があり 池の周りに敷いた建設資材の石が余ったかのような端に 石が山積みされていて一体なんであろうか考えていた。

イメージ 3中国国民党のごろつきにより北投神社が破壊された時 その狛犬さんは 心ある台湾人によって逸仙小学校の敷地内に運ばれ隠され破壊から免れ 現在は逸仙小学校の門の横に設置され子供たちの守り神になっていることは有名になった。
台湾人のブログを見ていると その時破壊された日本式石灯篭などの瓦礫は 現在の凱達格蘭文化館(平埔族、台湾原住民の博物館)が建つ前にそのあたりに放置され 建物の裏あたりにころがっていたものを 凱達格蘭文化館が建つ時に 北投温泉博物館の敷地内に捨てずに運び込んだものとの情報があった。
形の崩れた石しかなかった記憶しかなかったので 再度調べることもしなかったのだが 今回よく見たら何かあるかも知れないと思い立って 近所の公園にカメラを持って出かけた。

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ありました、石灯籠の一部と思われるパーツが。北投神社というものは写真で見る限り 祠に毛が生えた大きさしかない小さな神社だったので灯篭の数もそんなにはなかったと思われ パーツといえども残り わざわざ公園に置かれ 捨てられなかったのは稀なことだ。周辺住民の思いが残骸であっても残してくれたと考えたい。

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凱達格蘭文化館 近所にあって入場無料 時期によって特別企画があったりするのでたまに行っています。観光客の多くがここをスルーするのは非常に残念。

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新北投

新北投

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MRTの新北投駅から 行く度ごとに新しいマンションが建っていると思うぐらい風景が変わる。台湾の不動産の右肩上がりはいまだに続いております。

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新しいマンションが風景を変えても 街の市場は変わらず。

6月は一年3ヶ月ぶりの一月連続更新でした。ああしんどー


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