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書庫4台湾 【北投温泉】

わが街「北投」
日本統治時代から日本人が温泉地ということもあって多く住みつき
いたるところに 日本との歴史的繋がりのあるところ。
戦後は 高度成長期の農協のおじさんたちの悪名高き団体旅行も今は昔
MRTの引込み線も伸びて 落ち着いた温泉地として生まれ変わった
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MRT 新北投盲腸線

MRT 新北投盲腸線


台湾の新交通システムMRTの中の観光線のひとつ 北投〜新北投はわずか一駅の線、一般的に動脈から一駅程度の短い線を「引込み線」と表現するのか 「盲腸線」と表現するかわからないが わずか全長5〜6分の走行で 温泉地 新北投へ人を運ぶ。私の場合生活線で利用していたが 一時間に3〜4本しか走っていないころは 歩きも多かった。今は便数を増やして利用しやすくなった。
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5月に台湾に帰ったときに 車両に観光ペイントがされていた。

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ペイントの画材は 北投ということで 楽しめる。

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車両の中も わずか5〜6分の走行時間で 観光案内のシステムがあった。


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新北投公園の噴水完成(台湾台北新北投)

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台湾から戻って参りました。留守中もご訪問ありがとうございました。そしてラスト一週間の香港です。パソコンは船便で日本に運びますので 記事はは5月中はアップできない予定です。


雪の金沢、香港島巡り、台湾高雄、台湾中歴、等記事UPいつになったら出来るのだろう・・・・そんな感じです。


前回の台湾で 工事中の噴水の記事UPしましたが
工事中の新北投公園の噴水(台湾台北新北投)

完成しておりました。

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国民党の晴天白日のマークが露骨にデザインされているとの話でしたが まあ目立たない感じででした。所謂水が踊るハイテク噴水になってました。


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しかし 昔の噴水と比較して わざわざ作りかえる意味が全く分からないですね。

ということで 台湾滞在中は お世話さまでした。多謝〜 次回は半年後かな?その時はまたよろしくね〜っ

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『日軍衛生医院北投分院』のその後(台湾北投)


北投の古跡 追跡シリーズということで今回は 『日軍衛生医院北投分院』やはり三年半前 『北投の古蹟 日軍衛生医院北投分院』という記事がありご紹介すると

過去記事『北投の古蹟 日軍衛生医院北投分院』
前日軍衛生医院北投分院(国軍衛生医院)
北投區新民路六十號。

国民党軍に接収されしばらく使用されたのだろう。今は使われていないが保存状態はよい。軍隊というのは 基本的に贅沢でなく結構ものを大事に使うというのは万国共通のことのように思える。軍隊に接収された建物は長持ちしているようだ。
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この建物映画のロケにも使われていて
過去記事『第一次約會(First Date)台湾1989』
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20年前までは良好に使われていたようです

そして現在 今年10月の姿ですが
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たいして3年前とかわらないのですが
敷地の外の面に 工事予定プレートを発見

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地上4階の建物が建つようです。一応「市定古蹟」ですので 建物を保存しつつ新たな建物を建設するのかどうかわからないのですが 残念ながら敷地的に取り壊しの可能性がかなり高いのでは?ないかと この建物も今後チェックして行きたいと思います。


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『台湾銀行旧宿舎』のその後(台湾北投)

その後のシリーズじゃないですけれど 確実に日本情緒が消え行くものと 保存されるものとで選別されている現在の台湾 三年半前 北投関連で最初に書いたものに『北投の古蹟 台湾銀行旧宿舎』という記事がありご紹介すると
北投の古蹟 台湾銀行旧宿舎
三棟と和風庭園からなる。道路沿いの建物は1935年築 もともと「新松島旅館」で他の二棟は「小塚兼吉の別荘」で1922年ごろの建物のちに新松島が購入し旅館の一部となる。1941年ごろ台湾銀行が購入 台銀の倶楽部、宿舎となる。和洋融合の建築で保存の価値があると解説にあるが 荒れるに任せていていずれ倒壊朽ち果てる運命のように思える。(市定古蹟とはあまり拘束力のないもののような気がする)
市定古蹟 北投区温泉路103号
こんな記事だったわけですが
イメージ 1イメージ 2
過去記事の写真

その記事から3年半の月日が流れ 今年の10月に台湾に帰国した時に この宿舎跡の崩壊がどの程度進んだのか確認しに行った。先日紹介した『善光寺 登山口の碑』の50mほどの近い場所にある。

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更に崩壊が激しく 半分残っていた屋根も完全に抜け落ちてしまっていた 建物は吹きさらしで風が吹き込むと 結構崩壊は加速するようで 人の住まない家は傷みが激しいというまさに見本のようなものだ 結構近い時代の20年前ぐらいの写真では 原形をかなりとどめていたのだが この勢いだと完全に消滅してしまいそうだ。

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この台湾銀行旧宿舎は写真の奥の沢筋に建物が更にあったようでかなり大きな施設だったことが今回 草が刈られていたのでわかった。木々が伸び放題であった三年前の写真と比べると この手入れは復旧工事の前工程的な作業なのだろうか?

注意書きの「台湾銀行総務室」のプレートがあり「修復期間立ち入り厳禁」ということなので ついに修復へ動き出したってことなのだろうか? ここまで崩壊が進むと修復というより再建に近くなるのだろうが楽しみだ。半官半民のような台湾銀行だが 市定古蹟ということで民間の力で復旧工事をするのだろうか その過程を注目したいと思う。 


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『善光寺 登山口の碑』のその後(台湾北投)

三年半前 北投関連で最初に書いたのが『「第一百十七世誓圓尼公上人」善光寺 登山口の碑』という記事で
『「第一百十七世誓圓尼公上人」善光寺 登山口の碑』
善光寺 登山口に碑があり
表と裏を撮影

昭和十年佛縁日完成
誓圓山法王院台湾善・・・とある

なんじゃらほいとわからない 日本と台湾のウエーブ検索しても不明。
善光寺の縁起の碑を参照すると

日本国長野県善光寺大本願第一百十七世誓圓尼公上人とある。
この人に関係あるらしい。

昭和の文字はコンクリートでやはり埋められていたようだが 石よりも風化が早く再び出現したようだ。
しかし「銀光巷」という通りの名前を仏様の碑に赤字で書き込むな!
こんな記事だったわけですが
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過去記事の写真

その記事から3年半の月日が流れ 今年の10月に台湾に帰国した時に 久しぶりに家の近所を散歩 状況が変わっていたので撮影した

イメージ 3

赤文字で 地名標識がわりに 使われていた石碑から 赤文字が消えてなくなっていたわけですけど・・・・・

文字を消してくれるのはよいのですが コールタールのような黒いペイントで石碑の表面を塗ってしまうのは・・・・どうなんでしょう?大胆というか 適当なんだからもう〜


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