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このダムを作った八田與一の名をとった記念公園がある。 ダム建設とダム管理に携わった日本人職員の住宅が 修復されている。 この宿舎は1921年築。八田技師と同じ石川県出身の森総理の題字の「絆の桜」の石碑があった。 私がここを訪れたのは4月26日、八田さんの命日5月8日には記念行事があり日本人が多くここに来ることになったのだろう この日はそのプレ行事のような 佐賀県の青年会議所と地元の会との姉妹会30周年の植樹記念活動が行われていた。 歴史的つながりが友好のスパイラルインフレーションになる日本と台湾との関係はよいものですね。 |
10台湾【台南】
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新北投までのMRTの盲腸線はこの時間はまだ動いていない。 台北駅から新幹線で台南へ向かう 着いたのは9時チョイ過ぎ 台南は4月末でももう真夏の空。 定年退職旅行で台湾入りしているご夫婦とここ台南で合流 タクシーを拾い 八田與一で有名になった烏山頭ダムへ 『台湾・馬英九総統が民進党を非難「口では台湾を愛すと言うが、いざとなったら日本にヘイコラ」』というニュースがあった。日本で開催されている「台北故宮展のポスター問題」、日本側が故宮博物院の名称から國立の文字を姑息にも取り除いていたことに 台湾側が反発し 開催が危ぶまれた問題。日本側は國という日本では旧字扱いの為取り除いたと言い訳はしているけれど 要するに ただ単に中国に配慮しただけだが 台湾側としては 馬総統の夫人を派遣していて メンツにかかわる問題 結局突貫作業でポスターを修正し 開催にこぎつけたというわけ。 同じことが中国でもあった時は 全く反発しなかった馬政権を与党の民進党が国民党を批判したわけだが それにこたえる形で 国民党が民進党を「口では台湾を愛すと言うが、いざとなったら日本にヘイコラ」というわけだ。 まあそんな時事ネタはともかく 中華民国断交以来 台湾の地震への自衛隊派遣から 馬政権誕生後直ぐ 李登輝さんが馬英九総統に 民間で高まっていた八田與一への評価を 日本と台湾の友好に使うようにという進言をしてそれを受け さまざまな場面で八田與一への言及から友好が高まりダム公園の整備となり 次は日本の震災への台湾からの支援へとつながり この故宮展となった。 そんな友好の原点の八田與一の烏山頭ダム 行きにくい場所でなかなか行けなかったがついにというわけです。 |
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今回は巨○ロリー○アイドルだった紗綾ちゃんの写真集撮影ということで今年撮られたとのこと。 吉木りさちゃん逢沢りなちゃんも集英社のプレーボーイでしたが今回も同じでした。 台南方面ということでこの洋館どかか全くわからないでいたので記事にするのを躊躇していたところ 本日ようやく以前いったことのある台南安平の旧英商徳記洋行じゃないかとチェックするとそうでありました。 写真にさくらの木があった為 台南の海沿いのこの場所のイメージが全くわかなかったのです。 台湾にも櫻があることはご承知のこととは思いますが 櫻が花を咲かせるには ある程度日照時間や気温の変化がある 台湾北部及び高度の高い場所でないと 緯度の低い亜熱帯では櫻は花を咲かせないとの先入観が邪魔をしていたのでした。この写真は2月上旬のようです。 旧英商徳記洋行は安平地区では離れた場所にありますが「安平樹屋」が裏手面してありあわせて観光できるので是非行ってみてくださいませ。 1864年安平開港 税関設置、外資が集まり洋行が立ち並ぶ 1867年英国商 徳記洋行設立。アヘン、樟脳、砂糖を取引。 1895年台湾割譲後 総督府はアヘンを専売化 安平港取扱量減少。 1911年安平の洋行は全て撤退後 徳記洋行の建物は日本の塩業会社となる 戦後 台南塩場事務庁舍 1979年台湾開拓史料蝋人形館 台南市安北路194号 |
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3年半前の記事に本日コメントがあり 非常に貴重な情報を頂きましたので記事にしたいと思います。 コメントのあった記事国立台南第二高級中学(台湾総督府台南中学校) 台南公園をちょっと出て学校があったのでのぞきに行く。 改造前と改造後のプレートあり コンクリートの無味乾燥なものからすっきりとしたものに改造したようだ。 改修後の写真を拡大してみると。 おや 左が「台湾総督府台南中学校」で右が「国立台南第二高級中学」となんと新旧の校名を 堂々と公共の施設に「総督府」が( )なしであるのもこりゃすごい。 さすが台南。 「1991年に改築 南の門の入り口の部分が残る」と http://tour.tncg.gov.tw/japan/historic/ht01_1.asp?highspot_sn=384(リンク切れ) に あるのは この写真でしょうかね。 2009/11/29(日) 午後 0:37 Samさんのコメント現在の二中は統治時代は旧一中、現在の一中は統治時代は旧二中。実は、現二中南門制作当時の校長先生とお話をさせていただいたことがあるんですが、「戦後国民党が入ってきて国民党の校長が就任するや否や日本色を排除するためにか(旧制二中には台湾人が多かった、むろん旧制一中は大方日本人)なんだか分らんけど、一中と二中の場所を逆にするという、メチャクチャなことをしたんだよ。だから僕は、その歴史をどうしても残したくてこの南門の制作に取り掛かったんですよ。」、、、とおっしゃっておりました。
2009/11/29(日) 午後 2:25 南CA.の武 さんのコメント基隆や台中の第一中学が台湾人が多くて、第二中学が内地人がおおかった。高雄などは第一が内地人が多く、第二が本島人がおおかったです。台南の第二中学が国立であるのが特異であります。高雄第一は 高雄市立であります。都市によって違うのが奇妙であります
南CA.の武 さんの「台南の第二中学が国立であるのが特異である」というご指摘 確かにそうですね 地域のNO1スクールはほ戦後日本人に入れ違う形で 外省人に占められたので NO1スクールはそのままNO1スクールで扱われたとの認識ですが 台南が違ったのは やはり外省人の入植が少なくNO1スクールをNO1として扱う必要がなかった 珍しい例としてあったと考えられます。 調べて見ると台湾総督府台南中学校は台南州立台南第一中学校となり 戦後「国立台南第二高級中学」「国立」とはいえ第一から第二へとなっています。また「台南州立台南第二中学校」は「台湾省立台南第一中学」と改称されていていることから 台湾人の力がやはり台南では他の地域と違い強いということが影響したのでしょう。 Samさん 南CA.の武 さん貴重なコメントありがとうございました。 |
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徳記洋行と台塩の倉庫跡 倉庫として使われなくなり樹林に覆われるようになり 安平樹屋と呼ばれるようになったもの。徳記洋行の隣から裏にあたる場所 この建物を観光化する発想はすばらしい。 安平港国家歴史風景区リンク 安平樹屋の最初は徳記洋行の隣にある徳記洋行の倉庫でした。建物の材料に見られるゼーランジャ城の赤レンガ、ドアの大理石、窓枠の石や木造の構造から19世紀日本占領時代初期に建てられたと見られます。その後、「大日本鹽業株式會社」に引き取られ、樹屋も鹽水溪を通って運ばれた安順鹽田の塩の倉庫として使われていました。 戦後、台湾鹽製総府がここを引き継ぎましたが、安平の塩業の没落に伴って放棄され、今のようになるまで放置されました。半世紀以上も放置されたため、建物とガジュマルの木が絡み合い、共存共栄が珍しい光景となっています。この光景に惹かれたアーティストたちは一度政府の補助金で樹屋をアーティストの創作空間として使っていました。しかし、イベントに終止符を打つと再び放置されました。樹屋が安平港国家歴史風景区と指定されてから再び脚光を浴び始め、2004年に修繕され、樹屋で往来が便利となる木の桟道を設けました。木と建物が一体となる珍しい空間に、童心に帰りながら冒険してみませんか。・・・・ 2005年よりオープン 住所:台南市安北路194号 料金:大人50元、小人25元 台南市市民は身分証明書を提示すると無料です。 オープン時間:8:30〜17:30 徳記洋行と安平樹屋両方参観することができます。 隣にある徳記洋行は歴史的洋館建物なので行く価値あり この 安平樹屋は只の廃屋にカジュマロが覆っているだけなんでどうかな?って思ってました。一度行った時は時間も遅かったので外から撮影。 三年ほど前日本の代理店の小うるさい社長さんと 本社の役員さんが台南観光をしたいとのことで かなりハードに台南の名所を案内してまわる、そんな中で 安平樹屋は有名でもなく 歴史性も薄いので案内の中ではおまけ的要素でリスト的には最後尾 時間がなければ飛ばすつもりだった。 なんといってもこの代理店の社長さん 小うるさい人で有名 酒の飲み方から注意してくる人で まあ何をやってもダメだしされちゃうひとなんで こんな廃屋に木が生えているだけのところに連れて行ったと言われるのも嫌なのでパスしようとすると 「中に入りたい」とのこと。 入ってみると以外に空間的に広く 立体的歩道が付いているので 奇観を味わう工夫はされていて なかなか何の 歴史建造物とは一味違った面白さだった、写真も撮ったがpcデーター飛んじゃって 中が紹介できないのが残念。 当時70近くの社長さんと64歳の本社役員さん 感想的に「台南観光で安平樹屋が一番よかった」とのこと 「君ねぇ ここを飛ばそうとするとは わかってないねぇ〜」と小言を言われる。
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