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書庫13蓬莱列島の南半分

日本列島から琉球列島そして台湾に連なる列島を 一つの名称で呼ぶなら 蓬莱列島ということになるのだろうか?
九州・沖縄・台湾と地理的 歴史的に関わりも深いので そのあたりをまとめて記事にしてみる。
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太宰府 ベトナム どんたく 花電車 


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イメージ 3ゴールデンウィークの話 この期間日本一の人出を誇るどんたくの前日 天神に出ると『花バス』が走っていた。どんたくの宣伝で3台目撃。博多生まれで就学前天神には路面電車が走っていて どんたくには『花電車』が走りこれを見るのが子供の頃の楽しみだった天神にいつの頃まで路面電車が走っていたかわからないが 今は電車がバスになり 花飾りが印刷された電飾の飾りになったが 花電車という単語が浮かんでくる。懐かしい。西鉄天神駅から二日市乗り換えで太宰府天満宮へ 学問の神様受験前にお参りしたがお礼はせぬまま30年までは数年あるが遅いお礼参りとなる。太宰府名物 梅が枝餅を参道で頬張り 日本に幾つもない奈良と京都と東京だけ?の国立博物館に。大宰府に来た動機は 特別展示のベトナム展のため ベトナムとも縁のある古代越族は 台湾人の祖先である平埔族は古代越族の流れを引く民族 そんなことでこの展示を見たかったのだ。平埔族が漢人化された理由の一つとして越族流れの文化程度が高かったがために逆に 漢人の文化を受け入れる土壌があったということも一因なのだろう。テントでベトナム料理を食べる。テントを通した光で写真が赤くなった。

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宗像大社(福岡)

宗像大社(福岡)


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イメージ 2福岡の名所と言っても 灯台下暗しで生まれた県のことは知らないことのほうが多い
台北の知り合いの台湾人に 台湾のどこどこに行ってきたと言っても 台湾の中で観光したことがないというひとが結構いて 大体 人というものは郷土愛はあっても好奇心は地元にわかない物のようだ。
二十歳前に福岡を出てかれこれ30年 山口弁であった両親も博多の言葉になるほど時は過ぎ ようやく自分にとってのこの生まれた県は観光地となったようで このゴールデンウィークは福岡から出ずに実家から比較的行きやすい場所をチョイス。鶴瓶の家族に乾杯で宗像大社が出たのを思い出す。 
JRからも外れ 西鉄の廃線になった宮地岳線もここまでは伸びていなかった 宗像大社は行きにくいところだったのか訪れた記憶もない。玄界灘に浮かぶ海の正倉院沖ノ島まで神域にするこの神格のすこぶる高く 宗像・沖ノ島と関連遺産群ということで世界遺産にも登録されそうなこの地を 登録前に訪ねておこうということで親父の車をかりてカーナビに従い40分 宗像大社に参拝に行く。
日本の神様は神格が高ければ高いほどそこそこ質素 そこに威厳が感じれれ 大社裏の山には高宮祭場という『宗像三女神の降臨地と伝えられる沖ノ島と並び我が国の祈りの原形を今に伝える全国でも数少ない古代祭場があり』今流行のパワースポットということで大きく手を広げ深呼吸でご利益期待。

イメージ 3帰り道 新原・奴山古墳群というものが道なりに出てきたので撮影『5世紀前半から6世紀後半にかけて、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基の古墳が海を望む台地に築造されている』 考えて見れば日本は 大陸の玄関であった九州でさえ今の南鮮ほどの面積で 既に5世紀には九州の人口は南鮮を上回る超大国であったことがうかがい知れる。


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福岡城

福岡城

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イメージ 5突然痛み始めた歯 診断は歯周病ということで この2〜3日痛みが激痛に変わり 食べるものも食べられず 
喉近くのリンパ腺が腫れたうえに 半開きの口の中は乾燥をもたらし扁桃腺まで腫れてきた。
噛めないで飲み込んでいた柔らかい食物も 喉の腫れで飲み込むのにも痛みが伴う始末。
タバコもまずく感じる。
人生半ば これも老化の登竜門 体はケアすることが大切とはじめて自覚。
歯茎の痛みでお休みもあるかもしれませんけれど 台湾ブログも夏休みでしたが帰省ネタはこれで最後にして通常モードに戻します。 

イメージ 6護国神社のお隣にあるのが福岡城址 天守閣はありませんが 黒田52万石の石垣はそこそこ立派でしょうかね。外様大名ですから石高ほどは立派ではないかもしれません。「黒田52万石」との言葉は耳に焼き付いているのですが 歴史的いきさつがあり 公的な表高は47万石 内高は53万石とのこと
表高は将軍家を除いて大名の中で7番目、内高は8番目 福岡県、福岡市の現在の経済的地位と今も昔も変わらないといったところでしょうね。
福岡城の跡には 他のお城と同じく公共施設があり 昔は「平和台球場」があり西鉄ライオンズのホームでした。音が同じ「平和第九条」の呪いなのか無くなりました。
今もあるのは「平和台陸上競技場」 その昔日本リーグのヤンマーの試合などここに幼い時に見に来た思い出と 高校のグランドが狭かったので 私の出身高校は在籍時にはここで体育祭をやっておりました。
廃城となった名島城から移設された名島門 舞鶴中学校の門と言う人もいますけどどうなのでしょうかね。この門をくぐって直進するとそこは大濠公園となります。

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福岡陸軍墓地

福岡陸軍墓地


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イメージ 7終戦の日 福岡護国神社に参拝しに行くのに 天神南から七隈線で六本松下車して歩いていると 福岡陸軍墓地入り口の石碑が旧九大敷地の道角に目についた。
この交差点は高校時代 今は教師となっている友人と自転車でビニ本屋に行く途中 すれ違った綺麗な女子大生に 二人して見とれてしまい自転車が絡みあい転倒 その女子大生が口を手にクスクスと笑われた 作ったような青春ドラマの1シーンを演じてしまった場所なのでよく覚えているのだけれど この「福岡陸軍墓地入り口の石碑」はおそらくその当時からあったのであろうけれど今まで気が付かなかった。専属モデルがあなたの好きそうなものがあると指をさされてはじめてその存在を知った。
護国神社とは90度ばかり外れる方向ではあったのだが時間もあるので脚を伸ばすことに。
このあたりは福岡でも高級住宅街 大きな屋敷を見ながら小高いちょっとした山が道の先に見え そこにあるのだろうと 3〜4百メートル直進し入り口を探す。
名称が「谷公園」となっているのに不思議さを感じながら階段を登ると 巨大な墓石が立ち並ぶ「陸軍墓地」がそこにあった。
この墓地に関する説明を防衛省所管の社団法人である福岡県郷友連盟のHPを引用する。

福岡県郷友連盟のHP
 当陸軍墓地は、明治の初期には3段の地形になっていました。2段目には、日清、日露戦役の戦没者の墓が集まっていました。日露戦役で捕虜となり病死したロシア人、第1次大戦で青島で捕虜となり福岡に送られ病死した2名のドイツ人もこの地に葬られました。

 昭和6年の満州事変以降、戦死者が増加するにつれ、陸軍墓地の改修が行われました。当時の第24聯隊長であった櫻井徳太郎少将が、勤労奉仕の学生、一般市民とともにこの改修を推進しました。
 その後、昭和10年から逐次、『日清戦役戦病没者之墓』(森部静夫少将碑文)、『日露戦役戦病没者之墓』(林銑十郎大将碑文)、『青島及西比利亜戦役戦病没者之墓』(西川虎次郎中将碑文)、『殉職将兵合葬之墓』(第24聯隊長上村利道大佐碑文)、『満州及上海事変戦病没者之墓』(中牟田辰六少将)、『支那事変戦病没者之墓』(長瀬武平中将)、昭和57年に『大東亜戦争戦没者之碑』が関係諸団体により建立されました。
 墓地後方左側に『ガ島戦没者之墓』(昭和49年)、『拉孟雲南地区(ビルマ)戦没者之墓』(昭和59年)が戦友会、遺族会によって建立されました。
 後方中央には『満州及上海事変戦病死者合同碑』、『明治維新志士之碑』があり、その近くに個人墓等が10基ほどあります。
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この墓石 福岡西方沖地震の時ズレが生じ墓石内部にも大きな被害がでたそうですが 諸官公庁の対応がなく民間の有志の浄財で行われたと碑文にありました。 この墓石群は記念碑ではなく中にはお骨が収められているようで 国難に命を投げ出し捧げた英霊に対し 日本国政府や地方自治体はなんにもしないということなのですね。
増税を國民の為って言われても信じられないですね。

正面の7基に手を合わせ 裏側にある明治維新志士之碑に手を合わせた後 護国神社へ行く事に。


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蓬莱列島のコンパスの取っ手口 瑠璃光寺

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記事の谷間というネタ不足状態 ゴールデンウィークに山口に久しぶりに行って1ヶ月経つのですが埋め合わせ。 
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山口の観光名所である瑠璃光寺の紹介
瑠璃光寺
瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口県山口市香山町にある曹洞宗の寺院。山号は保寧山、本尊は薬師如来。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。

イメージ 5記事にして見るもので Wikipediaに「開基 陶弘房夫人」とあった。ほとんどの人は気が付かれていないというか見ていないと思いますけれど ブログの私のプロフィールの名前のところに「陶嘉久」と名乗っているわけです。本名ではありませんが 私の氏は大内の支族の陶のこれまた支族ということでそんな名前にしていることもあり あら無縁じゃなかったのねというその程度ことですけど。湯田温泉からさほど遠くない場所でありますから 山口に寄られたら是非行って見てくださいませ。

イメージ 6いきなり台湾の話になりますが 台湾はもともと中国とは関係なしに歴史が始まり 現在の不幸は 600万人の台湾人の住むこの小さな島に戦後 国共内戦に敗れた蒋介石の軍隊が中国という巨大な国の全ての省から200万人の人達が無理矢理住み着き 支配者となり国の全ての機関を 前の統治者であった日本から引き継ぎ今に至っているわけです。台湾が所謂「民主化」したと建前的にはなっていても実際融合した民意がそこにあるかといえば ほぼ無形成、「台湾には二つの国が存在する」と称した人がおられる通り 中華民国は外省人(中国人)のものであり 台湾人はその架空の国の憲法に法治されている占領状態の民なのです。よいことといえば中国全土から支配的階級の人が台湾に逃げ込んで来た為 現在は人口の約10%強の200万〜300万の外省人(中国人)は少数とはいえ 12億の中国と対峙しここまで持ちこたえて来た能力のある集団でありました。このあたりは別の機会にして 尖閣問題が語られる時「台湾」と出てくるわけですが 大きく間違えであり「台湾に拠点を遷した中国人政権」が尖閣問題に首を突っ込んでいるだけで 基本的に李登輝さんの見解である「尖閣は日本領」というのが多くの台湾人の意見に近いものだと知ってほしいものです。
さて 話は山口に戻して大内と毛利 現在山口県人の多くは滅亡した大内を尊敬しているものの 毛利は隣の広島の吉田の田舎侍と全く人気がないことをご存知の方は意外と少ないのではないでしょうか 関ヶ原で敗れて 中国10カ国の家臣軍団を引き連れ防長二ヶ国に減封された姿は 現在の台湾の状況と似たものがあったかと。400年経ちますが多くの山口県民からしたら文化を残した「大内の殿様」の方が好きなんですよ。

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瑠璃光寺の手水舎の水盤の横に「杓底一残水」の石碑があり
汲み取り使った後の 杓の底に残ったわずかな水を わずかでも元に戻すという行為のことで
ものを粗末に扱わないで大切にする心こそ仏心とありました。
電力問題の前に考えるべきことはあるでしょうね。 


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