|
遅い昼食も食い終わり とりあえず駅横の駐車場まで歩くことに 途中『新竹関帝廟』があったのでとりあえず撮影 ひとはまばらの『新竹関帝廟』を正面から といってもここが目的ではない 太太の友人から 関帝廟と生活美学館に挟まれたこの公園には あまり地元のひとも近づかないとの情報を得る。 遠慮がちに公園の外から撮影。台湾の場合 一般的に寺や廟には人 特に老人が集まる場所となっているまして木々の多い公園なんかがセットになっていると 朝から夕方まで老人がたむろしているのは 台湾全土どこにでもある光景。この公園も所狭しと老人が多く、将棋などをやっていた。 何故このあたりが嫌われているかというと その昔この周辺には遊郭があり 現在はそのなごりとなるのだろうか 老人相手の売春婦が多く ガラの悪い場所との認識のようだ。台北の龍山寺周辺もそうであるが 歴史的に遊郭は人の集まるお寺や廟の周辺に自然と出来上がる。 台湾の老人元気だし 老後の性の問題は表にこそ出ないが 高齢化社会ならなおさら出てくる真面目な問題でもある。パートナーが枯れたり失ったりした元気な老人に「もう年なんだから 枯れてしまいなさい」ってのは横暴な考え方なのかもしれない。 さっき食べたばかりなのに小腹が減ったという同行者は 大判焼きに捕まる 焼きあがるまで道に設置されていた地図などを眺める。大同路から武昌街までのここ東前街は「金飾街」要するに金とジュエリーの店が集中しているとある。 言われてみると 金とジュエリーの看板が目に付き 質屋もある。日本と比較するとそもそも台湾には金・金装飾を取り扱う店は多い。資産運用よいうか資産保全の為の金、婚礼時の金需要は日本のそれと比較して高いため このような「金飾街」を形成するのだろう 台湾独特の街並みと言えるのではないだろうか。 小さすぎて本来なら写真撮影もしないほど小さなお宮があり 名を「長興宮」何故撮影したかというとこれである。 布袋戯をこじんまりとやっていた。台北でも見かけないことはないのだろうか 台湾は南下すればするほど 台湾色は濃くなってくるのだ。 |
7台湾【桃園・新竹】
-
詳細
コメント(20)
風の新竹にちょこっと17 新竹城隍廟(台湾新竹)一通り旧市街地の主にめぼしい日本統治時代の建物を撮影し終わって まだまだちょっと郊外に新竹神社跡なんかあるのでそちらに行きたいのだが 奥さんの友達が観光案内をしてくれるという話なので 自分の趣味はここまでとして 以降お任せということにした。案内されたのが 新竹城隍廟 新竹観光では外せない廟のようで人も多い 最近購入した映画のDVD「九降風」のロケにも登場していた。 で この新竹城隍廟というのは 城という字が入っているように「都市」の神様という位置づけらしい 日本にはない発想の神様じゃないかな 台湾の道教の神様は日本の神道の八百万の神より数が多いいのだ。(台湾人談) 新竹城隍廟HP Wikipediaに城隍廟のページがあったのでリンク 城隍廟Wikipedia 城隍廟(じょうこうびょう、チャンホワンミャォ、簡体字:城隍庙)は、城隍神を祭祀する為の廟所。中国文化では、城隍神は都市の守護神で、その前身は水庸神である。ただし、あまり神格は高くないようで、『西遊記』などでは、使い走りのような仕事をさせられていることが多い。
著名な城隍廟
中国大陸
上海城隍廟
* 杭州呉山城隍閣(南宋紹興9年(1139年)建立)
* 北京市西城区都城隍廟(元朝至元7年(1270年)建立)
* 山西省晋中市、楡次城隍廟(元朝至正22年(1362年)建立)
* 南昌城隍廟 (明朝洪武3年(1370年)建立)
* 寧波城隍廟 (明朝洪武4年(1371年)建立)
* 西安都城隍廟(明朝洪武20年(1387年)建立)
* 上海城隍廟(明朝永楽年間(1403年~1424年)建立)
* 広州城隍廟 (明代に建立、文化大革命の時に閉鎖される為、廟内の神像は仏山に移され、かつての寺院はレストラン、民家、倉庫に改築されてしまった)
台湾
台湾省城隍廟
* 台湾府城隍廟(建於鄭氏政権永暦23年(1669年)当時の承天府城(今の台南)東安坊郡署の右側にあった)
* 舊城城隍廟(清朝康熙43年(1704年)、当時の鳳山県(今の左営)にあった)[1]
* 嘉邑城隍廟(清朝康熙54年(1715年)建立)
* 新竹城隍廟(清朝乾隆13年(1748年)建立)
* 鹿港城隍廟(清朝乾隆19年、1754年)建立)
* 鳳山城隍廟(清朝嘉慶5年、1800年)建立)
* 大稲テイ霞海城隍廟(清朝咸豊9年(1859年)建立)
* 台湾省城隍廟(もとの名を「台北府城隍廟」といい、清朝光緒7年(1881年)に建立された。日本統治時代排除され、信徒たちは「台北府城隍」の神像を松山供奉し、松山昭明廟を建立した。1947年、新廟を再び台北市に建立し、省城隍を祭祀し、台湾省城隍廟と称する。)
筲箕湾城隍廟
香港
* 油麻地城隍廟
* 湾仔城隍廟
* 観塘城隍廟
* 九龍城城隍廟
* 筲箕湾城隍廟
台湾、香港の中にもこの神様多く祭られているようで「城隍廟」とあれば「都市の神様」って分かるだけでもおいしいかな。 廟の前に舞台あり台湾独特の歌劇『歌仔戯(ぐわーひぃー)』をやっていた 歌仔戯Wikipedia 歌仔劇(かざいげき)は台湾の伝統芸能で、台湾オペラとも呼ばれる。20世紀初頭、台湾で誕生し大陸福建省では薌劇と称す。 「歌仔」とは北京語では「小歌」と訳出されるように民間歌謡を意味し、その内容は閩南語を主とし、大衆が品格のある言葉、または忠孝を主とする故事を学ぶ機会とし、台湾では古くから社会の重要な娯楽活動の一つとされていた。歌仔劇の祖形は宜蘭地区の落地掃であり、車鼓陣等の要素を組み入れて暫時発展した劇である。後代では高甲劇、北管劇、京劇等の要素を取り入れ戯曲形式が形成されていった。日本統治時代の皇民化運動及び国民政府の遷台以降に行われた国語普及運動の中でその活動空間は制限を受けるようになったが、伝統芸人が継承に努力、また台湾の本土化運動の潮流の中で再び発展の機会を獲得している。 この新竹城隍廟と接して軒を並べているのが『新竹法蓮寺』 解説文よく理解できなかったので分からないが 廟の隣にお寺さん まあ日本の場合も本地垂迹ということで 神様とお寺さんが肩を並べた感じで隣接している場合があるが 台湾ではどうなのだろう? またここ新竹城隍廟は 屋台村というか食べ物屋が多く ここじゃやはり「ビーフン」である。 |
|
新竹の街をカメラをもって好き勝手に動きまわっれいると 奥さんから「まだ〜」と電話が掛かってきて 約束の2時間はとっくに過ぎていた。東門の交差点から200m奥に「?愨酒」の文字発見し 専売局跡と確信して進んでいた時 しょうがないから遠くから撮影し待ち合わせ場所に撤収することに。 1935年竣工の現「台灣?愨酒公司新竹營業所」、総督府専売局の建物 設計は梅澤捨次郎で ネットでは「 1890年生まれ。石川県人。 1911年私立手工学校卒。昭和5年(1930年)台南州庁技師を歴任。 作品:台南末広町商店住宅(五層楼)、旧専売局新竹支所など。」と紹介されている。 梅澤捨次郎の「台南末広町商店住宅(五層楼)」と紹介されているものはなんだろうと思ったのであたってみると「林百貨店」のことで なんで商店住宅なんてネットで紹介されているかよく分からない 百貨店でいいはずなのに・・・・ |
|
運河沿いを駅に戻る方向で進むと モダンな建物が出てきたので撮影 「新光人壽」の垂れ幕が入り口に掛かっている 台湾の新光グループの保健会社の建物? とりあえず先を急ぐので側面からも一枚 ネットサーフィンで調べると 台湾人ブログに1925年完成の新竹州圖書館とあった。他の都市にも図書館跡ってあるが図書館として現在も利用されているものはなく別の性格の利用になっている、多くの日本統治時代の建物が 戦後も機能的には同じ役割を引き継いだものが多いなか 図書館はそうは行かなかったよい事例。 これは日本語が禁止され 日本語の書物が焚書されたことを意味し 図書館の機能を失うことによって別の利用法となったからと推察される。 |






