反日勢力を斬る(2)

反日の中韓とそれに呼応する国内の反日メディアを斬る 安倍首相ガンバレ!

戦争体験記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

テロリスト釈放には反対

オバマ新大統領がテロリストを収容しているグアンタナモ施設の閉鎖を命じた。
グアンタナモ施設は拷問の映像が放映されて話題を呼んだが、閉鎖した後、収容しているテロリストを釈放するのか別の施設に移すのか30日以内に専門家チームの答申が出される。

現在245人のテロ容疑者が収容されているが、釈放された61人のうち18人がテロ活動に復帰し、残りの43人もテロ活動に戻った疑いがある(1月14日 モレル米報道官)。
「グアンタナモの収容者がアメリカと同盟国にとって危険な存在であることは明らかだ」(同)と警告するなか、宥和政策のオバマ民主党でテロリスト対策は大丈夫なのか心配である。

【追記】人権団体と安全は裏腹の関係にある。

産経ニュース(2009/01/23)
「収容施設の閉鎖を求めていた米国内の人権団体や、人権問題に敏感な欧州連合(EU)などは、オバマ大統領の決定を歓迎している」

********************************************************
ブログランキングに参加中です。クリックよろしく!
https://politics.blogmura.com/ ←『にほんブログ村』政治ブログ
http://ponko69.blog118.fc2.com/ ←『FC2ブログランキング』政治
********************************************************

みのもんたは引退せよ

今朝のTBS「みのもんたの朝ズバ」は日本語で挨拶したことで話題を呼んだノーベル物理学賞の益川敏英博士を囲んで、政治経済を語らせていた。

以下、言葉の詳細は不正確だか、大意を再現すると・・・

益川
「『自民党をぶっ壊す』という人が居たが、不景気になって、日本をぶっ壊した」

今の経済不況は小泉政権のせいではなくてアメリカ発の世界的な不況である。
ところが、打ち合わせていたのか与良正男が渡りに船と・・・

与良
「競争が激しくなって格差が酷くなっているにも関わらず、セイフティネットが出来ていない」

と自民党批判。

みのもんた
「益川さんはすごい。よく分かっている」

杉尾秀哉が我田引水しようと・・・

杉尾
「麻生政権はいろいろ批判されているがどう思いますか」

益川
「そのへんになると、さっぱり分からない」

この後も政治経済について語らせようとしていたが所詮は学者バカに政治経済を語らせるということで、大切にすべき日本の頭脳を侮蔑しているように見えた。

マスコミとりわけTBSはこのようなオチャラケ番組をいつまで作っているのか。

「ほっとけない!」と言うならみのもんたは私財を投じてクピをきられた派遣社員、非正規社員、期間従業員、路上生活者、ホームレス、ネットカフェ難民・・・マスコミがネーミングして騒いでいる人たちに救いの手を伸べたらどうだ。

自分は億万長者でいながらいかにも弱者の味方のような顔をするのは許せない。

みのもんたは早くテレビメディアから消え去れ。
********************************************************
ブログランキングに参加中です。クリックよろしく!
https://politics.blogmura.com/ ←『にほんブログ村』政治ブログ
********************************************************

開く トラックバック(3)

獅子身中の虫、古賀誠
  
日本遺族会の会長である古賀誠議員が、いよいよ本性を表して、遺族にいわゆる「A級戦犯」の分祀を迫った。

新しい国立追悼施設の建設には反対すると言っているので、分祀というよりも早い話が「A級戦犯」の御霊を靖国神社から追い出せということである。

分祀論者の多くは「A級戦犯」を靖国神社に置いたまま、その他の御霊を新施設に移せという主張だが、古賀誠の場合はそうではなくて、とにかくA級戦犯を靖国神社から追い出せということなのである。
もはや「戦犯」など居ないと56年前に国会で全会一致で決議したことはどうなってしまうのだ。
靖国神社に詳しくない国民の多くは、戦没者の遺骨や位牌が靖国神社に在るものと思っているに違いない。
しかし霊魂は蝋燭の灯りのごとく分けられないと神社の関係者は言っている。
分祀という考え方自体が間違っているし、在り得ないのだ。

古賀誠のような人間が遺族会の会長である事自体も不思議である。
決断を迫られた遺族会はどのような反応を示すだろうか。
東條英機首相を恨む遺族も少なからず居るというから、場合によっては分断され内紛が起きることが危惧される。


産経ニュース(2008.8.16)
「遺族は大きな決断を」A級戦犯分祀で古賀氏


自民党の古賀誠選対委員長(日本遺族会会長)は16日、愛知県豊田市で講演し、靖国参拝問題に関し「すべての国民、首相や天皇陛下も行けるような環境整備のため、私たち遺族が大きな決断をしなければならない」と述べ、靖国神社からA級戦犯を分祀すべきだとの考えをあらためて強調した。
 一方、新たな国立追悼施設の建設や千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)の拡充案に
は「簡単に賛成はできない。靖国神社こそ戦没者遺族の唯一の追悼施設だ」と反対姿勢を示した。(以下略)
********************************************************
人権擁護法案の推進者古賀誠に抗議する方はクリックを!
https://politics.blogmura.com/ ←『にほんブログ村』政治ブログ
http://ponko69.blog118.fc2.com/ ←『FC2ブログランキング』政治
********************************************************

開く トラックバック(4)

戦争体験記 その2

戦争体験記 その2

(このエントリーは「反日勢力を斬る」(2005年5月30日)
http://blogs.yahoo.co.jp/blogger2005jp/3880254.html
を加筆訂正したものです)


(伯父の回想は続く)
夜が明けて、自宅に戻ってくると、あたりは一面焼け野原だった。
自分の家には4個の焼夷(しょうい)爆弾が落ちていた。勝手口にひとつ、床の間にひとつ、隣家との間にひとつ
そして庭に作った防空壕のど真ん中にひとつ。
防空壕に避難していたら一家は全滅だった。この防空壕は一家四人が入れる大きい酒樽を土の中に埋めて、その上を鎌倉のように土で覆ったものだった。
空襲警報のサイレンが鳴るたびに飛び込んだが、いつも沢庵のような臭いがしていた。
自分の好きだった戦闘機や軍艦の絵本が灰になったまま、まだ本の形をしていた。

小さい一軒の民家に4個もの爆弾を落としたのだから、おそらく米軍の爆弾は雨のように降ったのだろう。

回り一面焼け野原で遠くの方まで見渡せてしまう。わずかにガスタンクが立ったまま数個残っていたが、時々、バッと紅い炎を上げていた。

隣組の親友の塚本キーボーは腰に焼夷弾が直撃して亡くなったという。
キーボーは小学校の校庭で行進中にボクの前を歩いていたが、我慢しきれずに脱糞したまま行進していた。
先生に言われて、彼のパンツを取りに家まで走っていたことを思い浮かべた。

近所の優しくしてくれたおばさん(今思えば嫁いで間もない若奥さん)の焼死体を防空壕から引き上げる光景が忘れられない。それは真っ黒に焦げた焼死体だったが、曲げた膝から真っ白な骨が三十センチくらい突き出していた。朝日を受けて真っ白に輝いていたのが異様だつた。
朝日といっても、太陽は数日間、空中に舞い上がった煙と粉塵と死者の怨念の中で橙色に霞んでいた。

家を失い、頼れるところは田舎にある母の姉妹しかなかった。母の姉は呉服屋に嫁ぎ、妹は隣の酒屋に嫁いでいた。
父がどうして汽車の切符を手に入れたのか、鉄道はなぜ動いていたのか分からない。
駅のホームで父はボクと姉を列車の窓から投げ込み、乗り込んだ。(終戦後も列車は窓から乗るのが当たり前だった)
一級河川のA川の鉄橋をゆっくりと列車が渡る時、下を見たら黒い焼死体が川にも岸にも山のように折り重なって倒れていた。人体の焼ける異様な臭いが鼻をついた。

大人たちの噂では、米軍はまず、市の周りに爆弾を落とし、次第に中に落としていく絨毯爆撃で市民殲滅作戦をとったらしい。大部分の市民がA川に向かって避難した。逃げ惑う人たちはA川へA川へ言い合って走って行ったがなぜか、父は広い畑のある方向に逃げた。
一説には川が光っていたので狙われたとも言われる。
家族四人が生き延びたのが不思議なくらいだ。

山本五十六元帥が戦死した時、先生は小学校の生徒全員に作文を書かせた。
小学校三年生の自分の作文が選ばれて、NHK放送局に行きマイクの前で朗読した。
軍国少年だった。あの頃はみんな軍国少年だった。
日米開戦のとき、父が「この戦争は負ける」と悲痛な面持ちでつぶやいたことが思い出される。

田舎に疎開すると、町からきたよそ者として特殊な目で見られた。母の妹の家では「居候」と呼ばれて肩身の狭い思いをした。酒屋の屋敷の一番奥の十畳間が自分達四人家族の生活の場所となった。少し年下のわがままな従弟が居て、祖母が溺愛してたたためにボクにつらく当たった。母には我慢しろと毎日言われた。温厚な父も雨の日、駅から一時間近く自転車に乗って帰宅し母によく当たった。父も子供以上にストレスが溜まっていたに違いない。

小学校では勉強ができるということで一目置かれた。呉服屋と酒屋という田舎では大家の庇護のもとにあったのかもしれない。

大人しい子だと言われていたが、ある時、近所のガキ大将に苛められて腹を立ててやっつけてしまった。それから子供たちの自分を見る目が変わった。仲間になった。
夏は川や池で泳いだ。田んぼに入って蛭に食いつかれた。
冬は寒くて股火鉢をして婆さんに叱られた。足の裏に垢切れができてパツクリ割れて紅い肉が見えた。
治療法は山から取ってきたユリの花の根っこを傷口に埋め込んで、焼き火箸で抑えて溶かした。
ぼくら子供たちの服の両袖はいつもゴワゴワニに固まっていた。垂れた鼻をこするからだ。
街から来た青白い少年も逞しくなった。

小学校では被爆の実態を作文に書き、教室の後ろの壁に張り出された。
鬼畜米英というような言葉も書いたような記憶がある。

夏のある暑い日、大人たちが集まって深刻な顔をして話し合っていた。新型爆弾が広島に落ちたという噂が流れて来て数日後だった。

学校では教科書や壁に張られた作文もはがして燃やした。アメリカ軍に見られてはいけないということだった。
教科書を黒塗りした覚えは無い。

ロシアの兵隊は女を犯し、腕時計を略奪すると大人たちは噂し、米軍以上に怖がっていた。
米軍は上陸すると日本の売春婦と手をつないで歩いていた。売春婦を大人も子供も「パンパン」と呼んで蔑んだ。
言葉の由来は分からない。

板状のチューインガムというのを初めて口にして、先進国の異文化に触れたことも忘れられない。

終戦になって子供心にホッとした開放感を抱いた記憶がある。これでもう毎日B29の空襲を怖がらないで済むという安心感だった。

大人たちは当時「林檎の気持ちはよく分かる」の「林檎の歌」に力づけられたというが、子供心にも敗戦で虚ろな毎日を力づけてくれたのが毎日ラヂオから流れてくる「これこれ杉の子起きなさい、お日様ニコニコ顔出した、顔出した」という童謡だった。
歌で元気付けられるという初めての経験だった。
それ以降、そういう経験をしたことが無い。
あれは何と言う題名の歌で誰が作詞、作曲したのだろう。
********************************************************
戦禍から立ち直った日本の逆走を憂う方のみクリックを!
https://politics.blogmura.com/ ←『にほんブログ村 政治ブログ』
『BlogRanking』(政治ランキング)
http://ponko.iza.ne.jp/blog/  ←『イザブログ』経由でよろしく!
『blogranKing.net』(政治ランキング)
http://ponko69.blog118.fc2.com/ ←『FC2』経由でよろしく!
********************************************************

戦争体験記1

S市で米軍の空襲を受けた。

(「反日勢力を斬る」の旧ブログに2005年3月28日にアップした「戦争体験記」を新ブログに是非転載して欲しいという仲間のご希望がありましたので転載いたします)
(叔父から聞いた話を纏めたものです)

小学校二年生の時だった。

その夜、家族四人は夕食後、楽しい時間を過ごし、父と風呂に入った。何がおかしかったのか忘れたが、よく笑った。

深夜になって空襲警報のサイレンが鳴り響き、隣家の大家との二軒つづきの間に焼夷弾が1発落ちた。
火は見る間に家に燃え広がり暗闇を明るく染めた。

両親は水を入れたバケツをかわるがわる燃え盛る火にかけたが、消えない。
焼夷弾に入っている油が四方に散って、火を拡散させる爆弾が焼夷弾だ。

大家のおじさんに「これはもうだめだ逃げます」と父は言い、自転車に非常用の荷物を自転車にくくりつけた。
さて、出ようとすると鍵がかかって動けない。
燃えさかる家の明かりの中で5分くらいだろうか、実際には途方もなく長い時間に思えたが、偶然開いた。

降り注ぐ焼夷弾の火の粉に追われて街中を逃げ歩く。
自転車の荷台に手を掛けて、走っていくのだが、不思議と恐怖感がない。
むしろぞくぞくするような高揚感がある。
あれは何故なのか、いまだに分からない。
恐怖のどん底に落ちると、極限状態で笑ってしまうのだろうか。

似たような経験がもう一度ある。
成人して、仲間とバイクツーリング中にカーブで曲がりきれず、大きい溝に落ち込んだことがある。
その時、溝から目が離せずに、そちらに向かって行く。笑っていた。

日本軍の高射砲の音とは別に、バリバリという機関銃の音がする。
そのたびに見知らぬ民家に飛び込むと、暗い玄関がひっつそりとして誰も居ないのがたまらなく不思議に思えた。

道端の防空壕にも飛び込んだ。誰も居ない。かび臭い臭いがした。
逃げ惑う人たちは、避難先を決めることができずに、右往左往していたが、かなりの人が1級河川のA川に向かって逃げて行った。
後になって分かったことだが、A川に逃げた人たちはほとんど死んだ。

うちの家族は広い田んぼの方に逃げた。
軍服を着た兵隊もそばに居た。
「お父さん、兵隊さんがいるから大丈夫だね」と父に言ったが、父がなんと答えたか覚えていない。
その時、愚かにも自分はそう信じていた。

暗闇の中を放たれた牛が数匹もうもうと鳴きながら通り過ぎていく。

暗闇の中にたたずむ家々が焼夷弾に被爆して、パッと明るく燃え上がり、その瞬間、新築中の家のように、柱の骨組みだけが、真っ赤な骸骨のように燃えたのを見て「あっ きれい」と何故か思った。

近くに避難した家族の少年が被爆して、「のどが乾いた、水が欲しい」と言っているのを聞いて、看護婦の経験のある母は

「あの子は可哀想に水を欲しがっているから、助からないよ」

とつぶやいた。
母の言うとおり、明け方、少年は亡くなった。
(続く)

全1ページ

[1]


.

ブログバナー

PONKO
PONKO
非公開 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索 検索

Yahoo!からのお知らせ

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事