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◆「東京大虐殺」◆


東京を中心とする六大都市も最前線であった。


『東京空襲』


昭和十七年(1942)四月十八日、米軍機十六機による東京、名古屋、神戸等の初空襲があった。
B25型爆撃隊十六機、搭乗員八十名のドウリットル隊で、各機それぞれ中国本土に飛び去ったが、
中国の日本軍支配地区に降下した八名が日本軍の捕虜となった。

その後、日本軍が南方の占領地から撤退するとともに米軍機の本土空襲は次第に激化してきた。
部下のタイピストで下谷区の親戚から通勤していた某女に、
下谷方面は危ないから私の所へ移転するよう話し、本人も二、三日中に移転すると言っていた矢先、
昭和二十年(1945)三月十日の東京大空襲があった。

この夜300機のB29が莫大な量の爆弾及び焼夷弾を投下したほか、空中からガソリンを散布して、
燃える火を更にあおった。わずか二時間二十二分(三月十日零時十五分ー二時三十七分)の空襲で
八万人以上の人が死んだ。


三月十日の朝、私は陸軍省に出勤して、私の課の女子職員二人が空襲にあった事を知った。
一人は母親と二人で逃走の途中、母親が焼夷弾の直撃を受けて即死したが本人は助かった。
いま一人は前記の女子タイピストで、午後になっても何の連絡もなく、遂に消息不明となった。
私は午後下谷方面へ行き、直接その惨状を見た。御徒町附近は見渡す限り焼野原で、黒こげになった
金庫の列が、その附近の家並を想像させた。焼跡はもえ残りがくすぶり煙と熱さで、
とても中に進むことは出来なかった。

早乙女勝之著『東京大空襲』によれば、社会主義者の荒畑寒村は、
私が下谷方面へ行ったころ明治座の近くまできていた。
友人の娘の死骸をさがして浜松小学校へいき、次のように記している。
「教室であったと覚しき焼け跡には、黒焦げになった丸太のような死骸が散乱し、わずかに転がっている鉄兜の位置によって頭部の所在を識別し得るに過ぎない、その焼けて小さくなったまっ黒の顔面に、白い歯がむき出されている頭部は、黒焼屋のショーケースに並んでいた猿の頭を思い出させた。
そう言う室をいくつか通りぬけて、校庭へ出て見て驚いた。
何百体ともわからぬ累累たる死骸の山なのである。
明治座の中で蒸し焼きにされた骸は赤くただれたような色をして、
いろいろな格好に曲がった四肢のところどころに、着衣の切れっぱしが貼りついている裸体の堆積は、
廃物になったマネキン人形の捨て場としか言いようがない。
取扱いが乱暴であったためか、中には片腕や片足のもぎとられているものもあり、
腹部が破れて腸がはみ出しているものもあり、とうてい正視するに忍びなかった」


この空襲で九死に一生を得た女性は次のように話していた。
「弟と共にふとんを頭からかぶり、救急袋を肩からさげていた。救急袋には三角巾、赤チン、呼子笛に炒米少々。
荒川放水路の葛西橋を目標に避難した。
次第に大勢の人が道路にあふれて、大八車や自転車に荷物がいっぱい、まるでお酉様の夜のように人だらけになって歩いていった。
突然B29がやってきて、直撃の焼夷弾が頭上に落ちて、あとはもう阿鼻叫喚、火が人波の中に渦まいて、その上北風がものすごかったので、あっと言うまに荷物が燃えだして、みんな火だるまで火のついたまま、バタバタと倒れた。

私と弟は、人ごみをかき分け横丁へとびこみ、そこからすぐ川へでた。
その川にかかる橋を渡ろうとしたら、大勢の人がこぼれ落ちそうに、いっぱいで、
その上に火の粉、火の粉といってもゴミ箱のフタや、雨戸や、トタンが炎のかたまりになって
とんで来るのだ。
橋の手前から思いきって川の中にとびこんだ。
川には材木がイカダ状に組まれて、ぎっしりと浮いていた。
私たちはその材木の上にとびおりた。
すでに頭にかぶっていたふとんも救急袋も何もなく体一つであった。
土手の上を見ると、小さい子供の手をひいた母親が火に追われて走ってくる。
その上に突風が火と煙をまきこんで、旋風のように、ごーっと舞いあがる。
何人もの子供たちが、その旋風にふきとばされ、バラバラと河の中へ落ちる。
土手を見ていた私は、とんで来たトタン板をよけた拍子に、右手の指先をざっくりと切ってしまった。

私のとなりにいた子供をおぶった若い母親が子供の様子をみてくれと言った。
見ると赤ん坊はぐったりとして、口を開いて死んでいる。
煙にまかれて窒息したのかも知れない。火の粉だらけの突風が、またごーっとやってきて、ふりかえると、もうその母親はいなかった。
死んだ子供を背負ったまま川へ落ちてしまった。川の中は荷物と人間の手ばかりが、吹きつける熱風とともに、にょきにょきとゆれて流れてゆく。
私と弟は、筏の上から手をのばして、水中にもがき苦しんでいる人を助けようとしたが、みな荷物をかかえて決して離そうとせず、みんなあっけなく沈んでゆく。

またひとしきり突風がきて、真赤な炎が水面を走って来て、そのたびごとに筏の上の人はめっきりとへっていく。むこう岸の家々は、いまをさかりと、ポンポン音をたてて燃えている。
吹きつける熱風は、ほほのあたりをよぎってゆくとき、かあっと耳の奥まで熱くなる。
筏のむすび目の荒縄に両手でしがみついていた。そのうち筏に火がついた。
ここにいたら死ぬのは確実だから、血のふき出る右手をしばりなおして、
となりの筏にとび移り、また次の筏へと死にものぐるいでとびのった。

突然炎と煙のあいだから敵機が筏めがけて機銃掃射をした。
水面にひゅんひゅんと白い水煙が上がったかと思うと、まわりにいた人たちが、
つぎつぎと倒れて川に呑まれて行く。

機銃掃射から生きのびたら、また火が追いかけて来た。
この時川の上を鉄のパイプが向こう岸までのびていた。
私たちはこれにしがみついて、ようやく対岸へ渡った。」


さて既に述べたように、この空襲では二時間で八万人以上の死者を出した。
世界戦史上、どんなに激烈な戦闘がおこなわれたところでも、わずか二時間余の短時間に、八万人をこえる戦死者をだしたと言う記録はない。
その意味で太平洋戦争下の「銃後」はまさに戦場であり、
東京を中心とする六大都市は"最前線"であった。


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民間人めがけて機銃掃射をする米軍機。
二時間余りで八万人の民間人を大量虐殺した米国。
まさに戦争犯罪国家アメリカ。

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「北方領土の歴史的思考」  江戸幕府初期1600年代中ごろ、松前藩が自藩領土として千島列島の一部も含め北方領土を既に管轄していた事実から日本国の国有領土である。 明治維新に至るまでに樺太でも日本国民が居住し、開発を行なっていた。 1855年にロシア帝国との日露通好条約(下田条約)で択捉島とウルップ島間に国境線を設定し日露が合意、確認確定した。 共産革命でのロマノフ王朝崩壊とはいえ国家体制の変化であり、国家消滅ではなく、共産政権は国際的有効な条約を破棄する意思表示は無く、武力による不当占領が継続。 1875年、日露間で樺太千島交換条約を締結。樺太はロシアに引き渡す。 1905年、日露戦争後、ロシア帝国よりポーツマス条約により合法的に樺太の南半分の譲渡を受ける。 1941年4月、日ソ中立条約締結。 1945年、ヤルタ協定にて南樺太、千島列島をソ連に引き渡す米英ソの密約。 1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄。宣戦布告し参戦。 1945年9月に入り、ソ連は国土不拡大の約定に違反し北方四島を占領。 1947年から北方四島に不当な侵攻により侵略され居住する島民約1万7千人を強制的に北海道に退去させられた。未だスターリン主義の崩壊にかかわらず不法占拠が続いている。 1951年、サンフランシスコ講和条約により日本は南樺太と千島列島を放棄。 但し、講和条約では1855年の日露通好条約で確定した国境線は内の北方四島は含まない。 
認識するべき重要な問題として、国土の奪還は常識ではあるが、ソ連に侵害された日本国家主権の奪還であり国益の奪取である。 日本国民はロシアによる日本国家主権と国益の阻害をどの程度認識しているか疑問である。 日本国民は北方の島を経済物理的な面のみ判断し、主権侵害による国益阻害観点の見識欠如と言わざる得ない。 北方領土問題は国家主権の侵害と喪失した状況が継続しているにも拘らず、日本国民は怒りと主張をロシアにぶつけていかず、なぜ沖縄教科書問題のように大運動に発展しないのか。 戦後、GHQによる占領方針により米国の属国的平和主義、経済至上主義、忌わしき共産主義、歪んだ民主主義教育、人権派による日本国民の左傾化の結果、去勢された個人主義の賜物であろう。 62年間にも及ぶ不当占領状態である既成事実を敢えて認めたうえで、先ず日本国家主権奪還と国益回復を図る事が先決である。 

転載元転載元: 加藤東近

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『北朝鮮経済制裁を支持する国民行進』



平成19年10月10日、
民族派は日本国政府の北朝鮮に対する経済制裁を支持する国民行進を行なった。
10月9日に政府は北朝鮮に対する経済制裁の半年間延長を閣議決定した。
翌10日に朝鮮総連は制裁延長反対の大会を日比谷公園で開催、その後デモ行進を行なった。
それに対し、民族派は常磐公演で延長支持の行進を行い、日本人拉致全員の早期救出を訴えた。
途中で両者が衝突することが予想されたが、朝鮮総連側が事前にコースを変更したため
大きな混乱は避けられた。



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転載元転載元: 運否天賦


橋下氏の懲戒処分請求、11都府県350人の市民


橋下徹弁護士が1999年に山口県光市で起きた
母子殺害事件の被告弁護団の懲戒請求を
テレビ番組で視聴者に呼びかけたことをめぐって、
全国各地の市民ら約350人が
橋下氏の懲戒処分を所属先の大阪弁護士会に請求する。

懲戒請求するのは京阪神を中心とした11都府県の
会社員、主婦、大学教授ら350人余り。

17日に提出される懲戒請求書によると、
元少年の主張を弁護団が援護することは
「刑事弁護人として当然の行為」と指摘。

橋下氏の発言は弁護士法で定める懲戒理由の
「品位を失うべき非行」にあたるとしている。

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この350人の一般市民は殺人犯の元少年の身内の者たちか?
あのような非道極まりない残虐な殺人を犯し、反省すらしていないガキの味方をするつもりか?
何の罪もない被害者親子が気の毒とは思わないのだろうか?
それでも鬼畜の人権を尊重するのだろうか?
会社員や主婦が何故、懲戒請求するのか?
橋下氏が刑事弁護の正当性をおとしめたことは弁護士の品位を失うべき非行だと、
何故主婦たちが怒るのか?お前らキチガイか?
所謂ところのプロ市民運動家、丸出しではないか。
弁護士が殺人犯であろうが弁護するのは当然である。
しかし、身内でもない、ただの市民であるお前らに一体どのような関連性があるのか。
殺人犯弁護団を貴様らが援護する理由はいったい何だ?気持ちが悪い、吐き気がする。
こんな奴らが存在するために、日本はおかしな方向へと行くのである。

転載元転載元: 桜椿/サヨク思想が日本を滅ぼす

薬害C型肝炎:原告和解受け入れ拒否 一律救済提示せず


 薬害C型肝炎訴訟の和解協議を進めている大阪高裁は13日、原告、被告双方に和解骨子案を提示した。原告側によると、国と製薬会社「田辺三菱製薬」(旧・ミドリ十字)の法的責任が生じる期間を最も短く認定した東京地裁判決(今年3月)を基準に救済対象を区切った内容。被害者全員の一律救済を求める原告側は「救済の線引きは認められない」と受け入れを拒否した。原告・弁護団は現状では国側の譲歩は期待できないとみており、今後、政治決断を求めて福田康夫首相への働きかけを強める。福田首相は同日夕、週明けに政府の対応を表明する意向を示した。

 同高裁は「調整中」を理由に和解案を公表しなかったが、裁判所としての考えをまとめた「所見・説明書」を示した。その中で、横田勝年裁判長は「全面解決のためには(被害者全員への)一律、一括の和解金が望ましい」と言及。原告側の主張に理解を示した上で、「(原告側の要求は)被告らの格段の譲歩のない限り、和解骨子案として提示しないことにした」とした。さらに、今後の手続きについては「年内に基本合意を成立させたい」とし、20日ごろまでに修正案を提案するよう双方に要望した。

 弁護団によると、今回の和解案は、血液製剤フィブリノゲンについて法的責任が生じる時期を、国が87年4月〜88年6月、製薬会社が85年8月〜88年6月と認定した東京地裁判決を基準にした。

 その上で(1)その期間の被害者については、既提訴、未提訴者を問わず、和解金を支払う(2)既提訴者のうち、その期間から外れた原告には、被告側が一括して金銭を支払い、分配は原告側に任せる−−との内容。国と製薬会社に対し、それぞれが責任を認定された期間の被害者を救済するよう求める和解案とみられる。

 原告側は和解協議の中で、(1)危険な血液製剤を放置した法的責任を認め、謝罪する(2)線引きせず全被害者を救済する(3)治療体制の確立−−を国と製薬会社に求めた。関係者によると、今回の和解案は謝罪について「(国と製薬会社は)謝罪ないし、おわびを行う」としたという。

「バカにするな」涙の原告、決意新た


 薬害C型肝炎訴訟で大阪高裁が13日示した和解骨子案の受け入れを拒否した全国原告・弁護団は、東京・霞が関の弁護士会館で会見し「国が被害者全員の一律救済を決断するまで闘い続ける」と決意を新たにした。原告らは一様に骨子案の内容に落胆し涙をこらえられなかったが、解決を目指し前を向いた。

 九州訴訟原告の福田衣里子さん(27)は会見で「国の責任を認めないでおきながら、口止め料のように原告だけに一部を払うから終わりにしてくれというバカにした骨子案。私たちを見くびらないでほしい。これで幕引きは許せない」と批判した。

 出生時に血液製剤クリスマシンを投与され、20歳の時に受けた検査でC型肝炎に感染した。インターフェロン治療の厳しい副作用に苦しみ、パン職人になる夢も奪われた。福岡地裁判決(06年8月)で敗訴したが、めげずに闘い続けると決めた。感染の原因を明らかにし責任を追及するのが、実名原告としての使命だと思った。

 福田さんは和解骨子案について「ここまで来ても国の責任を認めさせられなかった。自分の無力さを悲しく思う。でも、思いは貫きたい」と涙した。

 ともに会見した全国原告団代表の山口美智子さん(51)は「福田さんのような若者が、まだまだ闘い続けなければならないのか。彼女らは人生を始められないでいる」と訴えた。4日の舛添要一厚生労働相の謝罪について「本心と信じている。ぜひ政治決断して」と語った。




国と旧ミドリ十字の責任は重大である。命に係わる問題である肝炎に対し、あまりに無責任で非人道的な
対処と対応の数々。以前のエイズ事件を思わせる。私の身近にも3人のC型肝炎感染者がいるが、その生活と将来に対する不安は計り知れない。2人が男性で1人が女性である。しかし、この3人はいずれもフィブリノゲンを使用した事は過去一度も無い。原告が訴えるように全ての感染者に補償を求めることは如何なるものか。C型肝炎感染者は推定200万人以上、80年以降のフィブリノゲンだけでも28万人に投与され約1万人が感染したとされている。しかし、カルテが残っているのは7%で製剤投与を証明できるのは多くて1000人ほど。非常に難しい問題である。その他のC型肝炎感染者には覚醒剤使用経験者も非常に多く存在する。注射器の廻し打ちから感染するのだ。国が言うところの線引きも重要である。
救済対象者は際限なく広がるであろう。

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