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NHKを正す会 署名 http://www.shomei.tv/project-1030.html http://blogs.yahoo.co.jp/nisekoannnuburi/16578985.html “あるとき、兼続の家臣(三宝寺勝蔵)が下人(五助)を無礼討ちした。 すると、その五助の遺族たちが兼続に「あれの粗相は何も無礼討ちに されるほどのものではなかった」と訴え出た。 兼続が調べてみると遺族の訴えの通りだったので、兼続は家臣に 慰謝料を支払うように命じた。 しかし遺族たちは下人を返せと言って譲らない。 兼続は「死人は生き返らないのだから、慰謝料で納得してくれないか」 と言ったが、遺族たちはあくまでも下人を返せと言い張る。 すると兼続は「よしわかった。下人を返して取らそう。だが、 あの世に遣いにやれる者がおらぬゆえ、 すまぬがそのほうたちが行ってくれぬか?」と言って遺族3人の首をはね、 その首を河原に晒してその横に立て札を立て、 そこに「この者どもを使いに出すから死人を返せ 慶長二年二月七日 直江山城守兼続判」と 閻魔大王への嘆願書を書いたという。 義や温情に厚い兼続ではあったが、主筋に無体な要求を繰り返す 家臣を捨て置くことは出来なかったエピソードである。” なんだか、一休さんの「屏風の虎退治」を思い出しちゃいました。 兼続の対処は性急にも思えますが、一方信義にも篤く、 政治家として素晴らしいバランス感覚と私は感じます。 これで思うのが最近のお上への必要以上の要求をする団体です。 彼らへの対処は、この位であるのが妥当だと思います。 さんちゃごさんが、仰っていたように、“「愛」という字を 前立にあしらった兜が兼続所用として 米沢市の上杉神社稽照殿に伝わっている。 この「愛」の字については、俗説として「仁愛」や「愛民」の精神に 由来するとも言われるが、上杉謙信が毘沙門天の信仰を表した 「毘」の字を旗印に使用するなど、当時、神名や仏像を 兜や旗などにあしらう事は広く一般に行われていたことから、 「愛染明王」または「愛宕権現」の信仰を表したものと推測されている。” 鳩山由紀夫氏が「仁愛」とか、「愛民」的な事を仰っていましたが、 あれは俗説で、愛染明王を信仰していた為のようですね。 彼ほどの方が、ウィキペディアに書かれていることを知らないとは 思えないのですが。きっと我々に解りやすいように一部割愛された のでしょうね。その一部が大事に思え、自分の都合のよい部分だけを 伝える手法はどうだろうと思うのは私だけでしょうか。 彼の治世となったら都合のよい事だけが国民に伝えられ、 我々国民は彼らに都合の悪い事は伝えられず、みんな平和になったと 幸せですね。流石、「人愛」「愛民」素晴らしい。 ※愛染明王:“仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の1つ。 衆生が仏法を信じない原因の一つに 「煩悩・愛欲により浮世のかりそめの楽に心惹かれている」 ことがあるが、愛染明王は 「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、 むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」 とする功徳を持っている。 愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では 水商売の女性の信仰対象にもなっている。” 勝手に私が切り貼りしているので、そのまま信じないでください。 詳しくは、ご自分でお調べください。いろいろ面白いです。 当時の愛染明王解釈がどういったものだったのか分かりませんが、 ここに在るとおり、“「煩悩と愛欲は人間の本能であり これを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを 向上心に変換して仏道を歩ませる」”といったものであった場合、 愛染明王を信仰する事と、さっきの逸話とも合わせ、 私に見えてくるのは 直江兼続は決して理想主義者ではなく、 現実主義者ではなかったのかということです。 そもそも、そういう人でなければ戦国時代に自分の命を 預けようとなんて思えません。 大河の直江兼続は涙もろく、情に脆い印象ですが ホントのところどうだったんでしょうね。 現在のこの世界は決して平和ではありません。 我々の知らないところで、国と国とは利権争いや、戦争をしています。 そういった世の中に求められるのは現実主義者の直江兼続 のような政治家でしょう。 JAPANデビューの事もあるようにNHKには日本の国を貶め、 日本人を骨抜きにして中国共産党の支配を受け入れやすくする意図を 感じるのは私がマッドだからでしょうね。 直江兼続については、ウィキペディアでも
色々面白いことが載っています。楽しいですよ。 |

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