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実は深刻!中国経済

三橋貴明(作家、経済評論家)

第2回 正しいバブルの創り方
『朝日新聞』までもが……

 第1回の「中国の最悪の輸出品」において、
メディアの本来の使命は中国共産党の手先として動くことではなく、
日本国民に「有益」な情報を提供することであるなどと、うるさいことを書いた。
だからというわけではないだろうが、最近の日本の新聞各紙は、
中国経済について比較的(つまり前回のバブル時よりも)
冷静な報道姿勢を保っている。
もっとも、テレビのほうでは相変わらず中国への無謀な投資へと
駆り立てる報道が多いのだが。

 前回の中国株式バブルの際に、
寒気がするような無責任さで中国投資を煽っていた『日本経済新聞』も、
今回は中国について「市場の一つ」として捉える記事が多い。
つまり投資先ではなく、日本企業が製品を売り込む市場として
考えようという論調が多いのだが、この姿勢は大変好感がもてる。

 また、大変驚いたことに「あの」『朝日新聞』までもが、
「中国の最悪の輸出品」すなわち統計数字について、
かなり突っ込んだ記事を書いたのである。
別に、『朝日新聞』が中国の統計数字を
疑問視する記事を書いても構わないのだが(むしろ歓迎すべきだが)、
タイミング的に大変驚愕したのである。

 2009年5月20日の朝刊(経済面)において、『朝日新聞』はそのものずばり、
「経済統計『水増し許さん』 中国、検査を強化へ」

 なる見出しで、中国の統計数字が全く信用できないという事実を、
国内で大々的に報じたのだ。欧米の金融機関や中国当局が、
中国国内でバブルを「創出」しようとしている時期だけに、
この『朝日新聞』の記事には本当に驚いた。

 同記事のなかで、『朝日新聞』は、
「国内で実績をアピールしたい地方指導者による
『数字操作』が後を絶たない。(中略)
 中国の地方指導者には、将来の国家指導者や閣僚の候補である若手幹部らが就き、
政策運営の実績を激しく競っている。
経済面での成果を目立たせようと統計に手を加えるなどの不正も起こりやすい。
昨年は安徽省で1064件、福建省で754件、広東省で337件の違法案件が摘発された。
(後略)」

 と、第一回で筆者が触れた「地方の共産党官僚の水増し報告」について、
基本的に同じ論調の記事を数字ベースで書いている。
『朝日新聞』がここまで書いてしまっていいのかと、
他人事ながら思わず心配になってしまうほどに適切な記事である。

 それにしても、中国は何でもそうだが、不正件数までもが他国とは桁違いである。
安徽省という一つの省において、1年間(08年)に摘発された
不正統計の総数が1000件を超えるのである。
こんな状況で、中国共産党政府が公表する数字をそのまま信用しろといわれても、
無理がありすぎだ。

 日本のマスメディアは、今後は中国共産党が発表する統計データについて
報じる際は、「わずか1省で、年間1000件の不正統計が摘発される中国の
中央政府の発表によると……」

 などと、毎回、注意喚起をする枕詞をつけるというのはどうだろうか。
自国の首相の漢字読み間違いという、どうでもいいネタを
半年以上も引っ張り続ける国内メディアなのだから、
この程度のことは充分可能に思えるのだが。

 それはともかく、上記『朝日新聞』の記事では、
欧州メディアが中国当局に数字の疑問を突っ込むシーンが紹介されており、
大変面白く読ませてもらった。

 前回の「中国の最悪の輸出品」でも触れたように、
中国は経済成長率や工業生産が伸びている割に、
電力消費量がどんどん落ち込むという、時代を超越した技術をもつ国である。
日本の国内メディア以外には、誰も中国がそんな超技術を保有しているなどと
信じていない。もちろん、欧米メディアなどは中国当局の発表のたびに、
この矛盾について容赦なく質問をしている。

 09年4月16日に、中国共産党政府が09年第1四半期のGDPを発表した際には、
スイスの記者が、
「工業生産は5.1%伸びたというが、電力消費量は減っているではないか。
中国のエネルギー効率が突然高まったというのか?」

 と問いただしている。それに対し、中国共産党の李暁超国民経済総合統計局長は、
どちらの(工業生産も電力消費量も)データも正確だと強調しつつ、
「はっきり説明はできないが、みんなで研究して原因を探っていこう」
 と、言葉を濁したのである。いかにも苦しすぎる説明だ。
中国の国民経済総合統計局長とは、なかなかに大変な職業のようである。
冗談抜きで。

 また、米『ウォールストリート・ジャーナル』によると、
国際エネルギー機関までもが、中国のGDP成長率とエネルギー需要の
食い違いについて指摘しているとのことである。

 ちなみに『朝日新聞』の記事の末尾には、中国がGDP成長率について、
主要国で一般的な「対前期比」の数値を公表していないことについても、
きちんと書かれている。前回もご紹介したように、
中国は実質GDP成長率について「対前年同期比」のみでしか発表しないのである。

 この理由について、『朝日新聞』は中国が「技術的な課題」により、
対前期比の成長率が公表できないと説明している。
しかし、対前年同期比で公表できる実質GDPが、対前期比では不可能になる
「技術的な課題」とは、はたして何なのだろうか。
皮肉でも何でもなく、筆者は心底、その「技術的な課題」の詳細について
知りたいと思う。
http://voiceplus-php.jp/web_serialization/china_economy/002/index.html

実は深刻!中国経済はまだ続きます↓

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企業に「命令」できる中国政府からです
小沢辞任・絶好のタイミング

上杉 隆(ジャーナリスト)

政権奪取後を見据えた戦略
 5月11日、小沢一郎氏の代表辞任表明。
5月16日、両院議員総会において鳩山由紀夫氏が124票対95票で岡田克也氏を破り、
民主党新代表に選出される。
5月19日、鳩山民主党が挙党一致を合言葉に新体制を発表。
野党第一党が目まぐるしく動いている。

 新体制の顔ぶれは、岡田克也幹事長以下、小沢一郎筆頭代表代行、
菅直人代表代行、輿石東代表代行、と代表代行が3人もいる不思議な人事だが、
民主党の政権奪取後を見据えた戦略だと考えれば説明がつく。
代表代行に菅氏を据え置いたことなどは、閣僚を含めた重要ポストでの処遇が
予想される。代表代行、副代表、顧問といったポストを多数用意して、
政権奪取後、彼らを一気に入閣させる、というシナリオだろう。

 しかし、そこで執行部を全員入閣させてしまえば、
今度は民主党内が空っぽになってしまう。
そこで事実上、トップに立つのが岡田幹事長である。
首相は鳩山代表、党の事実上のトップは岡田幹事長というかたちで、
代表選に敗れた岡田氏を処遇し、ポスト鳩山の民主党の新体制までをも
構築したのでないか。

 一方の小沢筆頭代表代行は、選挙担当でもある。
本来、選挙は、幹事長の最大の仕事である。
そういった意味で小沢氏のポストが注目されたのだが、
岡田氏が「功労者を処遇しないのはおかしい。選挙は小沢さんに」と
大人の対応を見せたことで懸念は瞬時に払拭された。
小沢氏が筆頭代表代行に就任したことは、
「選挙は小沢流でやる」という宣言である。
鳩山新代表の絶妙な人事の1つだともいえる。

 さらに若手グループからは、代表選で岡田氏を支持した
野田佳彦氏を幹事長代理に据えた。
ここでもうまく、挙党一致が演出されている。
このような結果を受けて、『朝日新聞』『日本経済新聞』などで
世論調査が行なわれたが、いずれも鳩山首相に対する期待値が、
ダブルスコアで麻生首相を引き離した。
新代表決定後、民主党はまずは上々の滑り出しを見せたといえるだろう。

 5月16日以前には、もし代表が鳩山氏になれば、
西松建設事件でダメージを受けた小沢前代表のイメージを払拭できず、
民主党の支持率は上がらない、岡田代表のほうがましだ、
という観測が大半を占めた。
しかし、結果的に支持率は大きく上がり、
選挙を迎えるうえでどちらの体制がよかったか、は一概にいえなくなった。

「脱小沢」と呼ばれる岡田氏には小沢グループからの反発があるとされた。
あるいは自らを「原理主義」と称するように、岡田氏は小沢氏以上の頑固者だ。
その頑なさが党内不一致につながって、最初は高い支持率を獲得しても、
解散が限りなく任期満了の9月に近づけば、
それまでに支持率は下降している可能性も懸念されていた。
一方、「小沢流」をそのまま受け継ぐ鳩山氏は、舌禍さえなければ、
そのような心配は少ない。岡田氏に比べればもともとの期待値も高くないから、
プラス要素があるだけで、支持率は徐々に上がっていくと考えられるのである。

 つまり、総選挙が遅くなれば遅くなるほど、鳩山民主党は有利になる、
という見立てができるだろう。しかもその背後には、小沢一郎氏が控えている。
だからこそ、自民党のなかでも「鳩山氏になれば選挙を早く、岡田氏になれば遅く」
がコンセンサスであったのだ。
ところが、世論調査はその展望を裏切るかたちの結果を出した。
自民党が慌てている理由である。

 小沢前代表が後継に鳩山氏を望んだ理由は、
自らの裁量が強く得られるからということに尽きるだろう。
本来、小沢氏の本領は、役職にとらわれない、自由なポジションで発揮される。
また、頑固で方針の見えない岡田氏と違って、鳩山氏とはこれまでも、
代表・幹事長ラインで党を支えてきた経緯がある。
 小沢氏は、昔から鳩山氏を買っている。
2002年、当時鳩山氏が代表を務める民主党は支持率3%台に低迷し、
党執行部は前原誠司氏や安住淳氏など若手議員から突き上げを食らっていた。
その打開策として鳩山氏は、小沢氏が党首を務める自由党との合流を画策、
自ら小沢事務所に出向き、「今日は私自身の将来を言いに来たのではありません。
日本の将来のための話をしに来たのです」と語った。

 この合流話が表沙汰になった途端、前原グループは猛反発し、
鳩山代表を引きずり降ろす。代わって代表に就任した菅氏が、小沢氏と手を結ぶ。
鳩山氏にしてみれば、「菊作り菊見る時は蔭の人」ということだが、
小沢氏はそれをちゃんと理解していた。
民主・自由の合流大会の壇上、小沢氏は、わざわざ鳩山氏の名前を出して
お礼を述べたうえで、「菊をつくったもの」への敬意を示したのだ。
その返礼かどうかは不明だが、その後、小沢氏が代表に就任すると、
執行部の要として鳩山幹事長を任命したのである。


小沢辞任・絶好のタイミングはまだ続きます

「小沢流」への反発は消えたからです
http://voiceplus-php.jp/archive/detail.jsp?id=162&pageStart=20
「虚構」とは「現実」である

斎藤 環 (精神科医)

第1回 「正義」とはトラウマのようなものだ
正義のリアル
 ところで『ブレイブワン』の設定を聞いて、
漫画『デスノート』を連想した人も多かったのではないか。
細かい説明は不要だろうが、
相手の名前を記すことでその相手を殺すことができる「デスノート」を
手にした少年・夜神月(やがみらいと)が、この世から悪を撲滅すべく、
次々と殺人を手がけはじめるのが物語の発端である。
  彼の行為こそは、まさに多くの自警団ヒーローが
とっている行動にほかならない。
しかしなぜか、『デスノート』における夜神月の存在は、
正義のヒーローならぬ、狡知にたけた邪悪な少年として描かれる。
  これは『デスノート』という手段によるところも大きいだろう。
正面から体を張って敵と戦わずとも、顔と名前さえわかれば、
ほぼ確実に相手を殺すことができる。
いわば夜神月+「デスノート」は、
悪がまともに立ち向かったら確実に潰されてしまうほど強大な「正義」なのだ。
ここまで描かれて初めてわかったこと、それは「強大すぎる正義」は、
もはや「悪」と見分けがつかない、ということだ。
  『デスノート』は、ゼロ年代の漫画作品中最大の問題作の1つであり、
その人気も圧倒的だった。アニメ化はもちろん
映画化やスピンアウトスピンオフ作品まで制作され、軒並みヒットしている。
漫画としての質が高いのはもちろんだが、
こうした特異な思想を秘めた作品が人気を集めるという点は、
なにやら象徴的ですらある。
  今回私は、『ダークナイト』を発端として、
『ブレイブワン』や『デスノート』といった作品が
「正義」をどのように扱ってきたかを概観してみた。
もはやフィクションのなかですら、素朴な倫理観である「正義」の
耐用年数が切れはじめているということ。それは何を意味するか。
  たまたま「正義」を演ずることになった主人公は、
夜神月のように正義を自明のごとく取り込んで人格障害化するか、
エリカのように正義に取り憑かれて病むか、
バットマンのように葛藤しつつダークサイドへと逃げ込むしかない。
  このような正義の位相こそが、現代の「リアル」なのである。
  もはや正義に単純な希望を託すことはできない。
それはもはや、ノスタルジーの身ぶりとしてしかありえず、
その意味で希望は過去にしかない、のかもしれない。
  しかし「9.11」以後の世界において、
「正義」をこのように相対化し、
懐疑してみる姿勢はもはや避けることはできない。
それはいささか寂しいことかもしれないが、認識としては前進なのだから。
そこから先に何が見えるかはまだわからない。
あるいは『ダークナイト』の続編に、そのヒントが描かれるのかもしれない。
しかし忘れずにおこう。
素晴らしい続編は、われわれ自身が「その先」への想像力を鍛えておくことで、
初めて与えられるであろう、ということを。

斎藤 環(さいとう・たまき)精神科医
筆者略歴:1961年岩手県生まれ。筑波大学医学専門学群卒業。
医学博士。現在、爽風会佐々木病院精神科診療部長。
専門は思春期、青年期の精神病理、および病跡学。
著書に『文脈病』(青土社)『社会的ひきこもり』(PHP研究所)
『生き延びるためのラカン』(バジリコ)
『文学の断層』(朝日新聞出版)など多数。
http://voiceplus-php.jp/web_serialization/kyokou/001/index02.html
「虚構」とは「現実」である

斎藤 環 (精神科医)

第1回 「正義」とはトラウマのようなものだ
「正義」とトラウマ
 本作でジョーカーは、バットマンにとっての、
鏡のような存在として描かれている。
  映画第1作でも、バットマンの両親をジョーカーが殺し、
バットマンとの銃撃戦で化学薬品槽に落ちて顔面に火傷を負ったことが
ジョーカーの誕生につながっている(本作ではこの設定は使われていない)。
バットマンとジョーカーは、最初から相互に根拠づけあうような関係に
置かれているのだ。
  本作におけるジョーカーは、バットマンに次々と困難な選択を突きつける。
最初の選択は「正体を明かさなければ、毎日ひとりずつ市民を殺す」。
これにはじまり、バットマンの存在意義を根底から突き崩すような選択が
次々と投げかけられる。
  最初に記したように、バットマンことブルース・ウェインの活動は、
完全に自警団的なものだ。警察から敵視されることからもわかるとおり、
彼の活動は非合法であり犯罪である。
だからこそ「ダークナイト(闇の騎士)」と呼ばれるのだ。
その活動は、大富豪の顔をもつブルースが、
自らが筆頭株主である企業の金を横領することで成り立っている。
もちろんその行為も犯罪であり、本作でもその不審な資金源を
会計士に暴露されそうになっている。
  この矛盾は、ひとりバットマンの抱える矛盾ではない。
フィクションに登場するほとんどの「正義の味方」、
そうスーパーマンからスパイダーマン、
あるいはウルトラマンから仮面ライダーに至るまでのヒーローたちが、
根源的に抱える矛盾でもある。
その矛盾は「子供向け」ゆえに気づかれないのではない。
敵がしばしば、合法的にはとうてい太刀打ちできそうにない
絶対悪として描かれるため気づかれにくいだけだ。
  そう考えるなら、
バットマンとジョーカーの鏡像関係はいっそうはっきりするだろう。
バットマンが存在しなければ、ジョーカーもまた存在しない
(あるいは、無数に出現する「にせバットマン」も)。実際、ジョーカーは
「お前がいなけりゃ、俺はただのチンピラだ」と自覚している。
  そう、正義と悪は合わせ鏡なのだ。
彼らの関係から誰もが容易に連想するのは、
頼まれもしないのに世界の自警団を買って出る超大国アメリカと、
悪のテロリスト・ネットワーク、アルカイーダの関係だ。
そもそもアルカイーダの発端は、
ソ連のアフガニスタン侵攻に際してCIAが組織したともいわれている。
やはり正義と悪は同根なのだ。
  悪はその根源的な無根拠性ゆえに、時に正義の存在を、
自らの根拠とすることもできる。ならば正義には根拠があるのだろうか。
  バットマンの自警団活動には根拠がある。
彼は少年時代に強盗に両親を射殺された。彼はそうした犯罪への怒りゆえに、
自らの肉体を鍛え上げ、法を犯してまで悪と戦い続けている。
そう、彼の正義には、少年時代のトラウマという根拠が存在したのだ。
  そもそも正義とは、トラウマのようなものではないのか?
 われわれにこの問いをつきつけたのは、最近ではニール・ジョーダン監督、
ジョディ・フォスター主演の映画
『ブレイブ ワン (The Brave One)』(2007)だった
(本論の趣旨からラストシーンに触れないわけにはいかないので、
未見の方はご注意下さい)。
  本作も一種の自警団ものである。
ニューヨークでラジオのパーソナリティをしている主人公エリカは、
恋人と公園を散歩中に暴漢に襲われ、恋人は殺され、自らも重症を負う。
その後遅々として進まない警察の捜査に不満を覚え、
エリカは自ら不法に銃を入手し、彼らを襲った犯人を捜し出そうとする。
  しかし復讐の過程でエリカは複数の事件に巻き込まれ、その結果、
犯人を射殺しては制裁を下す役回りを引き受けざるを得なくなる。
エリカの存在は「謎の執行人」として有名になり、
その活動を支持する声も高まっていく。
  捜査の過程で親しくなり、途中からエリカがを「謎の執行人ではないか」と
疑いはじめる刑事の存在。結局、彼によって彼女は「救われる」ことになる。
  ラスト、エリカはついに主犯を追い詰め射殺しようとする。
そこへくだんの刑事が駆けつけ、「殺すなら合法的に登録された銃を使え」
といいつつ自分の銃を渡す。
エリカは銃を受け取るとためらいなく犯人を射殺する。
刑事は彼女の犯行を擬装するために、その銃で自分を撃つように命じ、
エリカは泣きながら刑事の肩を撃つ。そして銃を捨てて逃走する。
  このラストシーンについて賛否の声が湧き上がった作品として
ご記憶の方も多いことだろう。
私も、このラストに心から納得がいったわけではない。
しかしこのシーンを「セラピー」として読むなら、
こういうことも「あり」だろう、という立場を取る。
  エリカは暴行のトラウマから、復讐という症状に取り憑かれている。
しかし復讐を貫徹させただけでは彼女の症状は終わらない。
なぜならエリカは、「謎の執行人」役を演じつつ殺人を繰り返すことで、
さらに心を蝕まれているからだ。
殺人行為の中毒になってしまい、
引き金を引くことにためらいがもてなくなってしまっている。
暴力は、たとえ「正義」を装っていたとしても、
躊躇やためらいを欠いてしまったら「人格障害」と変わらない。
そう、本作のエリカは復讐に取り憑かれるあまり、
「正義の味方」という症状を病むに至ってしまった「病人」なのだ。
  それゆえエリカに自分を撃たせるという刑事の判断はあまりにも適切だ。
どれほど殺人に麻痺した手でも、親しい相手を傷つける場合には震えるだろう。
彼の判断は正しかった。
エリカは彼を撃ち、撃つことで殺人への躊躇や葛藤を取り戻す。
かくしてエリカは、「謎の執行人」と決別した。
『ブレイブワン』という映画が興味深いのは、正義を懐疑するのみならず、
それを一種の治療対象(つまり病気)として扱う態度がかいま見えるためだ。
この描写があればこそ、私はかろうじて本作を肯定できる。

「虚構」とは「現実」である 4 へ続く

「虚構」とは「現実」である

斎藤 環 (精神科医)

第1回 「正義」とはトラウマのようなものだ
『ダークナイト』と「根拠なき悪」

 今回取り上げるのは映画作品『ダークナイト』である。
  本作はアメリカン・コミックのヒーロー、バットマンを主人公として
80年代以降に制作された実写映画シリーズの、第6作目にあたる。
なお、第5作目の『バットマンビギンズ』(2005)からは、
クリストファー・ノーランが監督している。
  『ダークナイト』は、日本での興行成績はいま1つ伸び悩んだようだが、
アメリカでは近年まれにみる大ヒット作となった。
公開からわずか4週で北米興収4億4160万ドルという驚異的な数字を上げ、
さまざまな最短記録を更新した。
2008年9月現在、歴代興収第1位の『タイタニック』に迫る勢いを見せている。
  日本でいえば仮面ライダーシリーズの劇場作品が
ランキングのトップに君臨し続けるような事態が起きているわけで、
宮崎アニメなどを別とにすれば、ちょっと想像しにくい話だ。
しかしそれも、作品を目の当たりにすれば納得がいく。
『ダークナイト』は、もはやお子様向けのコミック・ムービーの域を
はみ出した、完全に大人向けの作品なのである。
  以下、あまりネタバレに配慮せずに話を進めるので、未見の方は注意されたい。
  バットマンはアメリカン・コミックスのなかでも異色のヒーローだ。
彼はスーパーマンのように異星人でもなければ、
スパイダーマンのような超能力ももたない。
莫大な資産と鋭い知性、鍛え抜かれた強靭な肉体をもつ、
ブルース・ウェインという一般人にすぎない。
彼はお手製の装甲服バットスーツに身を固め、巨大なバットモービルを駆って、
架空の都市ゴッサム・シティを守るため、
あくまでもボランティア活動として悪と戦う。これが本作の基本設定である。
  誰もが指摘するように、本作の最大の功績は、
まれにみる悪の化身にして怪物的存在である
ジョーカーを完璧に造形し得たことだろう。
ジョーカーはバットマン・シリーズのもうひとりの主役であり、
最も人気の高いバットマンの敵役だ。
初期シリーズのジョーカーはジャック・ニコルソンの当たり役として有名だが、
本作が実質的な遺作となった若手俳優ヒース・レジャーの演技は
それを完全に過去のものにとした。
アカデミー主演男優賞にもノミネートされた
『ブロークバック・マウンテン』の抑制された演技とは別人のような
キレた怪演ぶりで、あらためてその死が惜しまれる。
  私はこれまで、映画に現れた悪の造形として、
『羊たちの沈黙』におけるレクター博士を最高のものと考えていた。
完全な知性をもちながら、まったく内省を欠いた存在。
彼の「悪」には根拠というものがない。
それゆえハンニバル・レクターには「ためらい」が存在しない。
これは言い換えるなら、「内省」と「根拠」を欠いた存在は、
その存在自体が「悪」にほかならない、という意味でもある。
  しかし、『羊たち〜』の続編小説『ハンニバル』を読んで、
私はいたく失望した。この小説にはレクターの「根拠」が書き込まれているのだ。
  リトアニア生まれのレクターには、愛する妹ミーシャがいた。
第2次大戦中にレクター一家は別荘へ避難するが、
ドイツ軍とロシア軍との戦闘に巻き込まれて両親は死亡する。
その後リトアニアの対独協力者たちと別荘で暮らしていたが、
食料が尽き、衰弱していたミーシャは殺され、食料にされてしまう。
このトラウマこそが、怪物レクターを作り出したというのだ
(このエピソードは、映画『ハンニバル・ライジング』に描かれている)。
  ここには1980〜90年代にハリウッド映画を席巻した、
悪しき「心理学化」(もしくは「心理主義化」)の残滓がくすぶっている。
そう、人はトラウマゆえに怪物化し、またどんな怪物も、
その根拠となるトラウマを隠しもっている。
『ランボー』(1982)しかり、
『グッド・ウィル・ハンティング』(1997)しかり。
  しかし、この種の図式的な心理主義は、
私のようなすれっからしの映画ファンにとって、
最も興醒めな要素の1つでもある。
いや、このところめっきりその手の映画が減ったところをみると、
そう感じていたのは私ばかりではなかったのだろう。
  しかし私は、ジョーカーが自分の頬まで避けた口元の傷の由来を
語りはじめたとき、久々に嫌な予感を覚えた。
ああ、またしてもハリウッド流心理主義のご託宣か。
  しかし、その予感は小気味よく裏切られることになる。
  第1の「告白」でジョーカーは、子供のころの凄惨な思い出を語る。
酒乱の父親が母を刃物で刺し殺し、
その場で自分も父親に口元を裂かれたのだ。
しかし第2の「告白」では、話がまるで違う。
その傷は、借金がかさんで身も心も傷ついた妻を笑わせるために、
自ら切り裂いてみせた、というのだ。一体、どちらが真実なのか。
  もちろん、どちらもデタラメだ。
強いていえば、ジョーカーはここで、
自らの悪意がちゃちなトラウマなどに根拠づけられるものではないことを
高らかに宣言しているのだ。
  実際、ジョーカーには根拠がない。
彼には指紋やDNAのレヴェルに至るまで、あらゆる過去の痕跡がない。
彼には世俗的な欲望すらない。自ら金にも権力にも興味がないとうそぶき、
札束を積み上げて火を放ちさえする。
彼が望むのは、人々が--とりわけバットマンが--その良心ゆえに葛藤し、
苦悶する姿を眺めることのみ。
これほど純粋に無根拠な悪が、かつて描かれたことがあっただろうか。
少なくとも、ハリウッドのメジャー大作では前例がないように思われる。

「虚構」とは「現実」である 3 へ続く


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