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過去の聖人には「仁」がありました
「仁」だけではこの世に存在している場合まとまりが無い為
「義」を共に付け加え「仁義」としました
現代的にいえば「道理を守り、思いやりをもつ」ということでしょうか
「礼」は礼儀となり、社会に対し大変秩序をもたらすように
感じますが、悪く働けば「見せかけ」という意味もあります
「仁」も「思いやり」「慈愛」などのプラスだけで納まればいいのですが
「溺愛」というように偏ってしまえば「偏見」を生んでしまいます
その為「ルール」をあてはめ「義」をあてがったのです
「義」も偏れば、従わぬものには冷酷になるところがあり
その為がんじがらめになってしまい身動きが出来なくなるため
柔らかな「仁」と強固な「義」を両立させました
本当に人の心は複雑なものです
「智」は物事をよく知ろうとする性格であり、探求する性格ですが
現在では知識を詰め込む方の意味となってあらわれているようです
知るが故に心の中が揺らいでしまって不安な状態になってしまいます
そういった事の根底を成すのが「信」で起点となる心
「欺かず」「真」がこれにあたります
「信」は真理のことですから本来差が無く共通するものとなりますが
言葉の上では「信念」というように「拘り」のようにとらえがちになりますが
本来は自然に心の中にもつ宇宙と一体になる精神状態を指します
人は心が複雑な存在ですがその心の中心に位置するのが「信」で
「太極」の意志と同等です
人は見えたり、聞こえたりと五感に対し影響のある事に反応するため
つい派手なパフォーマンスに引っかかってしまいますが
「信」は生まれた以上、此の世に存在した以上全ての物の中に
閉じこめられた性格といえます
「自分を思う」「在る」ということが「信」
現在はこの「信」を皮膜のような薄い皮でくるんでしまった
状態になり、残念ながら我を失う方が多くなってしまいました
まるで堤防が決壊した川のような状態です
修復しなくてはいけないでしょう
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仁義礼智信の意味合いが深く理解出来ました。
何と無くは知っていたのですが、此の記事の文章で確り意味合いを掴む事ができました。
嬉しいです。
仁と義が一緒に使用される理由を理解しました。
2013/6/20(木) 午後 11:14