ホリデー西ケ丘 Vol.116

宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
半月刊UTIWAマガジン
「ホリデー西ケ丘」vol.116
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)


●夜明けのアヒル(編集部)
連日の猛暑、熱帯夜、エアコンは稼働しっぱなし!水分ばかり摂取しているので食欲はまるで出てきませんし、やや疲労が蓄積し始めているこの時期、でもやはり夏はこのくらい熱いのがいい!と思うのです。空梅雨とか冷夏ですとなんだか生命力が減衰していくようで、気合が入らないんです。

夏は暑い方が、冬は寒い方が、私は好きです。メリハリの効いた春夏秋冬、物の哀れを感じるのはそんな四季の移り変わりを体感している時でしょう。一年中同じ環境でじっとしていると、時のすぎる感触が鈍くなってしまう気がするのです。今を生きる、その切実さを煽るためには、夏の暑さ、冬の寒さは不可欠なのです。

それにしても、これからこんな異常気象は、このまま固定化され、より逸脱方向に展開してしまうのでしょうか。かつて体験した遠い昔のマイルドな春夏秋冬、それは自分で作り出した幻想なのでしょうか。こうではなかったという思い出は、後付け情報によって作り変えられたもの?そうではないと言い切る自信が私にはありません。気象に限らず時代はいつも特殊で微妙で全てが「変!」だった気もするのです。



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1、イベント
「シニアチーム・三ツ岩岳に挑む」
 西ケ丘登山愛好会

2、スイーツは私にお任せ
 「ショウガと水あめ」
  CoComama

3、私も一言
 「観光地異変!」
  六花ビリー

4、BOOKレビュー
 「ミレニアム4」
  北斗七星

5、ラーメンバトンタッチ
 「白河ラーメンはブームになるか」
  ラーメン倉光

6、私も一言
 「コンビニの生ビール?」
  さんざクロス

7、音楽の話
 「サキソフォンの練習」
  アンサンブルYOSI

8、ボルダリングレポート
 「新しい課題」
  炭酸まぐねしゅうむ

9、時計仕掛けのりんご
 「ビッグマペット」
  鈴木義延


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1、イベント
「シニアチーム・三ツ岩岳に挑む」
 西ケ丘登山愛好会


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連日の猛暑、当日も登山道入り口付近の掲示板には外気温35度の表示がありました。そんな暑さにめげず、と言ってもしっかり水分を多量に確保して、3名のシニアチームが、「会津100名山」の一つ標高1600メートルの「三ツ岩岳」に約7時間かけ登頂し、下山してきました。テレビでは連日、特に年配者はエアコンのある場所で静かにしていましょうとのご指導が途絶えることがないのですが。
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朝の5時に当院グラウンドに集合、それから約3時間かけて、福島県「たかつえスキー場」側の登山口に向かいました。「たかつえスキー場」は夏はマウンテンバイクでスキー場を駈け下るダウンヒルや、サッカー場、バスケット場など、学生たちの夏の合宿に使われるトレーニングと宿泊設備が整っています。当日も学生たちの団体が複数バスで乗り付けていました。

当院登山愛好者にはアグレッシブな若者チームが活発な活動をしていますが、どっこいシニアチームも山好きであることには負けていません。シニアチームはとりあえずキャリアだけは豊富ですから、それまで登ってきたたくさんの山の思い出を肴に、一足一足をしっかり踏みしめながら自慢話と一緒の登山となります。若者チームはピッチが早いですから、すぐに私たちでは置いてけぼりのお荷物になってしまいます。今回は快晴に恵まれ、しっかり山特有のパノラマを楽しみながらの道行きとなりました。

直射日光にさらされての登りは汗びっしょり!持参した2リットル分の飲料は、下山にはもう全て飲み尽くしてしまうペースでした。衣類は汗で重くなってしまったほどに。
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楽しみの頂上での昼食では、ゆったり時間をとって360度の風景を楽しんだのです。最近何度か行った山行きでは、いつも空模様の変化に視界を遮られ、しっかり風景を楽しむことがほとんどなかったので、今回は久々の快挙です。

登りの時には、出発点となった「たかつえスキー場」で夏の合宿をしている中学生のスキー部が、片手にペットボトルを一本持って、駆け足で抜いてゆきました。さすが十代の体は軽そうです。彼ら以外、頂上までの行程ですれ違った人は1名しかいませんでした。この暑さの中、登山に行こうとする人は少数派であったようです。私もできるなら海に行きたいところでしたが、一人でシニアが海に行っても、あまりやることはありません。せいぜい桟橋に腰掛けて「ドックオブザベイ」を歌うくらいです。
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下山したのは3時、そこで汗まみれの体を清めるために不可欠なのが「温泉」!幸い出発点となったスキー場ロッジの中に露天風呂があり、利用料金、お一人様500円ということで、しばし英気を養ったのです。疲労感はまだ実感されていませんでしたが、あまりリラックスすると動くのが億劫になる程、温泉は心地よかったです。(写真中央奥に見えるのは栃木県の男体山と女峰山)

帰りの道行きも約3時間、遅番の方が帰る6時半前になんとか当院グラウンドに戻ることができ、それぞれ散会しました。途中「道の駅」で買った山菜のお土産を手にしながら。それにしても暑い1日でした。お疲れ様です。


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2、スイーツは私にお任せ
 「冷やし飴」
  CoComama


夏から秋にかけて関西のあちこちで見かけるのが「冷やしアメ」です。水あめの甘さと生姜の効いた爽やかな風味が楽しめる飲み物で、これはわたしの夏の定番。連日の猛暑もあまりめげないのは、これのおかげと思うんです。ですけどこの街ではほとんど見かけないのが不思議なんです。
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冷やし飴は関西では当たり前の夏の飲み物。幸いネット通販でわたしは手に入れていますが、どこに売っていても良さそうなのにいつまでたっても見かけないのが解せません。売れそうなものにはすぐ手を伸ばすのが商売なんでしょうけど。

皆さんも夏バテしそうなら、ぜひ手にとって賞味してみてください。商品がなければ自作する手もあります。お湯に水あめとショウガ汁を入れて溶かし、冷やして飲むわけです。私は商品を買いますけどね。皆さん、暑さ対策はまだまだ続きます。油断しないでくださいね。


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3、私も一言
 「観光地異変!」
  六花ビリー


なんとも暑い夏だ、太陽の下にいることがしんどくなってしまうような気温だ、遅まきながら水分補給を怠らないようにしなければならない。

私の実家は観光地(神奈川県箱根)なので親類たちも皆観光業で生計を立てている。連日の猛暑に観光客は避暑地であるにも関わらず減少しているらしい。目立った特徴は「日本人の観光客がいない」ということだ。外国からくる方々はそう簡単にスケジュールを変更するわけにはいかないだろうから、予定のコースを気温に関わらず訪問することだろう。最近の特徴にはそれ以外にも色々あるらしい。(写真は箱根唯一の広さがある仙石原草原)
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まずはホテル利用者が減ったこと、現在は民泊が人気で、ネット時代を反映してスマホでの細かな情報のやりとりが可能となっているという。そしてコンビニだ。様々な国籍を持つ人たちも日本のコンビニなら自分の求めるものが安全に確実に手に入ることを学んでおり、そしてコンビニは全国津々浦々どこにでもあるので、これを拠点に旅を続けているという。

それらを支えているのが「スマホ翻訳機能」だ。外国人とのコミュニケーションもこれがあればなんとかなる。もう現代人はスマホとコンビニだけあれば世界中どこに行っても最低限の日常を確保できると学んでいる。かつてのアナログ的観光客受け入れシステムは、それを維持するコストが利用料金に反映している分高くついているのだろう、軽快なフットワークを可能とするネット情報網、これを効果的に使えば世界はまるで自分の手の中にあるように思えるのかもしれない。

私などの昭和世代には、このような状況には隔世の感がある。とにかく外国人観光客の旅の内容は大きく変質しつつあると、親類一同は嘆いていたのだ。それに合わせた新たな対応が急務なのだと。しかし私などには何も思いつくものがない。つくづく過去の世代なのだと思い知らされてしまう。


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4、BOOKレビュー
 「ミレニアム4」
  北斗七星


「ミレニアム」と言えば、2005年にスウェーデンで第1部が刊行されて以来、ヨーロッパ、アメリカをはじめ三部作が各国で大ヒット、全世界での売り上げは累計8300万部を突破している人気作品です。日本でも大きな反響をお巻き起こし、スウェーデンでもアメリカでも映画化され、ずいぶん話題になりました。私も一応全て鑑賞したのです。

しかしこの作品の著者スティーグ・ラーソンは、その原作の刊行を待たずして心臓発作で急死してしまいました。もともとラーソンはこの「ミレニアム」を十部作にするつもりで、すでに第五部までのストーリーを考えていたと言われています。実際自宅のパソコンの中に、第四部の原稿が200ページほど残っていたそうです。
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この人気作品、三部作の版元であるスウェーデンのノーシュテッツ社は、ラーソンの意向とは関係なく、全く新しい著者の手による「ミレニアム」第四部を、2014年12月、刊行することを発表しました。この人気シリーズの主人公たちに永遠の命を与えるためだといいます。そして新たな著者として白羽の矢が立ったのは、ダヴィッドラーゲルランツという人で前作を引き継ぐ形を取りながらも、第四部が独自に創作されることになりました。柳の下のドジョウは、いる限り取り尽せというところでしょう。商売とはそんなものです。稼げるうちに稼げ!

私はその三部作の大ファンですから当然気になっていて、一応手に入れてはあったのですが、どこか気が乗らず、ずっと本棚の隅に置いたままだったのです。やはりね、本人になりきったつもりで書いてもそれはそれ、文体を模倣するというのはそれだけで生きの良さがなくなってしまうものなのです。作り物めいた感触を拭い去ることは原理的にできないわけです。

それから1年ほど過ぎた頃、遠くで暮らしている読書仲間の知人(実は娘)と久々に逢っている時、この本のことが話題に登り、「意外と良かった、これまでのエッセンスが無理のない形で盛り込まれていて感心した」との感想を聞いたのです。ん〜〜〜、そうまでいうならちょっとページをめくってみるかということになり、もともといつかは手に取ろうと思っていましたから、それをタイミングに読んでみました「ミレニアム4」「蜘蛛の巣を払う女」上下巻。

上下とも一気に3日間で読んでしまいました。それなりに面白くて。確かに過去の様々なエピソードをうまく繋いで、それらを伏線としてかなり上手に回収し展開する見事な構成になっていました。手を休ませず読者を引っ張る手管は、もともとかなり力量のある作者であることは確かでした。出費分の満足はあったのです。とにかくミレニアム4は楽しみました。

ですがその後にですね、どこかなんだか得体の知れない違和感というか心残りの感触、わだかまりが残ってしまったのです。そしてその正体を確かめるべく、また最初から、「ミレニアム1」を、そして「ミレニアム2」「ミレニアム3」を三度手にとって読むことになってしまいました。偽物を見せられた後はどうしても本物を目撃したくなるのです。

そして結局3度目になるミレニアム体験、読書を現在途中経過なのですけど、その骨太な構成と疾走感、息の良さ、登場人物の多さをマイナスにしない手際の良い人物の書き分け方。一つ一つのエピソードのキレの良さ。その文体に改めて感動しながら、じっくり舐めるようにその文章を味わっているのです。なんだか印象がより深くなったといいますか、別な文体が必死に模倣したオリジナルの、そのものが持つ発想の自由さが、この疾走感を担保しているのを改めて感じるのです。

これでまた数週間は他のものが何にの手につかない「失敗感」と「愉悦」を味わうことになってしまったのです。それにしても最初の「ドラゴンタトゥーの女」はサスペンスの要素が贅沢に詰め込まれた傑作です。


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5、ラーメンバトンタッチ
 「白河ラーメンはブームになるか」
  ラーメン倉光

宇都宮市近辺のラーメン文化を大別しますと、大きな塊として「家系」「ジロー系」「佐野ラーメン」があります。それ以前には北海道ラーメン、九州ラーメン、東京ラーメン、少数派では喜多方ラーメンなどがあり、それにプラスして「創作系」という新しいカテゴリーがあるんです。これはトマトラーメンとかエビでスープを取っているとか、タイで出汁をとるのだとかいう、これも少数派のニューウェーブです(ただしあまり長く営業している印象はないんですけど)。
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だいたい現在の時点でそのバリエーションは出尽くしている感じがあります。その他「つけ麺」でのバリエーションもそれぞれの系列ごとにあって、僕はつけ麺が好きなのでそれぞれ皆食べますけど、とにかく激戦区宇都宮では常に新旧が激しくバトルしているようみ見えます。僕としては大歓迎なんですけど。

そんな中で先日わざわざ県北の県境まで行って食べたのが「白河ラーメン」です。宇都宮市は「みうら」という、白河ラーメンお人気店がありますけど、それ一店しかないんです。ですからいつも混んでいます。

最近テレビで「白河ラーメン」にズームインされたことがあり、他が出尽くしたところで「真打ち登場」とばかりに、こちらがブレイクの予感があるんです。あくまで僕の期待を込めた憶測なんですけどね。

コシの強い味わい深い麺、シンプルだけど秋のこない醤油ベースのスープ、そしてスモーキーなチャーシュー!僕は最近はまってしまっているんです。1時間以上かけて北の県境のチェックしているお店に行くんです。何かの雑誌に、宇都宮に新たな白河ラーメンのお店!という記事を目にしたこともあり、実際鹿沼市でも白河ラーメンのお店ができて評判だということで、あながち僕の思い込みじゃあない気もするんですけど、どうなるのでしょう。僕は好きです。



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6、私も一言
 「コンビニの生ビール?」
  さんざクロス


コンビニで毎日のように100円コーヒーを飲むのが習慣化してしまった私として、2018年7月、セブンイレブン「100円生ビール販売」のニュースは、聞き漏らすことのできないニュースでした。それでなくとも最近セブンイレブンの焼き鳥は、そのタレもさる事ながら手軽な値段と視覚的な刺激で、ちょっとかじってみたくなる仕掛けに満ちていたのです。そこに「生ビール100円」はないでしょう!
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そりゃあね、ぐいっとやってみたいに決まっているじゃないですか。コップ一杯ならいいかという手頃なボリュームになっているに違いありません。しかし、しかし世は「飲酒運転厳罰時代!」マイカー通勤の身にその誘惑はないんじゃないですか。電車通勤が一般的な都内の生活者じゃないんです、地方都市住人は。

まあ結局その計画はボツになったようなので一安心なのですが、一体誰がそんなこと仕掛けようとするんですかね、儲かりゃいいてものじゃないでしょう。それにしても、仕事帰りに同僚と安酒場や提灯屋台で、「軽く一杯やってくか」と、毎日千円札一枚だけの予算でよっていく、遠い過去の自分の都会生活時代が懐かしく思い出されて、なんだかとても悔しくなりました。消費者をいじめないでください。



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7、音楽の話
 「サキソフォンの練習」
  アンサンブルYOSI

サキソフォンはとても音量が大きな楽器です。なかなか普通の住宅事情の部屋で思い切り音を出すことなどできません。特に楽器の練習というのは2時間の枠があったとしても半分以上は地味な基礎練習、ロングトーンや音階練習、聞いていて面白いものではありません。むしろノイズとして他者に不快感を与える場合も多く、他者に聴かせるものではないのです。

それなので私はサックスの練習は家の外で、近くの河川敷などで行なっていたのですが、だんだん具体的な練習が煮詰まってくると、チューナーの設置や楽譜の種類の増大、セッティングにかなりの空間を必要とするようになってくるのです。野外ですと譜面台も風で立てられません。

木管楽器類というのは金管楽器類と違って、一本の間からなる金管楽器(トランペット、トロンボーン、ホルン、チューバなど)は音の出口を塞げば音が小さくなる構造になっていますが、木管楽器類(サックス、フルート、クラリネットなど)は、構造上菅の途中にいくつもの穴があってそこから音が漏れるため、全部を何かでおおわなければ音量を調節できないのです。
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実際サックスをすっぽり密閉したケースに入れたまま、それを抱えて練習する弱音器も販売されているのですが、大きくて重くて、あまり現実的なアイデアとは思えません。無理があるのです。それなので自宅での練習は諦めていました。

しかし世の中には同じような悩みを持つ人たちがいて、ネットで検索するとありました、サックス用の音を小さくするための様々なアイデアが。

ただどれもかなり無理のある細工となっていて、とりあえず試しに購入してみたグッズ(送料込み7300円)は、マウスピースの中に直接荒いスポンジのような物差し込み、入り口から振動を抑えてしまおうというもの。音の出口もフェルト布でカバーし、低い音も吸収し軽減しようというアイデアなんです。

実際使ってみると、確かに全体的なボリュームは下げられるのですが、まず高音域の音が全然出せなくなり、また菅の途中を塞いでいるため吹きこむ息の量をより強くしないと中音域も出なくなってしまうのです。色々微調整をすることでその負荷は軽減するのですが、かなり割り引いて使わなければなりませんでした。

ただ、とにかくこの備品を使うことにより自宅室内での練習が曲がりなりにも可能となりますので、そのマイナス面は別の場所でカバーすることにし、始めました室内トレーニング。音量はむしろフルートの方が大きなくらいです。

必要があれば誰かがなんとかしようとする、そしてその経過を世界に伝えようとする、ネット社会はほんとありがたいと思うのです。やや割高な印象はありましたが活用しています、製作者さん、ありがとう!


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8、ボルダリングレポート
 「新しい課題」
  炭酸まぐねしゅうむ


おいらが通っているジムではほぼ3ヶ月ごとにホールドの入れ替えが壁ごとに行われ、1年も経てば全てがリニューアルされているサイクルができている。自分が一生懸命クリアした課題が綺麗さっぱり消えてしまうのはどこかとても寂しい。全ては記憶の中だけということで、その分自分のスキルが身についてはいるのだろうけど、なんだか複雑!

この2018年7月も、全国トップレベルのセッター4名(課題を作る人たち)が、利用しているジムの課題作りに汗を流してくれた。作る方々はそれぞれ自分が得意とする配置、セッティングを離れ、いかにもっと自由に、そしてその課題に取り組むボルダーたちに、全く違った負荷をと味わい、そして技術を進化させられるのかと、新しい課題作りに挑戦しているんだ。その成果をおいらたちは贅沢に味合わせてもらっている。

おいらが取り組んでいるのは未だに5級。中級入り口瀬戸際で止まっている。なんとか4級の課題と落としたいとアプローチを重ねているのだけど、まだ4球の課題クリアは1/3位に止まっているのさ。甘くはないね。

セッティングしているのはワールドカップで優勝している世界のトップの人たちだから、課題もひねりが効いていて、一体これをどうすりゃいいっていうの?という、新鮮な驚きに満ちている。謎のパズルを渡されるわけで、じっくり眺めながら仮説をいくつも練り上げ、実行して試してみる毎日が続いている。製作者の方々も、「今回の課題は面白いと思いますよ」と、興味を煽ることを怠らない。
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とりあえず一つだけ紹介してみよう、黒い縦長のホールド、これが断面は三角形になっていて、手も足もかけようとすると滑るわけね。それに体を預けて一番上の黒いホールドを両手で持てば完登ということ。見るからに素直じゃないなーと思ってしまうのさ。今日も午後にこれを攻めるところから練習はスタートの予定なんだ。

実質的にはかなり4級に近い5級ということなんだけど、なんとか中級への入り口の突破口を見出したいもの。今年の目標、悲願といってもいい、年末まであと数ヶ月、中級者への道はやはり(おいらには)遠い。


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9、時計仕掛けのりんご
 「宮祭りを面白くしたい」
  鈴木義延




20代の頃、たまたま知り合った男性の住むアパートを訪ねたことがありました。彼の部屋には人形が所狭しと置いてあるんです。聞いてみれば全て手作りリオリジナル。「いや、誰にも見せたことはないんだけど」と、恥ずかしそうに、驚いている私に自分の趣味を告げていました。

何かの話の展開でそのようなものを面白がる私に、見せたかったのかもしれません。そこから彼との付き合いは始まり、現在に至るまでの数十年間をハガキのやり取りが続いています。惜しむらくは、彼は学業を終えたのち一地方公務員となり、郷里に帰ってからはそんな自分の趣味は縮小してしまったことでした。都会暮らしをしている一時期、熱に浮かされたように作り続けたということです。
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人の形を模倣して様々な形に造形する、フィギュア趣味の人は現在ではメジャーですし、その分野は大きく広がっています。わたしも多少そんなものを作ることがあって、紙粘土やブロンズ粘土で造形したりします。特に一般では全く作られることのない、スポーツをしている人の姿を形にするのが好きです。サッカーのボールを蹴った瞬間とか、バドミントンシャトルをヘアピンでネットを攻めているフォームとか、自転車競技の群像とか作ったりするのです。

実際に体を動かして楽しむスポーツでも、やっている人でなければ「かっこいい!」と思える瞬間は、その人でなければわからないということが多くあります。フィギュア趣味とスポーツ愛好家の趣向はまず重ならないものです。スポーツには競技ごとに独特のフォームや体の作りがあり、それを再現するのは楽しいのですが、ただとても時間がかかるものなのです。

マラソン選手の体型とボルダリング選手の体型は全く別物ですし、でもその競技に親しんでいる人はその体型を見ただけでそのレベルがある程度予測できたりします。ですからそのフィギュアを楽しめるのはその競技に通じている人だけ、という制約はあるのですが、そのマニアックなところが作りどころでもあります。

人生にもっと時間があれば、1日にもっと時間があれば、自由になる時間がもっともっとあればあれも形にすることができるしこれももっと面白く作り込める、などと思いながら、限られた貴重な休日を過ごすのです。そこで何から手をつけなければならないかを省みる時、優先順位、1日のプライオリティーはまず「洗濯物干し」だとか「畑の雑草取りと除草剤まき」とか「照明器具の電池交換」とか、なかなか工作机の前に座ることができないんです。ああその前に新聞と段ボールを処分用に荷造りをして読みかけの本を切りのいいところまで読んで、、、、、、。

とにかく趣味に時間を使うというのはなんとも贅沢な話です。それを雑事の中からひねり出して向かう数十分の時間、いつかこんなことだけに1日を費やせるなどという時が来るのでしょうか。それはそれであまり楽しそうにも思えないのですが。
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ところで、ネットで知ったのですが、イギリスでブッグマペット(巨大人形)を多人数で動かすお祭りがあるということです。これがなかなか迫力があって見入ってしまいました。この膨大な、経済性を無視した遊び心に感動したのです。ガリバーの物語を部分的に再現するような演出、それが元になっているようにも見えるのですが詳細はわかりません。とにかくエネルギーが溢れているんです。
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それを見ていると、ぜひ自分でもこんなものを作って見たいとムラムラしてくるんですよね。そして多くの観衆の中でそれを披露して見たいと。今日この原稿を書いている8月5日(日)朝は、宇都宮市の「宮祭り」が開催されています。今日大通りではよさこいなどの団体の踊りや吹奏楽団、マーチングバンドやジャズのビッグバンドなどが披露されます。そんな団体の合間に、この巨大人形を歩かせてみたい!現実的にはそんなものを作る技術も予算も団体もありませんが、とりあえず最初は個人で、可能ならグループで、そしてできれば学校や地域有志などの団体で、そんな遊びアプローチができたらと夢想するのです。「鳥人間コンテスト」や」「欽ちゃんの仮装大賞」みたいなノリです。

「宮祭り」は比較的新しく創設されたものですので、どんどん自由に、祭りを楽しく演出するアイデアを取り入れて行ってもらいたいのですが、そんな「人形」ばかりでなく「生き物」をモチーフにした造形も欲しいところです。最近では動く恐竜ということで、かなりリアルな、ぬいぐるみを超えたぬいぐるみというものが「さいたまアリーナ」のイベントで披露されています。東京のお台場では実物大「ガンダム」が作れれていましたし、どこなのびるにはゴジラ(部分)の造形もあるということなので、この宇都宮市でもそんなものを取り入れて欲しいのです。

いくつかの例題を作って、宮祭りを主催する組織に「実現してほしい企画」の一つとして投稿してみようと思うのです。常に変化し更新していかないと、人はたやすく飽きてしまいますから。ネット情報は宝の山です。



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宇都宮西ケ丘病院文芸部主催/ほぼ隔週UTIWAマガジン/「ホリデー西ケ丘」

●原稿募集のお知らせ

編集部では常時生活身辺雑記、お薦めお店情報、便利グッズの紹介、ポエム、短歌、俳句、川柳、エッセー、コラム、随筆、お知らせ、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園紹介、譲りますなど、まとまり無い原稿、自己アピールの原稿などを募集しております。窓口担当(3西/鈴木)までお送りください。メモ書き、メール、口頭、何でもOKです。

(注)掲載に関しては、当院職員、当院利用患者様、およびその家族。また一般市民に対して常識的なモラルを守ること。不利益にならない程度のプライバシー、個人情報の保護、業務上知り得る医療情報等の守秘義務厳守を条件としています。
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ホリデー西ケ丘 Vol.115

宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
半月刊UTIWAマガジン
「ホリデー西ケ丘」vol.115
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)


●夜明けのアヒル(編集部)
次から次へと自然災害に翻弄される日本列島。四季の豊かさはそのままリスクの裏返しでもあります。豊かな河川の水量は、限度を超えれば膨大な破壊力で人々を襲います。火山列島の恩恵は温泉や風光明媚な造形をもたらしますが、一度そのエネルギーが噴出されれば、人の暮らしなど人たまりもありません。災害への備えと謳われていても、あまりに漠然とした猛威に翻弄されるばかりで、何度も無力感にとらわれるのが現状です。

こんなにも不安定な風土の上で、それでもめげず逃げ出すこともせず私たちの先祖は何代にもわたってその土地を生き延び、日々の暮らしを紡ぎ現在の繁栄と文化を継承してきました。破壊とともにある恩恵に感謝し、一面では力を畏怖し、時に諦めの心情で受け入れ、破壊の痕跡を修復し、その全てを肯定して独特の倫理観、世界観を作ってきたのです。打たれ強さという資質はその賜物かもしれません。自暴自棄にならず静かに諦念を身にまとう姿、日本文化の一側面です。

何十年も雨一つ降らない砂漠の民や、極寒の雪に一年中閉ざされている土地など、世界はあまりに多様で違った風土での暮らしがあります。違った世界観が育まれるのは当然のことで、死生観は深いところでその状況を反映したものであることでしょう。私たち日本の土地に暮らす人々の、様々な変化に対する屈託のなさ、諦めの良さ、変わり身の早さなどは、この土地で暮らしてゆこうとするためにはなくてはならない資質であるようです。異変や変化に柔軟に対応することは難しいことですが、安住せず、潜在的なリスクに対して少しでも備えを持っていたいと思います。



ーーーーーーーーCONTENTSーーーーーーーー

1、スイーツは私にお任せ
 「一本堂のパン」
  CoComama

2、音楽の話
 「サキソフォンという楽器」
  アンサンブルYOSI

3、ボルダリングレポート
 「シニアのボルダリング趣味」
 炭酸まぐねしゅうむ

4、シネマフリーク
 「ビリーリンの永遠の1日」
  シネマ二郎

5、コミックCOM
 「ドカベン」
  六花ビリー

6、時計仕掛けのりんご
 「査定する人」
  鈴木義延


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1、スイーツは私にお任せ
 「一本堂のパン」
  CoComama
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パンというものは私にとって豊かさの象徴、焼きたてパンを手でちぎり口に入れる時の幸福といったらありません。かぐわしいあの香り。私が今一番お気に入りのパンが「一本堂の食パン」です。肌が赤ちゃんのようにきめ細かいといいますかみっちりむっちり。密度が高くて弾力があって歯ごたえ十分、決して硬いわけじゃあないんですよ。包み込まれるような一体感!もう最高!
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品揃えは6種類ほどあるのですが、「レーズン(一斤380円)」「高密度食パン(一斤340円)」「チーズ(一斤480円)」の3種類が特にお気に入り、そして夏季限定の「アイス食パン」というのがあるんです。これは冷やして食べる特製品なのですが、ハムやチーズ、野菜を挟んでサンドイッチにすると絶妙な食感と味が楽しめるんです。試してみる価値はありますよ。場所は宇都宮市の江曽島です。



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2、音楽の話
 「サキソフォンという楽器」
  アンサンブルYOSI

私は音のするものに幼い頃からとても興味が引かれていて、最初手に入れた楽器は小学生時代のハモニカでした。その後リコーダーも授業で使うようになり、この二つが幼年期の自分の遊び道具でもありました。学校で教えられる文部省唱歌を先生の指示に従って奏でるわけですが、休憩時間にそのハモニカで当時流行っていた歌謡曲、例えば島倉千代子の「東京だよおっかさん」などを吹いていたのです。しかし学校の先生はそれを目にするといきなり頭をごつんと叩いて、不謹慎なことに使うなと注意するのでした。

小学六年生の時に修学旅行(日光東照宮)があって、親にお土産を買うために渡された千円というおこずかいで私が買ったのはお土産やさんの柱にぶら下がっていた800円のウクレレでした。母親には痛く失望されたのですが、その楽器が目についてはなれなかったのです。無論お土産ウクレレですからロクなものではなかったのですけど、以後それは宝物としていつも自分の手の中にあったのです。チューニングもままならず教本などあるはずもなく、それでも単音で「禁じられた遊び」を耳コピーして遊んでいました。
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中学生になった頃ベンチャーズが流行りまして、中学二年にはビートルズがラジオから流れるようになりました。テレビではそんなサウンドは扱われておらず、相変わらずの歌謡曲中心、興味を掻き立てる音は常にラジオから始まったのです。その頃親戚の土産屋でアルバイトをして手にしたお金で、中古のエレキギターを手に入れたのが中学二年生の夏。マグネットマイクが一つだけの3000円の楽器でした。これでひたすらベンチャーズの真似事をしていたのです。アンプはありませんでしたから、ラジオの入力端子を改造し、それをギターアンプとして利用していたのです。ひどい音でした。

そんな十代初期の音楽入門から、現在シニア後期に至るまで、いろいろな楽器を手に入れ遊んでいました。管楽器、弦楽器、鍵盤楽器、打楽器、民族楽器もそのデザインや音色に魅せられて、海外旅行などに行くと現地で目にするそれらを可能な範囲で収集したのです。一時期はそれらをコレクションとして眺めながらビールとつまみで過ごすのが最大の楽しみだったのですが、家庭環境の変化からそんなスペースを確保することが難しくなり、以後どんどん処分しなければならない経過となり、泣く泣くそれらを切り売りしたり人に譲渡したりしたのです。

現在手元に残ったのは当時の十分の一以下の楽器類。その中で今だに毎日愛でているのが「フルート」と「テナーサックス」、そして「アコースティックギター」ということになりました。その中でもジャズバンドに参加するために集中特訓しているのがサックス、日々これをいかに自分のものにするかと悪戦苦闘しているのです。楽器の楽しみは尽きません。



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3、ボルダリングレポート
 「シニアのボルダリング趣味」
 炭酸まぐねしゅうむ


ボルダリングは比較的若い競技ということもあって、愛好者は若い人が多い。主流は二十代三十代だと思う。実際ジムに来ている人は9割以上小学生から三十代までで、それ以後のミドル、シニアはポツンポツンといったところ。当然おいらなどその中では常に「最高齢」ということになっているんだ。

特に民間施設は華やかな世界。宇都宮市のいくつかの施設では世界ランキングトップクラスの人たちが出没しており、大規模なコンペも行われていて話題も尽きない。コンペの時にはDJが派手なサウンドを流して雰囲気を煽っている。最もおいらはそういうノリは全く肌に合わないので、その演出には違和感を持つけど、まあそれは年代ゆえということにしておこうかな。

年代ごとにその競技の楽しみ方はあり、誰もが世界のトップを目標に切磋琢磨しているはずもない。自分の限界を広げる、それがこの競技に限らず、スポーツそのものの親しみ方だろうね。
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栃木県壬生町が2022年国体開催時に、壬生町がボルダリング会場になるということで、街をあげて「ボルダリング施設」を作ったのが今年の初め。壬生町の体育館での施設が一般に開放されるようになったのが3ヶ月前の2018年4月からだ。壬生町体育館ではその設備の利用者が述べ300人となり、小学生からシニアまで幅広く利用者を集めているという。そこで利用者同士での「ボルダリングクラブ」が7月よりスタートとなった。

おいらも自分が普段利用しているジムのパスが切れる時には、次の月単位のパスを購入するまでできるだけ別のジムを利用して、いつもと違った発想で設置されている課題を楽しむようにしている。そんな中で壬生町の施設も何度か使っているんだ。そこに集う人は民間施設とは少し違っている。

民間施設となると「ジムに行く」というのはかなり「その気」でないと足が向かない。なんといってもお金もかかるし周りを見てもやる気むんむんの人たちばかりだから、ちょっと冷やかしというノリじゃあないのさ。気合が入っていないと気後れさせられる雰囲気はあるよ。

そこに行くと壬生町などの施設では公共の取り組みということでその敷居が低い。興味を持って集まってくる人たちは無論自分のシューズなど持っている人は少なく、普段の運動靴で参加している。体育館用上履きの人も多い。

ボルダリングはこの「シューズ」がかなりなキモで、これを使うか使わないかは大きな差があるのさ。この特殊なシューズがあるために可能となる動きがほとんどで、まずはシューズという常識がここでは通用しない。その常識がないままでのアプローチとなっている。

当然その必要性を体感したりする機会になっているのだけど、まずは手に触れてみるというだけでもその人たちのやる気を刺激することになるから貴重な体験となっている。「初めてグループ」と「経験者グループ」とがあり、おいらは後者でたまに参加したりしている。そこにはシニアもたくさんいて話が弾むんだ。

男女共シニアグループは登山経験者がほとんどで、普段は古賀志山でリードをやっていたり、ボルダリング以前にまず直接山でクライミングをしている人たちが何人かいる。何と言ってもボルダリングが話題となってきたのはこの1〜2年だから、それ以前から、何十年も前から山登り、岩登りしている人たちがおり、皆見よう見まねでそれらしき活動はしていたのさ。ただボルダリングという設備を使っての登りはやったことがないという人たちなんだ。

自然の岩は、握りやすそうな突起があったとしてもそれが崩れたり外れたりするので、いきなり飛びつくなどということはまず絶対にないという。慎重に一つ一つ手をかけるところ足をかけるところを探り確保し、ゆっくり確かめながら歩を進めるという。全く発想の違ったアプローチになるのが面白いと彼らは語っていた。

彼らのそんな話を聞きながら、岩場で強くなるために役に立ちそうということで、ずいぶん違った層を発掘することになっているように見える。あくまで主流は自然の岩場、と言っても「冒険」のニュアンスのある果敢なアプローチではなく、あくまで安全に確実に自然の岩場をクリアするための技術にマトは絞られているのさ。そういう人たちもいるということでボルダリング趣味の幅は広がってゆくようだ。



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4、シネマフリーク
 「ビリーリンの永遠の1日」
  シネマ二郎


この物語はイラクに派遣され、戦闘で仲間や上司を失った兵士たちの日常と、本国に帰還したその後を追った作品です。戦場で戦った兵士は、本国では英雄として扱われ、アメリカの国威、威信を担保するための力の象徴としての待遇を受け続けます。

アメリカという国はアジアやヨーロッパに比べれば建国からの歴史は浅く、理念が先行して作られたような特別な成り立ちの国です。そのため「戦争」に関する思想や扱われ方が、他の国と比べてかなり違った、別な意味を持っていると思われます。

アメリカ本国が戦火にまみれたという経験は、第二次世界大戦の、日本軍からの数機が、太平洋をこえてカリフォルニア森林地帯に落下したという「風船爆弾」や、21世紀初頭「911同時多発テロ」以外にはなく、戦闘は常に海外で行われていました。それゆえ戦場の状況は情報として二次的に体験するという構造になっています。それを可能とする情報網、テクノロジーを駆使したシステムは私たちの想像を超えたものであることでしょう。

そういった構造の中で、これまでのアメリカの「戦争体験」があるようです。それゆえ本国で暮らす人たちと、他国に出兵されて先頭を体験してきた人たちとのギャップはとても大きなものになってしまいます。
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安全で華やかな本国での日常、それにひきかえ常に殺害される恐怖を背後に感じながら過ごした時間の密度は比べようもありません。クリントイーストウッド監督の「アメリカンスナイパー」でも、イラク戦争で活躍した兵士のそのギャップに苦しむ姿が描かれていました。かつて「地獄の黙示録」「プラトーン」「グッバイベトナム」「ディア・ハンター」「ランボー」「ウエルカムホーム・ソルジャーボーイ」といった「ベトナムもの」も又、同じようなテーマを持った作品群でした。

人を傷つければ法で裁かれ、国家がその報復を保障する法治国家内での暴力は、戦場では全く別な意味を持ち、残忍で迷いなく殺害に長けたものほど賞賛され尊敬されるという転倒は、心の深い部分を致命的に傷つけ壊してしまいます。それがどのようにその後の日常に影を落としていくのか、その有様が繰り返し様々な物語で描かれています。

なんのために戦っているのか、敵とは一体なんのことなのだと問い続けながらも、答えは見えず、「秩序」だとか「報復」だとかの新たな責務ばかりが量産されてゆくのです。

人は他者の体を、同種である人の命を攻撃することを避ける本能的な抑制装置がかかっていると思えます、人類という種が自滅してしまうのを防止するために仕込まれたそのメカニズム。多少の逸脱を繰り返しながらもその特質のおかげで人類は世界各地で繁栄し現在に至っています。

テクノロジーの進化がもたらした世界規模の情報網は「人権」意識をかつてないほど確かな目標として、日常生活全ての価値観に指標を与え、それは人種や国籍による差異を凌駕し、一人の「命」が持つ意味を大きく変えつつあります。その思想と殺害してもいい「敵」という設定は原理的に相容れないものであるのですが、その間で紛争は続いてゆきます。

ベトナム戦争の時、アメリカ軍のスポークスマンは北爆を正当化する論理の中で、「アジア人の命は私たち欧米とは違っていて、彼らはとても軽い、命は小さいのだ、だからアリを踏み潰すように枯れ葉剤を撒いてナパーム弾を投下し隠れている敵を殲滅するのに余計な気を使う必要はない」というようなことを繰り返しアナウンスしていました。

白人優位むき出しの彼らのその思想は、人種差別にも原爆投下にも中東戦争においても作戦を立案する心理に紛れ込んでいる側面で、後ほどそのことが指摘され表面的に影を潜めても、消えることはないでしょう。

映画の中で描かれる「傷ついた兵士達」とは対照的に、敵の日常と人格といったものは全く触れられることはありません。「ベトナムもの」においても構図は同じで、眼に映るのは自分たちの仲間意識とその絆の変質、「敵の人生」が視野に入ることはないのです。

クリントイーストウッド監督がかつて太平洋戦争を日本の側とアメリカの側から2本同時に描いた作品がありました。また三船敏郎リーマービンがそれぞれの兵士として孤島に取り残され、二人だけの終わりのない闘争を続けるジョン・ブアマン監督「太平洋の地獄」という作品もありました。敵と味方を対等な人間として描こうとしたとは感じるのですが、なんだか座りの悪い印象を私は持ってしまいました。どこか作られたリアリティー、その収まりの悪さに対してです。

この作品はそのような背景で同じモチーフを現代的に焼き直したものですが、あまり効果的に、巧みに表現されているとは言えず、印象に残るものにはなりませんでした。ただ同じテーマを何度もなんども描きたいんだなというアメリカの制作者たちの姿を、ここでもまた発見せざるを得ないのだなという思いが残りました。



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5、コミックCOM
 「ドカベン」
  六花ビリー

水島新司さんが描く「ドカベン」が終了したという報道があった。ご自身も70台になっているだろうから、仕事量を減らされているのかもしれない。私も「ドカベン」は50巻くらいまでは通読し所有していたのだが、それ以後は追跡していなかった。まさか現在まで連載しているとは夢にも思っていなかったのだ。明君野球部、個性豊か部員が繰り広げる試合の様は、それぞれの特徴を生かしたユニークな展開で、いくらでも物語は尽きないとその実績で著者は示してくれたと言える。

水島新司さんはあまたいる漫画家の中でも特別な作家として語られる。野球漫画しか描かない!実にあっぱれな取り組みであること。野球が好きでたまらない、ご自身も編集者や仕事仲間と草野球チームを作り試合を楽しむ、その過程には作品で使われるたくさんのネタが含まれていることだろう。それでも初期の頃はまだそんな方向が定まっていたわけではなく、柔道を舞台にしたものなど野球とは無縁のものがあったと記憶している。「ドカベン」もまた導入部は柔道の話だったような。
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「野球狂の詩」「あぶさん」「一球さん」なども以前は作品をライブラリーに持っていたのだが、現在は私的な事情で全て処分されてしまったのが悲しい。継続連載ものが多く、野球の話題は無限!ということを実証する稀有な作家だと言える。

フォークシンガーの「小室等」さんと、この「水島新司」さんは、風貌がそっくりなのでお互い間違われることが多いと何度か語られていた。長髪、メガネ、あご髭、眠たそうな目つき。どこででも野宿できそうな服装。そんな共通点があるためだ、年齢も同じくらい、背格好も同じというくらいに類似点が多い。それぞれアーティストということで雰囲気も似ていたことだろう。

「ドカベン」は物語の中で年をとったのだろうか、それとも永遠に高校生のまま試合を続けていたのだろうか。最終巻くらい手に入れて読んでみよう。



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6、時計仕掛けのりんご
 「査定する人」
  鈴木義延




覆面調査員という仕事があるそうです。一般客を装ってサービス業を中心に様々な店舗に出入りし、そこでの印象やサービスの質を一定書式に従って調査報告するという仕事です。これは主婦層のアルバイトとして、1件あたり3000円から10000円くらいの報酬で行われているということです。

単なる一利用客としてではなく、従業員の態度とか内装とか入りやすさ、雰囲気、ゴミが目につくとかオーダーのスムーズさとか、まあ挙げればきりがなく査定項目あることでしょう。単なる印象も大事ですが対象は多岐に渡ります。目に入る全てを批判的な視線で眺めれば人の行為などは誰もスキだらけで、もっと「ああすればいい」「こうすればいい」という注文はいくらでも出てくると思われます。

一般飲食店では、昔は(20〜30年以上前)オーダーの間違い、聞き漏らし、従業員の横柄な態度、味のまずさなどはどこにでもかなり頻繁にあるのが当たり前で、そんな店を利用する場合に消費者は自衛し、しっかりオーダーを確認したり違っていればクレームを入れたり、その場で臨機応変に対処することが求められていました。優良店は少数派で、平均値はかなり下だったのかもしれません、ものが十分ではなく供給する側が優位に立っていた時代です。

現在サービス業では客との応対スキルはしっかり対象化され高度化しており、それは技術革新の成果とともに意識としてもトレーニングが行き渡っていているように見えます。日本社会でのサービス業の印象は、世界の中でもずいぶん上位にあるだろうと想像されます。現在と比較し、その昔、記憶の中にもかなり不愉快な思いをした場面を、誰でも一つ二つ思い起こすことができるでしょう。年配の方は特に。

頼んでもいないものが出てきたりでてこなかったり、間違って作ってしまったものを作り置きして別の客に出したりは当たり前。いまでもそんなお店はありますが、遠からず客足が遠のくという選別が行き渡っていると思います。ネット時代、マイナス評価はかなり積極的に発信され、他者と共有されることで一定の力を持っているからです。「泣き寝入り」という対処は減ってきているかもしれません。それはネット時代の恩恵でもあります。

ネットはネットで今度は情報そのものを操作し、いかにも「素晴らしい!」とコメントしているのがそのお店の関係者ばかりというのは現在では折り込み済み、情報を多少間引いて利用する消費者の知恵も発達しています。最低限の質を保つ、それは商品とともに従業員のサービスの質も査定対象になっているのですが、マクドナルドのあの「ご一緒にポテトもいかがですか」的な、判で押したようなマニュアル言葉はいつまでたってもそっけないものです。目的を正確に達するためにはいいとしても、個人の裁量を最大限抑制する発想は、多少生理的な嫌悪感を含んでいます。

それでも、同じ台詞を口にするにしても個性はあり、接客では常に人気の高い従業員が生まれているというのも、人のコミュニケーションの一側面です。要は「運用の仕方」でかなりなバリエーションは作り出せるようです。

他者の行為を「共感的な視点」で眺めるのと「批判的な視点」で眺めるのでは見えるものが全く違ってしまいます。共感的な視点で見れば「こんなところが良かった、こんな工夫が評価できる」と現状が肯定されるところも、批判的に見れば「もっとこうできるはず、この点は別なアプローチをしていったほうがいい」と、常に「不足」の発見とともに「より良いもの」のイメージを明確にする建設的な側面もあります。

様々な職種、様々な業務を評価する場合、旧態依然とした方法論に固執してその地位を危うくしてゆくケースは常に見受けられます。現状というものは一見平穏に見えて、それを支えている背景は激しく流動しており、組織の概念、サービスの概念、システムの多様性と個人の関わり方は変化しています。物事の評価、その価値観も一定ではなく、全く発想が逆転することも日常茶飯事です。何が人の行為を評価できるのか、スタンダードモデルはあったとしても、これこそという定説はないことでしょう。学説を背景にした行動原理、スキルの研究と習得は積極的に行われており、組織としての機能はより高度化し、その恩恵を受けながらより良いサービスを私たちは受けることができています。

と、ここまでは建前です。そのような企画書に描かれるような日常、それを頭の前の方に置きながらも、頭の後ろ半分は、明確な言葉が意味を曖昧にしてしまうような鵺的(ぬえてき)な、形にならない怨念のような感触が渦巻いているものです。建前と本音。人は論理に沿って行動しているわけではないのだと。むしろそんな公式見解と対立するかのように、個人のレベルでは別な感情が大きく行動を左右し、バイアスをかけているように見えるのです。
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人間は不可解であり、自分にとって明確に不利益であってもあえてその方向に進もうとする自虐的な資質があります。その先に破局が待っていると想像される事態においてもその道を戻ろうとはしない場面すらあるのです。

誰がどのように客観的にその人の姿を描写し、その病理の処方箋を描いたところでそれが採用されて生き方や行動が補正されるには思った以上に難しいと言えます。三つ子の魂百まで、生き方ものの考え方の変革は、言葉の中ではありえても実際の生活の中では実現するのに時間がかかるのです。

組織や企業はそのような外部の視点で査定し逸脱や過剰を修正しクォリティーを上げる取り組みが必然的に求められますが、個人の世界観はその範疇にはありません。それどころか組織や企業においても、それぞれが培った論理とは別な「文化」があり、それは意外と根強く、客観性とは相容れない力が、変化に対して強く働くものです。

何事も一筋縄ではいかない、改善、変化、変革を求めるときには常に戦略が求められていると言えるでしょう。何を目的とし、それを実現するために何をどのように組み立て演出し運用していったらいいのか。あえて逆行する仕掛けも求められたりするのです。他者の査定、外部の目はそのためのきっかけとして活用されるものなのでしょう。



*写真は当院玄関前
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宇都宮西ケ丘病院文芸部主催/ほぼ隔週UTIWAマガジン/「ホリデー西ケ丘」

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ホリデー西ケ丘 Vol.114

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■ほぼ隔週(日曜日予定)■
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「ホリデー西ケ丘」vol.114
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)


●夜明けのアヒル(編集部)
今年の梅雨はあまり梅雨らしくないまま開けてしまったようです。その後の猛暑には体調も軋みがち。冷房のかかった場所と30度も半ばに達する気温との繰り返しは、嫌でも自律神経を狂わせてしまいます。しかし子供達は夏休みに向けて元気全開!夏をどうやって乗り切るのかなどと考える事はありません。

社会人になって一番ショックだったのは「夏休み」がないこと。学生時代夏休み冬休み春休みは特別な自分時間で、勉学そっちのけでアルバイトなどをやるにせよ、全く別な日常を企画できる特別なプレゼントだったのです。ですが「一月以上の長期バカンス」といったそれは社会人の生活にはありません。国によってはあるとも聞かれますがまず無縁のものです。なんとか調整して数日の休日を取り、つかの間の英気を養うくらいが私たちにできることです。

始まるまでの期待に満ちた「夏休み」は輝いていましたが、お盆を過ぎて9月の声を聞き始める時の寂しさ、やるせなさは胸が潰れるくらい苦しいものでした。「夏休みが終わってしまう」、気がつけばやり残した事ばかり、あれもしようこれもしようと立てていた計画はほとんど進展せず保留のまま、なぜこんなことになってしまったんだと省みても、納得できる答えは見つかりません。本当は分かっているんですけど。そして無慈悲に夏は終わってしまうのです。



ーーーーーーーーCONTENTSーーーーーーーー


1、スイーツは私にお任せ
 「食中毒に注意!」
  CoComama

2、私も一言
 「書評好き」
  春夏秋冬

3、シネマフリーク
 「用心棒」
  スマイリー一男

4、音楽の話
 「時代という財産」
  アンサンブルYOSI

5、ボルダリングレポート
 「無力さの自覚」
 炭酸まぐねしゅうむ

6、シネマフリーク
 「万引き家族」
  シネマ二郎

7、私も一言
 「ノルマンディー上陸作戦」
  六花ビリー

8、時計仕掛けのりんご
 「折々のことば」から
  鈴木義延



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1、スイーツは私にお任せ
 「 「食中毒に注意!」」
  CoComama


食中毒の季節です、ちょっとした油断が辛い状況を招いてしまいます。この時期「作り置き」というのが最も避けたいところです。昨晩の残りで朝食のサイドメニュー、そしてお昼のお弁当に、などというのはN Gです。作ったら食べる、そして残さないが原則。火を通したから、すぐ冷凍庫に入れて凍らせておいたから、というのもダメ!調理したものはその場で消費して残りは潔く捨てる、この時期これを徹底しないといけないんです。
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私なども「まとめつくり」が好きなんです。ベースとなるスープや野菜炒めや煮物など、多めに作ってそこに別々な食材を入れてバリエーションをという、それが封じられる季節なんです。少量多品種調理というのは手間ばかりがかかって億劫になってしまいますよね。その結果少品種少量調理で行くしかないんです。食べたいものはいっぱいあるのに。

それと見落としがちなのが、食器洗いのスポンジなど、これがかなり細菌繁殖の培地となるわけです。いつも濡れててあったかくて食品の残渣が付着していて栄養満点。これを消毒する機能を歌った洗剤もありますが、あまりあてにできません。よく絞って乾燥させるしか対策はありませんが、少しでも気にかけておきたいポイントです。

食中毒に注意!無事に夏を乗り切りましょう!



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2、私も一言
 「書評好き」
  春夏秋冬


私は読書が好きなのですが、読書というものはそれなりの時間がなければできないものです。その時間を確保するのはそれはそれは大変な努力を必要とするのですが、家事をいかに効率よくやって、家族にかかる様々なケアをいかに短縮して、日常茶飯事の雑事をいかに削ってと、この読書30分40分!を手に入れるために涙ぐましい努力が必要となるのです。

さあ、この時間はもう何にもしませんからね、私に話しかけないでください。そういう雰囲気を撒き散らしながらおもむろにお気に入りのソファーに足を投げ出して座り、隣に置いた小テーブルに積み上げられている「読書予定」の積み上げ本に手を伸ばすのです。
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そういう健気な努力をしても読める本の数は限られてしまいます。そんな私のお気に入りのもう一つは「書評を読む」ことなんです。いうまでもなく本の紹介の文書を読むわけですが、この、毎日数十数百と出版される本の全てに目を通すわけにはいきません、目録だけでターゲットを定めるのもかなり困難です。そこで頼りにしているのが雑誌や新聞などに載っている「書評」なのです。

いい書評はそれだけで一冊本を読んだ気になれますからとってもお得!そんな中から「これは全てしっかり手に入れて読まなければもったいない」と思える本を探すのです。以前は本屋さんに新聞の切れ端などを持って取り寄せてもらったものですが、最近はほとんどアマゾン利用で、翌日には手に入ってしまうシステムがお気に入り。郵送料はかかってしまいますがパソコン画面をクリックするだけのお手軽さで、ついつい利用頻度が高くなるばかりです。

それにしても、ソファー脇のテーブルの「積ん読」書籍が増えることは嬉しいような苦しいような、楽しみでもあり責務でもありの複雑な思いがあるのです。


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3、シネマフリーク
 「用心棒」
  スマイリー一男


すみません、腰を痛めてしまいました。仕事仲間にはご迷惑をかけてしまっているようで心苦しいです。

一時期、日本映画界の天皇と呼ばれ恐れられていた黒澤明監督代表作の一つ「用心棒」。実は私は今までこの作品を鑑賞していなかったんです。あまりにも有名すぎて。他にも「ゴッドファーザー」や「ジョーズ」と言った、超有名、名作との折り紙つき作品は見ていないんです。そのうち見ようとは思っていても、元々のB級好きな映画マニアとして、あまりの名作に気後れしているというのはあるかもしれません。そのうちの一つがこの「用心棒」だったのです。
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この作品の焼き直しと言われるものはほとんど見ているのです。「荒野の用心棒」などのマカロニウェスタンは特に好きな分野なのです。そして今回初めて鑑賞しました、白黒画面迫力満点の「用心棒」、とても素晴らしかったです。評判以上の密度の高さと演出の巧みさに背筋が伸びるようでした。興奮しました、上映の間中ずっと。そしてあの後味の良さといいますか、最後のカタルシス。世界の映像作家たちがこぞってこの作品を、まるで舐めるように何百回となぞる理由がわかりました。どこにもスキがないのです。中だるみとか無駄なのりしろとか。

贅肉を全てそぎ落とされたような尖った画面、痛く唸りました。今に至るまで取っておいてよかったなと。映画を見る目が肥えたと自分でも思っていますが、そうなってから見るこの名作の重さが、とても満足感をもたらしてくれたのです。映画の内容をここで今更語る必要はないでしょう。仲代達矢さんの脇役ぶりがとても良かったです。それにしても三船敏郎さんの魅力ここに満開といった、野性的な表情に世界が魅了されたのも無理からぬことです。

映画の楽しみは尽きません。私は今、半世紀ほど昔の作品群、名画座がよいでシネマワールドを堪能しているのです。


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4、音楽の話
 「時代という財産」
  アンサンブルYOSI

音楽活動をしていていつも思い知るのは、世代ごとの趣味は共有できないということなんです。一つの曲に対して、それを同時代で聞いたのか、後ほど情報として聞いたのかで、抱くニュアンスはまったむ別なものとなっているのです。それはいくら聞き込んでみたところで共有できるものではないようなんです。

例えば私などの団塊世代にとって、ベンチャーズとかグループ・サウンズとかビートルズという名前は、それだけで膨大な記憶を呼び起こす決定的なキーワードであって、それは唯一無二の個性を持っているわけです。しかしそのニュアンスを、それから数十年経って生活している世代に伝えようと思っても不可能です。伝えようなどと思うこと時代が全く不遜な、間違った意識だと言えるでしょう。時代の感性は共有できない!まずそれを思い知っておかなければなりません。
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それなので感性は演じる人と観衆の同世代で構成されるしかないというのが大切なところ。奏者は聴衆をしっかり選ばなければならないのです。若大将加山雄三さんのコンサートに駆けつける人は、いくら楽曲のクォリティーが高くても、若い世代が加わることはありません。加山さんとともに青春を過ごし、ともに年齢を重ねてきた世代にのみ、彼の歌声は意味と感動を持って奏でられるのです。

そのような構図を前提に音楽活動をするようになって、とてもマトが絞れるというか、かつ指針が掴みやすくなったと思います。無理に若い世代を引き込もうとなどしなくても良いのです。自分たちの限られた感性を元に発想すること、そう割り切ってゆくとわかりやすいのです。収まりもいいし。アプローチする対象や方法もそこから自然と導き出されてきます。

私たちは私たちの郷愁をくすぐる作品群を大切に守り育て再現してゆく役割がある、それでいいのだと思えば迷いもありません。安心してボブディランやPPM、ブラザースフォーやオールディスと言われる黄金の60年70年を探索すればよく無理に現代の感性に追随したり寄り添おうとしなくてもいい、と考え直すのです。それは後ろ向きに生きているということではありません。

と割り切って、今日もあの懐かしのポップスをyoutubeで探索しながら夜の時間を過ごすことにしましょう。



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5、ボルダリングレポート
「無力さの自覚」
 炭酸まぐねしゅうむ


とある大企業の代表者が、忙しい仕事の合間に柔道の稽古に通っている姿がテレビで放映されていた。取材をする人が「なぜこんなに多忙なのに、大会に出るわけでもない練習を続けるのか」と質問をしていたんだ。

するとその代表は、「とりあえず今の時代、私のアプローチは評価されたり持ち上げられたりしていますが、それはたまたま状況に恵まれたからです。自分は未熟だ、自分は小さいというのが、道場に来れば常に自分に突きつけられる現実。身の回りにもこんなに強い人たちばかりがいて常に研鑽を続けている、それを身を持って知るのが好きなんです」というようなことを語っていた。謙虚な人柄で好感が持てたね。
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スポーツというのは何もトップになることだけが目的ではないさ。もともと望んだところでそれはほんの一握りの人たちのたどり着ける領域で、おいらに限らず「レジェンド」だとか「カリスマ」などと呼ばれるポジションは特殊な人のための居場所。普通のスポーツ愛好家は、無限に続く上級者とビギナーの階段のどこか途上にいることに甘んずるしかない。つまり相対的な場所に位置して、その上下関係と折り合いつけながら小刻みに小さな階段を登ろうとしているのが、自分たちの姿なんだろう。不足感と満足感を常に貼り合わせて自分の行為を自分なりに評価しながらモチベーションを保っているのさ。

多少癖のある考え方かもしれないけど、例えばボルダリングなどはそう楽しい競技とは言えないから、なぜわざわざ毎日のようにそんな辛い作業をしに行くのかの答えは、そうであるからこそ自分にとっては楽しいのさと、強がるしかない。まあ好き好きということだね。今日も仕事帰りに1時間ほどアタックを繰り返したけど進展は見られなかった。明日こそと思えるほどに、興味は継続するわけ。その時間を想像するだけで1日の仕事も、後何時間すればまたそれができると考えてウキウキしながら過ごすことができる。それがおいらの、仕事を、何があってもめげずになんとか機嫌よくやり続けようとするための、小さな処世術かもしれない。


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6、シネマフリーク
 「万引き家族」
  シネマ二郎


今の社会は私たちに「頑張れ」「しっかりしろ」「努力と勤勉」「夢と希望」と、常に追い立てるようにポジティブなモラルを押し付けてきます。それは否定されるものではないにしろ、息つく暇もないエンドレスな責務であるようです。

当然のことながらそんな流れに乗り切らない人、落ちこぼれてしまう人がおり、多少にかかわらずその人たちの声は公のアナウンスのかげに押し込められてしまいます。大きな声を出す人にだけ人は振り向き、それは悲鳴や怒りとなる場合もありますが、それも一過性で人はそれぞれの追われる日常に戻ってゆくのです。
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この「万引き家族」に描かれている一つの「共同体」は、不思議なことにそれぞれが「訳ありの他人」であるにも関わらず、どこか懐かしい、かつてどこかに存在したかもしれないと思わせる「幻想としての家族」そのものに見えるところです。互いが互いの至らなさ愚かさを責めることなく、そこに今いることを寿(ことほ)ぐゆるい集団。家族はもともとそんなふうなものだったはずなのに、現在の家族は互いに役割を押し付け暗黙の規律をひたすら増殖させ、縛りあってしまうようです。

「訳あり」の後ろめたさ。それが他者を責めない優しさの裏返された感情かもしれませんが、そんなやりとり、小さなことを喜び合う感情の交差が、現在は少なくなっているのかもしれません。ダラダラと狭い空間に固まるようにいて互いを邪魔だと感じない無関心さ、それこそが時に「愛」とも呼ばれるものなのでしょう。決意なくリスクを勝手に引き受けてしまう、それが「優しさ」の別の顔に見えるのです。

安藤サクラの名演が心に残ります。「1円の恋」で私の脳裏に刻み込まれた彼女の存在感は、この作品でも際立っていました。キャスティングが絶妙です。是枝監督の初期の作品「誰も知らない」での配役も、それだけで物語が動き出してしまいそうなテンションを保っていました。少年役の印象が似通っているのは、この監督の芯にある美意識の反映なのでしょう。それは少年という時代に限らず「男」というものに求める、どこか透明感のある強さに憧れているのだなと思わせるのです。

エピソードの一つ一つに多くの過剰な言葉や場面を盛り込まない、大胆に絞り込む。それでいてそこにある細部がしっかりと観客に伝わってくる、とても見事で巧みな映像であり編集の技です。それぞれが抱える辛辣な過去、出来事がさらっと簡潔に少ない場面転換で提示されます。観客は映画を観終わった後の長い時間をかけて、そこで語られた「別な物語」の全体像を自分で想像しながら、豊かな人間ドラマを再構築する楽しみを与えられていくのです。

整合性をあえて放り投げたまま、乱暴に破綻させ終わってしまう構造は、その隙間を監督からのプレゼントとして私たちに与えられた甘美なデザートなのです。

この作品の「へそ」ともいうべき印象的な画面があります。「あなたは母親になりたかったの?」と問う警察官に、「どうなんでしょうねーーーーーーー」と答えを自分の中に必死に探す安藤サクラの、小津映画ふうな定点長回しがあり、その時間の揺れ動きを微妙な表情の変化とわずかに流す涙で表す動き。これは同時に観客の誰もが一緒にその答えを、物語の経緯を反芻しながら自分の中でまさぐる時間でもあるのでした。

必見の要あり!作品賞受賞はダテではありません。世界を魅了する「何か」が確かに、ここに優しく造形されているのです。


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7、私も一言
 「ノルマンディー上陸作戦」
  六花ビリー


6月下旬、NHKBSで「もう一つのノルマンディー」というようなドキュメンタリー番組をやっていた。第二次世界大戦からもう70年が経過しているが、それでもまだ「本当のことは語れない」という、歴史秘話が膨大にあるらしい。この番組ではあのヨーロッパ戦線の転換点である「ノルマンディー上陸作戦」がいかにして可能となり成功したかの別な側面が語られた。それは激しく戦われた情報戦、互いが偽情報を意図的に操ろうとする謀略の経過だ。

戦争とは互いの命をかけた究極の戦い、そこでは金に糸目をつけず、あらゆる「思いついたこと」を最大限後先考えずに実行するエネルギーに満ちた時間だ。なんでもあり、勝つためにはどんな汚い手でも使い、人の命も道具としての意味しか持たない。
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ノルマンディー上陸を成功させるためには、強大なドイツ軍の兵力を分散させ、密かに計画されている上陸地点、ノルマンディー地方を手薄にしておかなければならない。そのため連合軍はノルマンディー以外の別の場所に上陸するという偽の情報を流し、そちらに相手を誘導しておく必要がある。その目的を果たすには情報を流通させるスパイたちの活動が不可欠となる。特に二重スパイが重要な役割を果たすのだ。人間のネットワークこそがこの時代を支配している。

本当の情報とは何か。疑心暗鬼に陥っている情報戦で、いかに相手を出し抜くか。そのためには緻密で膨大な仕掛け、テレビドラマの「スパイ大作戦」をスケールアップしたような演出が必要となる。連合軍は架空の部隊をでっち上げ、いかにも他の場所に攻め入る準備をしているように実物大の膨大なセットを他の場所に作り上げる。

最初は木で戦車や飛行機を実物大に作り続けるのだが、それではあまりに重く移動に時間がかかる。彼らはアドバルーンの会社に空気で膨らみ本物そっくりになる戦車や飛行機を大量発注、それを作り上げ、頻繁にいかにも偽の作戦を打ち合わせている情報を流し、補給路を実際に建設させ、エキストラが上陸訓練する姿を敵の偵察機に撮影させる。何重にも何重にも作り込まれた壮大な嘘を演じながら、本隊は「ノブマンディー」に向けて、全ての戦力をそこに集中させてゆく。

相手を騙すためにはまず味方も騙さなければならない、どこから真意が漏れるかわからない。そのため意図的に別な場所を爆撃させたりするが、何も知らない自国民やレジスタンスを爆殺することも厭わなかった。敵国襲撃の情報を手に入れていても、こちらが相手の情報を解読していることを悟られないためにあえて見殺しにした。そんな戦争の裏面が訥々と語られていく。しかしそれはまだほんの序の口、あの大戦で起きた膨大な物語の影の部分は、まだ封印されているものがたくさんあるという。

人間社会は単純ではない、追い詰められた人間の行う行為は無限大に邪悪だ。こんな複雑で陰謀渦巻く世界で、自分などはほんのお情けの忘れられた片隅で偶然生きてゆくしかないのだなと、果てしない無力感に襲われてしまった。



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8、時計仕掛けのりんご
 「折々のことば」から
  鈴木義延




「私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか?」

これは朝日新聞「折々のことば」コーナーで紹介された(2018、2、25)劇作家「山田太一」さんの言葉です。

自分や他人に期待しすぎている?そう言われれば確かに私たちは常に「より良いもの、より良い生活、より良い関係」を期待し、昨日より今日、今日より明日といった発展を期待し、それが自分たちには可能になっていくに違いないと思い込んでいると言えるでしょう。子供達は日々成長し、昨日できなかったことが今日できるようになる姿を目の前にしていると、人はどんどん変化し進化し、なんでも可能になっていくに違いないと想像させてしまうのです。

ですが子供達の成長は永遠ではなく、それは長い人生の中の始まり時期、ほんの短い時間だったことに後から気がつくのです。大人になってからも成長し続ける分野や人格や方法といったものはあることでしょう。しかしそんな「変化、進化」を前提にした発想にはどこか「大きなリスク」があるのかもしれないと、その言葉は思わせるのです。

それでなくとも資本主義社会は富こそ勝利の証、金にならないものの考え方、方法は主役の座を獲得することはできません。三番手、もしくは末席くらいには「優しさ」や「謙虚さ」「敗者の美学」などというものが配置されますが、主導権を確保することはできないのです。勝利、進歩発展、技術革新、創造的破壊と、社会はダイナミックに人の心の機微を蹴散らしてゆくのです。

弱音を吐けば「甘ったれるな!」と罵声が飛び、躊躇すれば後ろから「たちどまるな」と蹴っ飛ばされ、そんなことが繰り返すたび自分の弱音は最大限封印して挑戦的なポーズを必死に繕うのです。

「無理をしているな」と、ふと我に帰ったとき、誰に聞かせるのでもない言葉が漏れる事もあります。同質的な共同性が求められる社会で、親しさか敵対かを選ぶのではなく、態度保留でもいいのではないか、私はあなたのことがわからないから距離を保つという選択でもいいのではないか。
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マルかバツか、シロかクロを求めてくる状況にあって答えを出さないという答えを許容して欲しいのですが、それはなかなか収まりの悪い要求になってしまいます。もしかしたらそんな場を作り上げているのは、他でもないそれを求めていないはずの自分かもしれません。パラドクスはその発想の中にあるのです。

できるはずのないものを求め、それが満たされないことに慢性的な不満を抱え込んで、エンドレスな問いを発し続けている。その問いとは結果的に「犯人探し」になったり「敵意」となったり「判断の優劣と闘争」であったりと姿を変えます。そして決して解決することがない、変わりようのないものに変化や答えを求めるストレスを作り出しているかもしれないと想像させるのです。

私たちが携わる医療や福祉の分野は、競争原理だけで作られているわけではありません。社会の激しい淘汰システムにあっても、社会的なインフラとしてワンクッションがおかれ守られるべき分野の一つです。とは言っても現実社会からのバイアスから無縁でいることはできませんから、その時々の折り合いをつけながらシステムは稼働しています。おかれている状況を距離を保って把握し、無理のないアプローチが継続してできるよう心の柔軟体操をして日々の仕事に向かいたいと思うのです。

*写真は当院上り坂横
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宇都宮西ケ丘病院文芸部主催/ほぼ隔週UTIWAマガジン/「ホリデー西ケ丘」

●原稿募集のお知らせ

編集部では常時生活身辺雑記、お薦めお店情報、便利グッズの紹介、ポエム、短歌、俳句、川柳、エッセー、コラム、随筆、お知らせ、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園紹介、譲りますなど、まとまり無い原稿、自己アピールの原稿などを募集しております。窓口担当(3西/鈴木)までお送りください。メモ書き、メール、口頭、何でもOKです。

(注)掲載に関しては、当院職員、当院利用患者様、およびその家族。また一般市民に対して常識的なモラルを守ること。不利益にならない程度のプライバシー、個人情報の保護、業務上知り得る医療情報等の守秘義務厳守を条件としています。
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ホリデー西ケ丘 Vol.113

宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
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「ホリデー西ケ丘」vol.113
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)

●夜明けのアヒル(編集部)
新幹線という逃げ場のない空間での刃物による殺傷事件。「誰でも良かった」、こんな言葉でかけがえのない命が奪われる事件がまた起きてしまいました。なんの理由もなく他者に向ける悪意、被害者は「なぜ?」と問い続けても答えが返ってくることはありません。世の中には言葉で語ってもただ虚しいだけという出来事が起き続けます。それは人間そのものの捉えどころのなさを表しているようにも見えます。

誕生して死に向かう生命は、常にその中に生と死の躍動と消滅を抱え込んで存在しています。相矛盾した指向性を抱えてせめぎあいながらその勢力図を変化させています。生命は秩序でありながらカオスであり、一瞬たりとも止まることがありません。絆や確かさを求めながら、先を急ぎ転がるように人は生き続けるものです。

社会にも、心にも、そんな矛盾する指向性が内包されており、環境や何らかの出来事をきっかけとして善意や悪意がその姿をあらわすことでしょう。犯罪者たちはおそらく最初から邪悪な存在として生まれたわけではなく、その悪意は成長とともに内部にタネを撒かれ肥大してしまいました。私たちにその経過を変える力はあるのでしょうか。悪意はふとした日常の中からもいきなり生まれてしまうものだとしたら、何を防壁にその勢力から、大切なものを守ることができるのでしょう。問だけが吸い込まれてゆくようです。



ーーーーーーーーCONTENTSーーーーーーーー

1、スイーツは私にお任せ
 「チーズの楽しみ」
  CoComama

2、イベント
 「宇都宮市民芸術祭ミヤギグ参加」
  カーマイン神山

3、私も一言
 「テレビスポーツ観戦」
  ドッグラン五月女

4、私も一言
 「新聞小説を読む、国宝」
  春夏秋冬

5、シネマフリーク
 「ライオン」
  シネマ二郎

6、ボルダリングレポート
 「靴下」
  炭酸まぐねしゅうむ

7、音楽の話
 「サキソフォン(3/3)」
  アンサンブルYOSI

8、時計仕掛けのりんご
 「止まることのない世界」
  鈴木義延



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1、スイーツは私にお任せ
 「チーズの楽しみ」
  CoComama


最近チーズのバリエーションがとても豊富で、ついつい色々な味とのコラボレーションを楽しんでいます。魅力的な商品開発も盛んで、チーズをベースに様々なアイデアが盛り込まれているのです。カマンベールチーズが一番のお気に入り。
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チーズというのはとても包容力のある食材なのだと改めて認識するのですが、様々な素材を独特な風味に変えて引き立てる力を持っているのです。乳製品はそれが生産される風土に合ったものが作られるのでしょうけれど、それにしても色々なものがあるのです。

遠い昔、江戸時代には外国からごく少量入ってきたらしく、チーズは「不老不死の薬」として扱われ特別高価な値段で権力者や富豪の間でやり取りされたとか、真偽のほどはわからないお話を聞いたことがあります。そんなこともあったかもしれないと思わせる不思議な魅力が、この食品にはあるのです。

チーズダイエットに挑戦!果たしてそれは可能なのでしょうか?


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2、イベント
 「宇都宮市民芸術祭ミヤギグ参加」
  カーマイン神山

6月初旬、宇都宮市民芸術祭として実施されている「ミヤギグ2018」に参加しました。今回で私は3度目の参加となります。毎回指定される演奏場所は変わっていて、最初は宇都宮駅前の「ララポケット」、その次はシンボルロード沿いの「まちかど広場」、そして今回は昔、献血施設や楽器店「新星堂」のあった横の「イベント広場」です。その場所は宇都宮市オリオン通りライブカメラで、常時ネットから映像配信されている場所ですので、スマホでも映像だけなら随時見ることのできる所での演奏でした。

正午12時ジャストからの30分、職場仲間4人で昔懐かしい歌から最近のものまで、ぎゅっと詰め込んで8曲演奏したのです。当日は雨が降る天気でしたが、オリオン通りのアーケード内でしたので雨の影響は受けず、通行人の方々も足を止めながら、ともに楽しい時間を過ごすことができたと思います。わたしも何度か経験するうちに、あまり緊張せず、聞いてくれる方々とその時間を過ごすにはどうしたらいいかを工夫するようになりました。オーバーアクションと笑顔!これが大切だと思いました。
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何人かの仕事仲間やメンバーの家族も来てくれましたので最初は10人ほどだったのですが、時間とともに人が増えて数十人に膨れ上がり、最後は手拍子や手の振りを交えながら、見ず知らずの人たちと昔のポップスを熱唱しました。メンバーの中で私が一番の初心者なのですが、一緒に演奏してくれる人たちは皆経験豊富な人たちですので安心して過ごせたのです。

私がバンドメンバーになってライブに参加するなどとは数年前には夢にも思いませんでしたが、これも乗りかけた船、支えてくれる友人たちとこんな時間を楽しんでゆこうと思っています。


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3、私も一言
 「テレビスポーツ観戦」
  ドッグラン五月女


私はスポーツ観戦するのがとても好きです。最近テレビで有料の放送「DAZN(ダゾーン)」を観るようになりました。例えば大リーグの大谷翔平さんやプロテニスプレーヤーの錦織さんなど、海外で活躍するスター選手がいますが、彼らの活躍はその結果だけだったりするわけで、肝心なプレーをリアルタイムで鑑賞することはできません。
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スポーツの醍醐味は結果がわからないところにあります。ハラハラドキドキしながら、最後の最後にドラマチックな逆転をしたりしなかったり、その失望感や熱狂は結果だけからは生まれません。結果だけや名場面だけではフラストレーションが溜まってしまいます。なぜその場面に至ったかのじりじりした焼け付くような時間、推移こそが面白さの中身なのです。テレビではそんな悶々とした時間はたやすく削られてしまいますからね。魚の、皮だけでできた剥製みたいなものです。たっぷり美味しい身が詰まったものでなければ栄養にはならないのです。

現在は衛星放送で色々なチャンネルがあります、スポーツ専門チャンネルでは私が一番見たい競技や選手たちのライブ放送があるのです。可能ならば現地で直に見たいのですがそれはかないません。いつかそれも実現したいのですが、それまではこのようなテレビ観戦で楽しむことにしているのです。一月1000円セットと2000円セットがあるのですが、とりあえず今は1000円での放映を楽しんでいます。有料となれば見方にも自然気合が入ってくるものです。とても満足、経費に見合う楽しみを手に入れています。


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4、私も一言
 「新聞小説を読む、国宝」
  春夏秋冬



私は新聞小説を読むのが好きです。下野新聞や朝日新聞を読んでいるのですが、毎日提供される物語の断片を記憶しておくのもなかなか集中力を必要とするのです。

朝日新聞で1年半に渡り連載されていた吉田修一さんの「国宝」は、この5年ほどの中で一番重厚で読み応えのある物語でした。その前には金原ひとみさん、林真理子さん、村上龍さんなどが続き、それなりに面白かったのですけど、この「国宝」は別格!とても楽しめたのです。

舞台は歌舞伎。この物語を通して私もなんだか歌舞伎が見たくなったのです。なるほど、こんな風に観賞して楽しめばいいのかとか、歌舞伎に関する先入観が随分変わってしまいました。もとよりあの独特な言い回しや体の使い方に多大な興味はありましたので、それを思い描きながらの読書となったのです。

文体がまたとてもくっきりした明晰な流れで、対象を怜悧に観察、表現しており、また捉えるエピソードの展開の仕方にしつこさや過剰さがなく、深追いせずに時間をさらっと飛ばす手法に感心したのです。なるほど手練れな書き手はこんな風に場面を展開してゆくのかと。

芸に身をやつす男たちの人生です。演劇は私のとても好きな分野ですので、時折舞台劇のシナリオを声を出しながら読んだりします。アマチュア劇団に所属したこともあるのですが、「あなたは道具作りをやってください」と、全く適性なく小道具係がメインでした。ウェイトレスなどのほんのちょい役が回ってっくることもあったのですが早いうちに挫折してしまったのです。
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朝日新聞新連載の「ひこばえ」、著者の重松清さんは、安定した構成力のある手だれですから、安心して物語に入ってゆけます。また1年新しい物語の世界を楽しませてもらいます。


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5、シネマフリーク
 「ライオン」
  シネマ二郎


インドの片田舎、貧しい家族が兄弟母娘力を合わせて日々の糧を必死で得ながら暮らしています。貨車に積まれている石炭を盗み、それを町の露天商で牛乳と取り替えて母と妹に差し出す兄と弟。まだそれぞれ10歳にもなっていない子供達です。それがある日の夜、深夜の労働をするために出かけた駅で、弟は貨車に乗ったまま居眠りをしてしまい、そこから列車で延々と知らない土地に運ばれてしまったのです。

自分の名前も、自分の住んでいた土地の地名も知らない幼い男の子。彼は人々にもまれ着いた遠い駅でストリートチュルドレンとして生きてゆかざるを得なくなります。怪しい大人たちが子供を物色し、警察は子供達を追い詰め、行き場のない子供たちは保護施設にたどり着きます。インドでは今でも年間8万人もの子供達が誘拐されたり行方不明になっていたりするというのです。そんな無数の「浮浪者」として彼はその波に翻弄されるのです。
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「ここはひどいところだぜ!」、収容施設の仲間は彼にそう告げ、希望など持つなと諭します。そんな状況の中、たまたま先進国の子供のいない白人夫婦がそこから養子として彼を連れ出すことになるのです。インドから遠く離れた新天地オーストラリア。そこで彼は何不自由ない生活を手に入れ、全く別な人生を歩むことになりました。

そらから25年が経過し彼は勉学に励み経営者を目指す好青年となります。優しく裕福な白人の両親、そして同じように養子としてもらわれた兄との四人生活、新しい恋人。何不自由なくその身の上を受け入れての生活が続くのです。

彼の勉学仲間がふと「君は何人?どこから来たの?」。そんな言葉から「自分は養子でインドのどこからかもらわれてきた」という苦い事実を、戸惑いながらも告げます。すると仲間の一人が「グーグルアースで探せば、出身地が見つかるかもしれないね」とアイデアを出すのです。

彼が収容された施設のあった場所、そこから当時の機関車の速度で何日間分の距離。途中目に入った何かの形、それは岩場の形だったり給水塔だったりと曖昧です。ですがその日から彼は取り憑かれたように、自分の出目をパソコン画面の中に探し始めるのです。

物心ついた幼い頃の記憶、それを必死で思い出しながら彼は奇跡的に自分の故郷をグーグルの衛星写真から発見しました。これは実話をそのまま作品にした物語なのです。フィクションであれば「そんなに都合よく行くはずがない」という場面も、それが現実に起きたことであるなら認めざるを得ません。そして彼はついに自分の故郷にたどり着くのです。

無論葛藤はありました、育ての両親に対する申し訳なさです。自分が本当の母親を求める気持ちが裏切りなのではないかと悩み続け、それゆえに隠れてその捜索をしていたのです。ですがそれは杞憂でした。

ニコール・キッドマン演ずるその育ての母親は、「私地夫婦は自分たちでも子供を作ることはできたの。でもそうしなかった。新しい命を生むことより、今世界の中で生きていて不幸にまみれている子供たちのうち一人でも二人でも、その境遇から救ってあげたい、だからわざわざあの収容施設を訪ね、あなたたちを連れ出したの。夫も同じ考えの人だから結婚したのよ。本当のお母さんに会っていらっしゃい、ここまで立派に育てられた、私はそれをあなたのお母さんにこそ知って欲しいの」。

こんな考え方をする人がいるんだと私は少なからず驚きました。欧米の博愛主義というものは底の深いものなのですね。多少傲慢な上から目線の豊かさと幸福の押し付け的ニュアンスもありますが、日本的な文化とは異質な発想がある気がします。

果たして彼は25年ぶりに母親と妹に再開しました。母親はいつでも彼が帰ってこれるように、あえて住まいと変えることなく同じところに住み続けていたというのです。再会の時は地味な演出でした。ただ見つめあって抱き合う、それだけです。それなのに思い出しても私も涙がこみ上げてきてしまいます。

その後育ての親と生みの親との出会いもありました。実写の彼らの雰囲気はとても物語に登場した人たちの雰囲気をよく再現していて、全く違和感がないのです。カメラワークや演出はとても抑制が効いてセンスの良いものでした。まるでドキュメンタリーのように子供たちの表情や動きが生き生きしていました、表情がとても印象的です。

いい作品に出会えたことを感謝します。


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6、ボルダリングレポート
 「靴下」
  炭酸まぐねしゅうむ


ボルダリングシューズはとてもきつい、普段使っている靴とは大きさが違う、それは意図的にそうなっているわけだけど、その靴を素足で使うのが今までの人たちの流儀だったようだ。スポーツ自転車のパンツも、素肌に直接履くのが普通の使い方だというのだけど、おいらはどうしても直接はあまり感触が好きじゃないんだ。

ボルダリングシューズも、だから専用の靴下を使うようにしている。これが一足約1000円で、普通の靴下に比べれば高価なものだと言えるね、それに選択肢もメーカーもあまり多くはない、色は何種かあるのだけど。
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この靴下には縫い目がない!実はよく見ると目立たない形で縫い目はあるのだけど段差ができないようにとても巧みな作りになっている。そして弾力がありとても丈夫だ。履きご心地もとてもいいのさ。ただ単に高いわけじゃあない。

ボルダリングシューズはとてもきつくできているために足入れが、これがなかなか難しいのさ。無理やりねじ込む形だから慣れないととても苦労する。そんな時に靴下を履いていると滑りがいいから、足入れが多少楽になる、この「多少」が重要で、滑りの悪い素肌では脱着に一苦労するから、一度使うと靴下なしではいられなくなる。

そしてもう一つ大きな効果として、シューズが清潔になること。靴内の腐敗菌は当然皮膚が脱落してそれを餌に細菌が繁殖する結果出てくるわけだけど、靴下を使うとその増殖をかなり抑えられるわけね。ファブリースなんかでメンテはするけど、素足と靴下使用では靴の衛生感が全然違っているんだ。

ということでおいらの場合、ボルダリング用靴下は不可欠なアイテム、上級者は素足でシューズを使う人がほとんどだけど、おいらはまずそこまでの足裏感覚は求めれていないと言えるね。とにかくまずは初級脱却が目標なのさ。なんとかその課題はクリアしつつあるとは思っているのだけど。


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7、音楽の話
 「サキソフォン(3/3)」
  アンサンブルYOSI

サックスの指使いはフルートとほぼ同じ、ですのでフルートでマスターした技術と音感、フレーズはそのままサックスでも再現できるのです。肝心なのはリードを使った音の出し方。これはそうすぐにできるものではありませんが、それと息遣いだけサックス用に作り上げられれば、今までフルートで培ったテクニックが生かせるのです。

実際ヒューバートローズなどはサックスとフルートを併用して演奏していますし、多くのサックスプレーヤーは、フルートとクラリネットも併用したりするようです。指使いが共通しているので違和感がないのです。私も是非そういう方々を見習って、この二つをものにしようと気持ちを新たにしたのです。

しかし大きな問題があります。それは音量です。私の住む静かな住宅地では、いくら雨戸をして窓を閉ざしてカーテンを厚手にしてもテナーサックスの重低音は大きな騒音となってしまいます。特に練習段階の音はノイズ以外の何物でもありませんから、近所の手前家で思い切り吹くわけにはいきません。最初からハードルが高いのです。フルートでしたらなんとか音量的に自宅での練習も許容範囲にあると思われるのですが、それにしても毎日の淡々としたスケール練習(音階練習)音は音楽とは言いがたく、他者にはあまり心地よいものではないのです。

昔「ピアノ殺人事件」というのがありました。同じマンションに住む人のピアノがうるさくて当事者を殺してしまったという事件です。それ以来消音ピアノがよく売れるようになったとのこと。当時住宅事情を無視したピアノ販売が問題にもなっていました。
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多少費用をかけてのリペアから戻ってきたテナーサックスは、当然のことながら音階がとても正確にメリハリ良く鳴るようになりました。キイキイしたノイズもなくなり、ぶつけて凹んで動きにくかったキーも修復され新品同様、輝きも増して戻ってきたのです。

そこでやりだしたのが自宅から少し車で3分ほどの河川敷、そこに行き止まりの橋がありましてそこに車を置いて練習する事にしました。以前その同じ場所でトランペットの練習をしている中年男性がいたことを思い出したのです。その場所は時折ギターを奏でる人もいたり、どれも長く続いた様子はありませんが、そんな使い方がされていました。吹奏楽と河川敷というのはよくある組み合わせ。家も近いのでそこからスタートです。

そして何度かそこに行って練習していると、同じ場所を他の人が、今度はドラムを叩いたりして場所を占有されたりすることもありました。場所はいくらでもありますから、そこからまたもう一つ橋を移動しての練習となっています。それにしても大きな音です。サックスはとても自己主張の強い楽器だと言えるでしょう。低音部が予想以上に響くんです。


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8、時計仕掛けのりんご
 「止まることのない世界」
  鈴木義延



いくら21世紀になったからといってそう簡単に動くことはないだろうと思われていた朝鮮半島情勢は、アメリカ大統領トランプ氏の登場により、とりあえず一歩時踏み出す結果になったようです。まだまだ何がどう動くのかは未知数で、早急な期待を抱くことは控えなければなりませんが、これまでの硬直したにらみ合いからは多少別の展開が可能になったのかと思われます。
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どう転んでも軟着陸は難しいかと手をこまねいているしかなかった状況は、特異なキャラクターゆえに曲がりなりにも可能となったのですから、世の中はわからないものです。普段から「塞翁が馬」の故事を信条に生きている私にとって、まさにその通り、何がどうなるかは神のみぞ知るということでしょう。誰もがわかるような方程式で現実は動いてはいないようです。

多少離れてこの自体を観察してみると、そこに何をどうしたいという統治者の思惑は躍動していても、現実の社会、何千万人かの「国民」というものがそのビジョンに入っていない気がするのです。人一人が持っている力は想像以上に大きなものなのだと私は思いますが、戦後編み出してきた巧みな体系は、人々が体制を維持すること以外の力を持つことを最大限封じ込めてきました。

そのことの罪過、マイナスエネルギーは、とても大きなものだと思うのです。それは状況によっては核の脅威とは比べ物にならない破壊力を持ったもので、どれほどの強権政治によっても、恒久的にコントロールできるものではないと思われるのです。だからこその経過だったわけですが、他国が「体制維持」を保障したからといって、それは制御できるようなものなのでしょうか。

ともあれ21世紀、環日本海諸国に課せられた大きな課題は、英知を集めその難題に対して効果的な手を打ち処理運営されていかなければなりません。ただ敵意を募らせ非難していたこれまでとは枠組みが多少なりとも変わったのです。インターネットというボーダレスな情報ツールがかの国民にいつか行き渡ることはあり得るのでしょうか。情報を与えずに国際化、民主化するなどということはあり得るのでしょうか。

ただハードクラッシュの可能性だけはかなり軽減したというだけでも大いなる進歩であることでしょう。1950年、朝鮮戦争が始まった年に生まれた私は、常に「朝鮮戦争」という単語で自分の生まれ年度を覚えたものです。年を重ねた同じ年数、その国は未だ停戦という緊張感の中で過ごしてきました。その状況が永遠に続くとは思ってはいませんが、3世代100年など、たやすく過ぎてしまう時間なのかもしれません。



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編集部では常時生活身辺雑記、お薦めお店情報、便利グッズの紹介、ポエム、短歌、俳句、川柳、エッセー、コラム、随筆、お知らせ、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園紹介、譲りますなど、まとまり無い原稿、自己アピールの原稿などを募集しております。窓口担当(3西/鈴木)までお送りください。メモ書き、メール、口頭、何でもOKです。

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宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
半月刊UTIWAマガジン
「ホリデー西ケ丘」vol.112
(このマガジンは多くのサポーターによって、
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●夜明けのアヒル(編集部)
日常というものは惰性を好むものです。昨日と同じ時間を今日も過ごしたい、明日も同じような時間が流れてゆくはず。特に現在自分の日常に大きな不満やストレスを感じていない人にとって、慣れ親しんだ日常がずっと続いてゆくことを願うのは当然のことでしょう。しかし現在がそのまま固定化されることに恐れを抱く人たちもいます。世界で極限的なストレスにさらされている紛争地帯や圧政に苦しんでいる人々にとっては、いかにその日常を変革してゆくかは生きることの意味そのものになります。世界は一律ではありません。

世界にはなぜこのような不均衡が生まれてしまうのか。富の偏在や紛争はなぜなくならないのか。戦争はなぜ過去のものになってしまわないのか。そんな問いは次々生まれても、その答えを誰も納得できる形で示せる人はいません。現状がドラマチックに解決されたという答えを見ない限り、言葉は軽く漂うばかりです。

それでも世界は少しづつ、より良い方向に変わっていっているのではないでしょうか。人々は日々の生活の中に、社会活動の中に「より良い生き方、より良い方向」を模索し、社会の中にそれを実現すべく淡々と活動していると思えるのです。それは自分の身の周りを見回すことでも確かめられるはずです。悪意よりも善意が定着し広がってゆく、非難より共感が力を得てゆく。そんな光景の方がずっと収まりがいいと、誰もが感じていると思えるのです。そのニュアンスがある限り、世界は少しづつ進化する「希望の香り」がするのです。



ーーーーーーーーCONTENTSーーーーーーーー

1、スイーツは私にお任せ
 「鮎の塩焼き」
  CoComama

2、私も一言
 「横断歩道」
  カーマイン神山

3、シネマフリーク
 「ひまわり」
  スマイリー一男

4、私も一言
 「交通事故」
  さんざクロス

5、私も一言
 「なんだかグーグルは不気味」
  六花ビリー

6、シネマフリーク
 「スターウォーズ最新版」
  シネマ二郎

7、音楽の話
 「サックス(2/3)」
  アンサンブルYOSI

8、ボルダリングレポート
 「新人の台頭」
  炭酸まぐねしゅうむ

9、時計仕掛けのりんご
 「加害者となる高齢者交通事故」
  鈴木義延



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1、スイーツは私にお任せ
 「鮎の塩焼き」
  CoComama


まだ6月なのに梅雨の気配より真夏日が続いたり、今年の天気はなんだかとても季節感を失ってしまったような印象があります。寒さ暑さが唐突にやってきて体調管理が難しいんです。要するにそういう時は美味しいものを食べていればいいのではないかと思っていますが。
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暑い日には「そうめん」、私としてはこれが夏の定番となりますが、何をそれと一緒にいただくかとなれば、普通油物が挙げられます、天ぷらの類ですね。

私としてはここで「鮎の塩焼き」をサイドメニューにしたいのです。ただ新鮮な鮎というものは普通のスーパーでは手に入りません。やはりヤナなどで取り立ての鮎をその場で炭火で塩焼きにする、という以外に手に入りにくいのです。鮎は家庭の味にはなりません、ご主人が鮎釣り趣味でもない限り。

そう考えていたらとても鮎の塩焼きが食べたくなりました。鮎の解禁は確か6月、職場には釣趣味の方々がたくさんいて、いつも釣談義に花を咲かせています、そんな方々とお近づきになれれば手に入るかもしれません。もっとも最近の釣りでは、釣ったお魚を食べるためではなく、行為そのものを楽しむためのスポーツ的な釣りが増えているとのこと。あゆを食卓で手に入れるのは意外と難しそうです。


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2、私も一言
 「横断歩道」
  カーマイン神山



横断歩道で人が渡ろうとしている時、あなたはどうしますか?私は今まであまり注意を払わずに、なんとなく車優先の意識で止まらずに走っていました。

信号がある時はもちろんそれに従っていますけど。ですが先進国の交通マナーの基本は、信号のない横断歩道では渡ろうとする人が優先というのが共通認識だということで、これから海外の方が日本に来られた時に、事故が起きたりしないよう注意しようという意見を多くメディアで目にしました。
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それはそうですよね、車が優先しているのなら横断歩道をわざわざ作る必要はないわけです。それですので私も歩行者を優先するマナーに従おうと、以後横断歩道で誰か人の姿が見られるときは、迷わずすぐに止まって歩行者を優先するようになりました。

こういうマナー。ルールーは皆が守らなければ意味がありませんので、皆さんもできるだけそんなふうにして欲しいんです。私がいうのもおこがましいですけど草の根のアプローチです。いちいち状況を見て態度を変えるのではなく、迷わずに止まるというふうにすると気持ちの上でも楽になったような気がします。どうですか?


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3、シネマフリーク
 「ひまわり」
  スマイリー一男


街の映画館では半世紀ほど過去の作品、「名画座」シリーズが上映されています。私はそれを鑑賞するのが楽しみなんです。最近制作される映画作品はそれなりに良いできていますが、過去の名作はそういった目先の驚きとは全く違った、「これが映画なんだ!」とおもわせる特別なものを持っています。ということで「ひまわり」が上映されていましたので行きました、夜勤の明けに。

久しぶりに、密かに、男泣きに(静かに)泣きましたね、暗闇の中で。映画は一人で見なければいけない理由はこれですよ、安心してシニア男性が涙を流せるのです。心が洗われてゆく心地よさがありました。
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と言ってもこれは悲しい話なんですよね、戦争のために心許し合った男女が、夫婦が、生き別れになってしまう。戦争が終わった後に互いが互いを探し合うのですが、様々な障害があって合うことができない。そして1年が過ぎ数年が過ぎと残酷に時が経ってしまう。諦めの気持ちは別なパートナーとの出会いと愛を育み、過去を忘れて生き始める。だがどうしても会いたい、その気持ちが高じて再会を果たしても、そこにあるのは過去の幻、愛の残骸。

名作「シェルブールの雨傘」や「ブーベの恋人」なんかもそんな話でしたよね。メディアが発達していない時代、「尋ね人」という張り紙や黒板などが電柱や駅などに張り出されていたものです。一度離れたら互いを見失ってしまう、そんな時代だったのです。

気丈なソフィア・ローレンと、ズルさと弱さを体現する男、マルチェロ・マストロヤンニの組み合わせが絶妙でした。一面に広がるひまわりの暴力的なまでの美しさ。あの名曲とともに心に深く刻み込まれ、「いい1日になったな」と、それから数日そのシーンを思い出してはじんわりした幸福な悲しみを味わったのです。だから名画座通いはやめられない。


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4、私も一言
 「交通事故」
  さんざクロス



先日、宇都宮市内夕暮れ時の交差点での出来事ですけど、私の前を走っていたバイクがいきなり転倒したんです。幸い車間距離を取っていましたから接触することはなく、大事には至らなかったんです。それにしてもそのバイクの転倒は唐突で、何が原因なのかわからないような、いきなり前輪がロックしたような奇妙な倒れ方をしました。
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時間的にラッシュアワー、転倒したバイクを引き起こそうと止まると、私の後ろの車や前の方からもクラクションがなり「早く行け!」と催促するのです。迷った挙句転倒した人もしっかり立ち上がり自力で起こそうとしていましたから、転倒したバイクを避けて通りました。流れを阻害する動きは周りから迷惑がられてしまうようです。

以前にも目の前でバイクが転倒したことがあり、それは若い男性だったのですが、駆け寄って手伝おうとすると「触んじゃねえよ!痛え痛え!うるせえんだ!」と、近寄った何人かの人に向かって悪態をつき始め、まあ、いかにもショックで混乱しているふうだったのですが、それにしてもつっぱりお兄さんの態度には呆れて、皆さっさと引き上げてしまいました。

私も医療職についてからは、道に人が倒れていたり何か苦しそうな表情をしていたりすると、すぐ反射的に近寄って「どうしたんですか?」と、おせっかいに手を出してしまうんです。毎日の仕事がそうですから街の中でも同様な反応をしてしまうんです。案外人は見て見ぬ振りをしてしまうもの、君子危うきに近寄らず。そういえば何ヶ月か前大相撲の土俵で挨拶をしていた人が倒れた時に、駆けつけた女性に「女性は土俵から降りてください」などとアナウンスをした人たちがいました。物事の主従が全く見えてない人たちなのでしょう。

そういう行為が場面によっては迷惑がられたり余計なことだと非難されたり、世の中は皮肉にできていますから闇雲に推奨するわけにもいきません。それでもなおかつ、医療従事者はそんな時に自然に体が反応してしまうものです。すぐに脈をとったり呼吸を確かめたり瞳孔を覗き込んだりと、今何が起きているのか、緊急性はどの程度かと確かめたくなるものなのです。

これも日中交差点での出来事なのですけど、一人の男性、老人が自転車がふらつき交差点の真ん中で倒れてしまいました。信号が変わろうとしているので急いだのですがそれが裏目に出たのです。すぐ車を停め手助けしようとしたら、その信号の4方向にいる車から皆がワッと出てきて、老人を起こす人、自転車を歩道に運ぶ人、散らかった荷物や帽子を拾い上げる人と分業して、それはそれは素早い動きのチームプレーを目の当たりにしたこともありました。私の出る幕などもうなかったんです。なんとなくその日はそのシーンに少しいい気持ちになって、ほっこりとした気分で過ごしたものです。

結果がどうなろうと、とりあえず動き出す!そんな腰の軽い対応でいいんじゃないかと思えるのです。行動したもの勝ちなのが人生かなと。


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5、私も一言
 「なんだかグーグルは不気味」
  六花ビリー



スマホに「ショップ○◯の評価を書き込みませんか」と、ことあるごとにメールが届く、グーグルからだ。「あれ?なんで俺があのショップが気に入っていて、何度か足を運んだことが知れているんだ?そうか会員登録してあったっけ、ポイントを貯めるカードをもらっていたかも」。しかしその後も行く先々、利用する様々な店舗に関する「コメントを書きませんか?」というお誘いが来る。「なんで俺の好みや行動がわかるわけ?」。ひどく戸惑うわけね。登録なんかしてあるはずのない店などが登場する。
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結局スマホのGPS機能が、俺が立ち寄った店を把握し、つまり1日の行動をしっかり掴んでいて、その都度「どうですか一言」みたいな誘いをかけて来る。スマホにはいろんなアプリが知らないうちに入っているから、どこか意に反するソフトをダウンロードしてしまったのかもしれない。それにしても筒抜けだ、なんだか不気味だぞネットワーク!

ここで「いまいちまずかったなあそこのメニューは」などと書き込めば、どこの誰それがこんなことを言っているとネットに公表されてしまうわけで、それがデーターとして蓄積されたり、この人物の趣向として分類されたり、とにかくやばい!なんだか丸裸で過ごしているような不快感を感じるようになった。便利さの裏側には、全く別の意図を持ったシステムと意思が蠢いている気がしてくる。考えすぎ、と笑えるならいいが、衛星から、こんな無害でちっぽけな俺をいちいち監視しなくてもいいんじゃない?と、その労力に「過剰な不信」を感じてしまうのだ。

とにかく、そんな時代に俺たちは生きている。



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6、シネマフリーク
 「スターウォーズ最新版」
  シネマ二郎


人気ドル箱シリーズの代表「スターウォーズ」、最初にその作品を見た時にはその躍動感に感動しました。劇場を出てからもあの戦闘機の浮遊感が体に伝わって、車を運転しながら宇宙船を操っているような幻視に捕らわれたものです。
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以後シリーズは続き、私も二番手三番手くらいまでは記憶にあるのですが、それ以後ストーリーのつながりが訳が分からなくなってしまい、徐々に興味を失ってしまっていったのです。作品に込められるその時の映像的な最新テクノロジーも、それほど大きな技術革新は見られなくなったり、盛り込まれるアイデアの量と質が徐々に薄くなってゆく印象があったりで、私の中でのインパクトはかなり後退してしまいました。

それでも、「いやまた新しいビジョンで新しい感動が模索されているのかもしれない」と、無意識に期待している自分もいて、なんだかんだ言いながら結局全編観ているんです。CGの進化と共に歩んだ映像のインパクトを否定するものではありません。

大河ドラマには大きな軸がなければ全体の構造が見えにくく、個々の位置付けが曖昧になると印象はかなり割引されてしまいます。世界観が公開となっているあのガンダムシリーズも、軸となる構図がクリアでないと小さなエピソードが生きてきません。果てしなく広がってしまう続編ではそれが常に課題となると思いますが、それに十分答えられている作品はあまりないような気がしてしまいます。うけたために後からつじつま合わせしなくてはならなくなるのが現実でしょう。

人気作品では優秀なスタッフが緻密に世界観を作り上げ、その整合性に頭脳を使っているのでしょうが、あまり複雑になってしまうとインパクトは薄らいでしまいます。今までその世界観に唸ったのは「宮崎駿」監督の「風の谷のナウシカ」です。あのような深く立体的な世界観ですと、エピソードはとても生き生きしてくると思えるのですが、コミックでのナウシカは延々と続く大河ドラマ風展開の中で、全体の構図がしっかり掴みとれませんでした。

「スターウォーズ最新版」も物語のどことどこがどうつながっているのかは、私の不勉強で見えなくなってしまっているのですが、全編を時間軸に合わせ順を追って鑑賞するゆとりがないのがとても残念です。


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7、音楽の話
 「サックス(2/3)
  アンサンブルYOSI

サックスはいったいいくらくらいするのかネットで検索すると、まあピンキリですが、最低限の質となるとどうしても20万円以上でなければならないとは、どこにでも書いてあります。元上野楽器のスタッフだった人に聞いてみると、吹奏楽部の学生でも最初に手に入れる楽器の値段は40万円くらいからというから、ちょいと頭がクラクラしてしまいました。

シニアである私の今の経済状態では、新品をいきなり購入するのは無理。独身時代と違い、後先考えず給与を丸ごと使ってしまうなどできるはずもなく、そんなことをすれば私もまた熟年離婚という羽目になってしまいます。家計は共同経営ですから。
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そこで思い出したのは、倉庫の奥に眠っているあのテナーサックス、もうボロボロになってカビだらけになっているだろうと思いながら探し出し、ケースを開けてみるとなんとか形はそのまま。40年の歳月はそれなりに刻まれながらもそこに存在し続けていました。

しかし皮でできた穴を押さえる部分(タンポ)やコルクでできている接合部分は当然ながら硬化してかなり厳しそう。何と言っても購入したその時点でかなり使い込まれ、10年以上使った話をしていた記憶があり、つまり最大50年くらいは経過した中古楽器ということになるのです。

リードも40年前に買ったものがそのまま5枚ありました、ケースの中に。そして恐る恐る組み立て、カビ臭いそのまま吹いてみると、なんとか音は出たのです。ただ音は空気が漏れる音とそうでない音がバラバラ、リペアしなければ使い物になりません。しかしこのリペアだけで、ものが大きいですから10万円近くしてしまうのが、もう泣きたいところ。心はチリジリに乱れるのです。やっぱりサックスに手を出すのはよそうかなと。

とりあえずガーゼを購入し、金属を磨くワックスを買ってきて汚れている本体を磨き始めました。音がしっかり出る中音域でのロングトーンだけでももやりながら、とりあえずまずは稼働させたのです。油も全くさしていませんんからギシギシガタガタ。でもなんとか1オクターブ半は音はならせました。管を磨いていると、裏の片隅に製品番号が書かれているのを発見しました。YAMAHA YTS-61、そこで早速ネット検索をかけてみますと、その機種は1960年代初頭制作された当時ヤマハの最上級プロ用モデル。当時の価格で新品なら30万円以上したもの、現在でも中古品で20万円を下ることはない人気の品だということなんです。おお!驚き!これは大切に使わなくてはなりません。

そういえば当時、私にこのサックスを譲った店主は、「ナベサダにジャズの手ほどきをしたのは俺だよ」と語っていました、宇都宮で学生時代を過ごしたナベサダさんには、そんな人はたくさんいたことだろうとあまり本気で聞いていなかったんです。でも本当にそんなこともあったのではないかと思え始めました。その方は、私が30歳の時に倍の60歳くらいでした。ナベサダさんは当時40代だったと思います。

宇都宮市東大通りと産業道路の交差点近くにあった楽器店です。このサックスを譲ってくれた方はもうおそらくいないことでしょう、店はとうの昔になくなっていました。あの時、彼はかなり本気で私にジャズをやらせようとしていたのかもしれないと思えてきました。そうであるなら、多少のタイムラグはできてしまいましたが、この機種を使って本気でステーションジャズに参加することを目的に、シニアアマチュアャズを始めるのもありかなと考えるのです。何かの縁で自分の手に入ったこのテナーサックス。多少経費はかかってもリペア、復活させてまた響かせられれば、あの店主もあの世で喜ぶかもしれません。早速見積もりを取ることにしました。(続く)

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8、ボルダリングレポート
 「新人の台頭」
  炭酸まぐねしゅうむ


オリンピック種目としてスポーツクライミングが取り上げられることになってから、この競技は急にメジャーになってきた。ジャパンカップやワールドカップがテレビで放映されるようになった。この環境の変化は数年前からは別世界さ。いまでもたくさんのマイナー競技があると思うけど、その全てがオリンピック競技になることはない。組織委員会というものは気まぐれだから、毎回いろんな競技を取り上げては、気に入らないとそれっきりということの繰り返しさ。
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ただオリンピックというのは想像を超えた力を持っている、スポーツにたづさわる人たちにとってそれは魔法の演出になっているみたいだ、社会に認知されるということの効果は、その後の人生に多大なる影響を与えてしまうらしい。

まあそんなふうに競技の世界が活況を呈することは悪いことではないし、末端の競技者としても楽しい。何と言っても話題が次々に提供されてくるからね、情報量が増えれば活動の選択肢も増えるというわけさ。つまりジムが増えたり公共施設での開設があったりという事。

そんな風にメジャーになる前からこのクライミングは盛んに行われていた。日本のトップ選手は女性では何と言っても現在28歳の野口啓代さん、二番手は20歳の野中生萌さん、そしてアメリカで活動する日本とアメリカ国籍を持っている、天才と言われた白石アシマさん。この方々は現在のクライミング界の激変以前から活動していたビッグスターたちだ。男性陣はまた別のエリートたちがいて、これまた人材豊富なのさ。ともに世界のトップを走り続ける忍者軍団さ。

そこに来て女子には、最近「伊藤ふたば」、「森あい」さんといった14歳15歳という年齢の女性が何人も台頭して来ている。これがベテランを激しく追撃してその戦闘力といったら「驚愕!」と言わざるを得ないポテンシャルを秘めている、センスがいいのさ。オリンピック選考となると彼女たちの存在がとても大きくなってくることだろう。

ベテランはベテランで侮りがたい戦闘力を持っている。そのせめぎ合いは「人の世の相克」をリアルなドラマとしておいらたちに見せてくれるだろうから興味が尽きない。世界には日本勢以外にも魅力的な選手がたくさんいて、あえて日本勢にこだわらなくとも十分楽しめる。実際国籍に過剰にこだわるのはどこかスポーツそのものの本質からずれてしまっている気がする。わからないわけではないんだけれど。

若い人たちが自分を追ってくる、残虐なまでの鋭い技を体現して。ベテランと言われる野口たち20代後半の人は、その自体をどう受け取ろうとしているか、きっと野口さんにとってもそれは新しいストレスなんだと思う。今までクライミングの世界ではこの「オリンピック」という過重な舞台はなかった。ワールドカップの名誉が中心に編成されていた「価値の体系」が、ここにきて本質的な変化をしてしまったことの負荷。序列は全く別な性格を持つことになってしまった。社会的なポジションの意味がこれからは決定的に違うものになってしまう。オリンピックというものはとにかくスポーツを口実にした「資本主義的欲望の怪物」であることは確かだ。そこに選手たちは逃れるすべなく取り込まれ翻弄されてゆく。

そういう戦いからは全く離れたところで悠々自然相手に、己の存在をかけた静かな戦いにくれる人々がいる。それがクライミング趣味の大半かもしれない。自然は大きく人間はちっぽけだ。人と人の競い合いより自然の中でどれだけ岩と仲良くなれるか、そのことだけに目を向ける愛すべきクライマーたちの姿を、一愛好家としてこれからも見てゆきたいものさ。


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9、時計仕掛けのりんご
 「加害者となる高齢者交通事故」
  鈴木義延




60代以降の年代が起こす交通事故が、かなり積極的に報じられるようになったのはいつころからでしょう。10年くらい前?の印象もありますが、特に最近、報道に力が入っているような気がします。当然その事故件数が急増している現実があるからと思われます。今日も(5/29)90歳の女性が人をはね、一人死亡したとの報道がありました。いきなり名前も呼び捨ての「90歳の女が」と、まるで極悪犯罪者扱いされるのが耳にも痛いところです。

90歳でも自動車の運転を自ら行わなくてはならない日常があり、その人の人生がある。老人から免許証を取り上げよう、というキャンペーンは次第に強くなってきていますが、「なぜリスク承知で運転しなくてはならないか」という問いには、ニュースを伝えるメディアは答えようとしません。あくまで断片を切り取って、「なんと無謀な!」という嫌悪感を強調しながら出来事の経過が伝えられるのです。

車なんて運転しないで生きていけるならそれに越したことはありません。都内であるなら公共交通が充実していますから、車を所有したり利用する必要もありません。ニュースを作っている人たちは首都圏で暮らしてそんな恩恵を受けている人たちなのでしょう。まるで他人事としてそんな事故を批判的に伝えているのです。

地方都市での生活はいかに自分の足を確保するかから始まります。自家用車の保有と利用が真っ先に選択されるのですが、バスや電車で済むのなら、あえて車にこだわらないという人はたくさんいるのではないかと思います。モータリゼーション勃興期には、「数十メートル先のたばこ販売機に行くのに外車に乗って行くのがかっこいい!(矢沢永吉)」という時代もありました。高度経済成長の余波が残るバブル前期まで続いたかもしれません。

車の運転が自己表現であるかのようなビジョンが積極的に流布された時期もあり、自動車を取り巻く文化的様相は流動しています。現在ではモビリティとしての役割が強調されています。急発進急ブレーキを繰り返し、過剰なスピードで車体を滑らせるような遊びをはやし立てる人々は、徐々に過去のものになることでしょう。公共の場でそのような行為はリスク以外何の意味もありません。
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60代70代以上の高齢者が交通事故を起こす。もとより車社会は完成されたシステムではありませんから、個人の技量でなんとかその不完全なシステムを、リスクを最小限にしながら運用しようと、人々は様々な工夫を凝らして車社会は発展してきました。最近では誤動作を防止するためのメカニズムが徐々に採用されるようになっています。その恩恵を受ける場面も出てくることでしょう、かなりの条件付きではありますが。

高齢者が事故を起こす、メディアはそれをどういった姿勢で扱うとしているのかがよくわかりません。肯定的なのか否定的なのか、まづそこから態度表明してほしいものです。肯定的ということはないでしょうから否定的に扱われるわけですが、ただ頭ごなしに「愚かで卑劣な行為」というには、現状はあまりにかけ離れています。

銃の所有が国民の数を上回っているアメリカでは、銃による死傷者が交通事故死を上回る年間数万人に上ると言われています。しかしそれは権利だということで多大なリスク、破壊力を持ったその道具を手放そうとしません、心理的な安心を手に入れるためだと所有者は語るのです。

自動車も大きな破壊力を持った道具です、走る凶器と言われることもあります。しかし現代社会はその道具込みで生活の多くが設計されており、機能しています。十代から自動車の免許は手に入りますから、現代社会は個人が常に車込みの行動範囲、機動性を前提に構成されているのです。ただ一般人でいようとするためだけでも、自動車やスマホやパソコンなど、現代的機器を使いこなさなけばならず、そのハードルはかなり高いと言えるでしょう。そこには当然獲得した便利さとともにコストやリスクが想定されてます。

車社会のマイナス面を最小化するための仕組みはある程度整備されていますから、それなりに快適に機能しているのですが、「飲酒運転」に次いで「高齢ドライバーの弊害」を槍玉にあげるには慎重な考察が必要となるでしょう。個人の順法意識が主になる飲酒と、国民全員が一人の例外もなく年をとる、「劣化する集団機能」という現実に対する対策とは次元が違うのです。

高齢者ドライバーの弊害は、条件を満たせなくなった特定の個人を責めることでは解決しません。高齢者が動き回らなければ維持継続できない社会の現状があるからです。それゆえにこの課題は本腰を入れて社会構造の基盤設計から取り組まなければならないのです。

高齢化してゆく社会、高齢にならざるを得ない生物としての個人。悲劇の罪はどこに?拡大から縮小へという現代日本が抱える基本フレームの書き換えを骨組みに、「人は何のために生きる?」というとらえどころのない論理と倫理。その質を変える取り組みが求められることでしょう。かなりな時間が必要です。

私も現在漠然と想像するに、遅くとも75歳になったら自動車免許は返納しようかと思っています。それはまた自分の社会生活が、徒歩と自転車やバスで可能な生活へのシフトを意味するわけで、改めてシニアライフの現実を受け入れる、意識チェンジが求められるのです。


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