ホリデー西ケ丘 Vol.129

宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
半月刊UTIWAマガジン
「ホリデー西ケ丘」vol.129
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)


●夜明けのアヒル(編集部)
平成の時代は終わり、「令和元年」という年を節目として、ターニングポイントとして、また出発点として、気持ちを新たにしようとする人は多いことでしょう。私なども毎年正月には、多少そんなマインドセットをしようとはするのですが、何を決意しようかと頭を巡らせているうちに春になり夏になり、、という経過を繰り返しているのです。

昭和世代にとって平成という時代は人生もかなり後半と重なっていますから、平成生まれの人たちの印象とは全く別です。戦後の10年ほど、団塊世代は太平洋戦争の影を幼年期体験として何らかの形で記憶しており、豊かな日本になる前の助走時代、以後発展拡大の世相が常にオーバーラップしてしまうのです。かなり過剰で暑苦しい時代の色です。

平成時代とはバブル期を経て静かに拡大から現状維持、そして縮小へと向かう、矛先が大きく変化した時代。若い人たちが未来に対して抱く思いは私たち昭和世代には想像できません。何が違うかすら容易に掴み取れないのです。言葉としてはいくらでも描かれますが、それを生きる実感としてどう捉えどのような軌跡に変えてゆくのか。前の世代は深い信頼を持って、未知の課題を彼らに託して行くだけです。



ーーーーCONTENTSーーーー

1、イベント
 「クッキング登山」
  クライマーズクラブ

2、スイーツは私にお任せ
 「コンビニの中華肉まんが美味しい」
  CoComama

3、私も一言
 「おお!マダム」
  さんざクロス

4、BOOKレビュー
 「ショウコの微笑み」
  春夏秋冬

5、シネマフリーク
 「アルカディア」
  シネマ二郎

6、ボルダリングレポート
 「女性の柔軟さ」
  炭酸まぐねしゅうむ

7、私も一言
 「番組改編の季節」
  北斗七星

8、時計仕掛けのりんご
 「ショーケンも居なくなった」
  鈴木義延


________________________

イメージ 12

1、イベント
 「クッキング登山」
  クライマーズクラブ
イメージ 1

3月と言ってもまだ冬が時折顔を出す不安定な時期です。今回の男性5人チームが目指したのは、宇都宮市北にある「篠井連峰」の縦走。それに加えて山頂でアウトドアクッキングを試みるというものでした。

上り下りともとても快適な傾斜と整備された道行。連峰それぞれの頂は、その場にふさわしいパノラマが広がっています。宇都宮近郊といってもそこは関東平野が北に続く山岳地帯の入り口、目の前の起伏はそそり立つ場所もあり、十分登山を楽しめるコースとなっていました。
イメージ 2

さてこの「アウトドアクッキング」、要は「火」。つまりバーナーとそれを食材に熱を伝える鍋、釜、フライパンなどのギアの選択がこだわりどころです。メニューはまずスパゲティー炒め、もつ煮、ラーメンなど、普段とはちょっと違った、ひと手間をかけるメニューで山頂での時を楽しんだのです。

こういった何か行事、演出がないと、もともとじっとしていることができない人たちですから、頂上に着いたらすぐにまた折り返して歩き続けるといったパターンになってしまいます。それなのでもう少し頂での時間をじっくり味わうために出されたアイデアなのです。果たして味はなかなか美味でした。
イメージ 3

最近では様々な半加工食材がありますので、それを利用すればほとんどなんでもできてしまうのです。ただ山行きは持てる機材、食材に限りがありますから、その制約の中でどんなことが可能なのかと模索するのが楽しいのです。山頂の限られた小さなスペース、無論平らな場所などまず滅多にありません。小さなフライパン、小さな鍋、小さな食器などと、どれもが実にコンパクトな、まるでままごとのような料理風景が展開したのです。

今回も帰りは時間にゆとりがありましたので、もう一山、帰り際にある別な山を登るチームと、ボルダリングジムによって手こずっている課題を3人でそれぞれアプローチし、上級者にアドバイスをもらうというチームに分かれて夕暮れまでを過ごしました。1日を何通りも楽しむという貪欲さで、冬の終わりの自然を堪能したのです。お疲れ様でした。


________________________


2、スイーツは私にお任せ
 「コンビニの中華肉まんが美味しい」
  CoComama
  
中華まん、肉まんは作られるお店によって千差万別、内容もピンキリです。ですが最近コンビニで売られている肉まんはなかなかよくできているなと思わせます。どの商品を取っても研究されているというか、激しい競争を勝ち抜こうとする意欲がこんなところにも表れている気がします。
イメージ 4

肉まんといえばある時期は「中村屋」のものが一つの基準となっていました。ちょっと割高でも美味しさが保証されている一品でした。中華料理屋さんが独自に作るものも具がたっぷりで食べ応えはありますが、如何せん1個500円とか、一つの料理扱いされていますから美味しいのは当たり前なのでしょう。

スーパーで手に入るものはどうもお手軽なだけ内容が薄いと言いますか、つまり具の量と質が不満なんす。中華まんは手で二つに割ったときに、具がこぼれ落ちてくるくらいにしてもらわないと満足できません。今度自分で研究して作ってみようかしらとも思うのです。なんだか楽しそう!


________________________


3、私も一言
 「おお!マダム」
  さんざクロス

先日街で買い物帰り、とあるお店の前で人を待っていたのです。すると目の前に高級車がおもむろに止まり、中から美しいマダムが降りてきました。

いかにも品の良い服装、出で立ち、身のこなし、ゆとりとどこか近寄りがたい雰囲気。当然とても美人な中年女性です。まるで映画や物語の中からそのまま抜け出してきたような風景、つい見とれてしまいました。

そういえば長らくこんな感じの女性を自分の生活圏や短なところではお見かけしたことはないなーと独りごちながら、ではこれ以前、そのような方を見たかといえばそれは昔の日活映画などだと思い当たるのです。あの頃(昭和30年)の映画作品が描かれる舞台は決まって上流階級の人間模様、お嬢様、おぼっちゃまたちの優雅なやんちゃぶりが、スターたちのうごめく世界だったのです。
イメージ 5

翻って自分の身の回りには、こういった感じの人はいないなーと改めて思い至るのです。つまり上流社会風な階層とは全く無縁ですから遭遇しないのでしょう。文字通り「住む世界が違う」わけですのでニアミスもしないのかもしれません。

私の身の回りにいる仲間たち、資格を持った女性たちは、全く違った雰囲気を持って存在しています。頼もしく頼りになりそして美しい人たちですね。言葉は十分に「庶民的」ですし、余計な気を遣って憧れる存在ではありませんが、一緒に働いて感謝したくなる人たちばかりです。

あの、美しく上品なマダムたちは、私たちとは別な言葉を使い別な話題で盛り上がったりしながら、優雅に過ごすのだろうなと思うのです。ですが一緒に働かなければならないシチュエーションになったら、なんだかきっと大変だろうなと、勝手に想像。やはり私などにはいつもの仕事仲間の方が、日々を過ごすにはいいなと、なんだか無理やり自分を納得させてしまうのでした。


________________________


4、BOOKレビュー
 「ショウコの微笑み」
  春夏秋冬

日本と韓国、現在日々の報道ではその関係はいつになくギクシャクしているように思われますが、ついたり離れたり付かず離れず、そんなゆれうごきを過去何十年もしていますので、過度に気をもむこともないかもしれません。この物語は韓国の女性作家「チェ・ウニョン」の作品です。

高校生の時、英語が堪能ということで日本からの交換留学生として選ばれた一人の少女、「ショウコ」は同年代の少女がいる韓国の家庭に一週間ホームステーをすることになります。それは日本文化が韓国で解禁になった1998年、金大中大統領の時代です。「韓国の高校生と日本の高校生の文化交流」という事業で、日本側からは4名の女性が韓国に赴きました。
イメージ 6

迎え入れたのは同年代のソユという名の少女の家、父親を早くに亡くし、祖父と母親という構成は二人同じだったために、まるで他国のもう一人の自分のように互いが感じ、不思議な縁を感じて短い一週間の交流を過ごします。

同じような家族構成の暮らし、しかしそのどちらの家庭も、普段は家族同士が日常的な会話をすることもない、どこか頑なな関係に陥ってしまっていた家庭でした。ですが他国の少女がその中に現れることで変化してゆく人間関係が、丹念に魅力的に描かれています。

たった一週間の交流が互いの心に残した得がたい存在、それは相手の祖父や母親にも大きな変化をもたらすのです。

韓国と日本、その微妙な力関係が背景にあるからこそこの二人は互いの存在を認めたり反発したりを繰り返し、そして絆を深めてゆくのです。冒頭からとても惹きつけられる描写が続き、私は読み終えた途端また最初から読み返してしまいました。ざらっとする互いの言葉の裏にある柔らかくて熱い想い、それなのにまた冷たい言葉が勝手に出てしまう。

彼女たちは互いに手紙を書き、そのやりとりで関係を深めてゆくのです。

独特の世界観と語り口の快さ。定価2500円はとても迷ったのですが、元を取った感じがしました。


________________________

5、シネマフリーク
 「アルカディア」
  シネマ二郎

とても不思議な映画作品です。この物語が語られる風景はとても奇妙な世界。あるコミューンをめぐるお話。男兄弟は遠い過去には家族全員が、一つのコミューンで生活をしていました。子供にとってその生活は生まれた時からであるなら普通の世界となり、違和感など持ちようもないでしょう。そこはまた特殊な世界観で形作られた世間とは別世界のエリア。カルト教団とも言われてしまう集団でもあったのです。
イメージ 7

自意識が芽生え成長し大人になって知見が増えるにつれその生活に疑問を持ち、そこから脱出する。新興宗教の団体は現在も世界各地に様々に形を変えて存在しています。それは人間の習癖でもあり、人権主義、消費社会、資本主義システムという価値観で出来上がっている私たち世界も、またその一つなのかもしれません。

物語で登場するその村では、集団に入っている男性たちは全て最初に去勢されてしまう。だから子供はもう増えない、恋愛トラブルもなくなる。生活の糧は自分たちが作る地ビール。その利益でその集団は長く存続しているのだと。

そして様々な行事が編み出され秩序を維持するための仕掛けが発案され実施されている。それに違和を唱えることもありますが、それに依存する気持ちもまた生まれている。そんな、独特の空気を持った小社会が営まれています。

日本にもそんな集団は数多く存在しています。武者小路実篤氏が構築した「新しき村」というコミュニティーに何十年か昔私も訪ねたことがありました。皆、生活意識の強い、高いモラルで勤勉な人たちと感じられましたが、その構成員にはなれませんでした。

新興宗教に限らず古くからの宗教団体はそれぞれに独自なスタイルを持って現代社会にしっかり存在が認められて生活を営んでいます。仏教を担う組織は何百年もそうやって存続していますので、新しく生まれたコミュニティーをそのまま否定することはできません。現実世界とどう折り合いをつけ受け入れていくかは個人の嗜好の問題ですので、簡単な答えは出ないのです。

いかにも低予算なんですが、それなりに評判になった作品ですので鑑賞したのですが、あまり満足とか感動というものはなくて淡々とした印象でした。むしろ特別な物語ではないこと自体が特徴だったかもしれません。


________________________



6、ボルダリングレポート
 「女性の柔軟さ」
  炭酸まぐねしゅうむ


ボルダリングの課題は級とか段に分けられ、その難易度がラベリングされている。おいらはまず5級は一応全てクリアしていて、ほんのいくつかの4級ができるようになったレベルなのね、どうもこの先にはなかなか行けそうもない。ポテンシャルの限界かもしれない。それはそれであまり悩んでいるわけではないけど。とにかく体力現状維持が一つの目的なのさ。

どうせ誰もがそれぞれのレベルで限界を感じざるを得ないわけで、常に「上には上がいる」のがスポーツに限らず人間活動の実情だから。優秀な人ってものはどの分野にもいて、努力や情熱だけではどうにもならないことばかりでできている気もする。人と比べても飢餓感が生まれるだけであまり得るものはないから。
イメージ 8

それでも最近ボルダリングに手を出した職場仲間の女性「山ちゃん」は、まだ始めたばかり(3ヶ月)でようやく6級を半数ほどクリアしたところ。それなのに、いきなり4級の難しいバランス系課題にチャレンジして、持ち前の「向こう見ず」と「負けん気」と「しつこさ」「悔しがり」と言う、普段の生活をしていると時にトラブルのネタにもなってしまいそうな資質が全てポジティブに作用して完登した。完璧に、一足飛びに。おいらが何度チャレンジしても、半ばでどうしても進めないルートを持つ4級の難題を、やるたびに転落しながら果てしないチャレンジの末クリアしてしまったんだ。これには驚いた。

体がとても柔らかくて、おいらなどが全くお手上げのムーブを上手くこなしている、脱帽!「できたらケーキをおごるよ」と、半ば「できるはずないよな」と思っていたおいらの思惑を覆してしまった。嬉しい誤算ではあるけど、彼女を痛く見直したのは事実さ。

本人もかなり気を良くしており、指や腕の力が求められる課題と別に、センスやバランスや度胸!がより求められる課題で持ち前の資質を開花したようなのさ。おいらの苦手な分野、というかそれがとても一番難しい課題でもあるけど、また一人同好の士が増えたことを寿ぐことになったわけ。彼女の挑戦を楽しみにしている。


________________________


7、私も一言
 「番組改編の季節」
  北斗七星

この3月末、新しい元号「令和」が発表されました。平成時代の終わりです。そのためか、それを機にというのか、私の好きなラジオ番組の再編がどんどん進んでいます。毎日慣れ親しんだアナウンサーの声がある日から急に変わり、内容も全く変わって戸惑うことも多く、また多少新鮮に感じることもあるのです。あまり好みでなかった番組が、いきなりアップテンポで軽妙な語りに変わっていたりすると、なんだかプレゼントをもらったような気になって嬉しいのです。
イメージ 9

ですがラジオというのは休日の一日かけっぱなしなので、同じ時間に同じ話題が展開するというのが体に染み付いていますから、それが変わることにはかなりの心理的な抵抗があります。そして慣れた頃に、それは数年のスパンになるのですが、またガラッと変わるわけで、年を重ねてくるとこんな期間で変わることすらストレスになるようです。若い時代はなんでもアップテンポで変化していなければ気が済まなかったのですけれど。

一時期、雑誌編集フリーランスの仕事をしていたこともあるのですが、連載物をゲットできたときには一安心し、これで数ヶ月は大丈夫、とりあえず1年は食いつなげる、と安堵するのです。そしてその期限が切れそうになるととても大きな喪失感を抱えることになっていました。

ラジオの番組によって、それはテレビでも雑誌でも芸能関連でもそうでしょうが、方針が変われば生まれる企画、ボツになる企画と明暗ははっきりしており、喜怒哀楽があるのは致し方ないことです。そうであっても物事には終わりがあると腹をくくっているつもりでも、精神的なダメージはぬぐいようもありません。

社会に、時代に必要とされる役割をその都度敏感に察知して、それに自分を合わせる努力が不可欠です。私としては今着いている職業で求められるものを処理できる力をどれだけ維持できるかが課題となるのですが、連載が終わりとなる番組の出演者たちの諦念が言葉の端々に聞こえているのは、背景を共有するものとしての感性なのかもしれません。


________________________




8、時計仕掛けのりんご
 「ショーケンも居なくなった」
  鈴木義延

ショーケン、萩原健二さんも居なくなってしまいました。邦画を彩った、私の好きな役者さん、タレントさんが一つ一つ消えていってしまいます。樹木希林さん、内田裕也さん、遡(さかのぼ)れば三船敏郎さん、原田芳雄さん、渥美清さん、高倉健さん、菅原文太さん、松田優作さん。私たち昭和世代のスターたち、現在でも輝く人たちはあまたいることでしょうが、世代的な共感とは全く別なところでただ存在しているだけです。それは悲しいほどに冷めた認識なのです。
イメージ 10

毎日たくさんの新しい命が誕生し続けているわけですから、その分この世界から退場してゆく人たちがいるのは当たり前ですけれど、自分がかつて無制限に愛情を注ぎ込んだ輝ける星たちが消えてゆく切なさは、なかなか言葉にしにくいニュアンスを持っています。自分の中の心の財産を失ってゆくような寂しさです。まあ愚痴ってもどうにもならない摂理ですけれど。漫画家の手塚治虫さん、思想家の鶴見俊輔さん、吉本隆明さん、小田実さん、三島由紀夫さん、歌手の美空ひばりさん、江利チエミさん、島倉千代子さん、映画監督黒澤明さん、鈴木清順さんなども心の財産でした。

ショーケンが一番焼き付いて来たのは最初テンプターズ、あのか細い声と一筋縄ではいかないキャラの危うさ。そして「傷だらけの天使」でのグデグデしたかっこよさ。「拝啓おふくろさん」での訥々とした語りの存在感。「いつかギラギラする日」では彼ならではのキャスティングに唸ってしまいました。内田裕也さんの「水のないプール」「10階のモスキート」「コミック雑誌なんかいらない」は裕也さんならではの物語で、彼の得意な存在感をもとに構想された作品だったと思います。

年末に好例として行われていたロックフェスは、裕也さんが面倒を見たという人たちのお礼奉公みたいなもので、その、くせのあるメンバーにある種の美意識の現実化を発見したものです。原田芳雄さんや松田優作さんもボーカリストとしてそのフェスに登場していたようです。
イメージ 11

時に滑稽でもあった人一倍な寂しがり屋ツッパリ老人、その穴埋めのように人の面倒を見たり、多彩な活動を試みて人々を煙に巻きながら、戦後の芸能界で手に入れた虚名を目一杯使い尽くした人生だったと思います。愛すべき、と形容したい茶目っ気があるがゆえに、潰されずにその長い時をハイテンションで過ごされました。ショーケンさん共々冥福を祈ります。


____________________________
宇都宮西ケ丘病院文芸部主催/ほぼ隔週UTIWAマガジン/「ホリデー西ケ丘」

●原稿募集のお知らせ

編集部では常時生活身辺雑記、お薦めお店情報、便利グッズの紹介、ポエム、短歌、俳句、川柳、エッセー、コラム、随筆、お知らせ、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園紹介、譲りますなど、まとまり無い原稿、自己アピールの原稿などを募集しております。窓口担当(3西/鈴木)までお送りください。メモ書き、メール、口頭、何でもOKです。

(注)掲載に関しては、当院職員、当院利用患者様、およびその家族。また一般市民に対して常識的なモラルを守ること。不利益にならない程度のプライバシー、個人情報の保護、業務上知り得る医療情報等の守秘義務厳守を条件としています。
_______________________________

開く コメント(0)

ホリデー西ケ丘 Vol.128

宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
半月刊UTIWAマガジン
「ホリデー西ケ丘」vol.128
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)


●夜明けのアヒル(編集部)

凍りつく朝も徐々にその回数を減らし、日中の日差しの暖かさに感謝しながら時を過ごす季節となりました。何か体を動かして活動したい気分になるのです。当院の山登り愛好家たちの活動も盛んです。これからはアウトドア趣味の人たちは様々なチャレンジで自然を楽しむことでしょう。

インドア志向の人もこの季節は快適です。暖房を止め窓を開け放ち、といっても花粉症の方はなかなか窓を全開!などは生理的にできないでしょうが、日差しだけはたっぷり取り込めそうです。日本の四季はめまぐるしく変わってゆきます。実に落ち着きなく変動し、小さなうねり大きなうねりと重なりながら、一つとして同じ1日はありません。

毎日、それぞれの日常は小さく違った出来事を重ね、積み上げ、削り、ひねり、ねじり、同じように見えた時間の意味を大きく変えて行きます。自分なりに納得のゆく過ごし方ができた人たちは幸いです。惰性で流される姿もそれなりに心地よいもの。当院で毎年咲き誇る桜の雄姿は、一年の時の意味をそれぞれに問うことでしょう。



ーーーーCONTENTSーーーー

1、ラーメンバトンタッチ
 「そばしょう」
  ラーメン倉光

2、スイーツは私にお任せ
 「パティスリーチヒロ」
  CoComama

3、BOOKセレクト
 「ウニはすごい、バッタもすごい」 本川達雄 著
 春夏秋冬

4、音楽の話
 「楽器のメンテナンス」
  アンサンブルYOSI

5、シネマフリーク
 「ペンタゴンペーパーズ」
  六花ビリー

6、私も一言
 「定食屋さん通い」
  さんざクロス

7、ボルダリングレポート
 「愛好家たち」
  炭酸まぐねしゅうむ

8、時計仕掛けのりんご
 「断捨離」
  鈴木義延


_________________________

1、ラーメンバトンタッチ
 「そばしょう」
  ラーメン倉光

鹿沼市にできた新しいお店です。新しいお店と言いますと、どこか以前商売をしていたお店を改装してのオープンということが多いのですが、この「そばしょう」さんは、いきなりオリジナル店舗を、それもかなり凝ったつくりの独特の雰囲気を持った建物を作ってのオープン、力が入っています。店内のレイアウトも新鮮な印象を受けました、お客さん同士が向き合っているため目があってしまうんです、ちょっと困りますけど。
イメージ 1

肝心のお味なんですが、いかにも丁寧な仕事ぶりが伺えます。女性に人気が出そうなラーメンと言えばいいのでしょうか、ヘルシータイプ、材料と手間にこだわったという感じの内容です。素直で研究熱心な作り手オーナーさんが想像されるのです。
イメージ 2

とにかく一度は賞味してみるのもいいでしょう、ニューウェーブなのかもしれません。私もだんだん古くなっているのかもしれないのです、こういう流れが多く見受けられるようになった現在の嗜好をみるたび思うのです。こってり好きの僕としては。

皆様も健康に気をつけてください。


_________________________

イメージ 10

2、スイーツは私にお任せ
 「パティスリーチヒロ、
  フランス菓子ジェラート、
  ファームデリー」
            CoComama

女性にとって一番のご馳走は何かと思い返してみれば、それは「おしゃべり」ということになるのかなと思います。気のあった友人と何気兼ねなく言いたい放題!そんな時間がとても大切なんです、できれば毎日数十分でもそのような時間が欲しいのですがそうもゆきません。
イメージ 3

追い立てられる日々の中でようやくおしゃべり相手の人と時間が合えたりすると、できるならそんな時間はおしゃれで美味しいスイーツのある場所!というのが私の描くイメージ。そういう時に選ぶのがこんなお店なんです。系列のお店なんでしょうね、イートインもテイクアウトもできますから一人の時も大丈夫。ファームデリーでは約20種類のヘルシーな野菜、惣菜を自由に選べます。宇都宮市の松原と清住にもあるんです。

ちょっと気取ってよそ行き気分、「自分へのご褒美」という、まるで根拠のない言い訳を用意して、ちょっと割高?というメニューを眺める複雑な気分!そんな心の揺れ動きを瞬時にかき消してくれるのが、目の前に区分けされた品々の絶妙な見た目とお味。今日も楽しくて美味しい時間をありがとう!、自分にOKサインを出すのでした。


_________________________

イメージ 11

3、BOOKセレクト
「ウニはすごい、バッタもすごい」 本川達雄 著
 春夏秋冬

本川達雄さんの書かれる生物の著書はとても楽しい読み物となっています。最初に手に取った「ゾウの時間ネズミの時間」はユニークな知的興奮に包まれてしまいました。どんな生物も同じ一生という重さを持って生きている、その時間は同じなのだという結論にはちょっと身震いしてしまいました。

とてもユーモラスな方で、以前お見かけしたNHK教育テレビの生物学での講義はほとんど笑いっぱなしのような講義でした。ご自身で作詞作曲した歌まで披露され、それがまた「生物学の核心」が凝縮したような詩なのです。歌を覚えるだけで勘所が伝わる!受験を控えた学生にはとても役にたったのではないでしょうか。
イメージ 4

この「ウニはすごい、バッタもすごい」は、多様な生物がなぜそのような形で機能を持って存在しているかを丹念に読み解いたお話です。生物のデザインに込められた創造主の企み。まさに目から鱗の膨大な知識の展開は、とても一度で読むにはもったいないと思わせる面白さと密度を持っています。私はいつも手持ちのバッグに入れておいて、何かの時間ができたときに断片を読みながら、一つ一つの生物に込められた膨大な知恵の集積にため息を漏らしながら味わうようにしています。一気に読んでしまうと惜しいのです。

ウニはどうしてあのような形で針を振り回しながら、美味しいその身を体内に保持しているのでしょうか。バッタはなぜあのような形をして生存競争に立ち向かっているのでしょうか。とにかく宇宙は、地球はあまりに変化に富んでおり、全てに適応できる生物は存在できないため、様々な環境、天敵、シチュエーションをくぐり抜ける実に多様な対策があるということ。そのアイデアを競い合いながら生き物たちは懸命に未来を目指して増殖を繰り返しているのです。

蟻一匹、ナメクジ一匹、地面の片隅の雑草の一本。そこにどれだけの知恵と戦略が込められているかを考え始めますともうじっとしていられなくなるくらい、全てが愛おしくなってくるのです。ほんと、生き物って謎に満ちてて素晴らしいですね。


_________________________


4、音楽の話
 「楽器のメンテナンス」
  アンサンブルYOSI

楽器というものはかなりメンテナンスに手をかけなければなりません。弦楽器であれば弦はその鋼性が劣化してしまいますし、可動部分の多い楽器は可動部ががたついたり劣化してしまいます。そのためメンテナンスは欠かせません。ピアノですと張った弦が緩んできたり、鍵盤を駆動するメカニズムは複雑ですので毎年調律しなければならなくなります。

管楽器は息を吹き込んで音を出しますが、そのため湿気が楽器を痛めてしまいます。その都度付着した水滴を除去したり微量なパウダーを塗布したりグリス類を塗ったりと、調整は欠かせません。

私は弦楽器は毎年正月にとりあえずアコースティックギター3台(マーチン、ギルド、ヤマハ)とエレキギター2台(フェンダー)の弦をまとめて交換します。面倒な作業はまとめてやったほうが効率がいいからです。弦は1年経てばもう伸びきってハリのある新鮮な音が出ません、錆も出てきます。
イメージ 5

ウッドベースやエレキベースは弦の値段がとても高いので数年に一度くらいになってしまいます、ウクレレは痛みが少ないのでこれも数年に一度になってしまうのです。

管楽器のメンテナンスは自分でやると組み立て後の調整で、隙間が広がったりずれが出てしまったりのトラブルを何度か経験しましたので、最近は業者、上野楽器に出すのですが、これがかなりいい値段がするのです。泣きたいくらい。

音に影響が出てしまわないように、日々の手入れは重要ですが、忙しい中でじっくりやるのはなかなか難しいのです。電子楽器はその点劣化が少ないのですが、一度故障してしまうとお手上げ、型も最新OSに対処しなければならないですし、インターフェイス類を常に更新しなくてはならないのが、これもかなりな金額になってしまうのです。

しかしそうやって適切にメンテを充実させていると、音楽活動はとても心地よくスムーズ。急なライブなどでもあわてなくて済むのが救いです。今年も「youtube」への作品作りや、あちこちイベントへの参加を物色するのです。


_________________________

5、シネマフリーク
 「ペンタゴンペーパーズ」
  六花ビリー

さすがすピリバーグ監督は地味なモチーフを、見るものをぐいぐいと引っ張りながら語り見せる勘所が冴えている。「権力は偽る」、そりゃあ国を司るということは裏も表もいろいろあるだろうとは想像できる。特に外交などは大義名分の裏で様々な駆け引きやえげつないどつきあいが行われながら進むことだろう。人間はもとよりそう綺麗事の存在ではなく、自分だけが、自分たちだけがいい思いをしたい!というような欲望の塊だ。力はあまりに巨大で偏在は治しようもない。
イメージ 6

盗聴に携わるCIA職員が、アメリカが国を挙げて他国の主要人物の会話を傍聴している事実を、証拠物件をもって世界に知らしめたのは最近のことだ。しかし結局どんな真実の漏洩も暴露も、その後の火消し作業が功を奏してか政権や政策に大きなダメージを与えることはできなかった。人々は忘れやすく飽きやすいのだ。トランプ政権がいつまでも傍若無人な力を維持している現状を見れば、その様が改めて確認できる。

この「ペンタゴンペーパーズ」という作品は、アメリカがベトナムに介入して自由主義陣営のテリトリーを確保するという合意が、第二次世界大戦後づっと歴代大統領の間で引き継がれ語られ記録されていたという文書を、スクープとして新聞社が掲載し告発する。大義名分とは全く違った論理によって戦争が継続されている事実を知った国民は政府に激しい抗議の声を上げるようになってゆく。

アメリカメディアの面目躍如といった内容なのだが、この物語の中だけでそれが終わってしまっているのではないかと想像したくなるほど、現在はそのペンが鈍ってしまったいるように感じてしまう。トランプ陣営の攻撃にしてやられている。

とにかくこの地味な攻防をサスペンス仕立てで練り上げる力がスピルバーグチームの力なのだろう、情報のターミナルになろうと多くの人間が支えている新聞は負の面もあるだろうが総合的には、社会の中でとても重要な存在であると思わせてくれる。


_________________________

イメージ 12

6、私も一言
 「定食屋さん通い」
  さんざクロス

独身時代はほとんど定食屋さんのお世話になりました。その後家庭料理でひと時代を過ごしてきたのですが、家族も皆それぞれの仕事や生活で離れていってしまうと、気がついたらまた一人で食事をする回数というのが増えてきました。そんなものでしょう。

一人の食事、流行りの言葉なら孤食。やる気があるならそれなりに何か作ったりするんです、自分だけなら気取る必要もないですからインスタントラーメンを鍋ごと食べるとか。まあそこまで過去には戻りませんけど。
イメージ 7

そこで外食産業のお世話になるんです。仕事帰りに帰り道にある「幸楽苑」「かつや」「吉野家」「すき家」「丸亀製麺」とかが帰り道にありますから利用回数も多くなるんです。でもこれも回数が重なっていくと飽きてくるんです、いつも同じ味ですから。「ガスト」や「宮ステーキ」のランチメニューとかも味が濃い分だけ飽きも早いんです。

そこで最近足が向くのが家庭料理系の定食屋さん。家の近くに「やよい軒」ができましたし、時には「とよさと食堂」まで足を伸ばして、帰り道をちょっと大きく回り込んだりしていくわけです。

これらの定食屋さんメニューの売りは「家庭料理」。つまり焼き魚、厚揚げだとかコロッケだとか味噌炒めだとかの地味な家庭料理。これが細かく一品料理としてありますから、ご飯と味噌汁にそれらをトレーにかき集めて自分なりの組み合わせを楽しむというわけです。

でもこれがなかなかいい値段がして、気がつくといつも1000円を超えてしまうんです。家で作れば300円くらいで済んでしまうような内容なのに。

でもいいんです、作る手間も片付ける手間もその中に入っているわけですから文句は言えません。お金が惜しければ自分で作ればいいだけの話ですから。

目の前でジュージュー音を立てて揚げたての天ぷらなんかを見てしまうとついお皿に載せてしまい、焼き魚の煙があれば、私もそれ一つ、と声をかけてしまうんです。結局食べきれないというときもあるんですけどこれが今の私のマイブーム、油揚げを焼くくらい簡単にできるはずをやらないのは、決して手間が億劫だからではないんです。


_________________________


7、ボルダリングレポート
 「愛好家たち」
  炭酸まぐねしゅうむ


クライミングがオリンピック種目なってから、ボルダリングがにわかにクローズアップされ、その注目度はそれ以前とは雲泥の差となった。それはそれで愛好家たちにとって嬉しいことには違いない、関連情報が常にメディアで伝えられ、マイナー競技でのスターは一躍国民的に認知されるまでになってきたからね。

そんな流れがあるのでそれ以後ジムを訪れるビギナーは引きも切らず、土日祭日には朝から満員盛況!常連客はそれゆえに土日は避けてジムトレに励んでいるんだ。住み分けというところ。それにしてもこれから始めてみたいと訪れる人の数は半端じゃあない。関係者はうれしい悲鳴を上げている、、、、ようでもない。
イメージ 8

日々の話題という場面で何度かニュースや地元のトピックといった軽い話題としてこの競技が取り上げられることは確かに増えたのだけど、それも一段落してきたみたい。かなり沈静化したように感じている。もともとそれほど派手な競技じゃあないのさ。

それなので何度か「初心者歓迎!」の看板につられて「入門パック(レンタルシューズと講習がセットになっている)」みたいなものを体験すると、そのほとんどがまず二度とは訪れることはないように見えてしまう。なんといっても「楽じゃあない」のがこの競技なのさ。

映像で他者がやっている姿を見ると、皆軽々壁を登っていけるように見えるんだけど、実際やってみると体というのはそれほど軽くはできていないし、腕の力も思った以上に弱いもの。すぐに疲労と手のひらの痛みにアプローチができなくなってしまうのさ。

もっと軽々軽快にできると思っていた人たちはまず現実の自分が目に入ってしまうわけね。「なんて重たい体なんだ、なんて非力な腕や指の力なんだ」と。それに指先が痛い、足先が痛い、なんて苦痛ばかりなんだとめげてしまう。だいたい始めて30分くらいでその辺りに気がついてへたり込んでしまうのさ。

それはそれでまず入口だから構わないのだけど、さてそれからどうするかといえば、これを克服して次なるステップに進むため弱点補強のトレーニングに励もう!というタイプは、かなり割合として少ないのだろうと思う。人は苦痛なことはあまり好きじゃあないのさ。高いところに登れば怖いし落ちれば痛いしね。どれ一つをとってみても対策がすぐに身を結ぶなんてことはない世界さ、つまり地味な筋力トレーニング以外にこの状況を変える手段は見つからない。

それなので関係者は、どのような対策を立てて実行すれば、興味を持って集まってくるこの膨大な体験層を、より恒常的なプレーヤーとして確保できるかと頭を悩ますことになる。そこで講習の仕方を変えたり、競技の進め方や楽しみ方を、より分かりやすく魅力的に伝えるメニューを工夫したりしている。

そのようなアプローチを眺めながら、なんとなくおいらも自分のことなどを省みてみると、もしボルダリングをやっていなかったら何をやっていたかというと、まず必ず別な何かをやっていただろうと確信している。それは他のスポーツ競技だったり別な活動だったりしただろう。

合気道とか歌舞伎なんかも機会があったら入り込みたいとは思ってはいたのさ。だけど人生は有限、いろいろ環境や利用施設の日常的利便性などを物色してたどり着いたのが、まあ結果的にボルダリングだったわけ。一つを選べば他はきっぱり諦めなければならないのさ。

そういう継続的に何かの活動に入れ込んでいる人の絶対数はほとんど一定で、入門プログラム内容云々でどうにかなるものではないと思う。だから利用者をより多く獲得したいと思うなら、その少ない継続的な活動を自発的にしている人たち、つまり常連をいかにつなぎとめておくか、そして他の施設の常連をいかにその施設に引っ張り込むかの魅力的課題や環境作りをする以外にないんじゃないかと思うのさ。

一度は体験してみたい人たちはたくさんいるし、一つの経験として味わうのはそれなりに楽しい。だけどそういう人はどんどん話題性のある何かに移っていくだろうし、それを引き止める理由はどこにもないからね。趣味の世界は自発的に動くもので支えられている。それなりの受け皿はこれからも必要になるだろうから、ぜひその辺りは整備しておいて欲しいもの。簡単に手に入るものは簡単に手放してしまうのが人の常なのさ。


_________________________



8、時計仕掛けのりんご
 「断捨離」
  鈴木義延


3月年度末などというと、どこか身辺整理をしなくてはならないような気になるものです。ちょうど自宅の一部を改修しなくてはならなくなり、これを機会に流行りの「断捨離」、これってやりだすとなかなか止まらなくなる魔力を持っているのです。

ある時には絶対必要だと思って抱え込んでいる色々なもの。それも10年とかの時間が過ぎて眺めてみれば全くの無用の長物。しかしなかなかこれらが処分できずにいたんです。そういう曖昧なものをきっぱり見切りをつけて処分する。そんなきっかけにはなったんです。

でもこれが、まるで身を切られるように切ないものでもあるんですね。一つ一つに様々な思い出が張り付いていて。などという感傷にふけっていると我がパートナーはばっさり捨ててしまうのですが、これら物に関しては性差が如実に出てくるような気がします。
イメージ 9

それにしても、これもいらないあれもいらない、これは汚れていなくともゴミ!という目で見始めると、結局全ていらないんじゃないかと思いたくなるほどの実用性のないものばかり。仕方ないです、趣味のアイテムですからね。興味のない人にとっては全く何の感慨も起こさないことでしょう。

この作業をやり始めたら休日は朝から夕方までかかりきり。全く終わりが見えないんです。どこで線を引いていいかわからないほどエンドレスな要不要の判定。気がついたら裸一貫になってしまうのではないかという恐怖すら感じ始めました。まるで自分の人生経路全てが否定されているような喪失感。「俺って一体なんだったの?」と、アイデンティティーまで揺らいでくる寂しさがあります。

そうであっても限られた生活空間を快適に回復するためには、ひたすら「捨てる!」「捨てる」「捨てる」!!!!!!!!

「断捨離」とか「終活」とかわかってはいるんですが、日本国が終戦から回復発展する時代に人生を丸ごと過ごしてきた昭和、戦後世代たちは、終身雇用の成長、無限発展、拡大にマインドセットされていますから、「折り返し地点をとうに過ぎて下り坂」という自覚をちゃんと受け入れてはいないんですね。それは心理の中で抑圧されており、なかなか意識に上らない構図になっているのです。

なかなかあるべき自分の姿を直視できないのだと。たくさんの嘘と幻想を自分に言い聞かせようと無理を重ねている姿勢が鏡に映っています。

と愚痴りながら休日はまた、倉庫の中身を全て引っ張り出し、種々選択、断腸の思いで諦めの時間を過ごすとしましょう。



____________________________
宇都宮西ケ丘病院文芸部主催/ほぼ隔週UTIWAマガジン/「ホリデー西ケ丘」

●原稿募集のお知らせ

編集部では常時生活身辺雑記、お薦めお店情報、便利グッズの紹介、ポエム、短歌、俳句、川柳、エッセー、コラム、随筆、お知らせ、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園紹介、譲りますなど、まとまり無い原稿、自己アピールの原稿などを募集しております。窓口担当(3西/鈴木)までお送りください。メモ書き、メール、口頭、何でもOKです。

(注)掲載に関しては、当院職員、当院利用患者様、およびその家族。また一般市民に対して常識的なモラルを守ること。不利益にならない程度のプライバシー、個人情報の保護、業務上知り得る医療情報等の守秘義務厳守を条件としています。
_______________________________

開く コメント(0)

宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
半月刊UTIWAマガジン
「ホリデー西ケ丘」vol.127
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)


●夜明けのアヒル(編集部)
 「パルコ撤退」

2019年2月2日下野新聞一面トップに、宇都宮市中心で商業施設のシンボルである「パルコ」が撤退するとの記事が掲載されました。この半年前ほどから、各フロアーのテナントがどんどん抜けていて、店舗内の雰囲気が様変わりしていることに利用客は違和感を感じており、このような発表を予感していたとも言えます。そんな噂話は1年ほど前から半信半疑でささやかれていたのです。

1997年3月にオープンした頃はまだ中心街にはある程度の集客力はありました。それも1970年代、80年代を知る人たちにとっては別次元の密度ではあったのです。街の発展と人の流れというものは、そう簡単にコントロールできるものではないということをいつも思い知るのですが、一度人々が離れてしまうと、元に戻そうとするプランが功をそうすることはあまりありません。

ある時期、ある場所に人が自然に集まってくるという現象は、とてもたくさんの条件が奇跡的に重なった結果であるわけで、その一つ一つは簡単に復元できるものではないのでしょう。人間の行動というものはわかったようでわからないもの。街を計画的に作り出そうとする人たちの苦労がしのばれます。2022年、LRTの導入は、この街をどのように変えてしまうのでしょうか、楽しみです。



ーーーーCONTENTSーーーー

1、イベント
 「鞍掛山登山」
  クライマーズクラブ

2、ラーメンバトンタッチ
 「こころ」
  ラーメン倉光

3、シネマフリーク
 「バトルエンジェル:アニータ」
  六花ビリー

4、音楽の話
 「ジャズボーカルセミナー発表会」
  アンサンブルYOSI

5、ボルダリングレポート
 「地味トレの報酬」
  炭酸まぐねしゅうむ

6、時計仕掛けのりんご
 「家庭内DVが止まらない」
  鈴木義延



________________________________

イメージ 8

1、イベント
 「鞍掛山登山」
  クライマーズクラブ

二月下旬、当院クライマーズクラブ冬山軽登山、今回はH先生のホームグラウンドである宇都宮市森林公園北の鞍掛山です。朝9時に森林公園駐車場に集合、この駐車場は朝早くから古賀志山に登るグループが出発する場所なのでいっぱいになっていました。お見受けする年代は60才以上と思われる方ばかり、つまり私たちと同年代なのです。
イメージ 1

当日は晴れてはいるもののまだ風は冷たく、雨具の用意はしませんでしたが、山の天候に急変は付きもの、油断大敵です。気を引き締めて出発前は十分なストレッチと準備体操を行いました。

近郊の低山とは言っても最初からかなりな急勾配を登ってゆきます。今回のチームリーダー、隊長はH先生ですので、先生の誘導に従い、普段はあまり登山客の利用が少ないコースが選ばれました。

高度が上がるにつれ徐々に視界が広がり、宇都宮市内や近郊の古賀志山、篠井連山の輪郭が目に入ってきます。今回の参加者は5名、男性4人に女性1名で、前回参加した沖縄出身のMさんの健脚は健在、息の乱れもなくひたすらおしゃべりしながらの登山は基礎体力の強さがうかがえるものでした。
イメージ 2

ちょうど昼時に山頂にたどり着き、用意した食料がより美味しく感じる時間です。登山はこの瞬間が一番楽しみで、あとは下るだけ、と思うと気が楽になるのです。

近郊の山ですと時間のロスがないですから、下山後の時間を有効に使えるのが嬉しいところ。下山後は温泉組と古賀志山のロッククライミング、リードクライミングを見学に行くグループに分かれて行動しました。リードクライミングでは若い人たちのグループだけではなく、むしろ年配者のグループの多さが目につきました。高齢女性が軽快に岩を登ってゆく姿は驚きとともにとても美しかったです。


________________________________

2、ラーメンバトンタッチ
 「こころ」
  ラーメン倉光

宇都宮市内で食べられる白河ラーメンはどこ?という要望があったと思うのですが、僕の知っている宇都宮市内の白河ラーメンに「こころ」があります。環状線の内側なので宇都宮市内の方は比較的近い場所なんじゃないですか。
イメージ 3

内容はいかにも白河ラーメンで、醤油ベースのさっぱりとしたラーメンです。ただ僕はこってり系のラーメンい慣れてしまっているのでちょっと物足りなさも感じたのですが、チャーシューはとても美味しかったです。ワンタンも美味しくいただきました。

車の止める広さが少ないのですぐにいっぱいになってしまい、お昼には行列ができてしまうので、利用するには時間を選ばなければなりません。夕方など比較的空いていたようにも思います。また行ってみます。


________________________________

3、シネマフリーク
 「アニータ」
  シネマ二郎

「バトルエンジェル:アニータ」。ネット上では半年も前から前宣伝されていた作品です。原作となっているのは日本のコミックで、そこにあるキャラクターや世界観が映画作品として実写化されました。

士郎正宗さんの「攻殻機動隊」「アップルシード」も実写版として作られましたし、その出来の良さに感動もしたのです。なかなか力が入っているな、よく読み込んでいるな、出し惜しみせずクリエーターたちをフルに投入しているなと思わせる内容で、とても満足していたのです。
イメージ 4

そんな流れの中で、「タイタニック」「アバター」を監督した巨匠ジェームスキャメロンが製作しているとなれば期待値はうなぎのぼり。公開されるやいなや朝一番で見てきました、大変満足です。

本当は3Dで見たかったのですが、劇場体験版となると料金は2500円(内100円はメガネ代)、2Dのシニア料金ですと1100ですから、今回3Dは見送りました。ポップコーンやコーラとホットドッグも買わなければいけませんからね。そうするとなかなかの出費になってしまうのです。

それにしてもCGの進化は止まりません。肌の柔らかさ、ウェット感などとてもよく出来上がっていて、デズニー映画で初めてお目にかかったフルCGアニメ「トロン」の時代とはもう全くの超別世界。労力を惜しげも無く注ぎ込めば、この世の想像するあらゆる事物をリアルに描き切ることができてしまうと思わせるのです。それはジェラシックパークなどでも実証済みです。

表情の豊かさ、モーションキャプチャーはより細部の動きまでを再現する別物に進化。顔の表情の微妙な動きを立体的にトレースしてアバターに反映する新しい技術が導入されています。これが作り物とは到底思えないほどの生々しさを描けるようになっていました。作品世界内はもう荒唐無稽の漫画ワールド、辻褄合わせなど必要ないのです。画面の躍動感をたっぷり味わって、大変満足な2時間でした。DVDになったら何度も鑑賞することでしょう。


________________________________

4、音楽の話
 「ジャズボーカルセミナー発表会」
  アンサンブルYOSI


4ヶ月にわたって続いた「ジャズボーカルセミナー」。ようやくその講習が終わって、晴れてその成果をみなさまに聴いていただく発表会が2月の下旬に行われました。「ジャズの街宇都宮」推進委員会が毎年開催するジャズ関連の行事、かれこれ20年以上続いている取り組みの成果は、このような形で毎回市民に還元されるのです。

昨年の市民対象ジャズセミナーはビッグバンドの講習会で、私はフルートで参加し、6曲ほどの演奏に加わらせていただきました。それはそれでとても楽しかったです。久々の合奏は心地よい緊張感に包まれ、必死に譜面を追いながら、他の奏者の音に包まれながら自分のパートを奏でる心地よさに酔っていました。

今回の「ジャズボーカルセミナー」はプロのジャズバンドをバックに迎え、彼らに支えられながらボーカルを披露するというものです。セミナーに参加した一人一人が順番に聴衆の前で歌うわけで、合奏とはいうもののそのプレッシャーはなかなかでした。今回私の持ち歌はボサノバの名曲「Day by day」です。

ジャズボーカルは他のポップスとは発想がかなり違っています。そのところを身につけるための講習だったのですが、私はその「ジャズボーカル」というものの本質を、形と知識としては享受したのですが、最後の発表会の演奏の中ではうまく表現できませんでした。ジャズボーカルのキモ!ともいうべき「フェイク」がうまくこなせなかったのです。

フェイクというのはアドリブの事。歌のオリジナル旋律を尊重しながら、自分なりに変形させ、即興としての魅力をバックミュージシャンたちが奏でる旋律に絡ませたりしながら歌う事です。そんな高度な課題は簡単に身につくものではなく、当然私も歌っている最中に自然に出てくるようなことはなく、結局オリジナルメロディーからほとんど浮遊できないまま終わってしまいました。

とにかく難しい課題でした。お風呂で鼻歌でやっている時にはいくらでも旋律をいじれるものですが、そんなラックスした状態をライブの場で再現するには、途方も無い力を必要とするのです。今後の課題にしたいと思います。自由にスキャットなどできれば楽しいですから。
イメージ 5

発表会ミニコンサートの最後はゲストミュージシャンや講師の松岡先生のジャズナンバーをたっぷり楽しむことができました。得難い経験をありがとうございます。これからはまた日常に戻ってテナーサックスでのジャズトレーニングを中心に活動してゆくのです。

早くソロを吹けるようになりたいです。ようやくその輪郭が少しだけ見えてきているのですが、それでもまだマラソンランナーが号令とともに今走り出したような状態。人生という限られた時間は無限ではありません、自分が健在のうちに辿り着けるでしょうか。それでも目的の地を辿る旅は中途で途絶えても後悔することはないでしょう。


________________________________



5、ボルダリングレポート
 「地味トレの報酬」
  炭酸まぐねしゅうむ


長い低迷が続く、なんていつものことなので今更なんだけど、それにしても同じ課題で二進も三進もいかない、という状態が続くと、さすがにややめげるね、もはやここまでかなと弱気になっちまう。

そんな時は自分がとりあえず得意としている課題を何度も登って、よりスムーズな体の動きを意識しながら現状維持に目を向ける。とにかく動き続けるんだ!と言い聞かせながら、無為とか怠惰に流れようとする気持ちを引き締めたりしている。だからどうだというわけじゃあないんだけど。

スポーツをやっていると必ず何度もこんな状態になってくる。自分の限界が目の前に立ち現れてくるのさ。いくら一生懸命走っても10秒のタイムにはコンマ一つも近づかない!ってね。そう簡単に、トライするたびタイムが縮んでいくなんてことがあるはずないとは思いつつ、あまり変化のない状況に苛立ったりするのは仕方ないことだろう。出口なし!進歩なし!
イメージ 6

それにしても常に人は進歩しなけりゃあいけないなんて一体誰が責めているというわけ?いいじゃん、今のままで、何にも変わらず同じ毎日を繰り返していたって何が悪いっていう?というのは自分の中から時折聞こえる小さな声なんだけど、分かっちゃいるのさ、それじゃあ「つまらない」ってことが。

この、何もかもがうまくいかず、身の周りには思いとおりに行くことなんかひとつもない頑固な日常で、それでも張りとウキウキ感を保つためには、小さなチャレンジ、昨日までなかったものを小さくとも一つでも見つけたり手に入れたりすることができれば、それがもたらす小さな興奮は何にも代え難い喜びを与えてくれるものなのだということは知っているわけ。

そんな風に何十年も生きてきたわけだから、その辺のネジの巻き方はよく身についているのさ。これは変わりようのない自分の暮らし方なんだよ。誰に強制されたわけでもないし、無理をしてやっているやり方でもない。皆と同じということは下手なんだけど、自分が嫌とい事を自分に押し付けることはしないし、何が自分は心地よく感じるかは分かっている。誰でもそうだろう。

それがね、昨日の練習の時、今までどうにも手に負えなかった課題が二つ、いきなりクリアできたのさ。今までどうしても届かなかった次のホールドが、なんだかやけに近くに感じて、手を伸ばしてみたらたやすく捕まえられた。そしたらすぐにゴールが目の前に飛び込んできてそれをしっかりと捕まえた。それが1日に二度も起きたんで気を良くして、その日はその瞬間を何度も脳裏に蘇らせながら眠りについた、とても幸福な気分だった。

ほんの時折そんなことが起きる、だから明日も続けるんだ。その、とっても少ない幸福な瞬間を捕まえるために。その瞬間の興奮!一粒あれば1年はやっていけるくらいの重さがあるのさ。



________________________________



6、時計仕掛けのりんご
 「家庭内DVが止まらない」
  鈴木義延


家族が子供を虐待して命を奪ってしまう、そんな悲惨な出来事が連日のように報じられています。統計によればその数が増していると、まるでそのような事態が加速しているというように伝えられています。数字はどこまで現実を映し出しているのでしょうか。

子供たちの発する救助信号を大人たちが見落としている、その反省が多く聞かれます。子供達を守るべき公的機関が十分にその役割を果たしていない、システムが上手く機能していない、そして子供たちが犠牲になってしまう、悲痛な叫びが繰り返されてしまいます。

個々の家庭の中に他者が、公的機関がどれだけ介入し干渉することができるのか。どんな権限を持って、どんな法的根拠を持って家族のあり方を指南できるのか。それが不十分なのだとメディアに登場するコメンテーターや識者は語っています。

それにしても加害者である親たち。なぜ彼らは最も守らなければならない自分の子供に暴力を振るってしまうのでしょうか、そこが全く解せないところです。一番可愛い盛りの幼い命がなぜ加虐の対象になってしまうのか、その異常な姿を単に加害者の生育歴、当人もまたそんな環境の中で育ったなどという理由だけでは納得はできません。何か別な、もっと深い毒がその周辺に埋もれている気がしてしまうのです。

家庭という密室では一般常識や他者の目というものがありません、そのため反抗できない人格を攻撃するには歯止めが効かないのです。反抗できない人格とは子供であったり女性であったりするのですが、一般社会では普通の人格を装っている男たちをそんな攻撃に駆り立てる理由はなんなのでしょう。

ストレスの発散?自分が実社会で受けている不快な出来事を弱いものに投影することで軽減しようとする行為?支配欲?全能感の担保?でもそれがなぜ本来庇護し愛情を注ぐべき自分の子供なのでしょう、腑に落ちないことだらけです。しつけという言い訳は誰に対して何のために語る言葉なのでしょうか。

被害者を早期に発見し保護し守るというシステムは徐々に整備されてきているようですが、加害者に対するアプローチはあまり聞いたことがありません。加害者が生まれてしまう背景、原因、素質、経緯に他者がブレーキをかけるような役割をする仕組みはないのでしょうか、ごく普通の人格に見えた男たち女たちがモンスターに変わる前に、信号を察知して対処するのは不可能なのでしょうか。

アンガーマネジメントという概念が最近クローズアップされています。それは理不尽な対応を受けたりしてうまれる怒りや攻撃的になる不快な感情を自覚的にコントロールする技術で、多くは時間をおいて冷静さを取り戻しながら対処するという内容になっています。

なぜ直接的な対応にならないようにするかといえば、端的に「不利益」であるからです。その場で発散した攻撃的感情は、時間が経過した後は必ず別な種類の報復を招き、トータルで何の利益ももたらさない現実を直視しようということです。「金持喧嘩せず」ではないですが、怒りの感情がもたらすものは愚かさの証明でしかなく、いいものは、そして利益はないと先人たちは語るのです。
イメージ 7

それでも「怒り」は日常的に簡単に生まれます。生まれるということは人間の生存戦略においてそれが必要であるからでしょう。自分の中に常に生まれる攻撃的感情をどう処理することが個人や集団の成長になるのか、常に試されながら人は生きているのです。そしてそれをうまくコントロールできた人や組織はきっと何らかの報酬を有形無形に受け取ることでしょう。人間社会で生き延びるために、そのトレーニングは必要不可欠な技術であり能力であるのです。

  *  *  *  *

しかし「我が子を虐待する親」には、そんな損得や人間的成長などという言葉は入り込めません。サディズム的、邪悪な欲望が無力な対象を物色して加虐な欲望を満たそうとするのです。そしてそれは麻薬のように慢性化し、刺激を徐々に高めエスカレートする傾向にあるようです。それが外部に発覚するときはもはや手遅れというのが悲しい現実です。

人間というものは時に理解不能な行動に駆り立てられることがあります、いくつかの条件が重なると全く別な行動に駆り立てられることがあるのです。それは戦争のような巨大なストレスではより顕著に表れるでしょうが、この平和で豊かな日常でもそれは変わりません。ですので誰でも自分の中に制御を超えた得体の知れない悪魔が眠っている、そのことにもっと注意を喚起しておく必要があるのではないでしょうか。

愛、夢、希望、連帯、友情、思いやりと、ポジティブな感情は広く流布され、賞賛され促進され広がってゆきます。それと同じくらい私たちは人間の持つ負の側面に光を当て、もっと自覚的に個人を、集団を、組織を観察しスクリーニングし、負の連鎖が始まる兆候をしっかり捉えておく。そんな取り組みが必要だと思うのです。

ポジティブな働きかけを育てると同時に、他者や集団の中に生まれるネガティブなエネルギーの発露を正確に対象化し、観察し、意図的に最小化してゆくこと。東日本大震災で原子力発電所が爆発事故を起こした頃にクローアップされた「失敗学」的発想を、人間の心理に応用してみたいところです。

とにかく対症療法だけでは子供達を守れないという気がしてなりません。生まれた命は親だけのものではないのですから。



____________________________
宇都宮西ケ丘病院文芸部主催/ほぼ隔週UTIWAマガジン/「ホリデー西ケ丘」

●原稿募集のお知らせ

編集部では常時生活身辺雑記、お薦めお店情報、便利グッズの紹介、ポエム、短歌、俳句、川柳、エッセー、コラム、随筆、お知らせ、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園紹介、譲りますなど、まとまり無い原稿、自己アピールの原稿などを募集しております。窓口担当(3西/鈴木)までお送りください。メモ書き、メール、口頭、何でもOKです。

(注)掲載に関しては、当院職員、当院利用患者様、およびその家族。また一般市民に対して常識的なモラルを守ること。不利益にならない程度のプライバシー、個人情報の保護、業務上知り得る医療情報等の守秘義務厳守を条件としています。
_______________________________

開く コメント(0)

ホリデー西ケ丘 Vol.126

宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
半月刊UTIWAマガジン
「ホリデー西ケ丘」vol.126
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)


●夜明けのアヒル(編集部)
仕事に限らず、人と人が何かの共同作業をしたり思いを交わす際に、常に感じるのは「温度差」です。優先順位と言い換えてもいいのですが、仕事の位置付けにしても趣味の選択にしても、同じ位置付けで考えたり好感を持ったりすることはないことでしょう。長年連れ添ったパートナーといえど、そのあたりは変わるはずもなく、ただ慣れによる共感はあるかも知れませんが。

人は他者に接近する時、最大限センサーの感度をあげて、他者との共通項の有無、相違点の洗い出し、共有する事柄の必要性や緊急性の程度を、さりげなく、そして素早く観察し判定するものです。そしていくつかの共通点、相違点を発見し点検しながら総合的な方針を、その他者に対しての距離を設定し、身振り手振りから感情、言葉の抑揚などをさりげなく制御するのです。

そんな、人間観察の感度を上げてのすり合わせはエネルギーを使いますからそう長くは続かず、ある程度のサンプリングを行うと比較的安易に結論を出し対応を決定するのです。そして観察できなかった他の共通点、相違点を憶測で埋めるわけですがそこでいつも失敗します。あれを見落としていた、これを過小評価していたと。だいたいが感情の齟齬など痛い目にあってから学習するのです、他者との心の温度差を。


ーーーーCONTENTSーーーー

1、ラーメンバトンタッチ
 「たけみや」
  ラーメン倉光

2、スイーツは私にお任せ
 「ゴンチャにはまってます」
  CoComama

3、私も一言
 「首都移転はどうなった?」
  ドッグラン五月女

4、私も一言
 「卒婚」
  春夏秋冬

5、音楽の話
 「ジャズスポット近代人」
  アンサンブルYOSI

6、私も一言
 「宇都宮餃子新事情」
  さんざクロス

7、ボルダリングレポート
 「チッピングという行為」
  炭酸まぐねしゅうむ

8、シネマフリーク
 「ミュージカル映画」
  スマイリー一男

9、時計仕掛けのりんご
 「世代」
  鈴木義延


____________

イメージ 3
1、ラーメンバトンタッチ
 「たけみや」
  ラーメン倉光

大谷街道です、自宅の近くなのでいきなりチェック、ご主人お一人で店を切り盛りされていて、人気が出てしまうとこういうお店は食べるまでに時間がかかりますから、ちょっと心配です。オーダーと作るのと片ずけを一人でされるわけですから効率よくはできないのです。新作系のお店はそういう、お一人で挑戦されていることが多く見受けられます。
イメージ 4

お味なのですが、当然後攻めですから色々工夫されているわけで、ワンタン麺850円醤油味、いただきました。あと塩味も人気があるようです。ちょっと変わった味付けでした、麺や具は普通という印象です。僕にとってはもう少し濃厚が好みです。とりあえず新店情報は片端から賞味してゆくのです。

鹿沼市近辺にも出店ラッシュ、新しい味に出会うと嬉しくなります、ついはしごしてしまうんですよ。


____________

イメージ 2
2、スイーツは私にお任せ
 「ゴンチャにはまってます」
  CoComama

ゴンチャとは台湾茶のことです。これがこれが、美味しいんです!といっても栃木県にはまだそのティーカフェ、販売店はなく首都圏で展開されているお茶どころなんですけど。早く宇都宮にお進出してほしいお店、わざわざ都内に出ないと賞味できないなんて。
イメージ 5

私の好みはブラックミルクティーにタピオカを入れたもの。もう絶品!ほんと一度飲んだらわざわざそのためにまた都内に行きたくなるほどの魅力があるんです。美味しいですよ〜。そのうちもっと一般的になってそれぞれの家庭でも飲める時代がいつか来るかもしれません。コーヒー、紅茶のように。


____________


3、私も一言
 「首都移転はどうなった?」
  ドッグラン五月女

時折思い出すのです、首都移転という幻の計画。一時期騒いでいましたよね、栃木県では那須地域が候補に挙がっていて、他にも藤岡の遊水池を潰して空港にしてとか色々。膨大な経費がその借り実現のためプラン作りに費やされ研究されたはずなのですが、今や噂にもなりません。それよりオリンピックに向けてさらなる大改造、建設ラッシュでより過密によりハイテクにと東京集中は加速しています。
イメージ 6

東海沖地震の危機はもう解決してしまったのでしょうか、関東大震災の記憶は過去のもので、もはや問題にしなくてもいい出来事に分類されてしまったようです。首都機能移転云々でいかにもその手の関連業界が潤ったことでしょう、結果何も残ることはありませんでしたけれど。知的な遊び?だったんでしょうね。

私の今年最大の関心ごとは、いかにしてオリンピック競技の観戦チケットを手に入れるかということなんです。もう今年じゃなければ手に入る可能性はないような気がして、いろいろなチャンネル、コネクションを探してみようと思っているのです。きっと誰もが狙っていますから簡単には行きそうにありません。今更ボランティアも入り込めそうにもないですし、厳しい状況になるでしょう。


____________


4、私も一言
 「卒婚」
  春夏秋冬

かつての貴乃花親方が、最近の報道の中で、ご自身の奥様との関係を「卒婚」すると話されていました、私としてはあまり聞きなれない単語でしたので耳をそばだててしまったのです。
イメージ 7

もうお互いを必要としなくなったから、夫婦として家庭を維持する必要がなくなったから卒業するというのです。私の考え方が古いのかもしれませんが、夫婦関係って、主な役割が終われば契約期間切れというように、「ではこれで終了、さようなら」というようなもの?なのでしょうか。ええ?そうなんですか?

若いアイドルの方々が「AKBを卒業」などと、その活動の終わりを報告する等のもなんだか通例になっているようですけど、これも「賞味期限切れで新人入れるから、余った人は首!」というシビアな現実をただオブラートに包んだだけで、私の嫌いな言い回しです。嫌味なすり替え。

卒婚という言葉もなんだか同じニュアンスがあって嫌だな。貴乃花さんは一体何を言いたいのかよくわかりません。離婚であるなら単に離婚でいいと思います。嫌いになったわけじゃないんだよなどと取り繕わなくても元は他人、卒業するのではなくてただ終わっただけなんじゃないですか。それで何かプライドが傷ついてしまうのでしょうか。よくわかりません。


____________


5、音楽の話
 「ジャズスポット近代人」
  アンサンブルYOSI

宇都宮のジャズライブハウスといえば「近代人」、開設してもう45年になる名門ジャズスポットです。ジャズが聴きたければナベサダなどを育てた「近代人」というのは地元市民の通説で、長く宇都宮市ジャズシーンを支えてきた場所なのです。手が触れるくらい近くで奏でられるスタンダードナンバーの数々、いつもアットホームな雰囲気でジャズが楽しめる場所です。

それなのでジャズをかじり始めた人はその場所にあしげく通うことになるのですが、いつか自分もここであんなふうに参加できたらと、楽器を志す人たちは一握りの夢を抱きながらその音の展開に耳をそばだてます。ボーカルのフェイク、ピアノの装飾、サックスのフレーズ、ドラムの合いの手。なんとかあのフィーリングを手に入れたい、そうして日々の練習に力が入るのです。「近代人」、そこは憧れの舞台。他のライブハウスとは一線を画した特別な店と言えるでしょう。
イメージ 8

そう思いながら2年前にジャズフルートをはじめ、サックスは半年前にスタートし、ジャズボーカルはようやく3ヶ月目となりました。実に遅いジャズアプローチなのですが、先日ジャズボーカルを指導してくださる松岡美代子先生の、近代人でのライブにお伺いしたのです。ピアノ、サックス、ベースとボーカルとの組み合わせで3時間にわたるボーカルと演奏を堪能しました。

そしてライブも最後となる時間の余興として、そこに集う何人かがそのバンドをバックに1曲づつ歌うことになりました。私も松岡先生の生徒として指名されたため、初めて憧れの「近代人」で、稚拙ながら皆様の前でボーカルを披露することになりました、曲は「Day by day」です。

いつもは自前のギターで弾き語り練習していたので、他の人の奏でるバック演奏は全く勝手が違い、特に小節の頭をとるのに四苦八苦。ジャズのリズムはロックで慣れた私のビート感とは全く違いますからとても戸惑ったのです。メロディーとメロディーの流れからリズムを探り当てるといった感性はまだ未熟なので、必死で足でリズムを取ろうとしたのです。途中かなりずれてしまったのではないかとは思いつつ、あっという間にその数分の演奏は終わりました。

とりあえず、状況はどうであれ、なんとかこの名門ジャズクラブ「近代人」のステージで歌うことができたことは、私の今年のエポックです。記念日にしておこうかと密かにカレンダーに丸印を記しました、楽しかったです。これからも引き続きジャズへのアプローチ、地味な練習を怠らず研鑽に励もうと気持ちを新たにしました。

そしていつかはサックスとフルートでその演奏に加わろうと志しているのです。


____________


6、私も一言
 「宇都宮餃子新事情」
  さんざクロス

宇都宮市民としては、餃子といえばいうまでもなく「まさし」「みんみん」「幸楽」だけあれば、「他に何があるっちゅうねん!」と、声を荒げて、とってつけたブームに乗っかろうとして生まれたその他大勢を排除しておきたいところ。宇都宮っ子ソウルフードは普遍なのです。
イメージ 9

雨後の筍的新作餃子にはそんな力はないといえますね。そりゃあ研究を重ねた特殊な一品もあるかもしれませんが、長い年月に定着し磨かれた地元の名店とそれらとは別です。私など半世紀も昔から地元の餃子を、ライスなしの焼ダブル水ダブルで食べてました。それが宇都宮市民というものなんです。日本一とかなんとかは後から取ってつけた話、そんな評判以前からの餃子愛好なんです。

市役所職員の発案が功を奏して宇都宮餃子が全国的な市民権を得ることになったのはまだ新しい出来事。そして「みんみん」代表の方が「宇都宮餃子会」の会長となりました。餃子会の活動としてマップを作成、新店と古参の色分けをしたり、二荒山前の開発に反対したりの、なんだか畑違いの活動にも力を入れたりしていたようです。

急激に拡大した知名度に合わせ来訪客も急増し、どこの「みんみん」「まさし」「幸楽」も休日には観光客で長蛇の列という有様。地元の人たちは「それほど並んでまで食べるものなの?」という冷ややかな視線を送っていたものです。美味しいには違いないのですが、もっと日常的な付き合いをするアイテムであるのです。情報に振り回される滑稽さが際立ちます。

ところでトライアルの脇に以前「みんみん」がありました。昔からのお弟子さんの店だったのです。餃子を引き立てるラーメンが特徴で、この店だけそんなメニューがあったのです。そのお店がみんみんの系列から離れ、「笑平」という名で独自路線を取り始めてからそれほどの時が過ぎていません、2〜3年ですかね。その間研究を重ねたのかどうかよくわかりませんが、とにかく進化しているのです。餃子が。

みんみんの餃子をベースに工夫したのかもしれません、なんだか最近わたし的にはこの餃子が一番美味しく感じるのです。一緒に販売しているラー油も妙にいいんです。決して贔屓目に評価しているわけではないんですが、最近我が家お定番となって、生を冷蔵庫に常に確保するようになりました。皆さんのご意見はいかがでしょう、一度正味してみる価値はあると思います。


____________



7、ボルダリングレポート
 「チッピングという行為」
  炭酸まぐねしゅうむ

当院ではボルダリングに関しては大先輩のBANBANさんがいる、上級者なので普段一緒になることはないのさ、フィールドが違いすぎるからね。彼は別のジムのスタッフと、最近は主に外岩を攻めているらしい。外岩とは文字通り外にある岩を直接登ることで、室内のジムから外に向かっていくのがボルダリングの一つの流れなんだ。おいらも何度か行ってみたことはあるのだけど、どうも室内の方がおいら的にはやりやすいんだ。この時期外は寒いからね。

その外岩には、先人が開拓してきた様々なルート、課題が設定されている。「日本ボルダリングエリア」という本があって、その中に日本の主だったエリアが事細かに記載されている。何級レベルだとか何段とかの評価も記載されているのさ。だからそれを参考にして、自分にあった課題のある場所をたづねるのが外岩の人たちね。
イメージ 10

当然外岩とは自然の造形を対象とするから。はっきり言って難しい、おいらの出番などたかが知れている、難易度の高いコースばかりのように見えてしまうのさ、実際一番優しいコースでも、勝手が違うから全く歯が立たないことばかりだった、一番最初のアプローチは。

その外岩の世界で最近大きな話題になっているのが「チッピング」という行為なのさ。これは自然の造形に人が人為的に手を加えて、その難易度を都合よく変えてしまう行為を指すんだ。よりやさしくと同時に、より難しくする場合もあるらしい。そういう行為をする人たちはほぼ確信犯で、自分の成果をネットでさりげなくアピールしていたりする。わざわざ手がかりを残すのは歪んだその心情の表れなのかもしれない。

そんな他者の意図的な手の入った課題は業界でもう「その課題そのものがなかったことにしよう」とか色々な反応があり論議が続いている。もっともおいらはまだ全くその分野には手が届いていないので又聞きの又聞きにしかならないので大した感想は述べられない。とにかくボルダリングに限らず「登山」「クライミング」は、非常にデリケートな「美意識」が全体を支配している世界だ。そこには「名誉」という、よく実態の捕まえられない何かが濃厚に横たわっている。

おいらはボルダリングをスポーツの一つとして、自分の身体能力維持のために日々ジム通いを続けているわけだけど、それを自己表現にまで昇華した人たちは、そこに込める思いはおいらの届かないところにあるようさ。とにかく外岩は今の時期はとても寒いだろうな。


____________

イメージ 1
8、シネマフリーク
 「ミュージカル映画」
  スマイリー一男

最近音楽を主体とした作品やミュージカル作品がヒットしているようです。「ララランド」とかロックバンド「クィーン」を描いたものとか、一番新しいところでレディーガガさんが主演している「スター誕生」がかなり話題になっています。
イメージ 11

ところが私はあまりこういった作品は見ていないんです、純愛ものもあまり積極的には見ていないような。社会派ドラマやアクション、楽しいものがいいですね。

そんな中で「グレイテストショーマン」は見ました、これがとても良かったんです。社会にいては邪魔者扱いされている異形の人たちが、サーカスという空間で輝きを放つのですが、その経過は胸を熱くさせるのです。物語の展開と音楽や歌がとても効果的に組み合わされていて違和感がないんです。

ミュージカルはモチーフとの相性が自分にとっては重要なんです、かなり癖のある演出にならざるを得ませんからね、いきなり皆が歌い出すんですからシビアなストーリーではなじみません。インド映画は皆がシビアなのに唐突に踊り出すところが、なんだかこれだけは楽しいです。


____________



9、時計仕掛けのりんご
 「世代」
  鈴木義延


私たちの職場での世代幅は広いです。20代から80代までしっかり働かさせていただいています。このように多様な世代を活用することができる職種として、精神科看護職はとても懐の深い特性を持っていると言えるでしょう。シニア世代の私などもその恩恵を受けているわけです。

職場に広い世代がいるということは、患者様の多様な求めに対応する受け皿の広さをもたらします。人はその存在だけで何らかの影響を生み出すものです、世代とは論理以前の共感や安心を生み出すこともあるようです。多様性そのものがある種の治癒効果をもたらすことがあるとすれば、それは微力ながら力となることでしょう。

ところで職業人としての世代は、個人差を超えてその層によって指向性に差があり、世代横断的な一律な対応では収まりにくい側面があるといえます。20代30代の若い世代の仕事観、40代50代の仕事観、そして60代70代以降の世代の仕事感には大きな差があります。前期成長未来志向型世代、中期現役自負型世代、後期側面支援認識型世代。医療というとてもシビアな業務遂行が求められる場面の現場で、それらの世代が持つ指向性がどのような経過や結果に影響を与えているのか、それを認識しておくことはとても大切な課題となっています。また女性と男性の特性も考慮しておきたいところです。

学生が社会人として仕事につくときには大きなギャップがあります。学問的な人生観と実社会での生活の糧を得ながらの人生観には超えなくてはならない大きな溝があります。一度頭を空っぽにしてから現実に向かっていかなければならないものですが、そこでは大きな錯覚や誤認識が入り込むことも多く、「前期成長未来志向型世代」はまず足元の出発点の構築を優先課題として取り組まなければなりません。ここで語っている「前期成長未来志向型世代」などの単語はとりあえず私が今作った造語ですので便宜的に読んでいただければと思います。
イメージ 12

その「前期成長未来志向型」世代は、現実とのピント合わせにまず大きな時間と労力を使わなくてはなりません。時に場違いな発想で現実を批判したり違和感を感じることもあるでしょうが、まず現実はどのような原理で成り立ちどう運営されているか、それは一体何のためかという、まず教科書やマニュアルには書いていない現実の意味をより深く理解することが第一の目標となるのです。

これは口で言うほどたやすいことではありません、組織にはそれぞれ別な組織文化があり、普遍性とは別物なのです。一見不合理に思える慣習も、それがなぜそのような手続きを踏んで処理する経過となっているのかの由来があり、そうならなければならなかった出来事の連なりがあり、それぞれ小さな歴史の積み重ねが込められているのです。そのことには謙虚でなければなりません。

それは同時に足かせになったり新発想を曇らせたりする面もあるでしょうが、まずはその構築された全体像を正確に把握することが求められることでしょう。

「中期現役自負型世代」は職場内序列と競争の只中にあり、業務遂行組織文化の運用、つまり「いかに皆が気持ちよく持てる力を発揮していい仕事ができる環境を、業務として役割として作り出し続けられるか」、という最も重要な課題の担い手となります。ここには深い人間観察と調整力が求められ、それを体現する完成度の高いスキルが同時に求められるのです。やや抽象的な表現となってしまいますが、このあたりの各論はかなりなボリュウムを要するため、いつか別項として語りたいところです。

「後期側面支援認識型世代」はどのような特性がありどのような制約があり、どのような時間的な制限があるのか。実はこの課題は現代日本の労働市場が抱える問題そのものであり、少子高齢化社会の待った無しの課題とリンクしているのです。ということでこの分野はこれから多様な意見やビジョンが提出される未知な船出の航海、とても想像力を刺激する魅力的な課題となっています。無論それなりの答えは出ているわけで、「側面を支援する」というポジションでの役割が強調されるのです。ではそのエートス、業務文化と哲学とはどのような条件と輪郭を持っている?

  *   *

先日スキーに子供達と出かけたのですが、十年ほど前60になる直前にシニア券を買おうとしたら、証拠を見せてください、免許によるとまだ59歳10ヶ月じゃあないですか、大人券でお願いします。と大人料金を支払わされました。数え年、気分はもうシニアでしたけど。

それが今回シニア券を買おうとしたら、今度はシルバー券70歳以上というのができていて、どこか笑えました。客の入りが激減しているスキー場、70台以上も呼び込んでお金にしようとする必死さもあるのでしょうが、70台がいちいちここまでスキーしに来るのか?皆が三浦雄一郎じゃあないんだよと言いたくなりました。(ところで今日:2019:1:21の新聞によると86歳の三浦雄一郎の南米登山計画はドクターストップがかかって中止になったのだとか)

とにかくシニア、シルバー(いつからこんな区分けが意味を持つようになっのでしょう)の人口増と若年層の労働人口減少に日本のシステムは追いつかず、いきなり外国人材を後先構わず呼び込もうとしたりのドタバタが続いています。今の日本にとってシニア以降の世代とはなんなのか、何になるのか、どう使えるのか、使えないのか、お荷物なのか財産なのか、どこか途方にくれた問いが虚空にこだましていきます。それに答えを見出していく作業は、なかなか楽しいものなので、今回のお題はここまで。長くなるので以後続く。世代をめぐるお話でした(序論)。


____________________________
宇都宮西ケ丘病院文芸部主催/ほぼ隔週UTIWAマガジン/「ホリデー西ケ丘」

●原稿募集のお知らせ

編集部では常時生活身辺雑記、お薦めお店情報、便利グッズの紹介、ポエム、短歌、俳句、川柳、エッセー、コラム、随筆、お知らせ、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園紹介、譲りますなど、まとまり無い原稿、自己アピールの原稿などを募集しております。窓口担当(3西/鈴木)までお送りください。メモ書き、メール、口頭、何でもOKです。

(注)掲載に関しては、当院職員、当院利用患者様、およびその家族。また一般市民に対して常識的なモラルを守ること。不利益にならない程度のプライバシー、個人情報の保護、業務上知り得る医療情報等の守秘義務厳守を条件としています。
_______________________________

開く コメント(0)

宇都宮西ケ丘病院文芸同好会活動
■ほぼ隔週(日曜日予定)■
半月刊UTIWAマガジン
「ホリデー西ケ丘」vol.125
(このマガジンは多くのサポーターによって、
    細く長くをモットーに制作されています)


●夜明けのアヒル(編集部)
暮れも押し迫ってきました、2018年度ももう終わりです。今年もお世話になりました。束の間でも私たちの拙い試みに目を向けて下った方々に感謝しております。情報発信はたった一人でもそれを受け取ってくれる人がいなければ成立しません。それはどんな表現行為も宿命的に持っている側面です。人の活動は他者に届いて初めて意味を持つものなのだと。

今年を振り返ってみても、特に何をしたという記憶は残っていないのです。誰もがその日その日、その時その時を懸命に生きていたことの繰り返し。それなりにああしようこうしようというビジョンはあったはずなのですが、つい後回しにして目先に振り回されている間に季節は変わって、気がついたらまた年の瀬になってしまったと。

若い時にあれもやってよけばよかったこれもと、後になるほど後悔するものですが、後悔しているその時は十分若かったのだと、これも後になって気づくのです。ということは自分の人生において何かをする一番の時期は「今」であるわけで、その時が自分にとって「まだ若い時」となるのです。「今やらないでどうするの?」とは、よく聞かれる他者からのメッセージなのですが、「いや今はちょっと忙しくて」と言い訳する自分の嘘に、一番騙されたがっているのは自分です。



ーーーーーーーーCONTENTSーーーーーーーー

1、私も一言
 「年賀状」
  CoComama

2、私も一言
 「同窓会」
  さんざクロス

3、私も一言
 「フード、スマホ少年」
  春夏秋冬

4、私も一言
 「コンビニ食材活用」
  カーマイン神山

5、ボルダリングレポート
 「貸切日」
  炭酸まぐねしゅうむ

6、音楽の話
 「ジャズボーカルセミナー参加(3)
  記憶トレーニング」
  アンサンブルYOSI

7、SONG SONG
 「U.S.A」
  六花ビリー

8、時計仕掛けのりんご
 「短気は損気」
  鈴木義延



________________________________


1、私も一言
 「年賀状」
  CoComama

年賀状は、書かなくなりました、まったくと言うわけではないんですよ、メールがやり取りの主になってからと言うもの、手紙もハガキもやはり過去のもの、と言う感じ。
イメージ 1

ギリで出していたものもかなり負担でしたし、年末のこの作業は常に気の重いものでもあったのです。絵も字も上手くないですから結局パソコン任せのおざなりになってしまって。

もらう楽しみはありましたが出すのは大変!全く勝手ですね、でももう後戻りはできないと思います。


________________________________


2、私も一言
 「同窓会」
  さんざクロス

里帰りの季節になると同窓会への誘いなどが来るんです。私などの中学時代の同窓生は散り散りバラバラですからあまり行われていなかったのですが、昨年久しぶりにありました。帰郷の折に顔だしたんです。

まあ同窓会というものは、いかにも同窓会という感じでした。やあやあやあという過剰に馴れ馴れしく互いを呼び合う時間。私の中学時代というのは、地方の田舎でしたので顔ぶれは幼稚園小学校と全く同じ。ですから幼年時代がそのまま中学でのメンバーとなるのです。

それから半世紀以上、私はね、幼年時代の人間関係というのが人と人との関係の原型だと感じています。その人の本性がそこでは剥き出しなんだと。
イメージ 10

何十年も経てばそりゃあ人は変わります。貧しかった少年が今では有名人だったりお金持ちだったり、かつてのアイドルがどこにでもいる地味なおばちゃんになってたりと変貌を遂げています。
イメージ 2

そこでね、まあ再会して昔話に花が咲くわけですが、昔惨めな思いをしたり、いじめられていたりバカにされていたりの人は、その自分の過去を清算したり修復しようとするのでしょう、今俺はこんなに立派になった、こんなに尊敬されている、こんなに偉くなって幸せになっている、というようなことを一生懸命アピールするんです。名刺を配ったり会社案内を配ったり。

当時クラスででかいツラをしていたいじめっ子たちは、当時の羽振りとは裏腹にしょぼいおっさんになっているわけです。リーダーシップ取ってた優等生も、あれ?これ誰だっけというように大いに低迷していると。

ですがこの「同窓会」という空間に一度足を踏み入れ、その、ある種の幻、確かめようのない遠い昔を口実に集まった限りは、そこでフィクションとしての過去を演じなければならないんです。どんな大社長も、昔通りのいじめられキャラに戻らなければならないし、ガキ大将は現在どんなどん底の状況にあっても、皆の前で大見得をきりながらハッタリをかまし続けなければならないのです、その時間だけは。

その限られた時間は過去を修復したり現在をひけらかす場所ではなく、幻影の中でもう一度虚飾を捨て、原型としての、むき出しの個人の上下、愚かさ丸出しの感情のやり取りに戻るための行事なんです。現在の社会的な位置なんて知ったところで何も変わりはしないのですから。

トラウマを抱えている人は、そりゃあいることでしょう。子供なんてバカで残酷で誰が強い誰がアホだと、そんなことだけで群れては弾き、泣いたり笑ったりしていたのです。

同窓会に参加することのルールは、かつての力関係の中に、それが許し難いことであったり不愉快であったとしても、それを許容して飛び込み「俺ってどうしょもなかったよな」と、そこに確かにあった幼い自分と向き合う時間なんじゃないですかね。「今」を持ち込まないこと。

とにかく「俺は皆よりリッチで偉くて充実している」風なアピールはご法度ですね。「だから何?」という視線にかき消されてしまいます、「でもあんたは子供の頃からずるかったじゃない」と揶揄されて終わり。それってかなり本質を突いているんです。言い訳したところで盛り上がりませんよ。


________________________________


3、私も一言
 「フード、スマホ少年」
  春夏秋冬

通勤に車を使っています。事故を起こさないよう、それはそれは気を使って運転しています。早く自動運転になって通勤時間の車の中で音楽を聴いたりコーヒーを飲みながら移動できるようになってほしいです。
イメージ 3

最近スマホをしたままの自転車が多くて困るんです、こちらを見ていないのですね。そればかりか先日は耳にイヤホンをして頭からフードを被ったまま、後ろも見ずに私の車の前をいきなり飛び出して横切る男性がいて、思わず急ブレーキ!あわやという感じでしたからドキドキしてしまいました。

これでもぶつかれば私が悪いということになるんでしょ?こういう人って自分の体の心配ってないのかしら。

若者、少年たちはどこか傲慢不遜!気を使って合わせるのはお前たちの仕事だろうとでも思っているのかしら。その振る舞いがとても自己中なんです。それとも不死身だとでも思っているのかしら。自転車と車とか、他者との関係に気を使わないのです。

いうまでもなく交通社会に限らず人の世界は関係性でできていますから、その距離をいつも正確に計り見極めるのは生活そのもの。その感受性を育てるのが子育てだと思ってきたのに、それがうまくいかないのかもしれません。でも一度トラブルが起これば大人の責任が問われるわけでしょ、なんだか釈然としません。

もっとマナーを守りなさい!ってお説教をしたくなるんですけど、私も十代では同じことを親たちに言われていたんでしょうね。これって全く改善することのないストレスかも。


________________________________


4、私も一言
 「コンビニ食材活用」
  カーマイン神山

私はお料理にはいい材料を使って手間暇を惜しまず、下ごしらえからしっかり行うことを基本としているんです。それがお料理を作ることであり味わうことなので、その作業そのものを楽しむようにしています。作る行程すべてが楽しいんです。

今までは。
イメージ 4

ところが最近色々雑事に時間を取られて、お料理に時間を割けられない場面が続いたのです。そうするとなかなか思うように手をかけられなくなってしまいました。とても悔しいのですけど。

きんぴら一つ作るにしても、ごぼうを丹念に洗って千切りにするにはそこそこの時間がかかります。ニンジンもしっかり刻まなければなりません。でも最近コンビニやスーパーで半調理の商品、それは材料をしっかり刻んだものなどがあって、家族も成長に伴って人数が変わっていくと、私の考え方も変わらざるを得なくなってきました。優先順位が変化してしまうのです。

そこで試しに使った、例えば「刻みキャベツ」や「きんぴらセット」などは、よくできているんです。どの工程までを使うかは自由に選べるわけで、全部完成しているより半分までとか色々。これなら自分好みの味付けにできるとか、なかなかニーズを正確に把握しているのだなと感心するのです。侮れません。いやでも生活の中に組み込まれてゆくのです。

料理は楽しみといえば楽しみですけど、コストと時間の問題になっていくのでしょう。自分時間の確保が大切になってきているのです。


________________________________



5、ボルダリングレポート
 「貸切日」
  炭酸まぐねしゅうむ


ボルダリング愛好家のメインボリュームは30歳を前後する男性たち、そして20代半ばの女性たちだと思う。普段そんな人たちがジムを占領しているからね。そこから上の世代はファミリー族で、40代前後の父さん母さんと小学生のグループ。それだけでほぼ9割9分というところなのさ。

おいらはそこから上に外れているロンリーシニア、まず同世代はお目にかかれない。40代から上はほぼいないと言っていい。いたとしてもそれは相当なキャリアの昔からのクライマー、レジェンド的ポジションの輩さ。まだ見たこともないし。

そこでね、先日クリスマスイブとクリスマスの日にいつものジムに練習に行ったわけ、暇なんで午後の2時頃から夕方、そして夜にかけて時間を潰していた。その間珍しく全く人っ子一人来なかったわけ。つまりおいら一人の独占状態が何時間にもわたって続いていたんだ。ちょっと意外だった。
イメージ 5

その日は、スポーツという気分じゃないんだろうね、独身男女にしろファミリーにしろ。つまりおいらくらいしか当日トレーニングしようとする人はいなかったということ。久しぶりにのびのび全部の壁を使ってのトラバース(横移動)を、何度もなんどもトライしていたのさ。これはとても贅沢な壁の使い方なのさ。

いつもだったら他の人たちと順番を譲り合って、空いている壁だけで満足しながら遠慮しつつトライしているわけね。そういう気配りをな〜んにもしなくていい特別な日、それがクリスマスなのさ。

実は去年もおいらはそのクリスマスの日にジムにいて、それが全く同じ状況だったのさ。それで味をしめたとも言える、もしかしたらその日は偶然?とも思ったけど二度続くということは、それがクリスマスの状態だと結論づけても構わないかな。

日常には「ハレ(祝祭的な特別な時間)」の日と「ケ(汚れを持った日常的時間)」の日があるのだけど、普通の人にとってジムトレーニングは「け」の時間であり、クリスマスなどは「ハレ」の場所にいなければならないのだろうね。ところがおいらにとってジムトレーニングは、「ハレ」でもあり「ケ」でもあるのさ。日常でもあり祝祭的テンションの高い時間でもあるわけ。だから他に行く必要もないということ。

安上がりなクリスマスさ。


________________________________

6、音楽の話
 「ジャズボーカルセミナー参加(3)
  記憶トレーニング」
  アンサンブルYOSI

ジャズボーカルセミナーにおいて発表会に向けての練習をしています。そこで最初のネックになっているのが英語の歌詞を丸暗記するということ。大して長い詩ではないんです、12から16行くらいのものなんですが、これがなかなか覚えることができません。それこそ必死に単語の一文字ずつを声に出して、そして紙に書いて繰り返し繰り返し歌ってみるのです。

とにかく最初の単語を覚えてそれにつなげてセンテンスを覚えること。意味を把握していれば動詞、形容詞、接続詞と自然に浮かぶかもしれませんが、何と言っても学生時代以降そこまで真面目に英語に取り組んできませんでしたから、錆び付いた脳細胞を刺激するのに苦労するのです。
イメージ 6

一番いい方法はゆっくり歌いながら、しっかりスペルを間違えずに筆記すること。これを繰り返したことでようやく2曲をほぼ完全に、あと最後の1曲も半分は自然に口に出るようになりました。ただまたこの状態を維持し続けられるかが一抹の不安とともにあるのです。

記憶を定着させるには眠ること。しっかり一時的に記憶させたものを脳細胞一段下のメモリーに刻み込むこと。それには適切な睡眠が欠かせません。最近の脳の生理をレポートした科学番組では、起きている時と同じように寝ている時も脳細胞はしっかり活動していることが伝えられています。覚醒時仕入れた刺激を分類し保管するために睡眠時の脳は活動しているのだと言われています。

覚えてしまえば確かにその表現に関心は移り、楽譜を見ながら歌っている時とは違って、歌うときの表情にも目が向くようになるのです。全く自然に歌詞がメロディーに乗って出てくるようではないと、その歌詞とメロディーを使った「フェイク」まで手を伸ばせません。「フェイク」とは「崩し」のこと。センス良く旋律をアレンジしなければならないのです。

暇さえあれば忘れないようにこの歌をしっかり単語を思い浮かべながら歌うこと。接続詞を抜かさないこと。これがよく抜けて字足らずになりやすいのです。

そうこうしていると、いかにも記憶を刺激して脳を活性化させている実感が湧くのです。忘れていた感覚です。意外と覚えられるものなのですねー、自分でも感心してしまいました。



________________________________

イメージ 9



7、SONG SONG
 「U.S.A」
  六花ビリー

DA PUMPというJポップユニットの「「U.S.A」という歌が流行っているらしい。たまたま知人のカラオケに付き合ったところ、一緒にいた若者(30歳くらい)がこれを歌っていた。正直唖然とした。確かに一度ならず聞いたことがあるのだが、丸ごと目の前で聞かされて、かなりショックだったのだ。何がどうしてどのようにショックだったのか、忘れないうちにそれを書いておきたい。
イメージ 7

アメリカ大衆文化が、サブカル日本現代風俗を作り上げたのはいうまでもない。天皇を頂点とする神国だった日本は、太平洋戦争でアメリカに国土をボロボロにされた。それはこちらが先に戦争を仕掛けたというわけだから文句を言うわけにはいかない。先に手を出した奴が悪いとは西部劇で繰り返し示されたアメリカの基本的モラルだ。1945年、日本は壊滅した。

そして津波のように押し寄せたアメリカ文化。無論それは商品を伴ってだ。市場としての日本を育成する、その野望が全開になったことだろう。もしかしたらそれがアメリカの戦略だったかもしれない、ハワイもそんな風にいつの間にかアメリカの属州にされてしまっていた。日本もその延長にあると言える。

戦争時、日本の主導層のあまりの体たらくが発覚するにつれ、戦後、それを主導し担った世代へを嫌悪感が世相の基本的な感性となった。もう昔のことは思い出したくない。一億総懺悔と忘却。新しい時代を生きるのだという戦後世代のモデルは戦勝国アメリカ。放送され始めたテレビに映し出された見たことのない風俗、物質的な豊かさ、アメリカ文化の眩さ。

戦後世代が丸々そんなものに溺れてゆく姿を、戦前戦中世代は時に苦々しく、時にあきらめと羨望を持って眺めていたことだろう。俺たち私たちは何のために戦い辛酸を舐め、こうして今も自責の念に駆られて過ごさなければならないのか、自分を納得させられなかったに違いない。若者は派手な音楽を真似、細いズボンと派手なシャツを着て英語を話すことを得意にしている、すべて国が否定し嫌悪していたものを嬉々として演じている、その姿を眺める目は心地よいものであったはずはない。

そしてひと世代が過ぎ行くにつれ、アメリカ主導で作られた戦後の風俗に対する距離が生まれ始めていた。自分たちはどこにいたのか、自分たちはどこに向かわなければならないのか、戦後半世紀が経つ頃からそのような国民的アイデンテティーの模索が、自然な形で生まれ始めていたように思う。アメリカが相対化されて捉えられるようになっていたのだ。日常の隅々にまで入り込んでいたアメリカ的発想、文化に距離を保とうという意識の芽生え。

その頃からジャポニズム、日本のサブカルチャーなどが海外で徐々に発言力を増していった。海外で活躍するスポーツ選手、アーティスト、学究的な研究成果。アメリカへの追従ではない活力を、ようやく徐々に、自ら作り出し得たと言える。政治的には未だ属国の位置にありながら、文化の面でその様を対象化し構造的に対処しようとする知性が、単なる保守思想としてだけでなく新保守的発想で発動し始めたのだ。そういう進化を遂げているはず、と思っていた。

そんな折、巷のポップスに「アメリカ文化はかっこいい!」というような、冒頭に挙げた歌がヒットしているという事実に、この戦後の70年は一体なんだったのかと、その揺れ戻し、原点を見失った先祖返りに、深い動揺を隠すことができない。私が感じていたこの戦後の時間は幻だったのかと、腰の力が抜けていくような無力感をその歌に感じてしまったのだ。杞憂ならいいのだが。


________________________________



8、時計仕掛けのりんご
 「短気は損気」
  鈴木義延


高速道路であおり運転の結果事故が起こり、多数の死傷者が出た事件がありました。きっかけはほんの些細なことで、何人もが死ななければならないような必然は全くありませんでしたが、失われた命は戻りません。多くの人にとってやるせない、そして取り返しのつかない出来事になってしまいました。
イメージ 8

嬉々として怒りの感情に身を委ねる人たちがいます。ハロウィンの渋谷で「誰かと喧嘩するために街に来た」と語る若者たちがいました。彼らは獲物を見つけると難癖をつけ、集団で痛めつけてうさを晴らしていたと言います。顔認証技術が発達した街灯カメラが彼らを特定し、後日逮捕に至りました。

人を威圧し、時に暴力で相手を服従させようとする人格とは、人一倍他人からの承認要求が強い人たちなのでしょう。俺をもっと尊敬しろ、俺のわがままを認めろ、俺をもっと好きにさせて満足感を与えろと、何の根拠もなく理不尽に他者にねだる心理。未熟さと幼さで止まったままの心象です。

あおり運転の加害者となり禁固刑となった青年は、おそらく自分でもなぜそのような愚かな行為に熱狂したのかの理由はわからないことでしょう。獲物を見つけて追い回す肉食獣の表情をその時していたはずです。非は相手にある、俺の行為は正当だと自分に言い聞かせ他者を責めるのです。自分の行為を傍で見ている女性同乗者の存在も、怒りを正当化する促進剤になったかもしれません。かっこ悪いところは見せられない、頼りになる強い男であることを見せなければならないと。

相手の弱気を察知した時から行動はエスカレートしていったと思われます、これなら勝てる!その打算に酔い始めていたのです。

健康で体格も良く人並みな能力もあるのに20代無職、必死にプライドを守ろうとしていたのかもしれません、俺をバカにしているだろう、役に立たない男と見下しているだろうというコンプレックスも促進剤です。自ら作り出した様々な幻想に絡め取られ常軌を失ってゆく。暴力にわれを忘れる人たちの特性です。パワハラも同じ構図をしているものです。
 
そのような、未熟な感情に身を委ねて暴走した結果、彼の人生はその愚かさを衆目に晒し非難を浴びる結果になりました。ようやく彼は誰にも顔を知られる有名人になれたわけですが、今でも自分がどのような社会的な位置に躍り出てしまったのかの自覚はないことでしょう、自分を相対化することができない意識が招いた暴走だったからです。

攻撃的な人格が持つ特性は、「自分欺瞞が自己目的化している」ということでしょう。「自分はいい人として振舞っている」「自分は有能な人間として評価されている」という証明として「他者を威圧する」「他者を叱責する」「他者を振り回す」という関係を随時身の回りに作り出そうとするのです。

それは物事を処理するにふさわしい力の空白がそれを促すと言えます。力がないゆえに力があるふりをする、ないことから他者の目をそらせるために他者の弱点をことさらあげつらう、そのことに異様な情熱を傾ける。攻撃的人間、パワハラセクハラに無自覚な人格は、そのような特性を持つものです。できれば組織の中からは排除してしまいたいキャラクターですが、現実世界ではそう単純にはいきません。


    *    *    *    *

多少ニュアンスは違いますがこんな話があります。朝早いテレビ番組で見た訪問看護師の話です(あまり正確ではありませんが)。

ある女性の母親が認知症で自宅介護をしていたのですが80も過ぎ呼吸器系にガンが発見され、余命が家族に伝えられてからの経過です。

咳や痛みを訴える患者に訪問看護師は医師からの処方を丹念に実施し、求められる濃厚なケアを施していました。しかし付き添っている娘さんからその作業や内容に不満が繰り返され、何をしても納得してもらえないのだと。果てはその話し方から何からクレームを入れられ、業務対応ができなくなってしまったというのです。

派遣されている看護師は所属している施設長にその対応を相談しました。施設長(女性)はその娘さんと電話で話をしました。患者の話ではなく娘さん自身の話をです。あなたはどんなふうに母親と過ごしてきたのかとその成り立ちを訪ねたのです。

そしてわかったことは彼女の母親は音楽家であり(バイオリニスト)、彼女もまたバイオリニストとして活動をしているということ。幼い頃から厳しく母親の指導を受け今の地位があるということを。

「あなたの演奏をお母様に聞いてもらったことはあるの?」
「数え切れないくらいあります、その都度自分がどれだけダメなのかと指導されて、この何十年間一度も褒められたことはありません」
「母は私の未熟さが不満でした、いつまでたっても上手くならないと叱責されていたんです」

彼女の口から語られるのは、常に母に自分の行為が不十分だと叱られる恐れだったのです。何をしても褒められることがない、彼女は萎縮し、どうしたら母が満足するのかの方法が見つからず、そのストレスを訪問看護師にぶつけている経過が伺われました。

「お母様はもう長くはありません、お母様の指導を離れてから、あなたの演奏をお母様に聞かせてあげたことはありますか」
「母は私の演奏など聞こうとしません、いつもダメ出しを出すだけです」
「でもあなたも演奏家として現在仕事をしているのでしょう、成長した姿を母親なら見たい、聞きたいと思うわ」
「聞くはずなどありません!母は私が、未熟な私が嫌いなんです」

そこにあるのは母親と娘の心理的な葛藤と競争意識、それは変形された愛でもあるはずですが、当事者たち指導者と生徒という形で過ごしてきた様子が語られます。

「お母様は長くはないわ、まだ耳は聞こえているはず、そこであなたの一番好きな曲を演奏してあげて」
「嫌です、母はそんなもの聞きたいはずがありません!」
「でももうそんなチャンスはないかもしれなくてよ」
「ダメです、私にはできません!」

そんなやりとりがありながらも訪問看護は続けられ、そして程なくその母親は亡くなりました。その葬儀に施設長は呼ばれたということですが、そこで初めてその娘さんと顔を合わせたのでした。

その娘さんは施設長を訪問客から見出すなり走り寄ってきていきなり抱きつき、

「私やりました、演奏しました、母のそばで得意な曲をやりました、何曲も何曲も、、、母は、、うまくなったと、、言ってくれました」

そう泣きながら赤の他人である施設長の体を抱いてしばらく離れなかったそうです。彼女なりのカタルシス、母への思いを、一種のトラウマを克服したこととの感謝の念を伝えたかったのでしょう、とても記憶に残る出来事だったと語られていました。

    *    *    *    *

最初に書き出した時の原稿の趣旨とはずいぶんずれてきてしまいました。つまり言いたいことは、攻撃的人間にはそのような行為に身をやつす別な理由が常に隠されている、というような話に持ってゆくつもりだったのです。しかし急に訪問看護師の話を思い出したので忘れないうちに書いておこうと思った次第、親子というのは常に複雑で、善人悪人それぞれの性格形成に多大な影響を与えていることでしょう。

「短気は損気」とは私の祖母が、兄弟喧嘩の際に常に長男である私を諌める為に使った言葉で、今になってつくずくその意味を味わっているのです。怒りに身を委ねるとろくなことにならないよ、結果的に不利益が襲ってくるのだから「負けるが勝ち」と思えるようにお前も成長しろ!と言われていたのです。本当に身についているかといえばまだまだかなと、祖母を思い出しながら時折振り返るのです。



____________________________
宇都宮西ケ丘病院文芸部主催/ほぼ隔週UTIWAマガジン/「ホリデー西ケ丘」

●原稿募集のお知らせ

編集部では常時生活身辺雑記、お薦めお店情報、便利グッズの紹介、ポエム、短歌、俳句、川柳、エッセー、コラム、随筆、お知らせ、趣味自慢、ペット自慢、家庭菜園紹介、譲りますなど、まとまり無い原稿、自己アピールの原稿などを募集しております。窓口担当(3西/鈴木)までお送りください。メモ書き、メール、口頭、何でもOKです。

(注)掲載に関しては、当院職員、当院利用患者様、およびその家族。また一般市民に対して常識的なモラルを守ること。不利益にならない程度のプライバシー、個人情報の保護、業務上知り得る医療情報等の守秘義務厳守を条件としています。
_______________________________

開く コメント(0)

[ すべて表示 ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事