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※104回目の文章はとても長くなってしまったので4つに分けて載せてます。
104 (1/4) から読んでください。(104 (1/4) →)http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184061.html

これは、104 (2/4) です。
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104◆いじめ・練習・北斗の拳・必死・本音◆
(2/4)『教育・道徳・しつけ』


● 《みんなに「いいこと」だと認知されているいじめ》


大人になるにつれて子供達は
2種類の「他人に咎められることがないいじめ」を習得していく
と先述しました。
1つは「バレないいじめ」でした。

次は、もうひとつの
「みんなに「いいこと」だと認知されているいじめ」
の方を説明をします。(かなり複雑でややこしい話です。)

「みんなに「いいこと」だと認知されているいじめ」とは、
ざっくり言えば、
教育や、しつけのことです。

これらは、一応この社会において、
「いいこと」「価値あること」「意味あること」とされているものです。
僕はこれらの根底に「いじめ」の構造が潜んでいると思ってます。

(もっと広く考えると、成績表や年功序列や偏差値や競争や社会、道徳とか、価値観とか、センスとか、お金とか、などなども入ってきます。
「成績表、年功序列、偏差値、競争、社会、道徳、価値観、センス、お金などなど」
これらの言葉にナイフを突きつけられ、
「お前はどうするんだ?」って脅されてる、
そんな感覚が、人々の無意識の奥底に沈んでるような気がします。)

「これら全てはいじめなんだ」と言い切ると
反論が出るに決まってるし、簡単には答えはでません。
もちろん僕も微妙なラインだと思います。

僕はこれらの全部が悪いと言い切って切り捨てようとしてるわけじゃありません。
それらは本当に、「いいこと」かもしれません。
「いいこと」かもしれませんが、
それらは、「いじめ」にとても似ています。


それらは必要なことかもしれません。
必要なことかもしれませんが、「いじめ」にとても似ています。

いじめの被害者と加害者達それぞれに湧く感情、
それと同じ感情を湧かせる行為
だと思うのです。

なぜなら、
(どうしてたって)「脅し」が根底にあるからです。
「怯えが根底にある」んです。

教育やしつけの根底は脅しです。
当然です。
しつけも教育も、「ちゃんとしないと、この社会から省かれますよ」ってことなんだから。
どうしたって「省かれる」ことへの恐怖が根底にあるんです。

もちろん、
愛情表現などのフォローがあれば
いじめられる側のあのいやな感じは減るでしょう。
フォローが大事だと思います。
でも逆に言えば、
フォローがなければ「いじめそっくり」
になってしまいます。

教育やしつけ自体は確かに本当に「必要」なことかもしれません。
でも、
教育やしつけをするのに
「いじめと同じ方法」を使ってる
な、
と感じる状況がよくあります。

(「いじめは悪い」という項目を含んでるはずの)道徳すら
いじめと同じ力を持ってる
気がします。
つまり、「大勢で人を脅して操る力」です。

道徳でいじめる、みたいなことがおきています。
道徳を広めるために、
「いじめと似たような方法」を使っていることが多いです。
「脅すようなやり方」で道徳を広めている光景をたまに見かけます。

大人たちはたいてい、言葉の端々に威圧を散りばめるような言い方で、道徳を語ります。

例えば、
「人として、、、」という言葉の裏には、「人間のクズは社会から省かれて死ぬよ」という恐怖の暗示が張り付いてます。

「道徳なんだから、厳しいやり方をしてでも教え込まなくちゃダメだろ!」
そう言う人もいるでしょう。
反論はしません。そうかもしれません。
そうかもしれませんが、それでいじめがなくなるんなら問題ないのですが、
多分、そのやり方ではいじめは増えます。

おそらくまだ、納得いってないと思うので、
教育、しつけ、道徳についてもうちょっと書きます。


● 《「教育、しつけ、道徳」は正当化のための言葉。》

みんな、深く考えないで、
「しつけや教育や道徳は良いことだ」と思っています。
「いいこと」というラベルが貼られています。

物事には善し悪しがあって、
どんなにいいことでも、悪い面もあったりします。
メリットがあれば、なにかしらデメリットもあるものです。
だから、「深く考えない」わけにはいかないはずです。
なのに人は、「いいこと」というラベルが貼られているものについて、深く考えようとしません。
それどころか、それらに疑問を持つと「反社会的」または「反抗的」
というレッテルが貼られます。

なぜこんなにも「厳格」でなんでしょうか?
そこにはカラクリが隠されています。


そのカラクリとは、
権力者が今の権力を維持するための仕組みです。
権力者が自分の生き様を正当化するためです。
権力者が罪悪感を薄めるためです。

権力者とは大人です。
(大人のなかでも、この社会で、ある程度満足して生きれている人たちのことです。)

かなりややこしい話になってしまうかもしれませんが、
説明してみます、、、。

「お金を持ってない人は、辛い人生を送ることになりますよ。」
世の中はそれを暗示してきます。
(それが真実かどうかは、置いといて。)
遠回しな言い方で、それを突きつけてきます。
オブラートに包んだ言い回しで、ぼんやりと、
しかし、確実に突きつけてきます。
あのバレないいじめのやり方です。

「お金の稼げない人は能力がない人。能力がない人は生きる価値がない」
これを暗示してきます。

ハッキリとは言わなくても、「雰囲気」を使って脅してきます。
そして、
「能力とは、良い学歴を持っていることと、良き人間であることだ。」
と、こうきます。

そうすると、子供達は
「学歴のために先生の言うこと良く聞かなくっちゃ。」と思います。
それから、
「良き人間であるとはどういう人間のことだろう。いまいちわからないところもあるから大人たちを言うこと良く聞かなくっちゃ。」
と、こうなって、
大人たちの顔色をうかがう子供たちの完成です。

その根底にあるのは、
「能力がない人は生きる価値がない」という社会の方針に対する怯え
です。
いじめられっこがいじめっ子の顔色をうかがうように、
子供たちは大人たちの顔色をうかがうようになります。
そして、子供たちは、
「能力のない者は生きる価値がない」という大人たちと同じ価値観を共有し、その社会の一員になっていきます。


そうして大人たちは、
「今自分たちが信じている価値観がこれからも続く」
という保証を手に入れます。

実は、大人たちは、
「あなたの信じている価値観はまちがいです。
あなたの受けた教育は全部間違いでした、
生きる価値がないのはあなたです。」
と、言われることに怯えているんです。


なぜならば、、、、
大人たちも彼らの価値観を脅されながら教え込まれたので、
自分の価値観が正しいと言う根拠に完璧な自信が持てないのです。

自信が持てないから、みんなにも自分と同じ価値観でいてもらいたい。そして安心したい。

そのために次の世代にも同じ価値観でいてもらわないと、不安だ。
そうだ、子供たちにも自分たちが教え込まれた方法と同じ方法で教え込もう。

大人たちはこれを「自覚」してはいません。
でも、脳は無意識のレベルでは知っています。
なぜ無意識のレベルに留まっているかというと、
「意識するには恐ろしすぎること」だからです。
「恐ろしすぎること」は抑圧されて無意識に押し込まれるのです。
怖すぎて、自覚できなくなってしまうのです。
「脅し、いじめ」の効能であり害悪です。

道徳に疑問を持つ人間の存在は
大人たちにとっては、自分の価値観を破壊しかねない危険な人間です。
(子供達も道徳を持たないという意味では似たような存在です。)
そんな人間が目の前に現れたら、
怖くて怖くて、ヒステリックに怒るのです。
「道徳を重んじろ!お前のためにいってるんだ!」

そしてなんとかその「危険人物」を懲らしめようとします。
「反社会的」というレッテルを貼り、蔑まれるように計らいます。
それがうまくいくと、彼らはこう考えます。
「危険人物は皆に蔑まれてる。私は蔑まれてはいないので、やっぱり私は正しいのだ」と。
そして、それ以上考えなくなります。

「重んじる」だなんて、とても立派そうな言葉です。
「お前のために」だなんて、なんて立派そうな台詞でしょう。
ポイントは、この「立派そうに見える言葉」です。
この「立派に見える」が不可欠なんです。大人たちは、「威厳があるように見えること」を重視してるんです。

彼らの道徳観や価値観は、
子供の頃に脅されて、刷り込まれたものがほとんどです。
でも、
自分の核心である価値観が、
実は「脅されて刷り込まれたもの」でした。ということでは、自尊心が保てません。
自尊心の揺らいだ弱い心は、もっと正当な理由を欲しがります。
自分は正しいんだと強く思いたいんです。
そこで、立派そうな言葉や論理を振りかざすのです。威厳と自尊心を保つために。
(立派そうな言葉や論理、それは建前ってよばれることもあります。)

だから、
「教育、しつけ、道徳」どれも立派そうな単語なんです。「権威」のありそうな言葉です。

権威のありそうな言葉をつかうことで
「自分は正しいんだ」と、納得できるのです。
権力の権に、威圧の威で、権威です。
権力で威圧して自分を守り、納得したいんです。

本当はなんだか怖くて、
ヒステリックに怒ってしまったけど、
これは、「子供達のための教育なんだ。」
という「建前」を信じることで、
やっと、大人たちの心に平穏が訪れるわけです。

これが、

道徳の「厳格さ」のカラクリです。

大人達の心の問題なんです。

すごく暴論なのは認めます。
「教育やしつけが子供たちのためじゃない訳がないだろ!」
って怒る人もいるでしょう。そこには反論しません。
(たしかに「教育、しつけ」されなかった子供達の方がかわいそうだと思います。)

「大人の所為にしてるだけじゃないか!」って言うかもしれません。
誰の責任とか、どうでもいいんです。
ただ、とにかく誠実に考えて、原因を突き止めて改善したいだけです。

どんなことにもメリットがあればデメリットもあるものです。
そのデメリットの部分が悲劇を産んでいる、ということだってあると思うんです。
たぶん、すごくややこしい問題なんだと思うんです。
考える以外に改善策を生む方法はないんじゃないかとおもうんです。
間違ってるかもしれないけど、合ってるかもしれないんです。

進めます。


● 《教育の心理構造といじめの心理構造は似てる。》

さて、「教育」と「いじめ」がどれだけ似てるか、
まだまだ突き詰めていきます。

権力者が「教育」に込める「暗示の内容」は
子供がいじめに込める「暗示の内容」と似たような構造をしています。

いじめっ子が「暗示したい内容」はこれです。
「こいつは弱く、生きる価値がない」
これを、周囲の人間に思い知らせようとしてます。

なぜか?
そうすることで、
「俺こそ、強く、生残っていく価値ある人間だ」
これを自他に示そうとしてるんです。

「あいつが弱くて、俺が強い。」
を明白にしたいんです。
なぜそんなことを、示さなければいけないのか?

それは「人間の価値」ってものが解りづらいものだからです。

北斗の拳の世界なら、「強弱=腕力の強さ」でわかりやすいんだけど、
現実の世界の強弱は、腕力だけじゃなく、お金とか権力とか価値とか、
子供にとってわかりづらいものが絡んでます。
お金はまだしも、権力や価値なんて、本当には存在しない幻のようなものだし。。。

だから、子供たちは、
「この社会では、どうやら、、、
こういうことを「強い」といって、
こういうことを「弱い」というんだ」
ということを確かめていかなきゃいけないんです。

この社会が「何を人間の価値の基準にしているのか」を知らなくちゃいけない。
同時に、
「価値のない方に分類されては絶対いけない」って、焦ってるんです。

焦ってるから、
誰かをいじめるます。
誰かをいじめることで、手っ取り早く、
「自分は「価値ある」の方に分類されるんだ」ということを
決定的なことのように感じて安心したいのでしょう。


いじめとは、「他人を怖がらせ、自分のいいように操ること」です。
そうすることで、
相手を「精神的な子分」に仕立てあげる行為です。

「自分は、親分だから価値ある側の人間なんだ」
という「空想」を現実のものとして、周囲に知らしめたいのです。
周囲に知らしめると同時に、自分に言い聞かせたいのです。
なぜ自分に言い聞かせたいかというと、
自分がこの社会にとって価値ある存在かどうかがわからなくて不安だからです。

「自分が価値ある人間かどうか」、それは「重要な死活問題」なんです。
この社会がどんな社会まだわからない子供達にとっては「早く社会の一員だと認められること」が死活問題なんです。
この社会で生き延びて行けるかどうかの切羽詰まった大問題なんです。
生物学的には最大級重要な問題なんです。
だから、この社会を生き延びてる大人たちをお手本にして、
そのやり方を真似るんです。
「自分は価値ある生き延びていい方の人間なんだ」と、早く感じたくて、
そう感じれないと怖くて怖くて仕方なくて、
そして、
いじめをするんです。
大人を真似て、、、、。


次の章では、
「いじめが社会をつくってる」って話に移ります。


※104 (3/4) へ続く →http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184068.html

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