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※104回目の文章はとても長くなってしまったので4つに分けて載せてます。
104 (1/4) から読んでください。(104 (1/4) →)http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184061.html

これは、104 (4/4) です。
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104 ◆いじめ・練習・北斗の拳・必死・本音◆
(4/4)『生き物としての本音』


● 《抑圧された「なにか」とは何か。》


前章の最後で書いた、
大人たちが無意識の奥に恐怖と一緒に閉じ込めた「なにか」とはなんだろうか。

もしかしたら、「本音」と言い換えることもできそうです。
「生き物としての本音」です。

例えば、
嬉ければ叫びたい。
恐怖を感じれば叫びたい。
いい思いをしたい。
居心地が悪いのは嫌だ。
食べたい、寝たい、遊びたい、死にたくない。
例え他人を蹴落としてでも自分が生き延びたい。
などなどでしょうか。
「生きたい!!」という生き物のエネルギーとも呼べるものでしょう。
(心理学用語で言うところのリビドーかな?)

「生き物としての本音」は「わがまま」などという名前をつけられ、子供の頃に、あまりにも簡単に「処分」されてしまいます。
「わがまま」に「悪」というレッテルを貼ります。
「わがままは良くありません」という道徳です。

人間は道徳を使って、個人個人の「生き物の本音」を抑圧します。

そうすることで、これだけ大きな社会を構築することに成功してます。

その一方では「生き物の本音」に従って、食べ、寝て、性交しすることで、個々の命を維持してきました。
両方のバランスと葛藤の狭間で、人間はこの文明社会を築いてきたのです。

僕は、
この「生き物としての本音」に、「悪」というレッテル貼って、あまりにも安易に「処分」してしまうことに、大きな問題があると思ってます。

今僕は、「人間はこれだけ大きな社会を構築することに成功してる」、と書きましたが、

今の社会の状態は「成功」といえるんでしょうか?
この社会には、いじめもあれば戦争もあります。

「生き物の本音」の処理方法に何か問題があるんじゃないでしょうか?
リビドーをどうするのか、という問題です。

「わがまま」と名付けようが、「悪」と名付けようが
「生き物の本音」のエネルギーは、消えてなくなるわけじゃありません。


「わがまま」として処分し、「悪」というレッテル貼り、
無意識の底に閉じ込めてしまう方法には、なにか決定的なデメリットがあるんじゃないでしょうか。


● 《道徳のデメリット》

いじめの問題を考えていくと、
この社会は、
『「生き物の本音」と「道徳」が個人個人の心の中で衝突している。』
という事実から目を背けてるな、って感じます。

「生き物の本音」が人にいじめをさせようとします。
この不安たっぷりの世の中で、「なんとか他人を押しのけてでも生き延びたい」という欲望が、
人をいじめに向かわせます。

道徳は、ただそれに「悪」というレッテルを貼って、抑え込もうとするだけです。馬鹿の一つ覚えみたいに。
(道徳はいつも、なんのアドバイスもくれません。ただ脅すだけです。)

「悪」という言葉は強烈です。
「悪」とは、社会から処分されるということを意味します。
社会から処分されることは、死を予感させます。
もし自分が「悪」になってしまえば、
自分が幼い頃、自分のわがままを無理やり閉じ込めて処分したのとおなじように、
社会は自分を処分するだろう。
と、恐怖します。
そんなことあってはならない、怖すぎる。と、生き物として感じます。

怖すぎるから、
自分は「悪」じゃない。と、無意識に思い込みたくなります。
そして、その結果、
自分の「生き物の本音」をないものとしてしまいます。

当たり前に誰にでもあるはずの
自分の中の「生き物の本音」の存在を否定してしまうのです。
存在を否定された「生き物の本音」は
なんとか形を変えてそのエネルギーを発散させようとします。

どんな形でそのエネルギーを発散させるのか、がとても重要です。
人に迷惑のかからないやり方を選んで、発散させるべきなんです。
しかし、すでにその存在を否定してしまっているがゆえに、どんな形で発散させるのかを自分で選べなくなってしまっているのです。
結果、無意識のなすがままに、そのエネルギーは人を傷つけるような形で表出します。


建前の盾に隠れて、
いじめをするかもしれないし、
ヤケクソに悪に振り切って、
もっと酷いことをするかもしれません。

「生き物の本音」の存在を否定せずに、
「生き物の本音」の良さと悪さを認識し、意識的に良いやり方を選んでそのエネルギーを発散させるべきなんです。

存在を否定したまま、
「生き物の本音」の扱い方を考えることはできません。
自分の「生き物の本音」が人を傷つけるようなことをしないように、
自分でしっかり見ててあげるべきなんです。



多くの人は、お金や権力という「幻」ばかりに目を向けて、
自分の心という「現実」からは目を背けてるように思います。
(変わった言い方のように聞こえるかもしれませんが、僕はそう思います。)
「お金と権力は大切なもの、自分の心を大事にすることはわがままなこと」
という価値観が当然だというように、まかり通ってます。
この社会においては、その価値観でだいたいOKなのかもしれません。
だいたいOKかもしれませんが、それで全てOKというわけにはいきません。
その価値観のデメリットの部分が、今の社会で様々な問題を引き起こしてます。
「お金と権力は大切なもの、自分の心を大事にすることはわがままなこと」
という価値観を
もっと改良して良くしていかないと、問題は解決しないんです。
そのためには、
「今の価値観や道徳は当然、当たり前に良いものですよね。」
というスタンスでは、ダメなんです。


「生き物の本音」をわがままだとか、悪だとか言って雑に切り捨てないで、
ちゃんとそれと向き合って、
どうやったら人に迷惑をかけないやり方でそれを解放できるのかを、
ちゃんと考えなくちゃいけないと思います。
リビドーの解放の方向を誤って、
街で人を刺す人もいるし、自分の子供を私物化する人もいるし、
大人になってもいじめをやめない人もいる、そんな世の中です。

たしかに、道徳のおかげで概ね平和な世の中ですが、
その代償として、
道徳のデメリットが別の悲劇が生みまくってます。
大人たちは一生懸命、それに蓋をしています。
「まさか、私たちの価値観や道徳が悪いわけではないですよね」って顔してます。
そんなんじゃ、永遠に変われません。

子供の頃、道徳の授業で「戦争は悪い」と散々教えられてきました。
戦争に関する悲惨な文章なんか読んで、「戦争って悪いですね」って叩き込まれてきました。
でも、どうしたら戦争がなくなるのか、なぜ戦争が起きるのか、
戦争の本質については一切触れられませんでした。
で、2004年くらいに日本は、戦争とまったく同じ行為を支持しました。
「戦争」とは言わず、「テロに屈しない」という立派そうな言葉を建前にして、
アメリカのイラク攻撃に加担しました。
「戦争」とは言わず、「テロとの戦い」という言葉を前面に出すことで、
賛否両論あったけど、半分くいらい(?)は、「テロとの戦いだし仕方ないのかなー」って風潮になりました。
その時僕は、
道徳の授業で散々「戦争は悪い」を繰り返してきたのって、
いったいなんだったんだろーかって思いました。
道徳ということにして、同じ台詞を繰り返し聞かせると、人は本質を考えられなくなるんだな。
って思いました。

この話はこれくらいにして、
いじめのことに話をもどして、次の章で終わりにします。


● 《「俺はお前より価値がある」合戦を抜け出せ。》

みんな、
「俺はお前より価値がある」合戦をやっています。
そんな風に見えます。
大人たちも今だにそれをやってる。
大人たちは子供を巻き込んでやってる。
ほんとヒステリックでイヤだ。

早いとこそんな合戦から抜け出して、
自分の楽しみで楽しまなくちゃいけない、と思う。

その合戦の中に楽しさを感じることもあるかもしれないが、
その「合戦の中での楽しさ」は「他人との競争の上に成り立つ楽しさ」でしかないよ。
つまり、「他人の苦しさ、悔しさの上に成り立つ楽しさ」でしかないってこと。
「それは悪い楽しさだ」だなんて言うつもりはないよ。
ただ、「他人の苦しさの上に成り立つ」ってことはつまり、
「他人ありきでしか楽しめない」ってこと。

他人ありきってことはつまり、他人に甘えてるってこと。
そのタイプの楽しさを欲しがる人になってしまうと、
他人に甘え続ける人生になるってこと。
そうなると、
甘えられない時は苛立っちゃう、という苦しい人生になるよ。
その苛立とヒステリーの中で自分の心に振り回されて、
人はいじめをするんだよ。

いじめをする人には
「いじめなくても大丈夫なんだよ。」ってことに気づいて欲しい。

誰かをいじめて、自分の価値を確かめる。
そんなことしなくっていいんだよ。


なぜかっていうと、
価値なんて、「なくていいもの」なんだから。
価値なんかなくったって
生きていけるし、生きてていいし、楽しめるし、友達もできるんだよ。


価値なんかなくても、
他人より優れてなくても、人はそう簡単には死なないから。
そりゃあ価値ある(と思われてる)方が得することはあるだろうよ。
でもね、
価値ない(と思われてる)人は、
価値ある(と思われてる)人には気づけない事柄に気づける。
そういうことがよくあって、
その気づきが人生をガンガン変えていくから、
結局どっちもどっちなんだと思うよ。

少なくとも、
「価値はなくてもいいものだ」っていう事実を
知ってるか知らないかのほうが大きな差だよ。

「価値はなくてもいいものだ」って気がつけたら
焦らされることもないし、無自覚に必死になってしまうこともなくなるから、
いろんなことを自分で感じながら生きれて、
面白い人生になる!
と、思うよ。

そのうえでさ、
みんなに自慢できるような「価値」を、
自分に育てていけば、いいんじゃない?
自分で好きなやつを選んでさ!
自分の好きなやつ選べるんだぜ!?
人生の全てをそれに費やしたっていいんだよ。
自分で選んだ価値に全部賭けたっていいんだよ。
面白そうでしょ?(僕はそう思う。)

だから、
いじめをしてる場合じゃないし、
いじめに付き合ってる場合じゃないんだよ。

価値なんか、どれでもいいんだから
まずは選ばなきゃいけないし
よりいいやつを選べぶために、色々知らなきゃいけない。
でも、もし、それに熱中できたとしたら
もう、いじめのことなんか一気に吹き飛ぶよ。(きっと。絶対。たぶん。)

これは、けっこう本当のことだと思うよ。

大人も子供もさ、
いじめっこといじめられっこの間をいつまでもフラフラしてないでさ、
突き抜けちゃおうよ。
誰かが作った嘘に騙されてないでさ、しっかりしようよ。
特にまずは大人がさ。

大人にはもう少ししっかりしてほしい。
自分の本音を押し殺すための言い訳を他人にまで押し付けるようなことはやめて、
そんな自分勝手なことのために道徳とか、理想とか、人間性とか持ち出すのやめて、
覚悟を決めて、
最悪で最高で不可解な「自分の本音」と向き合ってさ。
しっかりしろよ。

・・・とか、言葉で言うのは簡単なことで、
「じゃあこの文章自体が、お前の建前を他人に押し付ける行為じゃないのかよ」
って言われたら、僕の頭は必死になっちゃって次の言い訳を探すのかもね。。。
でもね、こう言います。
「本音でも建前でも別にどっちもどーでもいいんだよ。人に迷惑かけないように注意さえしてれば。」

「いじめは悪い」とか「いじめじゃありません」とか、
そういうことじゃなくて、もっと単純に
「人が嫌がることはできるだけやめようね。」
っていうことだと思うよ。シンプルに。



●あとがき

本当に長くなった。
読んでくれた人お疲れ様。ありがとう。

あのいじめのニュースを報道してた頃からずっと
色々思ってたから、書けてよかった。

暴論だっていうのは認めるよ。
でも、世の中の方がはるかに暴論だよ。
それも認めてね。


最後にもうひとつだけ書く。
この世界で「強さになるもの」、「価値になるもの」って、
本当はいっぱいいっぱいいろんなのがあるんだよ!!
腕力とか金とか権力だけじゃないよ!
熱中とか洞察力とか楽観的とか情熱とかアイデアとか暗いとかバカとか
知ってるとか知らないとか細かいとか雑とか怠慢とか飽きっぽいとか頑固とかテキトーとか
知識とか技術とか「僕だけが」とか「みんなも」とか
神経質とか無神経とか大雑把とか几帳面とか天才とかバカとか…、とにかくいろいろ!
いろんなものが「力」になるんだよ!
しれっと、いじめ合戦から抜け出して、もっと単純なスカッとすることをやらかそうよ。
何度も言ってることだけど、つきぬけることはやさしさなんだからね!

ねずみ

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閉じる コメント(3)

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僕はこの文章を読んで、頭の中でたくさん考えても考えても、自分がどうすればよいのかわかりません。
でもこの文章を読んで、なんとなく良かったと思いました。
ありがとうございました。 削除

2013/3/16(土) 午後 8:58 [ ] 返信する

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コメントありがとう!
嬉しい!
>この文章を読んで、なんとなく良かったと思いました。

2013/9/25(水) 午後 3:57 [ 西宮灰鼠 ] 返信する

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価値なんかなくても友達できるし、人生楽しめるっていう下りが、今まで聞いたそういう話の中で一番ストンと来ました。

つきぬけることが優しさ、本当にそう思います。
読んで良かったです。

2014/4/17(木) 午前 11:54 [ lam*_s*ar* ] 返信する

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