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105空がひび割れだ

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105空がひび割れだ

こんばんは、今年は1月から新しいCDをレコーディングして、発売しました。
深い青の夜の歌がつまった心の宇宙の音楽です。

で、

スペースシャトルの歌詞の
新宿御苑のくだりで

『新宿御苑 金色の芝生 子ども達はしゃぐ声
葉を落とした木々の枝々 空がひび割れだ』

って歌詞があります。
「空がひび割れだ」って、上の写真のような状態のことです。



で、CDはこれです
**********************

西宮灰鼠 『スペースシャトル』 
CL-034 ¥2,000(税抜)
Amazon

**********************


(なんと、ゲストミュージシャンにパスカルズの松井さん(violin)、坂本さん(cello)、演奏してくれてます(@_@)うれしー!)
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※104回目の文章はとても長くなってしまったので4つに分けて載せてます。
104 (1/4) から読んでください。(104 (1/4) →)http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184061.html

これは、104 (4/4) です。
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104 ◆いじめ・練習・北斗の拳・必死・本音◆
(4/4)『生き物としての本音』


● 《抑圧された「なにか」とは何か。》


前章の最後で書いた、
大人たちが無意識の奥に恐怖と一緒に閉じ込めた「なにか」とはなんだろうか。

もしかしたら、「本音」と言い換えることもできそうです。
「生き物としての本音」です。

例えば、
嬉ければ叫びたい。
恐怖を感じれば叫びたい。
いい思いをしたい。
居心地が悪いのは嫌だ。
食べたい、寝たい、遊びたい、死にたくない。
例え他人を蹴落としてでも自分が生き延びたい。
などなどでしょうか。
「生きたい!!」という生き物のエネルギーとも呼べるものでしょう。
(心理学用語で言うところのリビドーかな?)

「生き物としての本音」は「わがまま」などという名前をつけられ、子供の頃に、あまりにも簡単に「処分」されてしまいます。
「わがまま」に「悪」というレッテルを貼ります。
「わがままは良くありません」という道徳です。

人間は道徳を使って、個人個人の「生き物の本音」を抑圧します。

そうすることで、これだけ大きな社会を構築することに成功してます。

その一方では「生き物の本音」に従って、食べ、寝て、性交しすることで、個々の命を維持してきました。
両方のバランスと葛藤の狭間で、人間はこの文明社会を築いてきたのです。

僕は、
この「生き物としての本音」に、「悪」というレッテル貼って、あまりにも安易に「処分」してしまうことに、大きな問題があると思ってます。

今僕は、「人間はこれだけ大きな社会を構築することに成功してる」、と書きましたが、

今の社会の状態は「成功」といえるんでしょうか?
この社会には、いじめもあれば戦争もあります。

「生き物の本音」の処理方法に何か問題があるんじゃないでしょうか?
リビドーをどうするのか、という問題です。

「わがまま」と名付けようが、「悪」と名付けようが
「生き物の本音」のエネルギーは、消えてなくなるわけじゃありません。


「わがまま」として処分し、「悪」というレッテル貼り、
無意識の底に閉じ込めてしまう方法には、なにか決定的なデメリットがあるんじゃないでしょうか。


● 《道徳のデメリット》

いじめの問題を考えていくと、
この社会は、
『「生き物の本音」と「道徳」が個人個人の心の中で衝突している。』
という事実から目を背けてるな、って感じます。

「生き物の本音」が人にいじめをさせようとします。
この不安たっぷりの世の中で、「なんとか他人を押しのけてでも生き延びたい」という欲望が、
人をいじめに向かわせます。

道徳は、ただそれに「悪」というレッテルを貼って、抑え込もうとするだけです。馬鹿の一つ覚えみたいに。
(道徳はいつも、なんのアドバイスもくれません。ただ脅すだけです。)

「悪」という言葉は強烈です。
「悪」とは、社会から処分されるということを意味します。
社会から処分されることは、死を予感させます。
もし自分が「悪」になってしまえば、
自分が幼い頃、自分のわがままを無理やり閉じ込めて処分したのとおなじように、
社会は自分を処分するだろう。
と、恐怖します。
そんなことあってはならない、怖すぎる。と、生き物として感じます。

怖すぎるから、
自分は「悪」じゃない。と、無意識に思い込みたくなります。
そして、その結果、
自分の「生き物の本音」をないものとしてしまいます。

当たり前に誰にでもあるはずの
自分の中の「生き物の本音」の存在を否定してしまうのです。
存在を否定された「生き物の本音」は
なんとか形を変えてそのエネルギーを発散させようとします。

どんな形でそのエネルギーを発散させるのか、がとても重要です。
人に迷惑のかからないやり方を選んで、発散させるべきなんです。
しかし、すでにその存在を否定してしまっているがゆえに、どんな形で発散させるのかを自分で選べなくなってしまっているのです。
結果、無意識のなすがままに、そのエネルギーは人を傷つけるような形で表出します。


建前の盾に隠れて、
いじめをするかもしれないし、
ヤケクソに悪に振り切って、
もっと酷いことをするかもしれません。

「生き物の本音」の存在を否定せずに、
「生き物の本音」の良さと悪さを認識し、意識的に良いやり方を選んでそのエネルギーを発散させるべきなんです。

存在を否定したまま、
「生き物の本音」の扱い方を考えることはできません。
自分の「生き物の本音」が人を傷つけるようなことをしないように、
自分でしっかり見ててあげるべきなんです。



多くの人は、お金や権力という「幻」ばかりに目を向けて、
自分の心という「現実」からは目を背けてるように思います。
(変わった言い方のように聞こえるかもしれませんが、僕はそう思います。)
「お金と権力は大切なもの、自分の心を大事にすることはわがままなこと」
という価値観が当然だというように、まかり通ってます。
この社会においては、その価値観でだいたいOKなのかもしれません。
だいたいOKかもしれませんが、それで全てOKというわけにはいきません。
その価値観のデメリットの部分が、今の社会で様々な問題を引き起こしてます。
「お金と権力は大切なもの、自分の心を大事にすることはわがままなこと」
という価値観を
もっと改良して良くしていかないと、問題は解決しないんです。
そのためには、
「今の価値観や道徳は当然、当たり前に良いものですよね。」
というスタンスでは、ダメなんです。


「生き物の本音」をわがままだとか、悪だとか言って雑に切り捨てないで、
ちゃんとそれと向き合って、
どうやったら人に迷惑をかけないやり方でそれを解放できるのかを、
ちゃんと考えなくちゃいけないと思います。
リビドーの解放の方向を誤って、
街で人を刺す人もいるし、自分の子供を私物化する人もいるし、
大人になってもいじめをやめない人もいる、そんな世の中です。

たしかに、道徳のおかげで概ね平和な世の中ですが、
その代償として、
道徳のデメリットが別の悲劇が生みまくってます。
大人たちは一生懸命、それに蓋をしています。
「まさか、私たちの価値観や道徳が悪いわけではないですよね」って顔してます。
そんなんじゃ、永遠に変われません。

子供の頃、道徳の授業で「戦争は悪い」と散々教えられてきました。
戦争に関する悲惨な文章なんか読んで、「戦争って悪いですね」って叩き込まれてきました。
でも、どうしたら戦争がなくなるのか、なぜ戦争が起きるのか、
戦争の本質については一切触れられませんでした。
で、2004年くらいに日本は、戦争とまったく同じ行為を支持しました。
「戦争」とは言わず、「テロに屈しない」という立派そうな言葉を建前にして、
アメリカのイラク攻撃に加担しました。
「戦争」とは言わず、「テロとの戦い」という言葉を前面に出すことで、
賛否両論あったけど、半分くいらい(?)は、「テロとの戦いだし仕方ないのかなー」って風潮になりました。
その時僕は、
道徳の授業で散々「戦争は悪い」を繰り返してきたのって、
いったいなんだったんだろーかって思いました。
道徳ということにして、同じ台詞を繰り返し聞かせると、人は本質を考えられなくなるんだな。
って思いました。

この話はこれくらいにして、
いじめのことに話をもどして、次の章で終わりにします。


● 《「俺はお前より価値がある」合戦を抜け出せ。》

みんな、
「俺はお前より価値がある」合戦をやっています。
そんな風に見えます。
大人たちも今だにそれをやってる。
大人たちは子供を巻き込んでやってる。
ほんとヒステリックでイヤだ。

早いとこそんな合戦から抜け出して、
自分の楽しみで楽しまなくちゃいけない、と思う。

その合戦の中に楽しさを感じることもあるかもしれないが、
その「合戦の中での楽しさ」は「他人との競争の上に成り立つ楽しさ」でしかないよ。
つまり、「他人の苦しさ、悔しさの上に成り立つ楽しさ」でしかないってこと。
「それは悪い楽しさだ」だなんて言うつもりはないよ。
ただ、「他人の苦しさの上に成り立つ」ってことはつまり、
「他人ありきでしか楽しめない」ってこと。

他人ありきってことはつまり、他人に甘えてるってこと。
そのタイプの楽しさを欲しがる人になってしまうと、
他人に甘え続ける人生になるってこと。
そうなると、
甘えられない時は苛立っちゃう、という苦しい人生になるよ。
その苛立とヒステリーの中で自分の心に振り回されて、
人はいじめをするんだよ。

いじめをする人には
「いじめなくても大丈夫なんだよ。」ってことに気づいて欲しい。

誰かをいじめて、自分の価値を確かめる。
そんなことしなくっていいんだよ。


なぜかっていうと、
価値なんて、「なくていいもの」なんだから。
価値なんかなくったって
生きていけるし、生きてていいし、楽しめるし、友達もできるんだよ。


価値なんかなくても、
他人より優れてなくても、人はそう簡単には死なないから。
そりゃあ価値ある(と思われてる)方が得することはあるだろうよ。
でもね、
価値ない(と思われてる)人は、
価値ある(と思われてる)人には気づけない事柄に気づける。
そういうことがよくあって、
その気づきが人生をガンガン変えていくから、
結局どっちもどっちなんだと思うよ。

少なくとも、
「価値はなくてもいいものだ」っていう事実を
知ってるか知らないかのほうが大きな差だよ。

「価値はなくてもいいものだ」って気がつけたら
焦らされることもないし、無自覚に必死になってしまうこともなくなるから、
いろんなことを自分で感じながら生きれて、
面白い人生になる!
と、思うよ。

そのうえでさ、
みんなに自慢できるような「価値」を、
自分に育てていけば、いいんじゃない?
自分で好きなやつを選んでさ!
自分の好きなやつ選べるんだぜ!?
人生の全てをそれに費やしたっていいんだよ。
自分で選んだ価値に全部賭けたっていいんだよ。
面白そうでしょ?(僕はそう思う。)

だから、
いじめをしてる場合じゃないし、
いじめに付き合ってる場合じゃないんだよ。

価値なんか、どれでもいいんだから
まずは選ばなきゃいけないし
よりいいやつを選べぶために、色々知らなきゃいけない。
でも、もし、それに熱中できたとしたら
もう、いじめのことなんか一気に吹き飛ぶよ。(きっと。絶対。たぶん。)

これは、けっこう本当のことだと思うよ。

大人も子供もさ、
いじめっこといじめられっこの間をいつまでもフラフラしてないでさ、
突き抜けちゃおうよ。
誰かが作った嘘に騙されてないでさ、しっかりしようよ。
特にまずは大人がさ。

大人にはもう少ししっかりしてほしい。
自分の本音を押し殺すための言い訳を他人にまで押し付けるようなことはやめて、
そんな自分勝手なことのために道徳とか、理想とか、人間性とか持ち出すのやめて、
覚悟を決めて、
最悪で最高で不可解な「自分の本音」と向き合ってさ。
しっかりしろよ。

・・・とか、言葉で言うのは簡単なことで、
「じゃあこの文章自体が、お前の建前を他人に押し付ける行為じゃないのかよ」
って言われたら、僕の頭は必死になっちゃって次の言い訳を探すのかもね。。。
でもね、こう言います。
「本音でも建前でも別にどっちもどーでもいいんだよ。人に迷惑かけないように注意さえしてれば。」

「いじめは悪い」とか「いじめじゃありません」とか、
そういうことじゃなくて、もっと単純に
「人が嫌がることはできるだけやめようね。」
っていうことだと思うよ。シンプルに。



●あとがき

本当に長くなった。
読んでくれた人お疲れ様。ありがとう。

あのいじめのニュースを報道してた頃からずっと
色々思ってたから、書けてよかった。

暴論だっていうのは認めるよ。
でも、世の中の方がはるかに暴論だよ。
それも認めてね。


最後にもうひとつだけ書く。
この世界で「強さになるもの」、「価値になるもの」って、
本当はいっぱいいっぱいいろんなのがあるんだよ!!
腕力とか金とか権力だけじゃないよ!
熱中とか洞察力とか楽観的とか情熱とかアイデアとか暗いとかバカとか
知ってるとか知らないとか細かいとか雑とか怠慢とか飽きっぽいとか頑固とかテキトーとか
知識とか技術とか「僕だけが」とか「みんなも」とか
神経質とか無神経とか大雑把とか几帳面とか天才とかバカとか…、とにかくいろいろ!
いろんなものが「力」になるんだよ!
しれっと、いじめ合戦から抜け出して、もっと単純なスカッとすることをやらかそうよ。
何度も言ってることだけど、つきぬけることはやさしさなんだからね!

ねずみ

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※104回目の文章はとても長くなってしまったので4つに分けて載せてます。
104 (1/4) から読んでください。(104 (1/4) →)http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184061.html

これは、104 (3/4) です。
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104 ◆いじめ・練習・北斗の拳・必死・本音◆
(3/4)『大人たちも必死』


● 《大人たちもいじめの真っ只中でビビってる。》

この社会は、
「いじめの技術」を「土台にして」築かれたものなんです。


怯えさせることや、怖がらせることや、
大勢で少数を追い詰めることや、
自尊心をなくさせるようなことをすることなどなど。
そういう、いじめとおんなじやり方で
世の中の暗黙のルールを作り、
今の社会を肯定するようにしむけているのです。

誰がやってるのか。それは権力者である、大人達です。
(大人の中でも、今この社会である程度満足して生きれている人たちのことです。今この社会でうまいこと生きれているので、このままこの社会が続いてほしいなって思っている人たちです。)

言ってみれば、「教育、しつけ、道徳は利権問題です。」
「今権力を持っている人がこれからもずっと利益(既得権益)を得続けられる」ように作られているんです。
だから、権力者たちがそこにしがみつくんです。
そして、その利権で得た権力を利用して、また、教育、しつけ、道徳をやるんです。
「自分たちの生き様を肯定するための価値観」を広めるためです。
自分達の正当性を宣伝してるんです。無意識に。


そのやり方は暴力に近いものです。
教育にもしつけにも道徳にも、
いじめと同じ種類の「暴力」が仕組まれていきます。
「怖がらせるという種類の暴力」です。

教育、しつけ、道徳、その内容や目的は確かに「素晴らしい」ものかもしれません。
しかし、その「素晴らしい」という「印象を利用」して、脅してきます。
つまり、
「人は素晴らしくなくちゃいけない」を暗示させ、恐怖させ、脅します。

例えば、
しつけのなってない人間のことを
「人間としてなってない」
という言い方をします。
そんな台詞を耳したら、まだ社会の価値観を自分で見極め切れてない子供たちにとっては、恐怖です。

子供のいじめは、
「どの程度やればいいか、さぐりながらのいじめ」ですが、
大人のいじめは
「人に咎められることがないように気を配った、姑息なやり方のいじめ」です。

「バレないようにいじめる技」の最終奥義。
「咎められない空気を作り出し、建前を振りかざし自分のいじめを正当化してしまう」
という大技です。

大人の多くは、そのいじめを自覚せずにやってます。
ちょうど子供たちのいじめっこと同じようにです。
いいえ、同じどころか、大人の場合、自分のいじめを正当化します。
「これは社会にとって結局いいことなんだ。」と、正当化します。
罪悪感もなく正当化します。
なんなら偉い大人のつもりでいます。

建前をあくまでも建前だと、自覚しているならまだしも、
建前を当たり前のことだと、本気で信じ込んでます。

多くの大人たちは、「自分自身を顧みること」がちょっとしかできません。
酷いことですね。酷いことですが、
子供たちが必死なのと全く同じように
大人たちも必死なんです。

子供たちが必死にこの世の中で生き延びようとしている必死さと
全く同じ必死さで、
大人たちは自分が今信じている社会観、道徳観、価値観にしがみついているんです。
それがこの世の中で生き延びる唯一の方法だと信じているから。


大人も子供もいじめを、「必死に」してるんです。

これは擁護するために言ってるわけじゃないです。
どうしたらいじめがなくなるかの手がかりになればと思って
言ってるんです。

「いじめをやめろ」とどんなに言ったってなくならない訳です。
「必死」だからやめられないのです。

「この社会で生き延びれるかどうか」がかかってるんだから、やめるわけにはいきません。
良心に訴えても、あまり効果がありません。


● 《大人も子供もヒステリックだ。そりゃいじめだってするわ。》

この社会は少し「ヒステリック」です。
過剰に「必死」な感じです。
「価値がないといけない」と、盲信してます。
「何が本当の価値なのかわからない」と薄々気づいてるくせにです。

幻に怯えてるんです。
心の何処かで自分に確信が持てないから、ヒステリックなんです。


権力やお金なんかを
「絶対のもの」だと信じようとしてるからです。

「お金」は、みんながそれをお金だと信じてるから「お金」なのであって、
自分一人っきりでお金だと信じていても、それはただの紙切れです。
権力もそうです。みんなが王様だと認めてくれてるから、王様なのであって、
自分一人で信じていても、王様じゃありません。
「あなたは権力がある人です」と大勢に認められて、はじめて権力になります。
権力もお金も、「大勢の人が信じているから、その力を維持してる」というだけの、
本当は「かなり危うい力」です。

だから、
他人に「それは嘘っぱちだよ」って言われるのが怖いんです。

「もしかしたら自分が信じてきた価値や権力はハリボテかもしれない」ってこと
にビビってるんです。
自分の信念や価値観が、他人の心に委ねられてる状態なんです。
それって、非常に不安定です。

だから「過剰に固執」してるんです。
ヒステリックに。

ヒステリックになっちゃうくらい怯えてるんです。
怖くて怖くて仕方ないんです。

だから、恐怖のまるごと全部を、無意識に閉じ込められちゃってるんです。

無意識に閉じ込められちゃってるから、
それについて「深く考えることが不可能」になってしまったんです。

深く考えないから、簡単に正当化しちゃうんです。

深く考えず簡単に正当化しちゃったもんだから、他人賛同が欲しいんです。
他人の賛同がないと、恐怖に飲み込まれてしまいそうになるんです。

その恐怖が人をヒステリックにしているんです。


いじめの問題は
大人たちが無意識の底に恐怖と一緒に閉じ込めた「なにか」
に結びついている問題なんです。
(「なにか」ってなんだろう?欲望?自由?本音?本能?衝動?)

その閉じ込められている「なにか」が
無意識の中でいつまでも「葛藤」しているんです。
だから大人たちはデリケートでヒステリックで
すごくやっかいなんです。


「俺たちはあんなに頑張って、「なにか」を制圧してきたんだから、
お前らも同じようにしろ。」と、大人たちは「必死」で言ってます。

そうすることが絶対に正しい事だと信じています。
そりゃあ、信じているはずです。もし「正しくない」ってことになったら、
恐怖に苦しんだ子供時代も、頑張って作り上げてきた今現在の自分も
全てが、無意味だったってことになってしまうからです。
「自分の苦しみには意味がなかった」なんて耐えられない。だから、信じているんです。
そして、信じているから、子ども達に強要するんですね。


※104 (4/4) へ続く →http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184070.html

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※104回目の文章はとても長くなってしまったので4つに分けて載せてます。
104 (1/4) から読んでください。(104 (1/4) →)http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184061.html

これは、104 (2/4) です。
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104◆いじめ・練習・北斗の拳・必死・本音◆
(2/4)『教育・道徳・しつけ』


● 《みんなに「いいこと」だと認知されているいじめ》


大人になるにつれて子供達は
2種類の「他人に咎められることがないいじめ」を習得していく
と先述しました。
1つは「バレないいじめ」でした。

次は、もうひとつの
「みんなに「いいこと」だと認知されているいじめ」
の方を説明をします。(かなり複雑でややこしい話です。)

「みんなに「いいこと」だと認知されているいじめ」とは、
ざっくり言えば、
教育や、しつけのことです。

これらは、一応この社会において、
「いいこと」「価値あること」「意味あること」とされているものです。
僕はこれらの根底に「いじめ」の構造が潜んでいると思ってます。

(もっと広く考えると、成績表や年功序列や偏差値や競争や社会、道徳とか、価値観とか、センスとか、お金とか、などなども入ってきます。
「成績表、年功序列、偏差値、競争、社会、道徳、価値観、センス、お金などなど」
これらの言葉にナイフを突きつけられ、
「お前はどうするんだ?」って脅されてる、
そんな感覚が、人々の無意識の奥底に沈んでるような気がします。)

「これら全てはいじめなんだ」と言い切ると
反論が出るに決まってるし、簡単には答えはでません。
もちろん僕も微妙なラインだと思います。

僕はこれらの全部が悪いと言い切って切り捨てようとしてるわけじゃありません。
それらは本当に、「いいこと」かもしれません。
「いいこと」かもしれませんが、
それらは、「いじめ」にとても似ています。


それらは必要なことかもしれません。
必要なことかもしれませんが、「いじめ」にとても似ています。

いじめの被害者と加害者達それぞれに湧く感情、
それと同じ感情を湧かせる行為
だと思うのです。

なぜなら、
(どうしてたって)「脅し」が根底にあるからです。
「怯えが根底にある」んです。

教育やしつけの根底は脅しです。
当然です。
しつけも教育も、「ちゃんとしないと、この社会から省かれますよ」ってことなんだから。
どうしたって「省かれる」ことへの恐怖が根底にあるんです。

もちろん、
愛情表現などのフォローがあれば
いじめられる側のあのいやな感じは減るでしょう。
フォローが大事だと思います。
でも逆に言えば、
フォローがなければ「いじめそっくり」
になってしまいます。

教育やしつけ自体は確かに本当に「必要」なことかもしれません。
でも、
教育やしつけをするのに
「いじめと同じ方法」を使ってる
な、
と感じる状況がよくあります。

(「いじめは悪い」という項目を含んでるはずの)道徳すら
いじめと同じ力を持ってる
気がします。
つまり、「大勢で人を脅して操る力」です。

道徳でいじめる、みたいなことがおきています。
道徳を広めるために、
「いじめと似たような方法」を使っていることが多いです。
「脅すようなやり方」で道徳を広めている光景をたまに見かけます。

大人たちはたいてい、言葉の端々に威圧を散りばめるような言い方で、道徳を語ります。

例えば、
「人として、、、」という言葉の裏には、「人間のクズは社会から省かれて死ぬよ」という恐怖の暗示が張り付いてます。

「道徳なんだから、厳しいやり方をしてでも教え込まなくちゃダメだろ!」
そう言う人もいるでしょう。
反論はしません。そうかもしれません。
そうかもしれませんが、それでいじめがなくなるんなら問題ないのですが、
多分、そのやり方ではいじめは増えます。

おそらくまだ、納得いってないと思うので、
教育、しつけ、道徳についてもうちょっと書きます。


● 《「教育、しつけ、道徳」は正当化のための言葉。》

みんな、深く考えないで、
「しつけや教育や道徳は良いことだ」と思っています。
「いいこと」というラベルが貼られています。

物事には善し悪しがあって、
どんなにいいことでも、悪い面もあったりします。
メリットがあれば、なにかしらデメリットもあるものです。
だから、「深く考えない」わけにはいかないはずです。
なのに人は、「いいこと」というラベルが貼られているものについて、深く考えようとしません。
それどころか、それらに疑問を持つと「反社会的」または「反抗的」
というレッテルが貼られます。

なぜこんなにも「厳格」でなんでしょうか?
そこにはカラクリが隠されています。


そのカラクリとは、
権力者が今の権力を維持するための仕組みです。
権力者が自分の生き様を正当化するためです。
権力者が罪悪感を薄めるためです。

権力者とは大人です。
(大人のなかでも、この社会で、ある程度満足して生きれている人たちのことです。)

かなりややこしい話になってしまうかもしれませんが、
説明してみます、、、。

「お金を持ってない人は、辛い人生を送ることになりますよ。」
世の中はそれを暗示してきます。
(それが真実かどうかは、置いといて。)
遠回しな言い方で、それを突きつけてきます。
オブラートに包んだ言い回しで、ぼんやりと、
しかし、確実に突きつけてきます。
あのバレないいじめのやり方です。

「お金の稼げない人は能力がない人。能力がない人は生きる価値がない」
これを暗示してきます。

ハッキリとは言わなくても、「雰囲気」を使って脅してきます。
そして、
「能力とは、良い学歴を持っていることと、良き人間であることだ。」
と、こうきます。

そうすると、子供達は
「学歴のために先生の言うこと良く聞かなくっちゃ。」と思います。
それから、
「良き人間であるとはどういう人間のことだろう。いまいちわからないところもあるから大人たちを言うこと良く聞かなくっちゃ。」
と、こうなって、
大人たちの顔色をうかがう子供たちの完成です。

その根底にあるのは、
「能力がない人は生きる価値がない」という社会の方針に対する怯え
です。
いじめられっこがいじめっ子の顔色をうかがうように、
子供たちは大人たちの顔色をうかがうようになります。
そして、子供たちは、
「能力のない者は生きる価値がない」という大人たちと同じ価値観を共有し、その社会の一員になっていきます。


そうして大人たちは、
「今自分たちが信じている価値観がこれからも続く」
という保証を手に入れます。

実は、大人たちは、
「あなたの信じている価値観はまちがいです。
あなたの受けた教育は全部間違いでした、
生きる価値がないのはあなたです。」
と、言われることに怯えているんです。


なぜならば、、、、
大人たちも彼らの価値観を脅されながら教え込まれたので、
自分の価値観が正しいと言う根拠に完璧な自信が持てないのです。

自信が持てないから、みんなにも自分と同じ価値観でいてもらいたい。そして安心したい。

そのために次の世代にも同じ価値観でいてもらわないと、不安だ。
そうだ、子供たちにも自分たちが教え込まれた方法と同じ方法で教え込もう。

大人たちはこれを「自覚」してはいません。
でも、脳は無意識のレベルでは知っています。
なぜ無意識のレベルに留まっているかというと、
「意識するには恐ろしすぎること」だからです。
「恐ろしすぎること」は抑圧されて無意識に押し込まれるのです。
怖すぎて、自覚できなくなってしまうのです。
「脅し、いじめ」の効能であり害悪です。

道徳に疑問を持つ人間の存在は
大人たちにとっては、自分の価値観を破壊しかねない危険な人間です。
(子供達も道徳を持たないという意味では似たような存在です。)
そんな人間が目の前に現れたら、
怖くて怖くて、ヒステリックに怒るのです。
「道徳を重んじろ!お前のためにいってるんだ!」

そしてなんとかその「危険人物」を懲らしめようとします。
「反社会的」というレッテルを貼り、蔑まれるように計らいます。
それがうまくいくと、彼らはこう考えます。
「危険人物は皆に蔑まれてる。私は蔑まれてはいないので、やっぱり私は正しいのだ」と。
そして、それ以上考えなくなります。

「重んじる」だなんて、とても立派そうな言葉です。
「お前のために」だなんて、なんて立派そうな台詞でしょう。
ポイントは、この「立派そうに見える言葉」です。
この「立派に見える」が不可欠なんです。大人たちは、「威厳があるように見えること」を重視してるんです。

彼らの道徳観や価値観は、
子供の頃に脅されて、刷り込まれたものがほとんどです。
でも、
自分の核心である価値観が、
実は「脅されて刷り込まれたもの」でした。ということでは、自尊心が保てません。
自尊心の揺らいだ弱い心は、もっと正当な理由を欲しがります。
自分は正しいんだと強く思いたいんです。
そこで、立派そうな言葉や論理を振りかざすのです。威厳と自尊心を保つために。
(立派そうな言葉や論理、それは建前ってよばれることもあります。)

だから、
「教育、しつけ、道徳」どれも立派そうな単語なんです。「権威」のありそうな言葉です。

権威のありそうな言葉をつかうことで
「自分は正しいんだ」と、納得できるのです。
権力の権に、威圧の威で、権威です。
権力で威圧して自分を守り、納得したいんです。

本当はなんだか怖くて、
ヒステリックに怒ってしまったけど、
これは、「子供達のための教育なんだ。」
という「建前」を信じることで、
やっと、大人たちの心に平穏が訪れるわけです。

これが、

道徳の「厳格さ」のカラクリです。

大人達の心の問題なんです。

すごく暴論なのは認めます。
「教育やしつけが子供たちのためじゃない訳がないだろ!」
って怒る人もいるでしょう。そこには反論しません。
(たしかに「教育、しつけ」されなかった子供達の方がかわいそうだと思います。)

「大人の所為にしてるだけじゃないか!」って言うかもしれません。
誰の責任とか、どうでもいいんです。
ただ、とにかく誠実に考えて、原因を突き止めて改善したいだけです。

どんなことにもメリットがあればデメリットもあるものです。
そのデメリットの部分が悲劇を産んでいる、ということだってあると思うんです。
たぶん、すごくややこしい問題なんだと思うんです。
考える以外に改善策を生む方法はないんじゃないかとおもうんです。
間違ってるかもしれないけど、合ってるかもしれないんです。

進めます。


● 《教育の心理構造といじめの心理構造は似てる。》

さて、「教育」と「いじめ」がどれだけ似てるか、
まだまだ突き詰めていきます。

権力者が「教育」に込める「暗示の内容」は
子供がいじめに込める「暗示の内容」と似たような構造をしています。

いじめっ子が「暗示したい内容」はこれです。
「こいつは弱く、生きる価値がない」
これを、周囲の人間に思い知らせようとしてます。

なぜか?
そうすることで、
「俺こそ、強く、生残っていく価値ある人間だ」
これを自他に示そうとしてるんです。

「あいつが弱くて、俺が強い。」
を明白にしたいんです。
なぜそんなことを、示さなければいけないのか?

それは「人間の価値」ってものが解りづらいものだからです。

北斗の拳の世界なら、「強弱=腕力の強さ」でわかりやすいんだけど、
現実の世界の強弱は、腕力だけじゃなく、お金とか権力とか価値とか、
子供にとってわかりづらいものが絡んでます。
お金はまだしも、権力や価値なんて、本当には存在しない幻のようなものだし。。。

だから、子供たちは、
「この社会では、どうやら、、、
こういうことを「強い」といって、
こういうことを「弱い」というんだ」
ということを確かめていかなきゃいけないんです。

この社会が「何を人間の価値の基準にしているのか」を知らなくちゃいけない。
同時に、
「価値のない方に分類されては絶対いけない」って、焦ってるんです。

焦ってるから、
誰かをいじめるます。
誰かをいじめることで、手っ取り早く、
「自分は「価値ある」の方に分類されるんだ」ということを
決定的なことのように感じて安心したいのでしょう。


いじめとは、「他人を怖がらせ、自分のいいように操ること」です。
そうすることで、
相手を「精神的な子分」に仕立てあげる行為です。

「自分は、親分だから価値ある側の人間なんだ」
という「空想」を現実のものとして、周囲に知らしめたいのです。
周囲に知らしめると同時に、自分に言い聞かせたいのです。
なぜ自分に言い聞かせたいかというと、
自分がこの社会にとって価値ある存在かどうかがわからなくて不安だからです。

「自分が価値ある人間かどうか」、それは「重要な死活問題」なんです。
この社会がどんな社会まだわからない子供達にとっては「早く社会の一員だと認められること」が死活問題なんです。
この社会で生き延びて行けるかどうかの切羽詰まった大問題なんです。
生物学的には最大級重要な問題なんです。
だから、この社会を生き延びてる大人たちをお手本にして、
そのやり方を真似るんです。
「自分は価値ある生き延びていい方の人間なんだ」と、早く感じたくて、
そう感じれないと怖くて怖くて仕方なくて、
そして、
いじめをするんです。
大人を真似て、、、、。


次の章では、
「いじめが社会をつくってる」って話に移ります。


※104 (3/4) へ続く →http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184068.html

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※104回目の文章はとても長くなってしまったので4つに分けて載せてます。

104 (1/4) から読んでください。これが104 (1/4) です。
(短い章が全部で15章あります。)
----------------------------------------------

いじめの話をします。

「人はなぜいじめをするのか」を考えました。

いじめがなくなる手掛かりになれば、と思います。

長い文章になってしまいましたが雑には書けない内容なので仕方ありません。
では、はじめます。


104 ◆いじめ・練習・北斗の拳・必死・本音◆
(1/4) 『いじめは技』


●① 《子供たちはとりあえず真似をする》


子供たちは
「この変わった世の中で生き延びるために必要なことを習得しようとしてる」
のです。

でも、何が必要なことなのかよくわからないので
とりあえず、大人のやり方を真似して
「試している」
のです。

いじめ もそのひとつなんだと思います。

「いじめは練習」なんです。

子供たちは、いじめを
「この世の中を生き抜くための大切な技術のひとつ」
だと認識してるんです。

脳が無意識にそう認識してるんです。


●② 《大人が見本》

脳には進化の過程で培った生きるためのノウハウがあります。
そこには、「とりあえず大人のマネをして覚えろ。」
って書いてあります。

子供たちにとって大人たちは、「見本」です。
この見たこともない世界でうまく生きている「見本」なのです。

この初めて見る世界で
「自分が何を習得すればいいのか」、
大人たちを見て覚えていきます。

人間社会の中での「ふるまい方」
大人の真似をして覚えていきます。

大人をよく観察し、真似て、
そして、
とりあえず覚えたそのやり方を使って友達と関係してみて、
問題が生じないか、確認しながら、
「試している」
のです。

「大人たちはどうやら、こんな方法で世の中を生き抜いているようだ。
よし、真似してみよう。」

「問題が生じたら、その都度修正して、
早く世の中を生き抜く術を習得しよう。」

「もし、練習が必要なら、練習しよう。」

そんな感じで、人間の子供達の脳は
大人たちの実践している「生き抜く術」を一生懸命覚えようとしてるんです。

その「生き抜く術」の中に
「いじめ」も含まれているんです。


●③ 《怒るという方法があると知る》

例えば、騒いだりしたら大人に怒られます。

怒られるというのはつまり、
「怖い思いをする」ということです。

子供たちは大人に捨てられたら死んでしまいますし、
強く叩かれても死んでしまいます。
長い生物の進化の過程で、脳はそのことを知っています。

怒られている時、
子供たちの脳は
「やばい、死ぬかもしれない状況だ」
と感じていることでしょう。

脳は、死ぬかもしれない恐怖を避けるために、
「騒ぎたい気持ちを抑える」ということを覚えるでしょう。

その時、脳が覚える事はもうひとつあります。

大人に怒られた時に、子供たちの脳が覚える事。
それは、
「人に言うことを聞かすためには、怒って怖がらせればいいんだ。」
ってことです。

この世の中において、
この社会において、
行動のひとつ、やり方のひとつに、
「怒るという方法」っていうのがあるんだ、
ということを知るんです。

「怖がらせて言うことを聞かす、という方法がある」
ということを知るんです。

(まぁ、動物たちの「威嚇」と同じかもしれませんね。)

子供達は、「騒いではいけない」というしつけの内容も覚えるでしょう、しかし同時に、
その「しつけのやり方」もしっかり覚えるんです。

脅すようなやり方でしつけをすれば、子供達は
「脅すようなやり方」を覚えます。
「人を怯えさせて操る方法」を大人たちから学びます。


●④ 《大人は遠回しに威嚇する》


イヤなことだけど、
実際にこの社会は
「怖がらせることが力になる社会」なんです。
「怖がらせることが権力になる社会」なんです。
「権力が役に立つ社会」なんです。

実際に大人たちは
この怖がらせる「技」をとても頻繁に使います。

子供をしつける時だけではありません。
大人たちの人間関係の中でも使うのです。

その時には、
ちょっとオブラートに包んだ、回りくどい、いや〜な怖がらせる技を使います。
はっきり威嚇と思われないような遠回しなやり方です。
それは、
「いじめ」に近いものです。
「いじめをアレンジした技」
です。

「なんだそれは?」って思う方もいるでしょうし、
「わかるな〜」って思う方もいると思います。

すいませんけど、
この話はちょっと後回しにします。


●⑤ 《もしも北斗の拳の世界なら》

もしもの話をします。
漫画の「北斗の拳」の話です。

荒れ果てた世界の話で、
腕力の強い無法者達が弱い村人達を襲って食料を奪ったりする世界です。
その無法者達は実は雑魚で、裏にはもっと強い敵がいて、雑魚達を従えてます。
そんな設定の話です。

もしこの世界がその「北斗の拳」のような世界だったとしたら
子供たちはきっと
拳法を習得しようとするでしょう。

なぜなら、その世界では拳法が生きる上で役に立つからです。

北斗の拳の世界では、
無法者がいっぱいいますが、銃とかはあんまりない世界です。

自分や家族を守るために必要なのは
無法者たちに殺されないための
腕力と格闘技術です。

それがないと死にます。
あの無法者たちに殺されます。

拳法が役に立つんです。
なので、子供たちは拳法に憧れ、
拳法を学ぶでしょう。

あの世界では
拳法が「生きていくための力」になるんです。

でも、
この考えは、きれいごとです。
「あまい」です。

「北斗の拳」の世界においての「生き延びるための方法」は、
実は、
「あの無法者たちの生き方」なんです。

弱いものをいじめて、怖がらせて、殺して奪い取り、
強いものにはへつらう。というやり方です。


このやり方で、あの世界を生き延びてるんです。

それは、
「悪」かもしれません。
「悪」かもしれませんが、善悪はとりあえず関係ないんです。
なにせ
彼らはそうしないと「死んで」しまうんですから。

弱いものから水と食べ物を奪わないと死ぬし、
強いものにはへつらわないと殺されるんです。

善悪はとりあえず、関係ないんです。
その世界で生き延びる方法を早く習得しないと死ぬかもしれないんですから。

善悪以前の話で、
それは「方法」なんです。


●⑥ 《いじめて奪い取るのは「権力」》

で、ありがたいことに、本当にありがたいことに、
この世界は「北斗の拳」ほどひどい世界ではありません。
少なくとも日本は、「北斗の拳」よりはるかに平和な世の中です。

でも、それでも、
「いじめというやり方」が
役に立ってしまう世の中なんです。


「弱いものをいじめて、怖がらせて、殺して奪い取り、
強いものにはへつらう」
というやり方です。

現実の世界でいじめっ子が奪い取っているのは、水や食べ物ではなく、
「権力」です。

いじめという「技」を使えば、「権力を得る」ことができます。
権力があれば生きやすくなる。
そういう世の中なんです。


「いじめが役に立ってしまう」
そういう世の中なんです。


●⑦ 《あからさまないじめは減っていくけど、、、》

「いやいや、いじめてる人には制裁が下るだろう!
いじめっ子は結局罰を受けることで損をするから、
いじめはこの世の中では役に立つものじゃない!」
って、思う方もいるでしょう。

はい、そうです。
たしかに、「あからさまないじめ」は
大人になるにつれて、少なくなってきます。


「あからさまないじめ」をすると、
怒られたり、周りの人に嫌われたりと、
損をすることが多いので、
大人になるにつれて、しなくなります。

そのかわり、
「他人に咎められることがなく、損をしないいじめ」
移行していきます。

「他人に咎められることがないいじめ」には
2種類あります。
「バレないいじめ」
「みんなに「いいこと」だと認知されているいじめ」、
この2つです。

「バレないイジメ」から説明していきます。


●⑧ 《バレないいじめ》

今の世の中は、暗に、
「いじめは、ばれないようにやりなさい」と
教えているように僕には感じれてしまいます。

この前だって、ニュースで見ました。
校長や教育委員会が、いじめを隠そうとしていました。
そんなニュースを見れば、
「そうか、いじめは隠せばいいんだな。」
「いじめを隠す方法を覚えなくちゃいけないんだな。」
「そうすれば、教育委員会や校長のような偉そうな地位の人間になれるんだろうな」
って、そう子供たちは感じるでしょうね。

子供たちは
「いじめを隠すこと、バレにくくすること」
を試行錯誤するようになります。

「問題にならない程度のいじめはどのくらいか」を
さぐりながら、
「ギリギリのラインをさぐるようにいじめ」るようになります。

それから、「告げ口さればいように、口止めをする」
なんてこともします。
これも大人の真似でしょうね。

そして、
子供たちは大人になってくると、
ついに、
「相手にすらバレないいじめ」
を習得していきます。

オブラートをかけたような回りくどい言葉遣いを駆使して
もちろん手を出すようなあからさまなことはせず、
間接的なやり方で
相手をおとしめ、怯えさせ、
相手の心を自分のいいように操ろうとします。

直接的なことはしません。
目つきだけで相手を
馬鹿にしたり、あざ笑ったり、怖がらせたり、
空気だけのいじめだってあります。
特定の人を貶めるような雰囲気を作っていじめる。
言葉の端々に小さな脅しをちりばめたり、
強い口調やバカにした口調を駆使していじめます。
表情だけでいじめることだってします。

やられた相手は、
「なんか嫌な気がするけど、怒ったらこっちが悪いことになるし、
もしかしたら、私が気にしすぎなだけかもしれないし、、、。
でも結局なんか、言いくるめられてしまったなぁ。」
なんて、気持ちになってるでしょう。

このような「微妙な雰囲気のいじめ」なので、
第三者からは咎められません。
イヤないじめです。
「相手の立場を自分より貶めることを目的とした技」です。
「罰を受けることなく人を操る技」です。

そして、
この技を習得した人間が次に考えることはこうです。

「これは当然の自分の権利だ」
「俺の方が偉いから当たり前だ。」
「悪いとしたら、あいつの方だ」
と、このように思い込むようになります。

「私がしてるのは、世の中で言われてるあの悪いいじめとは
違う行為だ」
と、思い込もうとしていきます。

ついには
この「微妙な雰囲気のいじめの技」を
自覚なくやるようになります。

イヤですね。。。

イヤですけど、、
でも、
でもでも、それも、
その人が必死になって習得した、
「この世の中を生き延びるための方法」なんです。

繰り返しますが、
善悪の前の問題なんです。
「このヘンテコな社会で生き延びれるかどうか」の死活問題なんです。
少なくとも、いじめっこ本人の「脳」はそう認識してるんです。
生物学的にそうなんです。

「だから、いじめはいいんだ」と、言っててるんじゃないです。
「かなりややこしい問題なんだ」と言いたいんです。
「いじめは悪だ!よくない!」だなんて、簡単に否定しないで、
「いじめは相当ややこしい問題である」という事実をまずは肯定して欲しいんです。


※104 (2/4) へ続く →http://blogs.yahoo.co.jp/nishimiyahainezumi/53184065.html

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