地球温暖化の真実を探して

地球の温度を人為的に変えられるのか?

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気候変動の考え方、対処の仕方は政治的に決められ、上からの押し付けで、御用学者の役割が不可欠だということを前回述べた。政府と御用学者の役割はアメリカも同様である。

下のグラフは、気象庁が発表している世界平均の温度変化である。昨年はこれまでの最高気温だったという。実は、気象庁の世界平均気温のデータは、アメリカ海洋大気庁(NOAA)GHCN(GlobalHistorical Climatology Network)をベースにしている。

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良く目にするNASAGISSのデータは、ニューヨーク、コロンビア大学内にあるNASAGoddard Institute for Space Studies (GISS)がこのNOAAのデータを解析したものである。
地球表面の温度を観測して平均値を出しているから観測地点はできるだけ均一であるべきである。しかし、観測地点の密度はかなりのばらつきがある。たとえばUSA本土の2倍もある南極大陸の観測点は僅か8箇所のみであり、地球表面の70%を占める海洋の温度観測点は陸地にくらべ非常に少ない。NOAAは、観測点の乏しい海水表面の温度を、まばらな測定点の内挿により推定している。また、1990年頃、高緯度、高所、遠隔地のGHCN観測点が除かれ、6000箇所から1500箇所へと観測地点が減らされた。従って、平均値の算定はかなり人為的なものになっている。
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温度の平均値の算定が近年より一層人為的になっている。そして、データの改ざんが多くの人により指摘されている。RealSicenceのブログでは、ほぼ毎日のように具体例でもって報告している。アメリカではダストボウルが頻発した1930年代に何度か熱波が観測されている。そして、1998ではなく1934がこれまでの最高気温が観測された年だとされていた。ところが、下のアニメーションgifに示すように、GISSのデータが書き換えられていることが2007年に分かったのである

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NOAANASA御用学者によるデータの改ざんは、NASAと気象庁にとり非常に都合の良いものになっている。政府が言いたい「CO2による人為的温暖化」の仮説を肯定するという方向にデータを改ざんしているのである。問答無用の態度を取るアメリカと日本の公的機関の殻は固い。
現在160個以上の気象衛星が飛んでいる。地球表面の平均温度変化を表すものとしては、RSSUAHが代表的である。気象衛星の結果によると、気象庁のいう、昨年2015年の温度が1890年以来の最高気温だったということは誤りである。RSSUAHについては海面表面温度が考慮されているが、NOAAの元のデータは地上の温度で、海面表面温度を如何に補正したかを明確に示していない。気象庁が、人工衛星の結果とNOAAの結果とを比較検討して報告することは必要不可欠である
御用学者が、実際に圧力を受けているのかどうか私にはわからない。CO2による人為的温暖化を示す科学的根拠はない。しかし、御用学者は上から与えられた仮説を支持するように人為的な根拠を作っているように思える。捏造である。
IPCCが創立された1988年前後、地球温暖化を叫んだのは一部の人々だった。その証拠に、TIMEの表紙が示すように、1970年代後半でも、寒冷な気候がくるかもしれないと言われていたのである。
そうした状況で、地球温暖化の可能性の声が盛り上がり、その総和としてIPCCが国連のもとに国際組織としてできたのではない。いきなり国連のもとに上から作られたのである。それはモーリス・ストロングの経緯で簡単に触れたように非常に政治的であった。何も科学的な根拠はなかったし、今も依然として根拠はない
従って、地球温暖化の科学およびその対応は今も政治主導である。アメリカもそうであるが、日本の場合も国主導でなされ、科学は政策を後から肉付けするための道具に過ぎない。
日本の場合、IPCCの活動は下に示す六つの国家組織を中心に実施されている
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IPCCは三つの作業部会からなるが、気候システム及び気候変動に関する科学的知見の評価をするのは、第一作業部会(WG I)である。そのグループの日本のメンバーをみると上記の組織から選ばれた人々が中心で、大学からは11名中3人しか含まれていない。これはIPCCの国内連絡会のメンバーが御用学者であることを証明している。
地球温暖化という、非常に学際的複雑な未解明の科学を、UNとそれを構成する国という機関、その機関が指名した御用学者が感情的に振り回しているのである。そして、権威により踊らされているメディアが追うという構図ができあがってしまった。
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Fig.10

現在、IPCCのメンバーは194カ国である。各国から報告書のレビューに平均20名が参加すればトータルで4000名である。日本の場合は、AR5の参加メンバーは30名だった。各国とも、およそ政府機関により選択されたメンバーである。実際には下図で示すように3700の科学者が参加した。
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3700人の科学者が人為的温暖化に合意しているというのは、まやかしである。地球温暖化の科学的根拠はWG1で取り扱われる。
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WG1の第五次報告書で気候変動の原因について述べているのは僅か一割であり、残りはシミュレーションを基にした気候変動の影響、そのための対処について費やしている。これはどういうことかというと、3700の科学者が、気候変動の原因はわかっていないこと、シミュレーション以外に科学的証拠はないことに同意していることを意味する。
まとめると、IPCCというのは一部の人が上から作り上げた政治団体で、人為的温暖化の科学的根拠は全く希薄である。そこで扱われる科学は御用学者が作り上げた単なる物語に過ぎない
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昨年1130日から1212日まで、パリでCOP21が開催された。そして、2020年以降の地球温暖化対策の新たな枠組みとなる「パリ協定」が採択された。1997年の京都議定書以来、18年ぶりとなる国際的な枠組みである。そのCOP21開催初日の前日(1129)、実質的なCOP21の生みの親がひっそりと死んだ。
国連環境計画(UNEP)の初代事務局長を務めたモーリス・ストロングである。86歳だった。ネットで調べてみたが、死去した日時や場所、死因は不明である。彼は、一般の人々にはあまり知られていないが、UNを舞台にして環境及び地球温暖化に関し、政治的に世界で最も影響力があった人である
モーリス·ストロングは1929年カナダのマニトバ州で生まれた。1947年の18歳の時、国連で下働きをして以来国連とは長く関係していて、カナダと行ったり来たりしている。貧しい家に生まれたもののオイル関連のエネルギービジネスに関わり成功した人である。カナダ開発庁の長官をつとめ、実業界と公職の両方で広範な経験をつんだ。

1970年代は氷河期が来るかもしれないと囁かれることもあったのだが、1980年代になると一転して地球温暖化の方に関心が持たれることとなった。そこでUNEPと国際連合の専門機関にあたる世界気象機関(WorldMeteorological Organization: WMO)が1988年に共同でIPCC を設立した。こうした経緯でIPCCUNEP を通してモーリス·ストロングの影響が大きく反映されることになった。

彼は、晩年中国に住んでいたのでそこで最後を向えたのかも知れない。毛沢東と中国の政治システムに非常な好意を持っていた。おばにあたるAnna Louise Strongは、毛沢東が全盛であった文化大革命の時、アドバイザーをしていた。1953年には、ストロングは、共産主義の中国を訪問している。

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Fig.6

話は、最近へ飛ぶ。湾岸戦争の勃発にともなって、イラクへ経済制裁が行われた。その結果、食料など一般市民への影響が出てきた。石油食料交換プログラムが、米国政府により1995に提案された。イラクが軍隊を再構築することなく、食品・医薬品その他の人道的に必要な物資と交換に、イラクが石油を輸出できるようにすることだった。
このプログラムが終了してから、プログラムの資金に関する18億ドル(2000億円)を超える汚職が明らかになった。国連は調査協力を拒否した為に全容不明である。アメリカが捜査の一環で、2005年モーリス·ストロングを訴追しようとした。そこで、彼は北京に所有していたアパートへ移り住んだのである。下に示すのは、1997年にモーリス·ストロングへ支払われた一億円の小切手のコピーである。
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こうして、モーリス·ストロングは環境および地球温暖化を対処する国際組織という表舞台から身を引いたのである。しかし、彼が退いてもIPCCCOPという確立された組織は健在である。

19世紀にマルクスが緒を開いた社会主義の種は、20世紀をして莫大な命と資金を費やして革命という実験に向かわせた。一方、20世紀にストロングが土台を作ったClimatismという妄想は、21世紀をして化石燃料の極端な使用制限という高価な実験をしようとしているのである。
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Fig.8

もう半世紀近くになる。47年前の19691月、全共闘および新左翼の学生が、東京大学安田講堂を占拠していた。大学から依頼を受けた警視庁が118日から19日にかけて封鎖解除を行った。浪人中で一日家に篭っていた私は、高圧で散水される状況にテレビに釘づけになっていた。そして、東大の入試は中止された。もっとも四年後には留年生という卒業生が少なからずいた。どういうわけか、そのうちから大学院へ進んだ彼らと四年後に落ち合うことになった。
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Fig. 1

そうした騒動の年、大学に入ったが、地方の大学でも一時封鎖されていた。希望に燃えて大学に入ったものの2ヶ月余り授業は開始されなかった。刺激のない田舎で育った私も、そうした環境で、砦の中にいる人々の考えを理解しようと努めた。岩波書店の当時で50円だったと思うが「共産党宣言」などを読んだものである。
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Fig.2

共産主義とは、生産手段を共有して計画経済のもと、搾取のない世界を目指した社会である。計画的で良いところばかりのように思えたが、しっくり行かないものがあった。この辺の感覚は個人により、受け取り方が非常に変わるらしい。無条件で熱狂的に受け入れる人も多かったからである。
イデオロギーの違いを議論して一致点を見出すことはほぼ不可能である。奏功しているうちに、1989にベルリンの壁が壊され1990年に東西ドイツが統一された。次いで1991年にソ連が解体し東西の冷戦が終結した。中国でも1992年以降、改革開放が推し進められ、経済成長は一気に加速した。1917年のロシア革命から壮烈な社会実験が1990年まで延々と続いたのである。粛清という名のもとにどれだけの人々が命を奪われたかわからない。北朝鮮ではまだ続いている。
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Fig.3

20世紀は、共産主義を試すために壮烈な社会実験が行われた。しかも多くの犠牲が払われた。共産主義は、一見理想的に見えたが、社会実験でそうでないことが証明された。人の心をコントロールすることはできなかったのである。
私には、人為的温暖化の仮定に基づいて、CO2排出量を削減するという経済活動の制限は、社会主義革命あるいは共産主義革命と似ているように思える。炭素税を支払い、いわゆるキャップアンドトレードという排出権取引を行使し、化石燃料の使用を制限するという足かせは経済へのダメージが大き過ぎる。社会主義の実験も結局は経済が破綻した。根拠のないCO2の排出規制は経済へのダメージが大き過ぎる。経済を破綻させる可能性が大いにある。21世紀では、我々は人為的温暖化の仮説に基づいた環境主義の壮大な実験をしようとしているのであるClimatismである。
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Fig.4

年末年始の嘆き – 6

私が現在住んでいるオハイオ州の北部にエジソンの生地がある。車で2時間ばかりである。彼の生まれた家は168年経つ今も残っていて博物館になっている。小さな町の小さなレンガ造りの家である。


今日のNHKの歴史秘話ヒストリアでエジソンの格言について触れていた。「1%のひらめきと99%の努力」という格言は、実際は1%のひらめきが大切だと言う意味だったらしい。彼の晩年には大勢の人々が彼を手伝っていて、彼はひらめきというかアイデアを出すことに時間を費やしていた。実際の開発はチームでしていたという。そうした環境では、1%のひらめきが重要だったという。


地球温暖化について言うならば、「99%のプロパガンダより1%の事実」が大切であると言える。その1%の事実に入るのが、温度の変化が先で、CO2の変化は温度の変化に追随しているということである。Alarmist(杞憂家)はこの事実を忘れてはならない。


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Fig.7

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Fig.8

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