地球温暖化の真実を探して

地球の温度を人為的に変えられるのか?

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我々ベビーブーマーが学生のころの1970年に大阪で万国博覧会が開催された。私は、既にオープンから3ヵ月が過ぎ夏休み前の7月当初に訪れたのだが、どこのパビリオンも人が多くて待つだけで疲れてしまった。できるだけ人の少ないところを回った。中でもスカンジナビア館は閑散としていた。テーマは「産業化社会における環境の保護」であった。70年代は日本も含めて先進国で環境、公害に焦点が当てられ始めてきた時期である。中でも一部のヨーロッパ諸国はいち早く環境問題に関心があった。それでも1970年に環境のテーマを設定したのはかなり早かったようである。
こうした時代背景の時、1968年にイタリアにあるロックフェラー家の敷地内で「ローマクラブ」が設立され環境保護運動を世界に打ち出した。現在は、スイスのヴィンタートゥールに本部を置く民間のシンクタンクである。1972年の有名な第一報告書『成長の限界』では現在のままで人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇(例えば20年で石油が枯渇)や環境の悪化によって100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らした。当時の動態的な理論によってシミュレーションを行ない、時期まで予測した。
このころ日本は高度成長が熟成されようとした時期でまだまだ環境、公害の問題を真剣に考えるまでにはなかった。朝日新聞に連載された有吉佐和子の長編小説『複合汚染』で人々が環境問題に関心を持ち始めたのが70年代半ばの1975年である。
1972年に国連環境計画(UNEP:ユネップ)が設立される。ここでIPCCの核となる人物が登場する。カナダ人のモーリス·F·ストロング (Maurice F. Strong)である。
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モーリス·ストロングは1929年カナダのマニトバ州で生まれたから今年で86歳である。1947年の18歳の時、国連で下働きをして以来国連とは長く関係していて、カナダと行ったり来たりしている。貧しい家に生まれたもののオイル関連のエネルギービジネスに関わり成功した人である。カナダ開発庁の長官をつとめ、実業界と公職の両方で広範な経験をつんだ。
1970年に国際連合人間環境会議 (UNCHE) の事務総長に任命された。1972年には国連環境計画(UNEP:ユネップ)の初代事務局長になった。このころからローマクラブとは関係があり強い発言力を持っていたようである。ローマクラブは人口増加とそれに伴う工業の発展が環境を阻害すると糾弾してきた。当初からの主要なテーマだったのか途中から加えられたのか良くわからないが地球温暖化もその中にあった。
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1970年代は氷河期が来るかもしれないと囁かれることもあったのだが、1980年代になると一転して地球温暖化の方に関心が持たれることとなった。そこでUNEPと国際連合の専門機関にあたる世界気象機関(WorldMeteorological Organization: WMO)が1988年に共同でIPCC を設立した。こうした経緯でIPCCUNEP を通してモーリス·ストロング及びローマクラブの手法が色濃く反映されることになる。その中にはシミュレーションに基づいた「恐怖に訴える論証」、「衆人に訴える論証」の活用が含まれる。また、モーリス·ストロングは国連の経験から政府メディアを動かさなければプロパガンダが有効に浸透しないことを良く理解していた。
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