地球温暖化の真実を探して

地球の温度を人為的に変えられるのか?

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昨年1130日から1212日まで、パリでCOP21が開催された。そして、2020年以降の地球温暖化対策の新たな枠組みとなる「パリ協定」が採択された。1997年の京都議定書以来、18年ぶりとなる国際的な枠組みである。そのCOP21開催初日の前日(1129)、実質的なCOP21の生みの親がひっそりと死んだ。
国連環境計画(UNEP)の初代事務局長を務めたモーリス・ストロングである。86歳だった。ネットで調べてみたが、死去した日時や場所、死因は不明である。彼は、一般の人々にはあまり知られていないが、UNを舞台にして環境及び地球温暖化に関し、政治的に世界で最も影響力があった人である
モーリス·ストロングは1929年カナダのマニトバ州で生まれた。1947年の18歳の時、国連で下働きをして以来国連とは長く関係していて、カナダと行ったり来たりしている。貧しい家に生まれたもののオイル関連のエネルギービジネスに関わり成功した人である。カナダ開発庁の長官をつとめ、実業界と公職の両方で広範な経験をつんだ。

1970年代は氷河期が来るかもしれないと囁かれることもあったのだが、1980年代になると一転して地球温暖化の方に関心が持たれることとなった。そこでUNEPと国際連合の専門機関にあたる世界気象機関(WorldMeteorological Organization: WMO)が1988年に共同でIPCC を設立した。こうした経緯でIPCCUNEP を通してモーリス·ストロングの影響が大きく反映されることになった。

彼は、晩年中国に住んでいたのでそこで最後を向えたのかも知れない。毛沢東と中国の政治システムに非常な好意を持っていた。おばにあたるAnna Louise Strongは、毛沢東が全盛であった文化大革命の時、アドバイザーをしていた。1953年には、ストロングは、共産主義の中国を訪問している。

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話は、最近へ飛ぶ。湾岸戦争の勃発にともなって、イラクへ経済制裁が行われた。その結果、食料など一般市民への影響が出てきた。石油食料交換プログラムが、米国政府により1995に提案された。イラクが軍隊を再構築することなく、食品・医薬品その他の人道的に必要な物資と交換に、イラクが石油を輸出できるようにすることだった。
このプログラムが終了してから、プログラムの資金に関する18億ドル(2000億円)を超える汚職が明らかになった。国連は調査協力を拒否した為に全容不明である。アメリカが捜査の一環で、2005年モーリス·ストロングを訴追しようとした。そこで、彼は北京に所有していたアパートへ移り住んだのである。下に示すのは、1997年にモーリス·ストロングへ支払われた一億円の小切手のコピーである。
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こうして、モーリス·ストロングは環境および地球温暖化を対処する国際組織という表舞台から身を引いたのである。しかし、彼が退いてもIPCCCOPという確立された組織は健在である。

19世紀にマルクスが緒を開いた社会主義の種は、20世紀をして莫大な命と資金を費やして革命という実験に向かわせた。一方、20世紀にストロングが土台を作ったClimatismという妄想は、21世紀をして化石燃料の極端な使用制限という高価な実験をしようとしているのである。
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