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9月1日の悲劇
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その事に留意して頂いた上で、話を1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻に戻し
ましょう。今日、学校でもマスコミでも、この日が突然訪れたかの様な解説が横行して居ま
す。学校の歴史でも、第二次世界大戦を取り上げたテレビの番組でも、第二次世界大戦は、
ドイツのポーランド侵攻によって、突然始まったかの様な解説が為されて居ます。その為に、
多くの日本人は、平和だったポーランドに、領土欲に燃えたヒトラーが突然なだれ込んだか
の様な印象を抱いて居ます。しかし、それは、全然違ふのです。ヒトラーがポーランド侵攻
を決行するまでには、それに先立つドイツとポーランドの間の深刻な国境問題が有りました。
そして、その国境問題は、第一次世界大戦後、その第一次世界大戦の戦勝国が、1919年
のヴェルサイユ会議で一方的に決定した不自然で現実を無視した国境画定によって生じた物
でした。即ち、第一次世界大戦後、ポーランドは独立を回復しました。その事自体は大変良
い事でした。ところが、その新国家ポーランドを誕生させたヴェルサイユ条約は、その新生
ポーランドとドイツの国境を画定するに当たって、現地住民の意向を全く問ふ事無く、国境
地域の現実を無視した線引きを行なってしまひました。それは故意であった可能性も有るの
ですが、とにかく、その国境線が余りにもヨーロッパの歴史を無視した物であった為に、戦
後のドイツとポーランドの間は、戦勝国が一方的に引いた国境線を巡って、深刻な摩擦を抱
える事と成ったのです。具体的には、もう一度言ひますが、ポーランドが独立した事自体は
良いのですが、その新生ポーランドの領土に、歴史的にはドイツの一部であった地域までを
も編入してしまった為に、現地のドイツ人達は、戦後、ポーランド政府の統治下で生活する
事と成り、それがドイツとポーランドの間の深刻な問題と成ったのです。例え話をするなら
こう言ふ事です。仮に、第二次世界大戦後、韓国が独立した際、九州が韓国の領土に編入さ
れてしまったと想像して下さい。そうしたら、現地の九州住民は、そのまま韓国の統治下で
生きる事を望んだでしょうか?そして、九州を韓国に編入されてしまった日本は、戦後、韓
国に対して、九州の返還を求めて交渉をしようとしなかったでしょうか?これは、一つの仮
想ですが、第一次世界大戦後のドイツとポーランドの間に生まれた問題は、まさに、九州が
韓国に編入された場合の日韓関係の様な物と成って居たのです。この例えに実感を感じられ
ない方は、戦後の沖縄返還運動を思ひ出して下さい。アメリカの統治下に置かれた沖縄住民
がいかに日本への帰属を求めて運動したか、その事で、日本の世論がいかに盛り上がったか
を思ひ出して頂きたいのです。あれと同じ状況が、いや、沖縄よりはるかに広大な地域と多
くの人口が、戦後、分離させられ、新しく生まれた隣国(ポーランド)に編入されてしまっ
たのが、第一次世界大戦後のドイツとポーランドの関係だったのです。−−正確に言ふと、
ダンツィヒ市とその周辺は国際連盟の統治下に入り、その南に広がるドイツ東部の地域がポ
ーランドに編入された訳ですが、いずれにしても、この様な国境は、中世以来ドイツ人は住
んで来た地域をドイツから切り離し、「外国」にしてしまった物でしたから、現地の住民と
ドイツ人が、第一世界大戦後、これを変更したいと考えた事は、日本人が沖縄返還を求めた
のと同様、全く当然の事だったのです。
(続く)
平成18年9月6日(水)
西岡昌紀(にしおかまさのり)
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