さくら通信/西岡昌紀

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9月1日の悲劇(9)






                                9月1日の悲劇




                                   9




     こうした問題が、第一次世界大戦後のドイツとポーランドの間には横たわって居た訳
    ですが、この問題は、ドイツがワイマール共和国の下に在った間は、なかば放置されて
    居ました。しかし、ダンツィヒを含めた旧ドイツ領で、ドイツ人の生命や財産が脅かされる
    状況が続きに連れ、現地ではドイツへの帰属を求める声が高まり、問題は先鋭化して
    行きました。そうした中、1933年にヒトラーが政権を取ります。それから、この問題の
    解決を求める声が、ドイツ国内では高まるのですが、注目するべき事は、ヒトラーは、
    当初、この問題に取り組み事に余り積極的ではなかった事です。上に紹介したアメリカ
    の歴史家デイヴィッド・ホッガン(David Hoggan)は、この事を著書の『The Forced 
    War(強いられた戦争)』(本邦未訳)中で指摘し、ヒトラーは、ポーランドに編入された
    ドイツ領とダンツィヒのドイツ帰属についての世論が余りにも強かったので、これを
    無視出来無く成ったと述べて居ます。これは何故なのかと言へば、ヒトラーは、この
    問題でポーランドとの関係を悪化させたくなかったからです。即ち、ヒトラーは、ソ連と
    の緊張が高まる中で、ドイツとソ連の間に在る新生ポーランドとの関係を重視して居た
    為、ポーランドに対して強硬な態度を取ろうとしなかったのです。実際、ヒトラーは、三国
    同盟が成立する以前、ドイツとイギリス、日本、そして、ポーランドの四か国による四国同盟
    なる同盟を形成する構想を持って居た事が有りました。(この幻の四国同盟については、
    NHKから出版された『ドキュメント昭和史・ヒトラーのシグナル』と言ふ本に詳しい記述が
    有るので、お読み下さい)この「四国同盟」の構想は、イギリスに一蹴されて幻と消えます
    が、ヒトラーが、ポーランドとの同盟を望んで居た事は、重要です。だからこそ、ヒトラー
    は、ドイツの世論を押さえて、この問題を穏便に処理したいと思って居たのですが、日本で
    は、この事が全く忘れられて居ます。実際、ヒトラーは、ポーランドに対して、決して
    強硬な姿勢は取って居なかったのです。

                                                       (続く)



    平成18年9月8日(金)






                                          西岡昌紀(にしおかまさのり)


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