さくら通信/西岡昌紀

内科医のコラムです。気軽にお立ち寄り下さい。

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                                9月1日の悲劇




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     例へば、開戦直前の1930年代後半にイギリスの外務大臣だったハリファックスや、
    同時期にアメリカの駐フランス大使であったブリット大使などが、度々、ポーランド政府
    に対して、ドイツの要求に対して、強硬姿勢を維持する様にと、メッセージを送って居た
    事が当時の外交記録に残って居ます。イギリスには、駐独イギリス大使のヘンダーソン大
    使をはじめとして、ドイツとポーランドの紛争を平和的に解決しようと、必死に仲介の努
    力をした外交官や政治家が居ましたし、アメリカにも、例えばルーズヴェルトの政敵であ
    った共和党のハミルトン・フィッシュの様に、ドイツとポーランドの双方の立場を理解し、
    事態を平和的に解決しようとした政治家が居ました。しかし、結局、当時のアメリカとイ
    ギリスに巣食って居た対独強硬派の政治家や外交官(ルーズヴェルト、ハリファックス、
    チャーチル、ブリット、など)達が、当時のポーランドの愚かな姿勢を利用し、事態を意
    図的にこじらせ、ドイツが開戦せざるを得ない方向に、ポーランドを誘導して居たのです。
    これは、西安事件(1936年)後の蒋介石が日本に対して異常な強硬姿勢を取り、日本
    を軍事的に挑発し続けた事が、日本を蒋介石と戦はざるを得ない状況に追ひ込み、結局、
    日本の対米・対英開戦に決定的な役割を演じた過程と酷似して居ます。そこには、ドイ
    ツと日本を意図的に開戦に追ひ込もうとした当時のルーズヴェルト政権の姿勢が見て取れ
    ます。−−つまり、ルーズヴェルト政権は、ヨーロッパではポーランドを利用し、東アジ
    アでは蒋介石の中華民国を利用して、ドイツと日本を挑発し、世界大戦を起こそうとして
    居たのだとしか、考え様が無いのです。−−こう言ふ事を視野に入れなければ、歴史から
    何かを学ぶ事は出来ません。

                                                   (続く)



    核時代61年9月10日(日)





                         

                                           西岡昌紀(にしおかまさのり)

http://www.melma.com/backnumber_152816_2850583


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