さくら通信/西岡昌紀

内科医のコラムです。気軽にお立ち寄り下さい。

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                         統合失調症の麻原被告が死刑に




     数年前、以前、某国立大学の精神科教授であった精神科医が、「麻原は、間違い無く
    精神分裂症です」と言ひ切るのを聞いた事が有ります。それに依ると、麻原の言葉には、
    精神分裂症患者に特有の言語的特徴が有り、それは、詐病では決して見られない症状で
    あるのだそうです。内科医である私には、精神科のそうした詳しい症候論は分かりませ
    んが、その極めて高名な、元国立大学医学部教授(精神科)は、そう断言したのです。
    その上で、その高名な精神科医は、「でも、麻原を無罪には出来無いでしょ?」と言っ
    て苦笑されたのですが、結局、麻原は死刑に成る事が確定しました。私個人は、死刑廃
    止論者ではないし、刑法39条撤廃論者ですから、麻原が死刑に成る事について、特別
    の感情は無いのですが、これでいいのでしょうか?



    平成18年9月15日(金)






                                          西岡昌紀(にしおかまさのり)

田中均の肉声を聞いて






                             田中均の肉声を聞いて




     昨日、TBSのニュース23に元外務審議官の田中均が出演して居ました。筑紫哲也と
    対談などして居ましたが、話を聞いて居て、「こいつ、確信犯だな。」と思はずには居ら
    れませんでした。こいつ(田中均)は、自分がやろうとした事を正しいと思って居る。本
    当に、異常な人物だと思ひました。皆さん、見ませんでしたか?



    平成18年9月14日(木)







                                          西岡昌紀(にしおかまさのり)






                            歴史の中で生きると言ふ事




     私の友人に、平野悠さんと言ふ人が居ます。新宿のロフトプラスワンと言ふトークライブ
    ハウスを作った方で、若い頃は、学生運動に参加した方ですが、その平野さんが、何年か前、
    正確な表現は忘れましたが、私に、こんな事を言った事が有りました。「9・11のテロの
    後、急に、自分が歴史の中に居るって言ふ気持ちを持つ様に成ったよ。こんな事、生まれて
    から一度も無かったよ。」平野さんのその言葉を聞いた時、私は、平野さんのその言葉が、
    9・11テロ以後、自分が感じて居る事と全く同じである事に驚かされました。「平野さん
    も、自分と同じ事を感じて居るんだ。」と思ひました。(してみると、平野さんが参加して
    居た1960年代、70年代の学生運動は、やっぱり歴史ではなかったのでしょうけれど、
    これは余談です)私も、同じ気持ちを抱いて、9・11後の世界を生きて居ます。皆さんは、
    私や平野さんが感じて居る、「歴史の中で生きて居る」と言ふ実感を、9・11後の世界で
    感じておられるでしょうか。



    核時代61年9月3日(水)





 
                                           西岡昌紀(にしおかまさのり)






                               9月1日の悲劇




                                  12




     この開戦(1939年9月1日)の前、ポーランドでは、ラジオが、ポーランドの騎馬兵
    が、ベルリンを占領するであろうと言った内容の扇動を行なって居ました。又、ポーランド
    の参謀総長は、開戦直前の1939年8月、イギリスの新聞紙上において、「ポーランドは、
    ドイツとの戦争を欲して居る。ドイツは、これを避けたくても避ける事は出来無い。」と言
    ふ、信じられない様な発言をして居ます。これが、当時のポーランドだったのです。この様
    な愚かな、盲目的なナショナリズムによって、ポーランドは、ドイツとの国境問題を平和的
    に解決する事を拒絶し、ドイツに対する戦争を国民に訴え続けました。そして、その当時の
    ポーランドを、アメリカやイギリスの一部勢力が、ドイツを開戦に追ひ込む為の駒(こま)
    として扇動、利用した結果、ポーランドは、あの暗黒の開戦を迎え、独立を失ったのです。
    その後、ポーランドはソ連からの侵攻も受け、大戦後は、ソ連の支配下に置かれた状態が、
    1989年まで続きます。ポーランドを愛する者として、私は、この歴史を悔やまずに居ら
    れません。そして、戦後の世界において、これと同様の歴史が繰り返されて居ないか、考え
    ずに居られません。ルーズヴェルトは、こう言って居ます。−−「政治の世界では、何事も、
    偶然には起こらない。もし起こるなら、それは、その様に仕組まれたのだと賭けて良いので
    ある。」−−ルーズヴェルトのこの言葉は、まるで、1939年9月1日のポーランドの悲
    劇についての言葉の様に思はれます。



    核時代61年9月11日(月)

    9・11テロから5年目の日に






                                           西岡昌紀(にしおかまさのり)

                 http://www.melma.com/backnumber_152816_2850583






                                9月1日の悲劇




                                   11




     例へば、開戦直前の1930年代後半にイギリスの外務大臣だったハリファックスや、
    同時期にアメリカの駐フランス大使であったブリット大使などが、度々、ポーランド政府
    に対して、ドイツの要求に対して、強硬姿勢を維持する様にと、メッセージを送って居た
    事が当時の外交記録に残って居ます。イギリスには、駐独イギリス大使のヘンダーソン大
    使をはじめとして、ドイツとポーランドの紛争を平和的に解決しようと、必死に仲介の努
    力をした外交官や政治家が居ましたし、アメリカにも、例えばルーズヴェルトの政敵であ
    った共和党のハミルトン・フィッシュの様に、ドイツとポーランドの双方の立場を理解し、
    事態を平和的に解決しようとした政治家が居ました。しかし、結局、当時のアメリカとイ
    ギリスに巣食って居た対独強硬派の政治家や外交官(ルーズヴェルト、ハリファックス、
    チャーチル、ブリット、など)達が、当時のポーランドの愚かな姿勢を利用し、事態を意
    図的にこじらせ、ドイツが開戦せざるを得ない方向に、ポーランドを誘導して居たのです。
    これは、西安事件(1936年)後の蒋介石が日本に対して異常な強硬姿勢を取り、日本
    を軍事的に挑発し続けた事が、日本を蒋介石と戦はざるを得ない状況に追ひ込み、結局、
    日本の対米・対英開戦に決定的な役割を演じた過程と酷似して居ます。そこには、ドイ
    ツと日本を意図的に開戦に追ひ込もうとした当時のルーズヴェルト政権の姿勢が見て取れ
    ます。−−つまり、ルーズヴェルト政権は、ヨーロッパではポーランドを利用し、東アジ
    アでは蒋介石の中華民国を利用して、ドイツと日本を挑発し、世界大戦を起こそうとして
    居たのだとしか、考え様が無いのです。−−こう言ふ事を視野に入れなければ、歴史から
    何かを学ぶ事は出来ません。

                                                   (続く)



    核時代61年9月10日(日)





                         

                                           西岡昌紀(にしおかまさのり)

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