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阪神、明日の試合は先発スタンリッジ投手VS大竹投手
松山の坊ちゃんスタジアムで広島と18:00試合開始です!
阪神打線は上向きです!
スタンリッジ投手に期待しましょう!!
西浦達雄のスタッフより
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レイズの松井選手は、タイガース戦に「7番・左翼」で先発出場し、
3打数2安打1打点だったがチームは3―5で敗れました。
松井選手は5試合ぶりの先発で6月14日以来、 今季2度目の複数安打を記録。
5回1死三塁、外寄りのカーブを右前にはじき返すと、 7回は救援の左腕投手から右前打を放ったんです。 2安打とも甘い球だったといい、
「打ち損じるときもあれば、捉えることもできる。 それができるか、できないかが大きい」とうなずいたそうです。
相手の先発左腕スマイリー投手に対し、 マドン監督は左打者は松井選手だけを起用。
精神的な重圧を減らすため打順を7番に下げました。 松井選手はその配慮に結果で応えてみせたんです。
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昨日、元西鉄・稲尾和久投手生誕75周年、
永久欠番メモリアルゲームとして、
西武は西鉄のユニホームを着用し、
全選手が背番号栄光の「24」でプレーをしました。
今日はその稲生投手のことに就いて、書かせて下さい。 稲尾投手1956年に西鉄(西武)ライオンズに入団しました。 入団当初は注目された選手ではなく、
三原監督も「稲尾はバッティング投手として獲得した」と公言していたそうです。
チームメイトからは「手動式練習機」とも呼ばれていました。
この時、稲尾投手は各打者の打撃練習中に
4球に1球ボール球を投げるように指示されたそうです
(ストライクを投げ続けていると打者が打ち疲れてしまうため)。
この4球のうちの1球をストライクゾーンのコーナーギリギリを
狙って投げる練習をし、制球力を磨いたんです。
キャンプ後半になると、
投手として成長した稲尾投手の前に逆に打者が打ち取られる場面が増えたため、
なんとチームメイトが三原監督に「稲尾を使ってみてほしい」と進言したんです。 稲尾投手は、スコアボードに「稲生」と間違って表示されるなど無名でした。 しかし、投手陣の故障などから登板機会が増え、
最終的には1年目から21勝6敗、パ・リーグ記録の
防御率1.06という成績を残し最優秀防御率と新人王のタイトルを獲得したんです。
1957年にプロ野球記録となるシーズン20連勝を記録するなど35勝を挙げ、
史上最年少でのリーグMVPに。
1958年には33勝で史上初の2年連続MVPを獲得したんです。
ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは、
サヨナラ本塁打を自らのバットで放ち勝利投手となった第5戦を含め、
実に7試合中6試合に登板し、第3戦以降は5連投、うち5試合に先発し4完投。
この時に新聞にはあの有名な「神様、仏様、稲尾様」の見出しが踊ったんです。
1963年まで、プロ入りから8年連続で20勝以上を挙げ、
その8年間の平均登板数は66試合、平均の投球回数は345イニングです。
ウィキペディアより抜粋
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