ここから本文です
ブログ始めました!
新ベンチャー革命20181216日 No.2203
 
タイトル:反露派系の米国戦争勢力に牛耳られる安倍氏はなぜ、頻繁に日露首脳会談を繰り返すのか:安倍氏が国民に吐く言動はすべてウソと欺瞞で固められている
 
1.米国戦争屋の反露派に牛耳られる安倍氏は日露首脳会談を頻繁に繰り返しているが、案の定、北方領土の話題は出ていなかった
 
 本ブログ前号(注1)にて、今の日本は、米国戦争屋CIAネオコンの中の、反露・反中派に牛耳られているのではないかという見方を示しました。
 
 なぜなら、日本は元々、故・デビッド・ロックフェラー(RF)系の米戦争屋に牛耳られていましたが、デビッドRF亡き後、反露の強硬派・ジョージ・ソロスが、故・デビッドRFの後釜を務めているのではないかと観ているからです。
 
 もし、そうだとすると、米国の反露派に牛耳られる安倍氏が、頻繁に露プーチンと首脳会談を繰り返す事実と整合性が取れなくなります。
 
 そう思っていたところに、最近、ロシアの副首相が、頻繁に繰り返される安倍vsプーチンの日露首脳会談では、北方領土の話題は出ていないと暴露したのです(注2)。もしそうなら、安倍氏は一体、なぜ、日露首脳会談を執拗に繰り返すのでしょうか。
 
2.安倍氏の日露首脳会談のほんとうの目的は、北方領土返還問題ではなく、やはり、米戦争屋に成り代わって、露プーチンに3兆円もの口止め料を払わされることだったのか
 
 上記、ロシア副首相のリークは、安倍一派にとっては、冷や汗モノです。もし、日本のマスコミが、この話題を追究すると、安倍氏の大うそ(北方領土返還交渉のウソ)がばれるのです。
 
 本ブログの見立てでは、安倍氏は日露外交をやっているフリをしているだけで、ほんとうは、米戦争屋CIAネオコンの命令で、プーチンに口止め料3兆円を払わされるに過ぎないと観ています。
 
 そのワケは、9.11偽旗テロ事件の秘密を、ロシアに亡命した元NSAのエド・スノーデン経由で握っているプーチンに、日本が米戦争屋に成り代わって3兆円の口止め料を支払わせることではないかと本ブログでは観ています(注3、注4)。
 
 ところで、先日、河野外相は、日露外交に関する記者会見で、国民を舐めきった態度を取って、国民から顰蹙(ひんしゅく)を買いました(注5)。
 
 なぜ、河野氏がこのような異常な行動を取ったのかは、彼がある程度、上記の秘密を知ったからだとみなせば、辻褄が合います。
 
 ちなみに、米戦争屋の反露派(旧・デビッドRF派)は、9.11偽旗テロの首謀者でもあり、プーチンに9.11偽旗テロの秘密を握られていることを、極度に恐れています。
 
 そして、彼らはロシアゲート疑惑をデッチ上げて、プーチンとつながるトランプを弾劾裁判にかけて、失脚させようと企んでいます。
 
 このロシアゲート疑惑(注6)とは、オモテムキ、ロシアによる2016年の米大統領選への不当干渉ということになっていますが、その実態は、当時のトランプがプーチンと水面下でつながっていて、もし、トランプが、ヒラリーを担いでいた米戦争屋の反露派に暗殺されたら、プーチンが9.11偽旗テロの真相を暴露することになっていたというのが、コトの真相だったと本ブログでは観ています(注7)。
 
3.日露外交に関する記者質問での河野外相の異常行動に示唆されるように、今の安倍自民はどうしようもない売国政権(国民に対する裏切り政権)
 
 ネットで多くの国民から連日、指摘されているように、今の安倍自民は、まったくもうどうしようもない売国政権であり、沖縄辺野古基地問題も、北方領土問題も、すべて、大うそと欺瞞で成り立っています。
 
 安倍氏が国民に向かってしゃべることはすべて、ウソと欺瞞のカタマリです。
 
 われらが強制的に徴収される血税も、そして、長年、苦労して払わされてきた年金も、すべて、アメリカ宗主様に、湯水のごとく献上しようとしています。
 
 その真実を国民に知られたくないので、安倍氏は日常的にウソを吐きまくるのです。
 
 安倍氏がもし、普通の正常な神経をしていたら、良心の呵責を覚えて、辞任するはずですが、ヘラヘラ笑って、厚かましく、首相の座に居座っています。
 
その意味で、安倍氏も河野氏と並ぶ、異常神経の持ち主です。
 
注1:本ブログNo.2202米国トランプ大統領は、中国ファーウェイ幹部の逮捕劇を事前に知らされずに米中首脳会談に臨み、メンツ丸つぶれの怪:米国を闇支配する戦争勢力には反イラン派と反露・反中派が存在するためか』20181215
 
注2:テレ朝ニュース“ロシア副首相「北方領土引き渡し議論されていない」”20181211
 
注3:本ブログNo.2176われら日本国民の虎の子・年金積立金でロシア国営企業の株を買う?:なぜ、そこまでして安倍氏は露プーチンにわれらの国民資産を勝手に献上しようと企むのか』20181113
 
注4:本ブログNo.2178対露外交をやってるフリをしているだけの国民だまし専門の安倍氏にはときおり、怯え(おびえ)の表情が窺える:今国会でのモリカケ疑惑やジャパンライフ疑惑追及再燃に怯えているのか』20181116
 
注5:ニフティニュース“河野太郎外相「次の質問どうぞ」発言陳謝 「お答えは差し控えます」と答えるべきとも”20181216
 
注6:2016年アメリカ合衆国大統領選挙におけるロシアの干渉
 
注7:本ブログNo.1320ケネディ兄弟暗殺事件と9.11事件の闇を暴露しそうなトランプ氏は暗殺される危険を察知して、それらの証拠を露プーチンに預けているのか』2016219
 

ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm

 
テックベンチャー投稿の過去ログ
 

転載元転載元: 新ベンチャー革命

最近身近なところで「謝ったら死ぬ病」に罹患している人を見かけます。
 どこかの出版社の社長さん、筋の悪い方策に拘泥して自縄自縛となりさんざんネットで暴れた挙句、自分で吐いた唾を全量飲み干している姿を見ると涙で液晶画面が見えなくなります。

気づいたときに試される

 あ、間違ってるのにそのまま突っ走っていったぞ、と第三者が勝手にやらかしてコケて大炎上するのは、普通に見ていて面白いわけなんですが、これがうっかり政府がらみだったとか、業界全体の浮沈や存亡が問われるとか、そういういろんな人を巻き込むような話だと「あっ、どうしようもないトップが、またくだらない意志決定をしているのか。止めなくては」となるのが人情です。もちろん、局面局面で指さして笑うお作法もあります。馬鹿に権限を持たせるとロクなことにならないのは、先の大戦で日本人が命を代償にして学んだことだったはずなのですが。
日大アメフト部の謝罪 ?AFLO? 文春オンライン 日大アメフト部の謝罪 ?AFLO
 その一方、別の出版社では過激な国粋思想の記事を掲載して燃えたあとで、自社の別媒体で自己批判がなされてて、これはこれで健全だなと思ったわけです。「まずいな」とか「しまった」などと思ったら、パッと謝ってしまえと簡単に言うのは問題だけれど、問題は問題と気づいたときにどう対処するのかでその人物や組織の器の大きさが試される、という部分はあるのかもしれません。そして、往々にして思い込みや被害妄想の強いトップは、人の意見を聞き入れる以前に自分自身の中で自家撞着に陥ってしまうこともまた、多いのです。

昨今の政治と「ああ、やっちまったな」

 物事は、すぐに結果が出ることばかりではありません。経営でも建築でもコンテンツ開発でも、何か目標を設定し、取り組んでいく過程では外野の声が大きく聞こえることは確かにあるでしょう。夏に鳴く蝉のように、当事者ではない人たちが横から「それは失敗だ」「どうせうまくいかない」と半笑いで揶揄して来て仕事の邪魔をすることは往々にしてあり、それでも折れない心で立ち向かう人こそが、物事を完成に導くことができる側面はあります。気持ちの強さもトップに必要な要件であることは間違いないのです。
 ただし、それは正しい努力をしている、間違いのない道のりを歩いている場合のみです。他人からの批判を受けながらも、結局は作り上げるのは自分です。「途中だけ見ていると文句をつけたくなるけど、完成してみたら良い出来だった」という結果が得られることは往々にしてあります。自分の仕事にこだわりを持ち、他人からの横やりにめげずやり遂げるのも必要だし、その辺は機微なんだろうなあと思います。
 昨今、政治が抱えるさまざまな政策審議で起きている事件の数々は、この手の問題意識の集大成とでもいえるものばかりです。何しろ、どの事件、事案も、外野から見て「ああ、やっちまったな」という内容ばっかりなんですよね。文科大臣が記者会見で定番の質問に乗せられて教育勅語の必要性について語り、通信ブロッキングは問題山積の状況を正面突破しようとしてにっちもさっちもいかなくなり、科学技術政策担当大臣がEM菌推進議連にいたりする。沖縄県知事選では野党が支持する玉城デニーさんが勝ち、ようやく移転した豊洲市場ではいまだに築地万歳のネタも沢山乱舞しています。何より肝心のアベノミクスも、いまやこれを評価して推進しようというまともな経済学者は本当にひとりもいなくなりました。本当に、ひとりも賛同者がいないと言える状況です。ヤバイと思うんですよ。そんな経済政策を堂々と推し進める政権って、さすがにちょっと危なくないですか。

失敗の積み重ねがもたらすもの

 いつの間にか、増税前提で軽減税率の在り方を巡って、コンビニでは普通に食材を買うのは軽減税率で、イートインを使ってその場で食べるのは軽減税率が適応されないとか、ほんと意味が分かりません。何なんですか、これは。聞き及ぶ限りでは、なかなか状況の厳しい創価学会と公明党の間で綱引きがあって、「戦争法案」と揶揄された安保法制まで賛成させられた”与党”の代償として「生活必需品の増税は見送り」という意見に押されたのだとか。ほんまかいな。そんなら生活必需品に増税されたら負担に耐えられなくなるような世帯には直接給付したほうが軽減税率使ってみんな大混乱するよりはよっぽどコストが少なくやっていけるんじゃないかと思うんですが。
 それとも、物品税でも復活させますか。ボードウォークに建ってるホテルの手前で75ドル払うモノポリー的感覚でいますけど。
 細々とした政策の失敗が積み重なっている安倍政権3期目ですが、それでもどうにかなっているのは景気が良いからで、まあまあ飯が食えて、就職したければそれなりに仕事がある状態なので、若い人が支持しています。仕事があるというのはとても大事なことです。ただ、景気が悪くなったらどうなるのか知りません。ようやく都市部も地方もどの産業も概ね人手不足の状況が行き渡ってきたので国民の賃金も上がっていくのかなと思ったら、人手不足の産業界がワーワー言った結果、政府が外国人受け入れ政策を「大転換」することになってしまいました。新たな在留資格を創設して、単純労働の分野でも労働者として正式に受け入れるそうです。もうね、賃金上昇は大事なファクターだってみんな分かってるのに、低賃金で働く労働者を海外から入れるのを促進しましょう、って、それまたデフレになるじゃねーか。それに、何よりも受け入れ準備とか社会的コストとか全然考えてないよね。地方経済を回す大事な要素として外国から来た労働者を使わざるを得ないというのは分かるけど、どうやって彼らを遇するの。日本人の数が減り、若者が地方からいなくなって、景気が良いから都合よく安価な労働力と入れてきて、そのあとのことを考えていないのではないか、と。

声の大きい人の話を聞き続けた結果

 外国人も立派な人間であって、彼らも日本で暮らし、家族を作り、子供を儲けて日本に定着する可能性があります。景気が悪化して労働力がだぶつき都合が悪くなったら帰国してくれるとは限りません。当然、地方に暮らしている外国人たちは自分たちの権利を守るために参政権を求めたり、日本人と同じような生活を求めてくるでしょう。当たり前ですよね、人間なんだから。労働者として外国人が日本にやってくること自体は反対しないまでも、彼らに日本を良く知ってもらい、どう日本の中で時間をかけて共存していくべきなのか、もう少しちゃんと考えておくべきなんじゃないですかね。
 対応するべき課題も重要な政策も、場当たり的に取り組むから、間違っていたときに責任を取りたくなくて突っ張るハメになる。社会保障改革も教育改革も少子化対策も「今までのやり方では間違っていました」と分かっているのに、ごめんなさいして修正をかけることすらできなくなりつつあります。声の大きい人の話を聞き続けた結果、国民や社会全体の利益が後回しになったりしていませんかね。

修正することと、リスクを引き受けることと

 本来は、そういう政治であってはいけない、間違っているモノをもう少しきちんと軌道修正し、幅広い意見を吸い上げられる仕組みを与党野党の間で調整していくべきところが、野党が血道を上げる政権批判の骨子がモリカケだったりして、そんなパフォーマンスで国民の生活が向上するような議論に資するわけがないだろうと思うわけです。まあ、この辺は筋の悪いスキャンダルで政権を追い詰めようとするメディアの側にも責任はあるのですが、肝心なところでイデオロギーが邪魔をする。立憲民主党も左派だけの支持ではなく中道派やノンポリの国民の請託も受けられるよう追い風を求めたいはずなのに、重要な政策議論で存在感を示すことができないから、せっかく新党が立ち上がったのに期待感が剥げ落ちて支持率一桁前半とか、どうしようもないなと思うわけです。
 たぶん、みんなこのままじゃいけない、日本社会は衰退を受け入れざるを得ないと思ってはいると思うのです。ただ、声を上げようにも受け皿はなく、安倍晋三のやることを容認していかなければならない。もちろん、民主主義ですから、自由民主党が政権を取りました、公明党と連立ですと言われれば、それは尊重しなければならないし、党内での決め事で総裁選に三選したのだから、安倍ちゃんは立派な宰相だとも言えるでしょう。でも、それは安倍ちゃんが最善だからというよりは、他に良い人がいないからという相対的なものだということは国民もうすうす気づいていると思うのです。どの世論調査を見ても、支持する理由は「他に相応しい内閣がないから」、不支持の理由はだいたい「人柄が信頼できないから」です。もうこの状況は安保法制ですったもんだする前からずっと続いているわけですよ。
 当然、在庫一掃内閣と言われたり、全員野球内閣と名づけるとみんなライトを守ってるとか揶揄されるわけですけど、それ以上に、政策議論の不実さ加減は相当なものです。これで、本当に憲法改正とかやるんでしょうか。安倍政権が概ね支持されているのは経済が回っていてそこそこ好況だからで、この前提が崩れたらどうしようもないことぐらい分かっていると思うのですが、そろそろ身近な人が、安倍ちゃんに「大将、そろそろ服着ませんか?」とやんわり言ってあげられないものかと思ったりもするんですけどね。風邪ひきますよ。
(山本 一郎)

開くトラックバック(0)

「加計問題」を再検証し、一体何が問題だったのか明示し、さらには高校無償化、生涯学習など、文部官僚時代に2人が推進した教育改革をめぐって、とことん語り合った『これからの日本、これからの教育』。前川喜平さんによる「「はじめに」に代えて」を公開しますので、ぜひご覧くださいませ。
イメージ

 2017年1月、私は文部科学省を辞めた。その数カ月後に加計学園の問題をめぐって一連の発言をすることになるとは、この時点ではまったく思いもよらなかった。
 文科省を辞めたのは、文科省OBへの再就職あっせんが法律に違反していたからだった。これにより、文科省、さらには政府への信頼を損ねてしまった。事務次官として、組織全体の責めを負って辞任するのは、私にとって当然のことだった。それ以外の選択肢は考えられなかった。
 退官後、おとなしくしていれば、何かのポストに就けただろう――。そういう人もいる。実際、文科省を辞める前に、ユネスコ大使はどうかと内々に打診されたこともあった。だが、天下り問題で引責辞任をした時点で、今後、政府の要職に就くことはないだろうし、たとえそうした話があっても、受けるべきでないと心に決めていた。
なぜ証言したのか
 加計学園に関する私の発言を、勇気ある行動だと言ってくださる方も少なくない。だが、正直に言うと、この問題での一連の発言で何かを失ったとは、私自身は思っていない。もちろん、文科省での仕事をとおして知遇を得た方たちとの関係が絶たれることもあった。だがそれは、いつかは引き受けなければならないことと覚悟していた。
 文科省にいた時の私は、多くの場面で自分の良心や思想、信条を押し殺して、組織の論理に従わせてきた。その仕事に本心では抵抗があっても、可能な範囲でよりましなほうへ行こう、そして方針転換できる機会をねばり強く待とうと考え、上位の権力に従った。だから私は、心のどこかで、役所を辞める日を心待ちにしていたのだと思う。役所を辞めれば、自由にものが言えるようになるはずだ、と。
 たとえば私は、教育勅語を道徳の教材とすることには反対だ。戦前の日本は言論の自由や学問の自由を圧殺し、無謀な戦争に突き進んだが、そうした時代にあって教育勅語は、子どもたちの心を国体思想に絡めとり、お国のために命をすら差し出すよう誘導する役割を果たしていたからだ。
 ところが私が以前お仕えした文科大臣の中には、教育勅語について「中身は至極まっとう」と発言された方がいる。戦前・戦中の国家主義的教育を批判的に学ぶための教材として使うのであれば納得もできようが、道徳の教材として使うのは、とんでもないことだと思う。そもそもそれは、憲法に反しているのではないか――。
 こうして私は、自分がかつてお仕えした人であっても、内容次第では、批判的な発言をすることにもなった。自由に発言できるようになったことの代償だろう。
 今年(2017年)の5月になって、加計学園による獣医学部の新設は「総理のご意向」だとする文書は存在すると私が証言し、「行政がゆがめられた」と発言したことに対して、なぜ在職中にそれをやらなかったのか、もっと戦うべきだったのではないか、せめて内部告発ぐらいできたのではないか、といった批判をいただいた。
 まったくその通りだと思う。だが、私の経験から言うと、現職中にこの動きを止めることは、おそらく100パーセント、できなかっただろう。官邸からの圧力は、それだけ強かったということだ。他方で、組織を背負う立場でなくなり、自由な身分になったからこそ、加計学園をめぐる一連の発言ができたわけだから、格別、勇気ある行動とは言えないのである。
 ただ、私の発言によって、文科省の後輩たちにはひどく迷惑をかけてしまった。毎晩毎晩、国会答弁用の資料を作らされたり、流出した文書の存否をめぐり調査をやらされたり、官邸から呼びつけられてどうなっているんだと怒られたりと、相当ひどい目に遭ったと聞いた。彼らにはとても顔向けできない。本当に申し訳ないと思っている。
 文科省の中には、加計学園の獣医学部について、いくら行政がゆがめられようと、官邸がこしらえたストーリーに沿って粛々と設置認可をすればいいだけの話で、わざわざ騒ぎを引き起こす必要はなかったと考える人もいることだろう。もしかすると、私の発言によって、誰が文書を流出させたのか、お互い疑心暗鬼に陥ってしまい、省内にギスギスした雰囲気が生まれてしまったかもしれない。もとよりそれは、私の本意ではない。
 だが、間違いなく、加計学園の問題では、あるべき行政の姿がゆがめられ、国家権力の私物化が起きていた。私の知るかぎり、一昔前まで、ここまでひどくはなかった。
 おそらく、権力の集中によって驕りが生じているのだろう、国民の税金を使って、一部の人を儲けさせるようなことを、「岩盤規制にドリルで穴を開ける」とか「既得権益の打破」といった、それらしい言葉で説明しさえすれば、国民を納得させられると思いなしているようだ。
 こうした中で私は、加計学園による獣医学部の新設に関して政府内部でゆがんだ問題が生じていることを知る立場にあった。このことを私一人の胸に納めておいて、本当にいいのか、一国民として見たとき、何もなかったと済ませることは到底できない。そう考えた。「あったものを、なかったことにはできない」――。そう証言することが、本当の意味での「全体の奉仕者」としての務めを果たすことになるだろうし、民主主義を維持していくためにも、密室の中での出来事のままにしておくのはよくない。そう思った。 
教育は営利事業ではない
 今回わたしは、寺脇研さんと対談をする機会を得た。
 寺脇さんは文科省(文部省)時代の、尊敬する先輩の一人である。寺脇さんは、文部官僚として、誰もが、いつでも、どこでも学ぶことができるように、教育制度の改革を推進してきた。当時から寺脇さんは、言いたいことを言い、やるべきことをやるという姿勢を崩さない稀有な人だった。退官されてからも、誰におもねるでもなく、自分の思うところを言い、議論し、教育への情熱を失っていない。
 この本で私は加計学園の問題だけでなく、生涯学習からゆとり教育、高校無償化、夜間中学まで、約40年にわたる教育改革について、寺脇さんと対話をしている。これらの改革は、いずれも寺脇さん、もしくは私がかかわったものだ。ある意味で、この40年間の文部行政に関するオーラル・ヒストリーでもある。
 加計学園の問題で、文科省は「既得権益の牙城」であり、新規参入を許さぬ「岩盤規制」を敷いてきた張本人だと批判された。もっぱらそうした批判は、市場競争に任せれば万事うまく行くという「規制緩和」論者からなされた。この手の議論に決定的に欠けているのが、国民一人ひとりの学ぶ権利をいかにして保障し、教育の質が劣化しないようにするかという視点だ。
 子どもの貧困は、深刻の度が一段と増している。こうした中で、弱肉強食の市場競争に教育をさらしてしまっていいのだろうか。そうではなく、充実した教育をこの社会が、私たちがすべての子どもに用意することが、本当の意味での格差解消につながるのではないだろうか。
 大学入学年齢である18歳人口は、平成26(2014)年段階で118万人いる。ところが少子化が進むことで、あと20年もすれば、90万人台になる。50年で半減するとも言われている。こうした中で、一人ひとりを大切に育てていかなければ、この社会はもたないのではないか。そのためには、将来、どのような分野の仕事が必要になるかを、信頼できるデータをもとに予測しながら、教育内容を充実させていく必要がある。
 教育は、短期間で成果が上がるような営利事業ではないし、そのことを目指すべきでもない。「教育は国家百年の計」と言われるが、少なくとも、人ひとりが大人になるまでの時間をかけなければ、その成否は分からない。だからこそ、教育がどうあるべきかは、これから社会がどう変化していくかを見据えながら、長期的な視野のもとで考えなくてはならない。
 寺脇さんも私も、そのような思いで教育改革に取り組んできたし、現役の文部官僚たちも、その思いに変わりはないはずだ。
 実は私は、小学校3年生の時に不登校になったことがある。転校先の東京では、それまで暮らしていた奈良とは言葉遣いが違っていたし、先生もどことなく冷たい感じがした。決定的だったのは、奈良ではなかったプールの授業で溺れかけたことだ。2学期以降、学校に行こうとすると、吐き気や腹痛がするようになった。
 いまや不登校の子どもたちは、全国に12万人いる。かつては文科省も、不登校の子どもは、いずれ学校に戻さなくてはならないと考えていた。だが、今ではそうした学校中心主義から脱却しつつある。フリースクールや夜間中学といった学びの場を、以前よりも柔軟に認めるようになった。
 弱肉強食の市場競争に子どもたちをさらさず、一人ひとりの学ぶ権利を保障すること。それが教育行政本来の使命ではないか。寺脇さんも、私も、そう考えている。
 この本を通じて、そのことが分かっていただけたなら、これに勝る喜びはない。
いくつかの出会い
 最後に、私的な思い出を書くことをお許しいただきたい。
 1996年に47歳で病死された河野愛さんは、私が文科省で尊敬するもう一人の先輩だ。私が文部省に入った当初から、河野さんには親しくしていただいた。
 河野さんは私より6歳年上で、利益誘導を図るような仕事の仕方をなにより嫌い、権力のある偉い人にこびへつらうことを嫌った。とてもまっすぐな人だった。だから、上司と衝突することも少なくなかった。
 私自身は、上司と部下という形で河野さんと仕事をしたことはないが、よく飲み会に誘っていただいた。「どういうつもりで仕事をしているのか」と、結構厳しいことも言われたが、後輩思いで、とても温かな人だった。筋の曲がったことが大嫌いで、誠意や理想を捨てない人だった。
 文科省に在職中も、退官してからも、ちらっちらっと河野さんのことが頭に浮かんでくることがあった。河野さんの魂が、どこかで見ているんじゃないか、そういう気持ちになることが時々ある。
 いま思うと、文科省を引責辞任したときも、加計学園のことで文書は存在すると証言したときも、河野さんのそうした生き方が、どこかで影響していたように思う。
 これまで公の場で語ったことは一度もないが、文科省時代の私のノートパソコンの待ち受け画面は、チェ・ゲバラの肖像写真だった。
 アルゼンチン生まれで医師でもあったゲバラは、圧政に苦しむ人々を見捨てておけず、世の中を良くしようと革命運動に身を投じた人だ。カストロとともにキューバ革命を成功に導いた後、南米解放闘争の一環として潜入したボリビアで政府軍に捕えられ、銃殺されている。39歳という短い生涯だった。政府軍との戦闘によって負傷した味方だけでなく、敵兵まで治療したという逸話が残されている。
 ゲバラのことを初めて知ったのは、中学生の時だった。1960年代末の頃、若者たちが既成の秩序に対し盛んに異議申し立てをしていた時代だった。人間を解放するために戦い続けたゲバラの生き方は、この上なく魅力的だ。
 10代の私に強い印象を残したもう一人が、宮沢賢治だった。賢治は『農民芸術概論綱要』で、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と書き記している。
 この言葉は、遂に到達することのできない永遠の目標として、今日に至るまで私の意識の奥底に存在しているように思う。
  賢治は同じ作品の中で、こういう言葉も綴っている。
「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう/しかもわれらは各々感じ各別各異に生きてゐる」
 自己と他者の区別を超え、人間と自然の区別を超えて無限大の宇宙の生命と一体化する。しかも、現実の社会においては一人の個として生きる。そういう生き方の天啓のようなものを与えてくれた言葉だ。
「諸君はこの時代に強ひられ率ひられて奴隷のやうに忍従することを欲するか」
「むしろ諸君よ更にあらたな正しい時代をつくれ」
 これは『生徒諸君に寄せる』の一節だ。私はこの言葉に何度も鼓舞され、励まされた。 時代も場所も異なるこれらの人々と出会えたことが、こんにちの私を形作っているところがあると、今にして思う。
 最後の最後――、ヨットは逆風の中にあっても、前へ進むことができる。ただし、向かってくる風に対して、真っすぐには進めない。ジグザグに、少しずつ進んでいく。
 文科省にいたときの私は、組織の論理に従いながらも、何とか改革したいと思うことについては、逆風の中のヨットのように、少しずつ、ジグザグにでも、前へ進もうとしてきたように思う。
 この本が、少しでもみなさんの力になれれば、本当にうれしい。

転載元転載元: 情報収集中&放電中

五輪警備担う新機動隊員が訓練

3年後の東京オリンピック・パラリンピックの競技会場などの警備で中心的な役割を担うことになる、ことし春に警視庁機動隊に入隊した新隊員による訓練が都内で行われました。

訓練は、東京・江東区の警視庁の施設で行われ、緒方禎己警備部長など幹部が見守る中、ことし3月に機動隊に入隊した新隊員およそ450人が参加しました。
このうち、デモを想定した訓練では、路上へ飛び出そうとする人たちを隊員が体を張って止めたり、路上に座り込んで動こうとしない人たちに対処する手順を確認したりしていました。
また、暴動を想定した訓練では、火を放っている集団などに対し、放水車で火を消すなどして制圧していました。
訓練のあと、緒方警備部長は「大会まで3年余りで、警視庁機動隊の真価が問われる時に隊員となったことに思いをはせ、1人1人がみずからを高めていってほしい」と訓示しました。
警視庁によりますと、通常、機動隊員の任期は3年程度で、ことしの春、入隊した隊員は、経験が豊富な時に東京オリンピック・パラリンピックの競技会場などの警備にあたるということで、警視庁はあらゆる事態に備えられるよう今後、訓練を積み重ねていくことにしています。

転載元転載元: 情報収集中&放電中

ネトウヨからの反論:所詮ネトウヨの脳みそなどこのレベル

以前このブログにこういう書き込みがありました。

http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/0/7/07fd40a6-s.jpg
こちらのページ

 
このブログでは差別的な表現の書き込みを許可しておりません。それはブログのトップに断りを入れてあります。

http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/3/9/39139f04-s.jpg
 
当然私はこの「タコ」なるネトウヨを一発ブロックしたのですが、このネトウヨ、tacodayoという名前で自分でブログを持っていたらしく、このような記事を書いて当ブログを批判していました。

http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/f/1/f19f350e-s.jpg

(スポンサードリンク)
このようなネトウヨを書き込み拒否するのは当たり前のことですが、それで「恩を仇で返すヒト食い人種朝鮮ゴキブリヒトモドキ確定」などと書くのですから、もう性根が根本から腐りきっていますね。


私は朝鮮人ではありませんし、自分が差別的な書き込みをしておいてブロックされたら「恩を仇で返す」とは意味不明の極致ですね。さらに、「ヒト食い人種」と言っておきながら「ヒトモドキ」って、人なのか人じゃないのか(笑)。ネトウヨの脳みそなんて所詮この程度ですね。まあ、頭が良ければネトウヨかなんてそうそうしないでしょうが。


まあ、性根が腐った卑怯なネトウヨは見飽きているので気にもしていませんでしたが、今回、このタコなるネトウヨがこのブログの記事に対する反論記事を書いていました。内容を見てみると、「ああ、所詮ネトウヨの脳みそはこの程度か」とわかるものなのですが、このブログに対する明確な反論記事ですので、ネトウヨの頭の悪さを紹介する意味も込めて、再反論してみたいと思います。どこどうやればこんなにも根性と頭が腐れるのか不思議でなりませんが。

 

先日私は「外国人犯罪はこの10年一貫して減り続けている」という記事を書きました。タコはこの記事に反論記事を書いています。外国人犯罪がこの10年減り続けているという私の主張に対し、タコはこう主張します。


http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/d/b/dbf2dd82-s.jpg

>>検挙率が下がっているのだから、 逮捕者が減るのは当たり前。 
>>むしろ、 この検挙率の急激な減少を見れば、
>>外国人犯罪は益々激増している ことがわかりますね。 

>>数字のトリックです(>_<) 

>>まぁ、これで完全論破完了なんですが(^o^;)



検挙率が下がっていると言っていますが、大嘘です。


よく見てみましょう。このバカウヨ中のバカウヨであるタコが引用しているこのグラフ、2001年までのグラフです。私は2005年以降、外国人犯罪が減り続けていることを主張しているので、タコが出しているこの数字は全くの無意味です。やっぱりネトウヨの脳みその弱さは異常ですね。グラフの年次を見ることさえできないのです。幼稚園から出直すか、一度死んで生まれ変わる以外に方法はありませんね。


このタコなるバカウヨが出してきたグラフの元はこちらのようなんですが、ごらんのとおり、このレポートが作成されたのは2002年です。「外国人犯罪はこの10年間一貫して減り続けている」という主張に、15年前の統計を持ち出して反論するとは、やはりバカウヨの脳みその悪さは常人の想像を超えています。

http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/1/a/1ad8d1f4-s.jpg


そもそも私は、元のブログ記事で、日本全体の犯罪の認知件数自体が下がり続けていることに言及しています。ここを読んでおけばこのタコのような反論記事を書くわけがないんですが、私の記事をまともに読んでいないか、読んでも理解するだけの脳みそがなかったのでしょう。


http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/7/d/7d4c3b6d-s.jpg
↑そもそも犯罪の認知件数が外国人犯罪と同様に下がりづつけている。


さらに言うと、このバカウヨが出している2001年は、犯罪検挙率が過去最低になった年です。その後は逆に検挙率は上がっているのです。

 

前回検挙率は面倒なのでグラフにはしていなかったので、このタコというバカウヨが出してきた数字のあと、すなわち2002年(平成14年)以降の検挙率を見てみましょう。


http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/8/4/8430168b.jpg

http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/e/a/eab5b232-s.jpg

ごらんのとおり、犯罪認知件数が落ち続ける一方、犯罪検挙率は平成14年から18年まで上がり続け、その後は横ばいなのです。「検挙率の急激な現象」などと言っているタコは、15年前からタイムスリップでもしてきたのでしょうか? まあ、所詮タコはタコ。人間並みの脳みそを持っていないということですね。


さらに、検挙件数のうちの外国人犯罪を取り出してみましょう。

http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/0/8/08c5e1e1-s.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/neotridagger/imgs/8/b/8bb125ba-s.jpg

この通り、検挙件数全体に占める外国人による犯罪の割合も、全体として減少しており、ここ数年は横ばいです。


以上のことから、グラフの年次も見ることができないタコというバカウヨの言っていることが大嘘であることがよくわかりますね。外国人犯罪は増えるどころか、絶対数も、犯罪全体に占める割合も減っているのです。外国人犯罪は、絶対数で言っても割合で言っても増えてなどいません。


所詮ネトウヨになるようなバカの脳みそなどこの程度だということがよくわかりますね。そもそもまともに数字を見ることができる頭があればネトウヨになどなりはしないでしょう。


タコはこのブログを「嘘とデマでいっぱいの反日なりすましブログ」などと言っていますが、反論しようとして結局ネトウヨの頭の悪さをさらすだけになりました

転載元転載元: 葉梨愛ツイッター的ブログ

[ すべて表示 ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事