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現代でヤマキチ型玄能と呼ばれている品の大本、いわば元祖のヤマキチ玄能です 福岡で作られていたこの玄能、蚤の市には福岡の業者が多数出店されると聞いていたのでまさに流れに乗ってここまで来たような気がしました かつて長谷川幸三郎がヤマキチ玄能を参考にして良い箇所を受け継ぎ さらに改良出来る所は改良して 新たなヤマキチ型玄能を完成させたそうです それをみたヤマキチ玄能の鍛冶は こんなに上手に造る人がいるのなら自分が造る必要は無くなったと店をたたむ一つの理由としたそうです 多少使い込まれた感がありますが実使用には全く問題なさそうです はっきり言いますと現代の鍛冶が造るヤマキチ型玄能の方が精度は上かもしれません ただそれは元祖という型がありきのもと向上されてきた過程がある訳で まずはゼロからこの型にはじめにたどり着いたということが評価されるべきです とは言え愛用者もかなりいたと聞きますので使い心地も良かったのだと想像出来ます ヒツ穴の下には今も福岡で営業されている金物屋さんの名が打たれています こんな掘り出し物が時には数百円で見つかるのがたまらないです |

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僕はこの鎚をダルマ先切とか、下腹鎚と呼んでいまして、
何でヤマキチって呼ぶのか分からなかったのですが、
お名前だったんですね。
勉強になりました。
2011/4/5(火) 午後 10:32 [ あきらパパ ]
また一つ知識が増えました!
ありがとうございます!
自分も古道具市行ってみたいですね
古いものを再生して使うのが好きなので掘り出し物を探しに行きたいものです
2011/4/6(水) 午前 0:33 [ 生涯修行 大工道 ]
こんなのが見つかると楽しいですね。値段も安いし、玄能が歩んできた歴史を考えてしまいますね。
2011/4/6(水) 午前 6:06 [ 吉野朝男 ]
なるほど・・・・。納得しました。
数百円とは、なんとお買い得なのでしょう。
ここで蚤の市をやっている事は、初耳でした....。
2011/4/6(水) 午後 5:49
久しぶりにやまきちをみました。やまきちはバールも有名でしたね。私はやまきち型は使いませんが、やまきち型は重さがあるので、刻みにも最高じゃないでしょうか!
2011/4/6(水) 午後 7:58 [ 正宗 ]
やま吉と幸三郎のそんな物語があったのですね〜
なかなか興味深い話です。
博多やその横の刻印も感じが良くて良いですね♪
2011/4/7(木) 午前 1:17 [ 工人堂 ]
あきらパパさん
この玄能の呼び名はいくつもありますね。博多型とかどんたく玄能とか…
長年親しまれてきた証ですね。
2011/4/7(木) 午後 9:44 [ バンビ ]
生涯修行 大工道さん
古い刃物などの再生は治しながら良くなっていく過程が楽しいですね。
こちらでも骨董市はなかなか無いので開催される時はとても楽しみです。
2011/4/7(木) 午後 9:52 [ バンビ ]
吉野朝男さん
古道具を手に取りながら歴史を辿ったり憶測を描いたりするのも楽しいですね。
物によってはお安く購入できるのも魅力的ですね。
2011/4/7(木) 午後 10:09 [ バンビ ]
大いなる匠さん
僕もたまたまこの蚤の市を知りました。県内ではあまり骨董市などはありませんね。
古道具の中から自分なりの当たりが出るのは稀ですがその稀がたま〜にやってくるのでついつい眺め回す事が多いです。
2011/4/7(木) 午後 10:18 [ バンビ ]
正宗さん
やまきちのバールは初耳でした。やはりあの刻印も入ってるのでしょうか。
実際に地域によってはヤマキチ玄能が刻みに使用されている事があるそうです。ダルマと似て打撃面が広いので扱いやすそうですね。
2011/4/7(木) 午後 10:25 [ バンビ ]
工人堂さん
ヤマキチ玄能は地元福岡では絶大なる人気だったと聞きます。
良い鍛冶屋の足跡を次の世代の鍛冶屋が辿り、現在もまたそれが受け継がれていますね。
需要は減りつつありますが現代の鍛冶屋さんには良い物を沢山残して欲しいです。
2011/4/7(木) 午後 10:46 [ バンビ ]
ためになります
重さはどれくらいですか?
いいのが廻ってきましたね♪
2011/4/13(水) 午後 11:01
rinrinさん
重さはきちんと計っておりませんが多分180匁程あるかと思います。
現代の仕事で大玄能を振るということが減りつつあるのは残念な事ですが…手入れをしていつでも使えるようにしておきます。
2011/4/14(木) 午後 6:23 [ バンビ ]
私その刻印のあるハガネヤで修行しました、それは販売店の名前です、懐かしいです。私はこのやまきち、(岡田さんですが)が玄能鍛冶の腕としてはピカイチだと思っています。幸三郎よりはるかに上です。昭和49年位に鍛冶屋を畳んだのですが、それは親子で仕事をしていましたが、親父さんが死んで、一人では仕事が出来なくなったからです。バールは釘抜き部分が今の土牛Sバールの形でした。土牛がそれを真似ました。
2014/10/6(月) 午後 8:01 [ 原戸 祥次郎 ]
原戸さん ハガネヤはヤマキチの鍛冶と密接な関係であった事が大いに想像出来ます。今のような情報社会の中にあったならもっとヤマキチ玄翁は世に広まっていたのかもしれませんね。ところで以前舎銘のちょうなを紹介した事があるのですがこれはご本人作だと思われますか?
2014/10/6(月) 午後 9:14 [ バンビ ]