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職場の若い男の子が得意気に言いました。
夢ってありますか?
まだ知り合って間も無いのですが、
その子はどうやら経済至上主義的な考えをお持ちでして、
沢山のお金が幸せを運んでくれると考えておりました。
将来の自分はこうありたいという夢を語ってくれました。
その夢の内実は、
主に環境のお話しで御座いました。
どういう役職に就いているか。
どういう所に住んでいるか。
趣味でどんな事をしているか。
どういう人と繋がりを持っているか。
将来こうなりたいという話の中に、
自身の人となりについての弁は何一つ御座いませんでした。
八佾第三
二十六
子曰、居上不寛、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉
子曰く。上に居て寛ならず、禮(れい)を爲(な)して敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、吾れ何を以てか之を觀んや。
先生(孔子)が仰いました。
「人の上に立ちながら寛容さが無く、
礼を行いながら敬いの念を持たず、
葬儀に参列しながら悲しまないというのであれば、
どこを見所にしたものか、私には分からない」
(俺なりの解釈での)解説
「夢ってありますか?」って、
あるに決まってんだろ若僧が〜!
俺の夢はアレや、
あの、
アレや!
また今度話したるわ!
ええと、八佾第三.二十六で御座いますが、
これももう訳の通りで御座います。
多くの訳を見ましても特に注釈を設けている物は御座いません。
役職等の肩書きは人に追随するもので御座いますが、
逆に捉えられる場合が殆どで御座いますね。
先ず肩書きが上の方にでーんと在って、
人がそこまで昇り詰めて行く、と。
逆だろ、逆!
精進した人間の後に付いて来る結果だろ!
単なる呼び方だろ!
と、思うのですが、
前者で捉えている人間が多数を占めますので、
世の中の仕組みもそれに合わせたものになっているようで御座います。
人の上に立って寛容さに欠ける者の多くは、
お辞儀や挨拶といった形にはやたらとコダワりますね。
君、臣を使うに礼と申しまして、
寛容さに欠けている時点で他者への敬愛や自身の慎みといった礼から大きく外れているのですが、
形にばかりやたらと拘ります。
形さへ抑えておけばOKと思っているのかもしれませんね。
まあせめて形だけでも…という思いも御座いますが、
その形すら成せない人も多くて御座います、今のご時勢。
分不相応な地位に居る上司、
上司の胃をキリキリさせる部下、
どっちが悪いと言えば、
どっちも悪いのでしょうなあ。
もうちょっとさあ、
幾らでも善くしようは在るんじゃねえのかなあと
思われてならんので御座います。
孔子の仰る通り、ドコを見たらいいのか分からんで御座いますよ。
どう在りたいのか、
どうなりたいのか、
もうちょっと真剣に考えような、若僧。
と、先の男の子には思いました。
追伸.
その人の善い所を見付けてあげて、
その人を好きになってあげてください。
と、
仰る方も、この世には居られます。
それを思い出す度に、
俺の小ささを嘆くと同時に、
そんな美しい言葉を頂けた幸運に、
思わず涙しそうになるので御座います。
グスッ。
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偉大な人とは、いつも上機嫌な人!周りに僅かにいらっしゃいます。好きな人も嫌いな人も、縁あって私とこの世で巡り会っているのでしょうか?四苦八苦の中には会いたくない人と遭わなければならない苦しみが含まれております。苦あれば楽あり。いやな人に遭うのが平気になれば好きな人との逢瀬は無上の歓びとなりましょう・・・
2007/5/8(火) 午後 10:45 [ - ]
礼の効用は和を尊しと為すと申しますし、礼の無い人はいつも和を乱しますよね。イライラしてたり平気で他人を否定したり。そういう人はみんなから嫌われ避けられておりますが、縁あって巡り会っているのなら、そういう人をも善い方へ導きたいと、夢みたいな事を思っちゃいます。
2007/5/9(水) 午後 11:45 [ niteruhitotoyou1103101 ]
地位やお金で買えない幸せが本当の幸せです。
2007/5/10(木) 午前 9:58
やあ、お帰りなさいです。幸せってそもそもどういう状態を指すのかなあと考えさせられることが多いご時勢で御座いますね。幸せの土台にお金を持ってきてしまうと建つ物は歪で醜いもののように感じてしまいます。あのケアマネにもゲンコツしてやりたいです。
2007/5/11(金) 午前 8:28 [ niteruhitotoyou1103101 ]