善いね

好きなオノマトペは、のたりのたりです

巻第二

[ リスト ]

つつましさの意味

自らの主張で周りを無理矢理納得させるのと、

自他共に納得のいく答えを模索するのと。

こうやって文字に致しますと後者の方が明らかに望ましいように思えますが、

実生活に於いては前者の方が多くの利益を齎してくれるように見受けられてしまいます。

利に放(よ)りて行えば怨み多しとは申しますが、

買う怨みよりも得る利益の方が、

人生をより善い方向へ導くと多くの人が思っているのかもしれませんね。

そしてそれは少なからず事実のように思います。

周りの多くの怨みを買っても、

人の上に立つ役職に就き、

自らは幸せそうに、充実してそうに過ごしている人というのは、

実際に見掛けます。それも決して少なくなく。

ならばそれで善いのではないかと、

我々の目指すべきものは「利」で、その手段となる「主張」は貴いものではないかと、

そういう考えも頭を過ぎるかと存じます。

然し、

怨みや妬みってのは恐いもので御座いますねえ。

時には「利」を全く無視してでも、

人は成功者の大切なものを、奪い、貶めようとするもので御座います。

そして、

より問題となるのはこっちの方だと思いますけれども、

周りの人もまた、

他人の怨みを買ってでも「利」を得ようと、

あなたやあなたの大切な人を傷付けるかも分かりません。








里仁第四

二十三.

子曰、以約失之者鮮矣、


子曰く、約を以って之を失する者は鮮(すく)なし。



先生(孔子)が言われました。

「つつましくしていて失敗する人は少ないでしょう」






(俺なりの解釈での)解説

やあ、これは相当悩む所で御座います。

以約失之者鮮矣。

「約」は倹約の約で「つつましく」という訳で善いかと思われます。

問題は「失」で御座います。

多くの訳に見られる所謂多数派はこれを「失する」と読んで「失敗」と訳すもので御座いまして、

上はそれで訳しております。

つつましくしていて失敗する者は少ない。

そういう内容になります。

一方で、「失う」と読むものも御座います。

これだと、

つつましくしていて之を失う者は少ない。

と、なります。

前者の方がスッキリしていて分かりやすいし、成程なあという説得力も御座います。

対して後者は「之を失う」の「之(これ)」って何?という疑問が生じて難解になってしまいます。

孔子の仰る事は基本的に分かりやすい(人に教えるための言葉なので当然と言えば当然ですが)ので、

これは前者でいいんじゃないのおとも思われますが、

そうなのかなあと、

喉に引っ掛かった小骨のような、無視出来ない違和感が取り除けなくて御座います。

と、言いますのも、

冒頭に挙げました「主張」と「模索」で御座いますけれども、

より「利」を齎すのは「主張」の方だと申し上げました。

因みに「失敗」の反対語は何かと問われたらそれは「成功」で御座いますね。

約を以って之を「失する」者は鮮(すく)なしと致しまして、

つつましくしていて失敗をする人は少ないですよ、と致しますと、

よくよく考えると「そうか?」と思うので御座います。

古典を読んでいて思うのは、人は昔も今も変わんねえんだなあというコトで御座いますので、

孔子の時代も今と変わらず、

主張する者が成功し、

つつましくする者が軽んじられていたのではないかと考えます。

失敗または成功を考えると、

孔子は市井に身を置く、すごく生活感の有る方であったようですので、

現代にも観られる、

周りの事を考え自分は一歩引く人が下に見られ、

我が我がと主張する者が上に取り上げられる、

そういった歪んだ有態もまざまざと見せ付けられたのではないかと思われます。

そうなると、

つつましくしていて失敗する人は少ない、ってのは、

ウソになる訳ですよ。

理想論に成る訳ですよ。

これは当然ピンと来なくて御座いまして、

こんな、「そうだったらいいなあ」というようなコトを言う人かなと、

疑問が残るので御座います。

ただ、それは失敗或いは成功が、「何に対してか」でまた変わってくるので御座いますけれども。

これが結婚生活や家庭のお話であれば、

つつましくしていて失敗する者は少ない、

それで善いかと思われます。

しかも当時は農民が多くて御座いますからねえ、

職場の人間関係やら出世のしがらみやらといったものよりも「家」に眼を向けた発言の方が、

寧ろ多くなさってらっしゃったのではないかと考えると、

矢張り「失」は「失する」と読んで失敗の訳でいいのかなあとも思えます。

でも孔子は委吏という穀物藏を管理する職や、司職吏(乗田)という牛馬を飼育する役、

つまり村役人として「職場」というものに身を置いていた経緯が御座いますから、

その醜い面というのも当然観てらっしゃるのではないかと考えます。

そして孔子に質問し孔子から教えを賜った者の殆どは矢張り「門人」で御座います。

門人から多く仕官する者を輩出した事を思えば、

上の発言も「家」を向いたものではなく「職」を向いたものなんじゃねえかと思われるので御座いますよ。

そう、

問題は「誰に言ったか」で御座います。

対機説法とも言われますように、孔子はお相手に合わせた言葉でお話をされます。

同じ質問でも誰がそれを口にしたかで全く逆の答えを返されたりも致します。

なので、

上のお言葉、

「以約失之者鮮矣」

を、

誰に言ったかで訳は変わってくるかと存じます。

礼楽について我々のような一般レベルの知識の持ち主が相手であれば、

それは「分かりやすいお言葉」と見て善いでしょう。

「つつましくしていて失敗する者は少ない」

で善いかと思われます。

対して、

例えば子貢のような頭の回転の速い者(往を告げて来を知る者と言われてましたねえ)が相手であれば、

寧ろ逆に難解な方で捉えて善いかと存じます。

「つつましくしていて之を失う者は少ない」

の訳になるかと存じます。

そして、「之(これ)」って何だよ!という疑問を抱える事になるかと存じます。

俺は後者の訳の方を好みます。

そして「之」の部分には「大切なもの、いろいろ」という言葉を入れます。

本当に大切なものは何かと真剣に考えて余計なものを削ぎ落として行くと、

その答えは至ってシンプルなものになるような気が致します。

いろいろ在るけど、数はそんなに多くないような気が致します。

つつましくしていると、

その大切なもの、幾つかを、

失わなくて済むような気が致します。

閉じる コメント(2)

顔アイコン

つつましいと云うのは欲を持たないことかも知れません。
そうすればうまくいくでしょう。

2008/7/31(木) 午後 11:50 アリス

顔アイコン

やあ、仰る通りかもなあと思いましたです。
身近にある大切なものも欲した途端にどっか遠ーくへ行ってしまうように思われる節も御座いますし、かと言って欲さない、というコトもムツカシイですけども、必要なコトかもなあと思いましたです。

2008/8/1(金) 午後 2:49 [ niteruhitotoyou1103101 ]


.
niteruhitotoyou1103101
niteruhitotoyou1103101
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事