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有言実行と不言実行、
どちらがよりムツカシイかと言えば、
それは遥かに有言実行の方がムツカシイかと存じます。
反則技も有るかと存じますけどもね。
例えば、「俺は今からメシを食います!」と言って、
メシを食いました。
やあ。有言実行。
などとも可能で御座いますが、
それはなんか意味あるの?と問われたら、
「無いと思います」としか答えられないかと思われます。
人は自分を大きく見せたがるものに御座います。
善く見せたがるものに御座います。
なので、
言葉にしてしまうと、
実際は出来ていないコトも、さも当たり前のように出来ているかの如く、
喋ってしまいやすいのが人で御座います。
当然、言ったコトに実践が追いつくというのはとても難しい事となりやすいので御座いますね。
にも拘らず、
出来ていないけど出来ているかのように「言う」、
そうやって周りにアピールして「信じさせようとする」、
そして自分は出来ていると「思い込む」、
これは人の成長の大変な妨げと成ります。
出来る事からやって行こうと思えば、
言うコトも自然と抑えられてくるかと存じます。
俺は出来てるのかなあ。
そう考えると恐くなるね。
里仁第四
二十四.
子曰、君子欲訥於言、而敏於行、
子曰く、君子は言に訥(とつ)にして、行に敏ならんと欲す。
先生(孔子)が言われました。
「君子は口は重くして実践には敏捷に在ろうと願うものです」
(俺なりの解釈での)解説
訥(とつ)は朴訥(ぼくとつ)の訥です。
訥の字にはニョモニョと口ごもったりつっかえながら喋ったりする様を表す意味が在るそうに御座いますが、
此処では飾り気が無く口数が少ない事を言うようで御座います。
おそらくですねえ、
単純に口数が少ないという意味では無いかと思われます。
口数の少ない人と一緒に居ると時にすごく気を遣いますものね。
孔子自身決して寡黙な人物であった訳ではなく寧ろ会話を好んでらっしゃったように見受けられますので、
「君子はあんまり喋らない」
という意味では無いかと存じます。
つまり、
上で述べました、
出来ていないけど出来ているかのように「言う」、
そうやって周りにアピールして「信じさせようとする」、
そして自分は出来ていると「思い込む」、
これと真逆に在るのが君子であると仰ってらっしゃるのではないかと思われます。
それよりも、自分がこう在りたいと望む姿に少しでも近付けるよう、
理想の自分と実際の自分の言行がなるべく重なるように、
実践する。
それについてはすごく敏捷ですよ、という事を仰っているかと存じます。
なんかイチローを思い出した。
この「君子欲訥於言、而敏於行」によく似たお言葉が学而第一の十四に見られます。
「君子は食飽かんことを求むること無く、
居安からんことを求むること無し。
事に敏して言に慎み、
有道に就きて正す。
学を好むと謂うべきのみ」
事に敏して言に慎む。
言に訥にして行に敏ならんと欲す。
殆ど全くと言っていい程同じ事を仰ってらっしゃるかと存じます。
言うは易し、行うは難しで御座いますね。
言うから余計に難しくなる、
言うから余計に遠くなる、
そういうコトは確かに在るかと存じますので、
先ずは有言・不言は置いといて、
実行に重きを置きたい所で御座います。
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