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自分を変えた転機といったものは、誰にでも御座いますよね。
それがいつで、
その時何が変わったのか。
誰にも知られる事は無いかもしれませんけど、
きっと各々の方が、それぞれの中で、
とても大切になさっていると思います。
あの時から、自分はこう考えるようになった。
ほんの些細な事から、
その後の言動を大きく変えてしまうものまで、
幾つも幾つも重ねて行くものだと思います。
どうか、
善い方向へ進んでいますように。
為政第二
四
子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、
四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、
七十而從心所欲、不踰矩、
子曰く、吾れ十有五にして学を志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
先生(孔子)が言われました。
「わたしは十五歳で学問を志した。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十で天命を知る。
六十で他人の言葉が素直に聞かれるようになり、
七十にして、思うままに振舞って、矩を踰えることがなくなった」
(俺なりの解釈での)解説
こんな有名な言葉の解説など、当然憚られます。
でもやります♪
楽しいので。
十有五にして学を志す。
単純に「学問を志す」「学問に志し」と訳されたり、
「自発的に何かを学ぼうとする姿勢を身に付けた」と解釈されたり致します。
現在、数えの十五、満十四歳に迎える「立志式」のモデルで御座います。
昔は十三歳で元服で御座いましたから、
身体面では第二次性徴を反面し、心理面では自我への目覚めとされる、
所謂、思春期で御座いますね。
この頃は、何かしら、その後を決定付ける因が現れる、大事な時期なので御座いましょうね。
俺、十四の頃、何してたかなあ。
無駄に円周率とか覚えてたなあ。
3.14159265358979…
今でも100桁ぐらい行けるぜー!
うむむ、
大事な時期だったのに。
円周率以外では、
この時はとっても独善的な「いいひと」だったと、今振り返ると思います。
ちょっとはマシになったかなあ。
論語に出会って、心の琴線に触れたように感じたのもこの時期でした。
三十にして立つ。
孔子の三十前後は、魯という国の下級官吏として働いていた時期で御座いまして、
お弟子さんも既に居られた頃で御座います。
困窮から脱し、人に教えを説く立場を確固とした時期で御座います。
ですから、「独立した立場を持った」と解すのがポピュラーで御座います。
一方で、文字通り「立つ」、または「旅立つ」という解釈も御座います。
孔子三十の半ば頃、
これまで深めてきた詩書礼楽を国政に活かせる国はないものか、
自分を用いてくれる国はないものか、
と、理想を追って魯を旅立ったので御座いました。
この事から、三十にして立つ、これを先のように解釈なされる方も居られます。
俺はこっちの方が好きです。
四十にして惑わず。
あれこれと迷わなくなった、戸惑わなくなった、いろいろ御座います。
何か強い信念を改めて得たのがこの時期なのではないかなあと思います。
五十にして天命を知る。
これは敢えてそのままにしておきます。
孔子ですら、五十にして知ったもので御座います。
六十にして耳順(した)がう。
他人様のお話に素直に耳を傾けられるようになったそうで御座います。
これも、孔子ですら六十にしてで御座いますから、
自分は出来ているつもりでも、
とても難しい事で御座いますよね。
俺も気を付けよう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
「矩」は規範、模範、道理などの意味が御座います。
「踰」は越と同じと見て問題無いと思われます。
「七十で、自制しなくても道を外れることはなくなった」
と解釈するのがベストかなと思っております。
道は深遠で修め難いもので御座います。
孔子はとても向上心の強い方でらっしゃったようですので、
その死の直前まで道を追っていたと俺は思います。
勿論、ある程度修めたという、自負と言いますか、自覚と言いますか、
そういった自身をお認めになる所は在ったで御座いましょうけども、
「既に身に修め切った」とは、
最期まで思わなかったんじゃないかなあと思います。
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