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話しが上手な人は好まれるようで御座います。
聞くのが上手な人は頼られるようで御座います。
経験の有る方も多く居られると思います。
然し、話し上手と聞き上手の周りには、「役割」が存在するもので御座います。
話し上手の相手は決まって「聞き役」で御座います。
聞き上手の相手は決まって「話し役」で御座います。
話しが上手で、多くの人から好まれた経験の有る人、
聞くのが上手で、多くの人から頼られた経験の有る人、
それはとても素晴らしいことで御座いますが、
好まれたり頼られたりと褒められることで、
得意になってしまう人も居られるようで御座います。
俺の話はオモシロいから、俺は話す人で、お前は聞く人ね。
若しくは、
俺は頼りになるよ、聞いてやるから、話してみなさい。
あからさまにこういう態度の人、居るもので御座います。
俺と同じ天邪鬼の方は理解してくださると思うのですが、
こういうのは好かんです。
役割を押し付けられるのが好きくないです。
相手に
「俺が喋るからお前は聞け」
という態度が見られましたら、
「GIVE&TAKEを知らんのか。喋ったら喋った分だけ聞け」
と思います。
「聞いてやるから喋れ」
という態度が見られましたら、
「俺は喋りたい時に喋るし、相手も選ぶ。お前では無い」
と思います。
天邪鬼で御座います。
然し、
一方で、自然とそのお話しに耳が傾く人、自然と自分の話しを聞いてもらってしまう人、
居るもので御座います。
思いますに、
そういう方は「話し上手、聞き上手」と言いますよりも、
ご自分の言葉で相手の話を引き出す、「促し上手、答え上手」なのではないかなと。
その方のお話に聞き入ってしまいますし、
つい自分の事もベラベラと喋ってしまいます。
自分がベラベラと喋った事について相手が何か仰りますと、
また聞き入ってしまいます。
話しを聞くとポツポツと思う所が浮かんで来て、
またベラベラと喋ってしまいます。
話すのも聞くのも上手な方は、確かに居られます。
そこには「役割」は存在しません。
俺はそれが好きです。
学而第一
十
子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、
必聞其政、求是與、抑與之與、
子貢曰、夫子温良恭儉譲以得之、
夫子之求之也、其諸異乎人之求之與、
子禽、子貢に問いて曰く、夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く。之を求めたるか、そもそも之を与えたるか。子貢曰く、夫子は温良恭儉譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸(こ)れ人の之を求むるに異なるか。
子禽が子貢に尋ねて言われました。
「先生(孔子のこと)はどこの国に行かれても、必ずその国の政治について聞かれます。
これは先生の方から政治の話しを求めたのでしょうか、
それとも先方から先生にお尋ねして来るのでしょうか」
子貢は言われました。
「先生は温良恭儉譲(おんりょうきょうけんじょう)、自然とそうなるのでしょうね。
先生の方から政治の話しを求めたのだとしても、
他の人たちの様に『自分は政治に通じてますよ!有能ですよ!』という誇示とは違うでしょうね」
(俺なりの解釈での)解説
はい来ましたコレ!
孔子門下で一番大好きな子貢が登場であります。
後に触れますが、孔子がご自分のお弟子さんの中でも特に優秀だったと名を挙げている人が
十人居ります。
その十人の内、
四人は「徳行」に優れ、
二人は「言語」に秀で、
二人は「政治」に強く、
二人は「文学」に堪能であられたそうで御座います。
徳行・言語・政治・文学の四つに素晴らしかった十人のお弟子さんを、
「四科十哲」
と言います。
子貢はその一人で、「言語」に秀でていたと言われております。
子禽も孔子のお弟子さんの一人ですが、子貢の弟子だったのでは?とも言われております。
その子禽と子貢の遣り取りです。
「先生が赴けば、どの国でも、その国の政治の話になるのはナンデ?」
との子禽の問いに、子貢は
「夫子は温良恭儉譲(おん、りょう、きょう、けん、じょう)」
と答えます。
イチイチ仰々しい言い方をします。
こうやって、「お前、絶対意識してカッコイイ言い方してるだろ!」と思わす所が子貢には在ります。
それも大好き。
温 … おだやか
良 … すなお
恭 … うやうやしい
儉 … つつましい
譲 … へりくだる
という意味で御座います。
先生はそういう人だから、自然と向こうが意見を求めたいと思うのでしょうね。
と、子貢は仰っております。
会話はきっと弾んだでしょう。
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