善いね

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巻第一

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政策の基盤

確か、俺が二十三歳の時だったと思います。

何かの善い経験になるかなと、某大手新聞社の入社試験を受けに行きました。

佐賀に住んでおりましたが、会場は福岡天神のど真ん中だったと記憶しております。

極度の方向音痴で、土地感の無い場所にめっぽう弱い俺は、当たり前のように遅刻しました。

試験会場は某大手予備校のワンフロアー全部を貸し切っての開催で御座いました。

サスガは新聞記者を目指す人達が集まる会場でして、遅刻したのは俺一人でした。

だ〜れも居ない廊下を、こ、ここで合ってるのだろうかと不安になりながら歩き、

試験管に怪訝な顔をされながら教室に入りました。

会場入りの時間には遅れたものの、試験開始の時間には間に合っていたため、受験する事が出来た次第で

御座います。

俺の記憶では、試験はマークシート式の選択問題と小論文の二つ御座いました。

マークシートの方は全体の八割方が時事問題、残り二割程度が英語だったように記憶しております。

問題用紙は、「歴代のIOCの会長を年代順に正しく並べたものを選びなさい」と四人の名前が並べてあ

ったり、それはそれは恐ろしい紙でした。

「知るわけねえじゃん!」と思ったのは、その会場では恐らく俺一人で、そんな問題をスラスラ解く人の

集まりに身を投じてしまったのでしょう。

俺が知っていたのは現在の会長ジャック・ロゲ氏。

その前の会長サマランチ氏(フルネームは無理です)。

その前は?

その前の前は?

分かるかー!

と、逆ギレ気味でしたが、それ位分からないと新聞記者にはなれないのかも分からないですね。

そして最後の小論文。

ホワイトボードに小論文のテーマが書き出されます。

「ポピュリズム」

試験管は言います。

「何か質問の有る人は手を挙げてください」

手を挙げようか、ちょっと本気で悩みました。

手を挙げて、

「ぽぴゅりずむって何ですか?」

と聞こうかと思いました。

簡単に言いますと、大衆受けが良い政策、大衆に迎合する政治、の意で御座います。

当時は小泉内閣の支持率が異常に高い数字を示しておりましたので、このテーマが選ばれたのだと思いま

す。

あれから五年。

小泉内閣の集大成が、今、で御座います。

改革の集大成は未来に持ち越し、だそうで御座います。

五年前の支持率が幻のように思い出されます。

あの時は内閣支持率=小泉支持率で御座いました。

今は内閣支持率=自民党支持率と見受けられます。

公明党支持の方、ごめんなさい。

五月三日時点での内閣支持率は46.3%で御座います。

今のそこそこ高い支持率は、

五年後にはどう思い出されるのでしょう。




学而第一


子曰、道千乗之國、敬事而信、
節用而愛人、使民以時、

子曰く、千乗の国を道びくに、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす。

道びく  … 導くに同じ。「道(おさ)むる」と読んで「治める」と同じとする説も有り。

千乗の國 … 戦時に戦車千台を出せる規模の国、即ち「諸侯の国」を指すのが当時の社会通念。


先生(孔子)が言われました。

「国を治めるには、事業に慎重に取り組み、民の信頼を得ること。

経費を節約して、人々の税負担を重くしないこと。

使役は時の状況を見て行うこと」




(俺なりの解釈での)解説

当時の社会通念と致しまして、先ず天子の治める大きな国(万乗の大國)が在りまして、

その中に諸侯の治める中くらいの国(千乗の中國)が在って、

更にその中に、中くらいの国のお偉いさんが治める地域(百乗の小國)が在る。

という認識が御座いました。

天子の治める大きな国 = 天下

で御座いますから、それは即ち、現在で言う所の「世界」で御座います。

諸侯の治める中くらいの国が、現在の「国」の概念と捉えて良いようです。

ですから国政のお話。

政治のお話で御座います。

事を敬して信、

事は事業と訳されるのが通常で御座います。

国の主な事業と言えば昔も今も公共土木事業で御座います。

事業は慎重に取り組み、民の信頼を得る。

日本の政治にも思い当たる所が多々在る事と存じます。

やれ高速道路で幾ら〜、

やれ新庁建設で幾ら〜、

「脱ダム宣言」なんてのも有りましたね。

ホントに金使う必要あるのか、ソレ?と思わす物ばかり作っていては、

国民の不信は増すばかりで御座います。

また、事を敬して信、の一節は「公約(約束)を守ることが信頼を得る」とも解釈されております。

節用而愛人、

「愛」と聞くとすぐに人類愛だったり、家族愛だったり、恋人同士の愛などと結び付けてしまう人も居り

ますが、(←因みに俺はこういう安易な結び付けが大キライ)

ここでは主に「いたわる」とか「いつくしむ」という意味で御座います。

「用を節して」人を愛す、で御座いますから、ここで孔子が一番に仰りたい事は、

矢張り「節約の大切さ」で御座いましょう。

無駄を省いて経費を節約出来れば、税収も少なく抑えられる。即ち、国民の税負担が減る、ということで

御座います。

「人を愛するってコトだね!」と解釈しては、前後の文がダイナシで御座います。

確かに人を愛することはとてもとても大切なことで御座いますが、

それは解釈がとても広範囲に渡るような、ぼんやりとした概念であります。

ここで孔子が仰っているのはもっと具体的な手法で御座います。

ちょっと話を逸れますね。

この「ぼんやりとした概念」が儒教の教えであり、儒教の弱点であるという意見も、確かに御座います。

それも仰る通りで御座いまして、「国を治めるに徳を以てす」と言われましても、それはつまり何をし

たらいいの?と思われても仕方の無い所と思います。

「国を治めるには犯罪を厳しく取り締まるのが大事」と書かれていた方が遥かに分かり易い、というの

は、ごもっともな意見で御座います。

孔子はお役人として国の舵取りをするのが夢で御座いました。

教室で先生をするのが夢な訳では御座いませんでした。

だから孔子を「政治家」として見ることも非常に大事で御座いまして、

論語を政治のマニュアルとして用いようという試みも当然で御座います。

然し、いざ、政治マニュアルとして用いようとしますと、どうもぼんやりとした概念しか載ってないなあ

という感想が、先の弱点の起因だと思われます。

俺は論語に収められているのは「どんな職種の人にでも通用する、人としての指針」だと思っていますの

で、政治目的だけで見たらそりゃ具体策には欠けるだろうなあと思います。

話を元に戻します。

使民以時、

民を使うに時を以てす、で御座いますが、

当時の民を使う、即ち使役は、主に兵役か公共土木工事の労役かどちらかで御座います。

民は民で、田に苗を植え、畑を耕し、作物を育てて稼業を成しておりますから、

農業の忙しい時(農繁期)に人民を使役するのは、その邪魔となって民を苦しめるね、

という意味で御座います。

民の事も考えて、時を選びましょうね。

と、仰っているのだと思います。

大学入試センター試験も、なんで雪害が容易に予想されるのに、あんな寒い日にするのでしょう?と、

不思議に思われる方も多いと思われます。

私心有りや無しや

文化だけでなく思想までも欧米化が進む昨今、

日本人の「慎み深さ」は寧ろ非難の対象となりつつあるように見受けられます。

もっと自分の思う所ははっきりと声に出さなきゃ。

他人に遠慮してちゃダメだよ。

それは、

その通りで御座います。

然し、

自分の事ばかり言う人は、

いつ他人の事を理解するのでしょう。

いつ他人の話をじっくり聞くのでしょう。

いつになったら、他人の事を自分の事のように悩んだり、悲しんだり、喜んだりできるのでしょう。

大切な誰かのために何かしてあげたいと願うのは、

とても自然なことだと思います。

他人の話をろくに聞かず、自分の思う所ばかりを口にして、

それが成せるかと言えば、

否で御座います。




学而第一


曾子曰、吾日三省吾身、爲人謀而不忠乎、
與朋友交而不信乎、傳不習乎、

曾子曰く、吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。


曾子(孔子のお弟子さん)が言われました。

「私は一日に何度も自身を省みます。

私心無く、本当に他人のことを思って考える事ができたか、 (忠)

友と接するに誠実でない所はなかったか、 (信)

よく知りもしない事を、知った風に人に話してしまってはいないか (伝)」





(俺なりの解釈での)解説

曾子は孔子のお弟子さんの中でも若い人のグループに入ります。

因みに孔子の「子」の字は「先生」という意味で御座います。

老子、孟子、荀子、韓非子、etc.

其々の「子」も同じで御座います。

孔子のお弟子さんの中で、「論語」に登場する時必ず「子」と呼ばれるのは、

この曾子だけなんですって。

(性は曾、名は参、あざ名は子與。「曾参曰、」とは一度も書かれてない)

打てば鳴るような思考の瞬発力には欠けたようで、

孔子は彼を「魯」(とろいと言うか、のろまと言うか…)と評しております。

だからといって孔子や周囲の人々から軽んじられていた訳では決してなく、

とても思慮深く、教えに忠実で、親や師を敬う孝の人として尊敬を集めていたようです。

吾日三省吾身、

この「三省」で御座いますが、

「三」の字には「めちゃめちゃ多い」「全部」等の意味がありますので、

一日に何度も我が身を省みる、と訳されます。

ちょっと余談。

今では使われなくなった表現ですが、

「三国一の幸せ者」

と言えば、世界一の幸せ者と同じ意味で御座います。

一方で、

吾日三省吾身、以下の文で、「忠」「信」「伝」の三つの事に触れていることから、

一日に三つのことについておさらいする、と訳されたりもします。

曾子がどちらの意味で言ったかは今となっては定かではありませんが、

どちらにしても立派な事で御座います。

俺も見習わなきゃ。

他人様に好かれるために自分を偽るのと、

自分を偽らずして他人様から嫌われるのと、

どちらが楽なのでしょうね。

少なくとも、

「益」(メリット)は前者に有るようで御座います。




學而第一


有子曰、其爲人也、孝弟而好犯上者、鮮矣、
不好犯上而好作亂者、未之有也、君子務本、
本立而道生、孝弟也者、其爲仁之本與、

有子曰く、其の人となりや、孝弟にして上を犯すことを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すことを好まずして乱を成すことを好む者は、未だこれ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は其れ仁の本たるか。




有子(孔子のお弟子さん)が言われました。

「人となりが孝行悌順な人で、目上の方に逆らい勝ちな人は、殆ど居ません。

目上の方に逆らわないのに、乱れを起こすような人、そんな人は居ません。

君子は本(根本、基本、本質)に取り組みます。本が立ってこそ道が出来ます。

孝行悌順な人、これは仁の本と言えるでしょう」

孝行悌順 … 「孝行」は親孝行の孝行。「悌順」は年長者によく仕えるということ



子曰、巧言令色、鮮矣仁、

子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。


先生(孔子)が言われました。

「言葉が巧みでよい顔ばかりしている者には、仁徳は少ないでしょうね」







(俺の解釈での)解説

二.

論語には孔子の言葉だけでなく、そのお弟子さんの言葉も結構多く載せられています。

有子は孔子のお弟子さんの一人で、容姿が孔子にそっくりだったそうです。

孔子の死後、このそっくりさんを「孔子にそっくりだ」という理由で、孔子の後継者にしようとする動き

がありましたが、曾子などの猛反発に遭い、叶わぬ所となったというエピソードが残っています。

このエピソードから、ただのそっくりさんで大した人じゃないと思われてしまう場合もあるかも分かりま

せんが、そんな事は無く、言う事は矢張り立派であられたようです。

ただ、この孝行悌順の言葉からも、どうも四角定規な感がしてなりません。

顔回というお弟子さんが居られまして、「孔子が最も愛した弟子」と言われております。

その顔回の死を、孔子は自分の息子が死んだ時以上に悲しみました。

儒教の教えは、根底に家族愛が有り、そこから派生される、と見なされるのが通常で、有子はこの孔子の

行為を、息子以上に悲しむのはイカンと思いますと諌めます。

私見で御座いますが、恐らく孔子は「家族を愛するのは当たり前という概念は万人に共通して有る」と考

えてらっしゃって、家族を愛するのと同じ様にいろんなことを愛せたら素晴らしいねと、その概念を上手

く用いようとなされてらっしゃたのではないかなと思います。

家族が一番大事!とかいう優先順位の固定概念に縛り付けるような真似を欲したようには思えません。

孔子はもっと自由度の高い人だったように見受けられます。



三.

巧言令色、少なし仁。

俺が知ってる「自称いいひと」は大抵こんな人です。好かれようと必死な人らです。

自分のため、人のため、それを真剣に思えば、

たとえ嫌われようが、恨まれようが、

言うべき事、譲ってはいけない事、

多々有ると思います。

「いい顔」してはいけない時が有ると思います。

「自分はあなたのためを思って言っているのですよ」という親切面も、「いい顔」の内と思います。

そればかりをしている人は、矢張り「自分はいいひとですよ」というアピールに過ぎないと思われます。

俺が知ってる「善い人」は大抵こんなアピールをしない方々であります。

そんなアピールしなくても、善い人は自然と目を引くもので御座いますね。

何かしら、心ある人の親切や優しさに触れる度に思い出せるものが有るということは、

とても幸せな事だと思います。

嘗て自分に親切にしてくれた人、優しくしてくれた人、

今、目の前に居る心ある人の姿に、その人たちの姿が重なるようなことって無いでしょうか。

あなたにとっての恩人が、今も胸に居続けて、今も支えになってくれている証で御座います。



學而第一

一.
子曰、學而時習之、不亦説乎、  子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。
有朋自遠方來、不亦樂乎、    朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。
人不知而不慍、不亦君子乎、   人知らずして慍(うら)みず、亦た君子ならずや。


先生(孔子のこと)が言われました。

「学んだ事が、何か事有る毎に思い出され、復習となり、理解が深まる。これは嬉しいことですね。

友が遠くからもやって来る、こんなに楽しいことはないです。

知らない人の事を悪く言ったりしない。いかにも君子の成せる所です。」


(俺の解釈での)解説

中国古典は、何しろ昔の、しかも異国の言葉ですので、人によって訳し方、つまり解釈の仕方が異なる所が在ります。

「学びて時に之を習う」は、「一度学んだ事を、間を置いてもう一度学ぶ」または「学ぶこと、そして実践して身に付けること」などと訳されたりします。

要は復習すること、しかも、実生活の中で「ああ、これのことを言うのかあ」という場にめぐり逢えたら、それは机上や頭の中に在る文字や記号ではなく、身に付いた学問と成る、というコトだと思われます。

「朋」の字には「同じ学び舎で学んだ学友」等の、学習に結びつける意味を持たすのが通常で御座いますが、何かを学ぶ場とは机を並べてやるばかりでは御座いませんので、「何かに共に従事した仲間」という解釈が善いと思われます。

例えば、同じ職場の友人や、同じ部活に所属する友達。一緒に何かを目指した人、同じ目標を掲げ、同じ苦楽を共にした人、こういった人のことを指すと思われます。

「人知らずして慍(うら)みず」
慍の字は「怨む」と解釈するのと、「怒る」(これだと読みは「いきどおらず」)と解釈するのと、両方御座います。

どちらにしろ、自分が直接触れていない、良く知りもしない人のことを、噂話や見た目の印象だけで悪く言ったりしないことを言うのだと思います。

君子とは立派な人、の意ですので、それが出来るってえのは立派なコトだねえと仰っているのだと思います。

確かに、とてもとても難しい事で御座います。

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