善いね

好きなオノマトペは、のたりのたりです

巻第二

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汚すなかれ

俺ぁ聞こえのいい言葉を身の回りに置きたいんじゃなくて、

大切な何かに触れたいので御座います。

理想論も感情論も嫌いで御座います。

見栄えのする嘘は不快で御座います。

礼の無い正直は野卑で御座います。

異端を攻むるはこれ害のみ、

触れたくないものばかりで御座います。

だから独りが好きで御座いますが、

そういった姿勢を支持してくれる人が居ないと、

矢張り、俺も、聞こえのいい言葉に飲み込まれていたやもしれぬので御座います。

独りで居るのも、

一人じゃ無理なので御座います。

今は人様との繋がりに感謝を憶えておりますが、

嘗て、俺の独りを支えてくれた人が居ります。

今でも俺という存在を構成する要因の一部で御座います。

そこはある種の神聖さを帯びた領域で御座いまして、

もしその領域を土足で汚す者が現れたら、

俺は我を忘れて怒り狂うでしょう。


バースデイカードありがとね♪





八佾第三


季氏旅於泰山、子謂冉有曰、女不能救與、對曰、不能、子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎、


季氏、泰山に旅(りょ)す。子、冉有に謂いて曰く。女(なんじ)救うこと能わざるか。対えて曰く、能わず。子曰く、嗚呼、曾(すなわ)ち泰山を林放にも如かずと謂(おも)えるか。


泰山 … 中国山東省の名山だそうで御座います。

旅 … 祭の名。「たび」では御座いません。

冉有 … 孔子のお弟子さんで、四科十哲の一人に数えられております。(政治には冉有と季路)



季氏が泰山で旅の祭をしようとしておりました。

先生(孔子)は冉有に言いました。

「お前に止めさせることは出来ないのか」

冉有は応えて言いました。

「出来ません」

先生は言われました。

「ああ、

泰山が林放にも及ばないと思っているのか」





(俺なりの解釈での)解説

古くから霊峰泰山としてその名の高い、あの泰山で御座います。

「旅」(りょ)とは祭の名だそうで御座いまして、

「泰山に旅す」で、

泰山を祭る、の意だそうで御座います。

観光に行ったのとは大違いで御座います。

と言いますのも、

泰山は魯国の領内に在りましたが、

領内の山川を祭るのは諸侯(=魯公、定公or哀公)の礼で御座いまして、

臣の身でそれを行うのは不遜極まりないことのようなので御座います。

季氏とは度々登場して来ます、例の「三桓」の一人、季孫氏の事で御座います。

魯公をないがしろにし、私利私欲を肥やしていた奸臣で御座います。

その季孫氏の下で家宰をしておりましたのが、

お弟子さんの冉有で御座います。

「政治には冉有と季路」と言われまして、

見事な行政手腕の持ち主であられたようで御座います。

然し、どうもヘタレな所が有ったらしく、

季孫氏に逆らえず、やれと言われた事をやり、

それで孔子からものっすごい怒られて、

しゅんとしてしまうちょっと可哀相な、弱き人に御座います。

「諸侯(魯公)にのみ許された祭を陪臣の身で犯すのか、そんな非礼が許されるのか」

と、今回も孔子、大いにお怒りで御座います。

季孫氏の下で働いておりました冉有に、

「お前の力で止められないか」

と、半ば縋るようで御座います。

然し主人に逆らえない冉有は、

「無理ですよぉ」

と答えます。

嗚呼、曾(すなわ)ち泰山を林放にも如かずと謂(おも)えるか。

林放とは、先の八佾第三.四で「礼の本」を尋ねた、あの林放で御座います。

(市井の人間である)林放でさへ礼を学んでいるのに、

彼の霊峰泰山が非礼を知らぬと思うてか、

との孔子の嘆きに御座います。

これは「林放と泰山を比べるのは不自然」と致しまして、違う読み方をなされる方もおられます。

その場合ですと、

嗚呼(ああ)、かつて泰山を謂うこと、林放(りんぽう)のごとくならざりしか

ああ、お前(冉有)もかつては泰山の礼について話すこと、林放と同じ意見ではなかったのか

で御座います。

俺は別に不自然と思いませんでしたので、前者で訳しております。

八佾の舞の時もそうで御座いましたが、

季孫氏が尽く礼を軽んじているのを、

孔子は激しく憤慨なされます。

通常、「為政者の在りようではない」との怒りとみたり、

「上司に逆らえない部下(冉有)の不甲斐無さを嘆く」との教訓とされたり致します。

私見で御座いますが、

孔子がとても大切に想っていた貴いもの、

ある種の神聖な領域。

それが礼であったのではないかなと思います。

君有りや

高校生の頃。

国語の担当教官の方が三名居られまして、

テストは其のお三方がそれぞれの担当箇所を持つ形で作られていました。

例えば問題が十個有れば、

1〜3はA先生、

4〜6はB先生、

7〜10はC先生、といった具合で御座います。

あるテストのある問題で、俺の回答は△、部分点で御座いました。

あらら、正解と思ったのに。

後日、授業でテスト問題の解説が御座いました。

何が足りなかったのかと注意深く聞いておりましたが、

ど〜も得心がいかない。

ナンデ△ナノデスカ?

もし次のテストで同じ様な問題が出たら、

今のままではまた△になるなあと思い、

俺のクラスの国語担当でらっしゃったA先生に尋ねてみました。


俺「先生、ここはナンデ△ナノデスカ?」


A先生「う〜ん、ここはB先生が採点してるから、B先生に聞いて」


ほほう、明確な間違いや不足は無いってコトか。


俺「じゃあ、A先生だったらどう採点してました?」


A先生「いや〜、他の先生が△にしてるからねえ」


ん! こりゃ○じゃねえか!


A先生「B先生の所へ持って行ったら?多分、点数上がるよ」


俺「メンドクサイです」



こりゃあ○だなと確信を得て満足で御座いましたので、点数はそのままで御座いました。

国語のテストでは往々としてこういう事が在るもので御座います。

点数は進学に直接関わってきますので決して軽視してはならないもので御座いますが、

これは校内の定期テストで御座いましたので、そのままにしておいても問題の無いもので御座いました。

読解に於いては、答えは一つでは無いと申します。

書き手の思いは一つで御座いますが、

余程間違ってなければ、ある程度は自由な解釈が許されるものに御座います。



ある大学の入試問題に佐藤愛子さんの著書の一部が使用されたそうに御座いまして、

ご本人宅に「こんな風に使わせて頂きました」と、御礼状と問題用紙が送られて来たそうに御座います。

用紙に書かれている文章を見て、ああ、こんなものも書いたなあと思い、問題にも目を通してみたそうです。

「この部分を書いた作者の意図はどれか、次のA〜Dの中から選べ」

これを見た愛子さん、

Aのような気もするし、

Bと言われればBのような気もする、

んん、

それを見たお孫さんに、

「おばあちゃん、自分の書いたものなのに分かんないの?」

とツッコまれたそうで御座います。

当然、かの閨秀は

「大事なのはこんな答え合わせじゃありません!」

とお怒りになられます。

なんて素敵。



余程間違ってなければ、解釈はある程度自由で御座います。

書き手の意図を正確に読み取ることも当然大事で御座いますが、

より善い回答をいろいろと模索するのも、

とても意義の在ることじゃないかなと思いました。

前置き長ぇな、おい。






八佾第三


子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也、


子曰く、夷狄(いてき)にも君有り、諸夏の亡きが如くならざるなり。


夷狄 … 中国周辺の未開民族の総称。

諸夏 … 中華諸国、中国。



先生(孔子)が言われました。

「夷狄にも君主は居る。

中国の、まるで居ないような状態ではない」





(俺なりの解釈での)解説

上の訳は新注を参考にしたもので御座います。

君臣の在り様が乱れた中国を嘆くものと解されております。

俺もその解釈が自然と存じます。

古くから在る訳では、

「夷狄の君あるは、諸夏の亡きに如かざるなり」

と読んで、

夷狄に君主が居るとして、中国に君主が居ないとしても、矢張り夷狄は中国には及ばない。

中国の文化や伝統は素晴らしいね。

という解釈をなされております。

確かに中国周辺の民族は度々村や町を襲っては略奪を行っていたそうで御座いますが、

まるで未開民族を蔑むような言い草、

引き合いを出してまで母国を誉め称える言葉、

どうも孔子っぽくないです。

後に「これ、違うんじゃねえ?」

と、新しい注釈が設けられたのも分かる気が致します。

古い方がより孔子が生きていた時代に近いと思えば古い方が正しい訳のようにも思えますが、

『論語』という書物自体が孔子の没後に作られたもので御座いまして、

主に伝聞を纏めたもの、と、とても頼り無いものであったり致します。

ですから、

古い訳の方がより時代が近いから正しい

という判断は、ここでは通用させ難くあります。

古注の解釈は賛成し難いものが御座いますが、

ひょっとしたら、孔子にも、サッカーW杯で母国を応援する我々のように、

「やっぱ中国って最高だね!夷狄には負けないで欲しいね!」

と、愛国心剥き出しの一面も有ったのかもしれないと思うと、

ちょっとアリかも

などと思ってしまいました。






追伸.

もう長くなったついでに蛇足をば。

冒頭のテストで御座いますが、

俺の点数はクラス一位で御座いました。

ムフフ。

A先生への質問を終えて自分の席に戻りますと、

隣の席の女の子が話し掛けてきました。

「点数上がった?」

何やら不安そうで御座います。

訳を聞きますと、

彼女は俺と同じ点数だったそうに御座いまして、

お母さんに、私、クラスで一位だったよと、既に言ってしまったそうで御座います。

なんて可愛らしい。

俺はこのコが大好きでした。

寧ろ悼む

記憶違いだったらごめんなさい。

石田衣良さんの著書『波のうえの魔術師』の中で、

主人公である経済ド素人の青年が、

敏腕投資家の老人にした最初の質問は

「経済ってなあに?」

だったと思います。

これを聞かれて老人は非常に困ります。

何故困るか、その説明が非常に興味深いもので御座いました。

『例えば、理論物理学者に「時間ってなあに?」と質問するようなもの』

云々、と、書かれていたように記憶しております。

学べば学ぶほど、

その本質を知れば知るほど、

簡単な説明は難しくなるもので御座います。




八佾第三


林放問禮之本、子曰、大哉問、禮與其奢也寧儉、喪與其易也寧戚、


林放、礼の本を問う。子曰く、大なるかな問うこと。礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せ。喪は其の易(お
さ)めんよりは寧ろ戚(いた)め。


林放(りんぽう) … 魯の国の人で、孔子の門人とも言われておりますが、定かではないです。




林放が礼の本を尋ねました。

先生(孔子)は言われました。

「大きいね、その質問は。

礼は贅沢であるよりはむしろ質素にし、

葬儀は万事ととのえるよりはむしろ悼むことでしょう」






(俺なりの解釈での)解説

孔子と言えば礼の大家でらっしゃいます。

ものっすごく礼儀正しい方で御座いますが、

礼の大家 = ものっすごく礼儀正しい人

では御座いません。

礼は即ち礼儀、では御座いません。

仁の類でも御座いません。

むしろその発露で御座います。

分類するならば、

信や孝などと同じ類のものとなると思われます。

うむむ、

難しいなあ。

…あ、

孔子ですら「大なるかな」って仰っているのに、

俺が説明しようとしたって、出来る訳無えじゃねえか。

こんな時に分かり易く相手に伝えるには、

例え話が非常に有効で御座います。

勿論孔子もそうなさっております。

「礼の本(根本、本質)を教えてつかぁさい」

という魯国の人に、

「大きいね、その質問は」

と、感嘆を漏らした後に、

(恐らく次の言葉までの間に「うーん、そうだなあ」ぐらいは言ってると思われます)

「礼とは、お金をかけて豪華にやるよりは、むしろ倹約して質素にやるものです」

と仰います。

礼は冠婚葬祭の儀式の場で特に発現されるもので御座いますから、

例え話と致しまして、其の中の「葬」を挙げます。

易(おさ)めん、これは治めん、と変換できそうで御座います。

主に「整える」の意で訳され、

「万事整える」とか「体裁を整える」とか、

または「滞り無く進行する」などと解釈されております。

「形を整えるよりは、むしろ悼み悲しむことです」

と仰います。

先にも申しましたように、孔子は礼の大家で御座いますから、

形を整えることの大切さを論語の中でも仰っております。

決して軽んずるものでは無い、軽んじてはいけないと仰っております。

でもそういった「形」は心の「現れ」で御座いますので、

どういった想いで臨むかが最も大事なことですよ、との意で御座いましょう。

「常識」というのは、時に我々の考える力を奪います。

形だけを見られ、その根本を探る「何故?」を消す結果となってしまいます。

人と人の繋がりも、

矢張りそのようで御座います。

友達だからとか、

家族だからとか。

無条件で「善し」とするものの存在は、果たして許してよいものなのか、

考えさせられる世の中で御座います。

友には「信」、

家族には「孝」、「忠」、「悌」、

全ての人に「義」や「慈愛」を。

それら無くして、

何が友か。

何が血の繋がりか。

形式は想いの現れであることを、

俺ももう一度改めて胸に刻むので御座います。

礼とは何か、

それを考えることはとても大切だと思いました。

先づ問われるもの

高校時代の恩師が仰いますには、

何でも息子がテスト前だというのにファミコンをなさっていたそうで御座いまして、

お前、勉強はいいのか。テストが近いんじゃないのか。

そう尋ねますと、

聞かれたご子息は、

それがどうした。

と、返したそうに御座います。

其れを聞いた恩師は、

しめた!

と、思われたそうで御座います。

恩師が仰いますには、

人として一番大切なものが備わっていれば、

後は、周りに流されたり、かどわかされたりして、それを失わないだけの強さ(したたかさ)が有ればよい、

との事で御座いました。

こいつは大丈夫。

そう思われたそうに御座います。




八佾第三


子曰、人而不仁、如禮何、人而不仁、如樂何、


子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如何。人にして仁ならずんば、楽を如何。



先生(孔子)が言われました。

「人として仁でなければ、

礼があってもどうしようと言うのでしょう。

人として仁でなければ、

楽があってもどうしようと言うのでしょう」





(俺なりの解釈での)解説

礼に於いては「決まりごと」が大切で御座います。

何を何処に置くかにしろ、

誰にどの方角を向いてお辞儀をするかにしろ、

決まりごとに沿うのが大事で御座います。

それは元々、一つ一つの物、動作、言葉、方角、それぞれに意味があったからで御座います。

最も重きを置くべきは、

決まりごとそのものではなく、

どんな思いで臨むか、

だそうで御座います。

「楽」は「音楽」で御座います。

当時は人間の品性を整えるものという位置付けがなされていたそうで御座います。

孔子は歌も音楽も大好きで御座いました。

人は歌う歌にも、奏でる音楽にも、

技量以前の問題として、

その人となりが表れる。

そのようなものだそうで御座います。

後に子路が奏でる音楽のお話も出てきますので、それはまたその時に。

じゃあ、

「仁」って何?

それは、すご〜く大雑把に言えば、まごころで御座います。

まごころ無くして、決まりごとに従って何になろうぞ。

まごころ無くして、品位を誂(あつら)えて何になろうぞ。

孔子はそう仰っております。

「仁」って何?

の答えは、

実際には一言ではとても言えないことと思いますので、

例えば皆様が過去に泣きそうな程感動したもの、

誰かにとても感謝したこと、

誰かに支えてもらったこと、

誰かとの繋がりにすごくすごく幸せを憶えたこと、

誰かに優しい気持ちが芽生えたこと、

などなど。

それらの全体像から得られるものと思います。

俺はまだ仁者とは呼べぬコンチクショーで御座いますが、

仁を身近に置くことが、仁への近道だそうに御座いますので、

大切に思える人へ、

ありがとうを言わずにはおれんので御座います。

心得ぬ者

左ハンドルの高級車が路上にメチャクチャな駐車を致しました。

どんな奴が乗っているかと思い見てみましたら、

茶髪、グラサンのちょい悪オヤジで御座いました。

最近はヤクザでも面倒事を避けて目立つ迷惑駐車はしないと聞いております。

つまり、ヤクザでもないフツーのおっさんで御座います。

車が可哀相。



自分なりに精一杯着飾ったおばはんが信号を無視して道路を横切りました。

信号が青になるのを待つ人が大勢いても、

お構い無しで御座います。

ひらひらの服をなびかせながら颯爽と歩く様は、

極めて醜い印象を与えておりました。

服が可哀相。



品位は金で纏えぬもので御座います。

創った人たちの思いももうちょっと考えてから身の回りに置いて欲しいもので御座います。





八佾第三


三家者以雍徹、子曰、相維辟公、天子穆穆、奚取於三家之堂、


三家者、雍を以て徹す。子曰く、相(たす)くるとは維(こ)れ辟公、天子穆穆(ぼくぼく)と。奚(なん)ぞ三家の堂に取らん。


三家 … 「三桓」のこと。孟孫、叔孫、季孫の三家で、魯の政治を牛耳っていました。

雍 … 『詩経』に在る歌。これをうたうのは天子であるのが礼の決まりで御座います。



三家では雍の歌で供物を捧げていました。

先生(孔子)は言われました。

「あの歌には、『助くる者は諸侯たち、天子はうるわしく』とある。

それを何故三家の堂に用いる」





(俺なりの解釈での)解説

夫子は温良恭儉譲。(子貢談)

おだやかで慎ましい孔子で御座いますが、

昨日に引き続き非常に怒ってらっしゃいます。

訳にもありますように、

雍の歌は内容から天子がうたう、またはうたわせるに相応しいもので御座います。

それを臣である者が、我が家の廟(おたまや)の祭りに用いるとは、

大変な逆臣行為で御座います。

然も、三桓がこれを用いたのは、

自分達の権威を示し、自らを讃えるために、

天子と同様の歌を用いたという「だけ」で御座います。

歌の内容そっちのけで御座います。

場違いな場所でうたわれた

歌が可哀相です。

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