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俺ぁ聞こえのいい言葉を身の回りに置きたいんじゃなくて、
大切な何かに触れたいので御座います。
理想論も感情論も嫌いで御座います。
見栄えのする嘘は不快で御座います。
礼の無い正直は野卑で御座います。
異端を攻むるはこれ害のみ、
触れたくないものばかりで御座います。
だから独りが好きで御座いますが、
そういった姿勢を支持してくれる人が居ないと、
矢張り、俺も、聞こえのいい言葉に飲み込まれていたやもしれぬので御座います。
独りで居るのも、
一人じゃ無理なので御座います。
今は人様との繋がりに感謝を憶えておりますが、
嘗て、俺の独りを支えてくれた人が居ります。
今でも俺という存在を構成する要因の一部で御座います。
そこはある種の神聖さを帯びた領域で御座いまして、
もしその領域を土足で汚す者が現れたら、
俺は我を忘れて怒り狂うでしょう。
バースデイカードありがとね♪
八佾第三
六
季氏旅於泰山、子謂冉有曰、女不能救與、對曰、不能、子曰、嗚呼、曾謂泰山不如林放乎、
季氏、泰山に旅(りょ)す。子、冉有に謂いて曰く。女(なんじ)救うこと能わざるか。対えて曰く、能わず。子曰く、嗚呼、曾(すなわ)ち泰山を林放にも如かずと謂(おも)えるか。
泰山 … 中国山東省の名山だそうで御座います。
旅 … 祭の名。「たび」では御座いません。
冉有 … 孔子のお弟子さんで、四科十哲の一人に数えられております。(政治には冉有と季路)
季氏が泰山で旅の祭をしようとしておりました。
先生(孔子)は冉有に言いました。
「お前に止めさせることは出来ないのか」
冉有は応えて言いました。
「出来ません」
先生は言われました。
「ああ、
泰山が林放にも及ばないと思っているのか」
(俺なりの解釈での)解説
古くから霊峰泰山としてその名の高い、あの泰山で御座います。
「旅」(りょ)とは祭の名だそうで御座いまして、
「泰山に旅す」で、
泰山を祭る、の意だそうで御座います。
観光に行ったのとは大違いで御座います。
と言いますのも、
泰山は魯国の領内に在りましたが、
領内の山川を祭るのは諸侯(=魯公、定公or哀公)の礼で御座いまして、
臣の身でそれを行うのは不遜極まりないことのようなので御座います。
季氏とは度々登場して来ます、例の「三桓」の一人、季孫氏の事で御座います。
魯公をないがしろにし、私利私欲を肥やしていた奸臣で御座います。
その季孫氏の下で家宰をしておりましたのが、
お弟子さんの冉有で御座います。
「政治には冉有と季路」と言われまして、
見事な行政手腕の持ち主であられたようで御座います。
然し、どうもヘタレな所が有ったらしく、
季孫氏に逆らえず、やれと言われた事をやり、
それで孔子からものっすごい怒られて、
しゅんとしてしまうちょっと可哀相な、弱き人に御座います。
「諸侯(魯公)にのみ許された祭を陪臣の身で犯すのか、そんな非礼が許されるのか」
と、今回も孔子、大いにお怒りで御座います。
季孫氏の下で働いておりました冉有に、
「お前の力で止められないか」
と、半ば縋るようで御座います。
然し主人に逆らえない冉有は、
「無理ですよぉ」
と答えます。
嗚呼、曾(すなわ)ち泰山を林放にも如かずと謂(おも)えるか。
林放とは、先の八佾第三.四で「礼の本」を尋ねた、あの林放で御座います。
(市井の人間である)林放でさへ礼を学んでいるのに、
彼の霊峰泰山が非礼を知らぬと思うてか、
との孔子の嘆きに御座います。
これは「林放と泰山を比べるのは不自然」と致しまして、違う読み方をなされる方もおられます。
その場合ですと、
嗚呼(ああ)、かつて泰山を謂うこと、林放(りんぽう)のごとくならざりしか
ああ、お前(冉有)もかつては泰山の礼について話すこと、林放と同じ意見ではなかったのか
で御座います。
俺は別に不自然と思いませんでしたので、前者で訳しております。
八佾の舞の時もそうで御座いましたが、
季孫氏が尽く礼を軽んじているのを、
孔子は激しく憤慨なされます。
通常、「為政者の在りようではない」との怒りとみたり、
「上司に逆らえない部下(冉有)の不甲斐無さを嘆く」との教訓とされたり致します。
私見で御座いますが、
孔子がとても大切に想っていた貴いもの、
ある種の神聖な領域。
それが礼であったのではないかなと思います。
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