|
あなたの大好きなひとは今どこにいますか?
その人に、あなたの気持ちはちゃんと伝わってますでしょうか。
繋がってますでしょうか。
里仁第四
二十.
子曰、三年無改於父之道、可謂孝矣、
子曰く、三年父の道を改むること無きを、孝と謂うべし。
先生(孔子)が仰いました。
「三年は、父親の道を改めないのが孝行でしょう」
二十一.
子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼、
子曰く、父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)る。
先生(孔子)が仰いました。
「父母の齢は知るべきです。一つ数えては長寿を喜び、一つ数えてはその健康を気遣う」
(俺なりの解釈での)解説
の前に。
大好きな母が倒れました。
電話で報せてくれたのは兄でした。
兄は母の容態を具体的に説明しようとはしませんでしたが、
そこは兄弟で御座います。
俺に心配を掛けないように事実を抑えて伝えていると、
そう感じました。
兄は言います。
一度島に帰って来れないかと。
それが二十三日の話で御座います。
俺はその日の内に会社に事情を話し休みを貰い新大阪まで行き、
翌日の朝の便で奄美に帰って参りました。
兄が空港まで迎えに来てくれました。
二人で車に乗り、病院へと直行致しました。
車内では再会を懐かしみ、お互い笑い声も上げておりました。
兄は少しづつ母の本当の容態を話し始めました。
俺はそれをうんうんと頷き聞きながら、
当初感じた通りであると確信致しました。
母の容態はかなり重い。
おそらく生死に関わるであろう。
俺は名古屋を発つ時よりも、より一層強い覚悟を、より一層強い気持ちを持つ事を、
己に課せなければならないのだなと、
その時感じました。
想像の中で機械に繋がれた母の姿を思い浮かべて、
その姿に強く向き合う事を決心致しました。
いざ病院に着いて、
エレベーターに乗り、
廊下を渡って病室へ入り、
そして鉄パイプ製のベットに眠る母の姿を見ると、
それは想像していたよりも遥かに残酷な光景で御座いました。
人の背丈程もある大きな機械がありました。
細々とした機械が幾つもありました。
その其々から管が出ていて、
何本もの管が母の体へと向かっておりました。
管は口からも鼻からも母の体内へと入っておりました。
呼吸は機械に助けてもらっているらしく、
母の胸は規則的に、且つ機械的な不自然さで、上下に、ガクン、ガクン、と、動いておりました。
その動きに併せて顎の辺りもガクン、ガクン、と、動いておりました。
シーツに血のシミが見られました。
点滴を打つ際のものだと思われます。
いつも朗らかで、和やかで、笑顔しか見せない母に、
最も似つかわしくないものが幾つも見られました。
母の傍らには父の姿が在りました。
普段は不必要に大声で、命令口調で、自慢話ばかりしている父で御座います。
その父が見るからにやつれ、弱っておりました。
父は俺の姿を認めると、「おう」とだけ言い、
母の傍へ行くように俺を促しました。
父の横を通る時、
父の嗚咽が聞こえました。
俺は母の横に腰掛け、母の手を握り、いつもと同じ様に声を掛けました。
眠っている患者に家族が声を掛けるシーン。
いろんな映画やドラマやドキュメンタリーで観ておりましたので、
それはとても意味の有る事だと思い、
俺もそうしようと心に決めておりました。
しかし、
想像を超えた母の姿に、
二の句、三の句が出て参りませんでした。
次から次へと悲しさが溢れ、
涙をボロボロと流しました。
母の手を握ったまま、
ただボロボロと泣いておりました。
島に帰った当初は母の治る確率は10%程度と聞きましたが、
今は一日、一日と回復へと向かっております。
聞けば15も有ったそうな機械の類も、
これからはどんどん外していけるそうに御座います。
母の命が守られたことを喜び、
今後回復の一途を辿ると聞き、
俺はまた名古屋へと戻って参りました。
母とは、会話はおろか、俺の姿を見てもらうことすら無かったので御座いますが、
順調に行けば今週中には透析も人工呼吸器も外れ、睡眠剤の投与の必要も無くなり、
母が目を覚ますそうに御座います。
母との会話はまた次の楽しみで御座います。
近い内にまた島に帰り、
母とお互いの笑顔を見せ合うつもりで御座います。
そして母に声にして伝えるつもりで御座います。
大好きですよと。
やあ、
こんなに悲しいコトは無かったですし、
こんなに嬉しいコトも無かったです。
里仁第四、二十で御座いますが、
之は前述致しておりますので割愛致します。
巻第一、学而第一の十一に御座います。
んで、
次。
里仁第四、二十一。
父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)る。
「知らざるべからざるなり」とも読まれますが、意味は一緒で御座います。
父母の年は、知らないということは有ってはいけないことです。
つまり、親の年齢は知っときなさいよー、というコトで御座います。
一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)る。
理由は二つ在って、
一つは、その年齢から、「これだけ長生きしてくれているんだあ」と、その長寿を喜び、
もう一つは、もうこの年齢だからそろそろいろんな所が悲鳴を上げるかもねえと、その健康を気遣う、
というのがポピュラーな訳で御座いますので、
上は俺の意訳で御座います。
恥ずかしながら俺は母の年齢を知りませんでした。
論語に在るこの言葉は前から知っておりました。
兄から連絡を貰ってから暫くはずっとこの言葉が頭の中で連呼されておりましたです。
もうこれからは親の年齢を認識致しまして、
それを意識するだけでなく、
毎年、一つ増えてはより長寿を喜び、一つ増えてはより健康を気遣うように、
上の意訳はその現われで御座います。
|