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余裕の為せる業というのは偉大で御座います。
それは「優しさ」であったり、
偏り無く物事を判断出来る「見方」であったり、
何かしらの問題に対する冷静で柔軟な「対応」であったり、
笑うという行為そのものであったり致します。
それは信を生み、
親を生むでしょう。
世の中は必死になること、遮二無二何かに取り組むことをやたらと美徳とする風潮が御座いますが、
ある一点だけを見据えて周りが見えなくなるよりも、
対象を捉えながらも、ぼんやりとでも周りが見えていないことには、
独善に陥り易いと思われます。
それは信を失い易く、
親を得難いものにするでしょう。
感情に支配されると碌なコトぁ在りません。
その感情を最も煽るのが、
好き嫌いだと思われます。
好きなもの、嫌いなものは、自分の内で大切にされるべきもののようで御座います。
周りにぶちまけるものではないようで御座います。
それは信を失い易く、
親を得難いものにするでしょう。
里仁第四
十.
子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比
子曰く、君子の天下に於けるや、適(てき)も無く、莫(ばく)も無し。義に之れ與(とも)に比(した)しむ。
先生(孔子)は言われました。
「君子は天下において、
適も無く、
莫も無い。
ただ義と共に判断を下します」
(俺なりの解釈での)解説
これも厄介で御座いまして、
「適(てき)」と「莫(ばく)」について異説多々在るので御座います。
先ずは、
適 = 敵
莫 = 慕
として、
「君子が天下の事に対する姿勢には、さからう所も無ければ、執着する所も無い」
というものが一つ。
次に、
適 = 好き
莫 = 嫌い
として、
「君子(為政者)が天下の事(政治)を為すには、好きや嫌いを持ち出してはいけない」
というもの。
他にも、
適 = 善し
莫 = 悪し
とするものや、
適 = 厚し
莫 = 薄し
とするもの、
はたまた、
適 = それだけのものとすること
莫 = それではならぬとすること
等等、
なんでこんなに異説在るの?と首を傾げたくなるほど御座います。
以下は俺の解釈で御座います。
君子は万事に於いて、
独善的な偏見から、
人を色分けしたり(この人は敵、この人は味方、などという区別)、
守るべき規則を決定したりは、
しないものです。
義に適うか否か。
ただそれを因に判断致します。
俺は人のする事で最も悪い行いは、
独善と偏見を素にした自分個人の正義や判断を、
「他人に押し付ける」
事だと思います。
なので、
上の孔子のお言葉は、
意固地や狭量、
独善、
偏見、
君子はそれらを素に何かを判断する事は無い。
義に適うか否か、
ただそれだけを素にす。
と、
解釈致しました。
じゃあ「義」って何?
という話になると思われますが、
そこにまで触れると収拾がつかなくなりそうですので、
それはまた別のお話。
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