善いね

好きなオノマトペは、のたりのたりです

巻第二

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敵をつくる人

余裕の為せる業というのは偉大で御座います。

それは「優しさ」であったり、

偏り無く物事を判断出来る「見方」であったり、

何かしらの問題に対する冷静で柔軟な「対応」であったり、

笑うという行為そのものであったり致します。

それは信を生み、

親を生むでしょう。

世の中は必死になること、遮二無二何かに取り組むことをやたらと美徳とする風潮が御座いますが、

ある一点だけを見据えて周りが見えなくなるよりも、

対象を捉えながらも、ぼんやりとでも周りが見えていないことには、

独善に陥り易いと思われます。

それは信を失い易く、

親を得難いものにするでしょう。

感情に支配されると碌なコトぁ在りません。

その感情を最も煽るのが、

好き嫌いだと思われます。

好きなもの、嫌いなものは、自分の内で大切にされるべきもののようで御座います。

周りにぶちまけるものではないようで御座います。

それは信を失い易く、

親を得難いものにするでしょう。









里仁第四

十.
子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之與比


子曰く、君子の天下に於けるや、適(てき)も無く、莫(ばく)も無し。義に之れ與(とも)に比(した)しむ。



先生(孔子)は言われました。

「君子は天下において、

 適も無く、

 莫も無い。

 ただ義と共に判断を下します」








(俺なりの解釈での)解説

これも厄介で御座いまして、

「適(てき)」と「莫(ばく)」について異説多々在るので御座います。



先ずは、

適 = 敵

莫 = 慕

として、

「君子が天下の事に対する姿勢には、さからう所も無ければ、執着する所も無い」

というものが一つ。




次に、

適 = 好き

莫 = 嫌い

として、

「君子(為政者)が天下の事(政治)を為すには、好きや嫌いを持ち出してはいけない」

というもの。




他にも、


適 = 善し

莫 = 悪し


とするものや、


適 = 厚し

莫 = 薄し


とするもの、

はたまた、


適 = それだけのものとすること

莫 = それではならぬとすること


等等、

なんでこんなに異説在るの?と首を傾げたくなるほど御座います。

以下は俺の解釈で御座います。





君子は万事に於いて、

独善的な偏見から、

人を色分けしたり(この人は敵、この人は味方、などという区別)、

守るべき規則を決定したりは、

しないものです。

義に適うか否か。

ただそれを因に判断致します。




俺は人のする事で最も悪い行いは、

独善と偏見を素にした自分個人の正義や判断を、

「他人に押し付ける」

事だと思います。

なので、

上の孔子のお言葉は、

意固地や狭量、

独善、

偏見、

君子はそれらを素に何かを判断する事は無い。

義に適うか否か、

ただそれだけを素にす。

と、

解釈致しました。


じゃあ「義」って何?

という話になると思われますが、

そこにまで触れると収拾がつかなくなりそうですので、

それはまた別のお話。

志す姿

見た目が与える印象というのはとても大きく、

決して軽視出来ないものが御座います。

服装や髪型に拘るというのはとても素敵なコトで御座いますね。

然し一口に見た目と申しましても、

身に纏う物はそのほんの一部であると思われます。

心の内は外へ表れるもので御座います。

装飾の類以上にその人の心の内をよく見た目に反映させているものも、

多々在るんじゃないかなあと思います。

表情とかね。








里仁第四

九.
子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也、


子曰く、士、道を志して、惡衣惡食恥じる者は、未だ與(とも)に議(はか)るに足らず。



先生(孔子)は言われました。

「士、道を志しながら悪衣悪食を恥じるようであれば、

 ともに語るには足りません」










(俺なりの解釈での)解説

プラダが着たいのに着ることが出来ない、

ああ嘆くかな我が身の貧しさよ。

と、

仰る方が居たと致しまして、

その方にプラダの服をプレゼントしたと致しましょう。

するとその方はきっとすごく喜ばれて、

それを身に纏っては、嬉しそうな、すごく善い顔をなされると思われます。

それはとても素敵なコトだと思います。

んで、

問題はですよ、

「なんでプラダなん?」

ってトコだと思うのです。

上の例の方はプラダを纏って満足を得るで御座いましょう。

この方を満足させた要因は幾つか在ると思われますが、

その中には勿論、

見た目がかわいいとか、

デザインがどうとか、

色がああだとか、

そういった完全な造形美とは別に、

ブランドが持つ価値、

更に、

値段が与える価値というものが当然存在すると思われます。

商品の価値を示すのが値段で御座いますが、

その逆作用も当たり前のように働くようで御座います。

「いいから高い」

とは別に、

「高いからいい」

という判断基準が設けられるようで御座います。

見た目にとてもカッコよくて機能性も十分な服が有ったとしましても、

それが安いものであれば、

高価な服を着ている人からは、

どうせ安モンだろ。

私の方が高い服を着ている。

と、

下に見られ勝ちなようで御座います。

満足や充足を得た方はとても善い顔をする筈なのに、

他人を見下す顔は酷く歪んでいるように見えるので御座います。




最初の文、

士、道を志して

の『士』と『道』で御座いますけれども、

これは学問や官位・権威と結び付ける注釈が多くて御座います。

こんな感じで御座います。

士 … 教養人として社会に重んじられる人物。または官位(今で言うと役職でしょうか)を持った者。

道 … 学業修養の道。または社会を導く立場にある者の目指すべき道。

やあ、

イカにも「いい子」を育てんとする教えで御座いますなあ。

俺の極めて個人的な意見で恐縮で御座いますが、

こういうのは好きくないです。

例えば高校を中退して働いてる人はその時点で「道」から外れていると言っているように聞こえます。

上記のような限定はせず、もっと大雑把に訳してしまって善いと思います。

士は、

志を立てて道を追う人。

道の具体的な中身は、

それぞれの人の中で決められるもの。

それでいいような気が致します。



どこの大学のなんていうお名前の方か失念してしまいましたが、

以前テレビで高校教諭からロボット工学の権威へと転身なされた方の番組を拝見致しました。

その方は学生達と毎晩遅くまで研究開発に没頭し、

徹夜して着替えも碌にせぬまま、

コンビニのパンやカップラーメンで空腹を満たしながら、

ああでもない、こうでもないと、創意工夫を重ねておられました。

服装や食事に関しましては、

そんなもん気にしてる場合じゃねえと言いますか、

最優先すべき事の前に、二の次、三の次にされているので御座いましょうね。

こういうコトなんだろうなあと思いました。

この方と、この方を師事されてらっしゃる学生の方々の「見た目」で御座いますけれども、

まあ決して清潔ではないですし、

徹夜なさってますから活き活きとなされてらっしゃるようにも見えないのですが、

とても楽しんでらっしゃるような印象を受けました。

充足を得ているように窺えた次第で御座います。

それはつまり、

とても善く映ったという事で御座います。

カッコイイなあと思ったので御座います。



道を志して悪衣悪食を恥じず、とは、

ボロを着ててもいいじゃないという意味ではなく、

安い服を着ててもいいじゃないという意味でもなく、

豪華な食事を求めなくても食べるものが有ればいいじゃないという意味でもなく、

きっとこういうコトなんだろうなあと思いました。

命を費やすもの

人生の使い方は様々で御座います。

一生を懸けて何かを成し遂げようとなされる方も居られますし、

目の前の事を一つずつ大切に取り組んでらっしゃる方も居られます。

勿論それ以外の方も沢山居られて、

枚挙に暇が無いもので御座います。

どう使うかは我々に与えられた自由で御座います。

願わくば、

振り返った時に、いい使い方をしたなあと思える人生にしたいもので御座います。







里仁第四

八.
子曰、朝聞道、夕死可矣、


子曰く、朝(あした)に道を聞きては、夕べに死すとも可なり。



先生(孔子)は言われました。

「朝、道を聞くことができたならば、夕べに死んだとしてもかまわない」







(俺なりの解釈での)解説

朝(あした)に道を聞きては夕べに死すとも可なり。

論語の中でも有名なお言葉の一つで御座います。

ここで孔子が仰る『道』とは、どういう事を指すので御座いましょうね。

「正しい」、「真実の」

等の注釈が付く物が多いですが、

やはり論争の的になっているようで御座います。

短い言葉で御座いますが意味深長で御座いますし、

その響きがまた美しい。

声に出して読みたい文で御座います。

この短い一文に、

孔子の覚悟と言いますか、

その真剣さが窺えるような気が致します。

何に対しての?って、

それは人生で御座います。

死んでもいい、

死んだって構わない、

そういった言葉を軽々しく口になさらない方だからこそ、

この一文はとても重みのあるものとなっております。

どう在るべきか。

どう成るべきか。

それを命を費やすに値する事として真剣に考えてらっしゃったので御座いますね。

むちゃくちゃカッコイイですよ、先生。

過ちの類

後悔とは兎角したくないもので御座います。

然し思い返せば後悔せずにはいられない事など、

幾らでも有ると思われます。

なんでああ出来なかったんだろうとか、

なんでこうしてしまったんだろうとか。

今とはもっと違う、

理想的な未来が待っていたのではないかと思うと、

後悔せずにはいられないような過去の一つや二つ、

どなたもお持ちではないかと思われます。

こうやって悔やむからこそ、

同じ過ちを繰り返さないように成長出来る部分とは、

決して少なくないように思います。










里仁第四

七.
子曰、人之過也、各於其黨、觀過斯知仁矣、


子曰く、人の過つや、各(おのおの)其の黨(たぐい)においてす。過ちを観て斯(こ)こに仁を知る。



先生(孔子)は言われました。

「人の過ちというものは、

 それぞれその人の類に於いて犯すものです。

 過ちを見るとそこにその人の仁を知ることができます」







(俺なりの解釈での)解説

しまった!という悔いと、

なんでやっちまったかなという後悔と、

二度とすまいぞという反省。

これが深ければ深い程、

同じ過ちから遠ざかるもので御座います。

何かしらの過失を犯した時、

誰かに迷惑を掛けた時、

誰かを苦しめた時、

辛い思いをさせた時、

自らの言行を悔やみ、省みる人は、

どんどん同じ過ちから遠ざかるでしょう。

つまりそれは仁に近付くという事で善いと思われます。

誰かを傷付けても何も省みないのであれば、

同じ事を繰り返し続けるのでしょう。


里仁第四、七で御座いますけれども、

最近ではこの一文の「仁」は「ひと」と読む方が多いです。

んで、

「どんな失敗をするかで、その人の人となりが分かる」

という解釈をなされるのが、

今は一般的なようで御座います。

すごく説得力の有る言葉になりますので、

それはそれで善いと思います。

俺個人はやはり「仁」は「じん」で善いと思います。

過ちを犯したその方が、普段何を大切にしているかが分かると思われます。

「だからそれは人となりでいいじゃねえか」

というお声も聞こえて参りそうで御座いますが、

うっせーやーい、ばーか、ばーか

と、

悪態をついたろうかなと思います。

その人の今在る姿のみならず、

その人が過去にどんな想いをしてきたか、

結果、何を大切にするようになったか、

逆に、

過去にこんな想いを「しなかったから」、

結果、何を軽視しているのか、と、

もっと深い部分まで、

観ようと思ったら観ることが出来るように思うので御座います。

俺の解釈で御座います。

力は有り

「こういうことあんまり言いたくないけど」

とか、

「自分もあんまり人のことは言えないけど」

とか。

こういう「前置き」さへしておけば何を言ってもいいと思ってらっしゃる方は、

結構多くて御座います。

そうやって他人を悪く言い、

自分を良く言う方はとても多くて御座います。

口では綺麗な事を言う人は幾らでも居ります。

然しその私を省みた時に、実際に綺麗な在りようで居られる方は、

一体どれ位居られるので御座いましょう。

やはり、

「人間はそういうもんだよ」

と知たり顔をして、

最初から言行不一致を奨励する方がフツーなのかもしれませんね。







里仁第四

六.
子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之矣、我未之見也、


子曰く。我れ未だ仁を好む者、不仁を惡(にく)む者を見ず。仁を好む者は以て之に尚(くわ)うること無し。不仁を惡(にく)む者は其れ仁を爲(な)す。不仁者をして其の身に加えしめず。能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我れ未だ力の足らざる者を見ず。蓋(けだ)し之有らん。我れ未だ之を見ざるなり。



先生(孔子)は言われました。

「私は未だ仁を好む人、不仁を憎む人を見たことがありません。

 仁を好む人であれば、もうそれ以上加えるべきことなど無いでしょう。

 不仁を憎む人もまた仁を成します。

 不仁者の行いをその身に加えることは無いでしょう。

 もし一日でも自分の力を仁に用いようとしたならば、

 力が足りずに出来ない、という人など、私は見た事がありません。

 ひょっとしたら、そういう人も居るのかも分かりません。

 然し、私は未だそういう人を見たことが無いのです」








(俺なりの解釈での)解説

孔子の仰ることにとても好感を抱く理由の一つは、

「誰でもやろうと思ったら出来るよ」

と、

人を選り好みしない所で御座います。

そう、心構えのお話で御座いますから、

やろうと思ったら出来るお話なので御座いますね。

やろうと思うのがムツカシイで御座いますけども。

上の文は孔子が実際に公の場に身を置いた際の、

または社会に身を置き生活を営んだ上での実感と思われます。

お弟子さんには孔子と志を同じくしようとなされる方が沢山居られまして、

人格者も一杯居られましたが、

孔子と職場を共にした同僚という立場の方は一人も居られませんでした。

だから、

孔子が

「私はまだ仁を好む者、不仁を憎む者を見たことが無い」

と仰っても、

じゃあ顔回は?

子路は?

子貢は?

曾参は?

という疑問は抱くもんじゃないと思われます。

俺はあっさり抱きました。

「いや、顔回がいるじゃないですか先生!」

「お弟子さんがそんなの聞いたらヘコみますよ先生!」

と思いましたが、

恐らく一般論のお話で御座いまして、師弟の間柄にいる者達は上の話の対象外なのではないかと、

そう思われます。

むう、

蛇足だったような気がする。



里仁第四.六。内容はもう訳の通りで善いと思われます。

人が短を言うことなかれ、

己が長を説くことなかれ。

他人を悪く言わない、自分を良く言わない。

身勝手な言行を慎む、

悪い所は正す、

善い所は伸ばす。

自分の為だけじゃなくて、他人の為にもね♪

と、

言うのは簡単じゃー!

言うだけだったら俺でも出来ます。

でも実際に一日でも「必ずそうしよう!」と決心した人、

そしてその通りに行動出来た人って、この世に居られるのでせうか。

やっぱ楽な方へほいほい走ってしまうのではないでしょうか。

楽な方へほいほい走らんぞ!

と、

本当に心から思うことが出来たら、

力が足りない人なんか居ません。

孔子はそう仰っております。

みんな立派な力をお持ちなのです。

それを使えるのに使おうとなさってらっしゃらないのです。

と、

仰っているように、

俺は思いました。


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