善いね

好きなオノマトペは、のたりのたりです

巻第二

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過ぎた事

もう何年もお会いしてない方は沢山居られます。

もし、またお会いする機会に恵まれたら、

俺はその方達の「今」をきちんと見ることが出来るでしょうか。

記憶に在る嘗てのその方をそのまま当て嵌めてしまわないか、

危惧する所で御座います。

三日会わざれば刮目して相見るべし。

人は成長するもので御座います。

その方の「今」を、

きちんと見られるよう心掛けます。




八佾第三

二十一
哀公問社於宰我、宰我對曰、夏后氏以松、殷人以栢、周人以栗、曰使民戰栗、子聞之曰、成事不説、遂事不諌、既往不咎、


哀公社を宰我に問う。宰我對(こた)えて曰く。夏后氏は松を以てし、殷人は栢(はく)を以てし、周人は栗を以てす。曰く民をして戰栗せしむるなり。子之を聞きて曰く。成事は説かず。遂事は諌めず。既往は咎めず。



哀公が社について宰我にお尋ねになられました。

宰我は応えて言いました。

「夏后氏は松を用い、殷の時代は柏を用い、周の時代は粟を用いております。

周の粟は、民を戦慄させる意味で用いられました」

これを聞いた先生(孔子)は仰いました。

「成事は説かず。遂事は諌めず。既往は咎めず。」



宰我 … 孔子の弟子。姓は宰、名は予、あざ名は子我。

社  … 土地神のやしろ。その御神体である樹木のお話。






(俺なりの解釈での)解説

これは後半の訳し方そのものが難しいのだそうに御座います。

結果、いろいろな方がいろいろな解釈をなされております。

頭から参りませう。

まず哀公、この方は孔子を重用した魯の君主、定公の後を継いだ方で御座います。

哀公が「社」(上記に在るように御神体である樹木について)を尋ねました。

尋ねられたのは宰我という方で御座います。

宰我は四科十哲の一人で、

「言語には宰我と子貢」

と言われております。

これだけを見ると俺の大好きな子貢と双璧を成す方のように思われますが、

共通するのは、理知的で言葉が巧み、という点に於いてのみのように、

俺は思います。

だってこの方は子貢と違って、

なんと言いますか、

調和よりも我を通すような印象を受けるのですよ。

と言いますのも、

論語の中では、宰我は登場する度に孔子に怒られておるので御座います。

いい加減なことを言ったな、とか、

不義理だねえ、とか、

こいつは言っても一向に言うこときかん、とか。

孔子に咎められて己を省みる所があんまり見られない方なので御座います。

然し、勿論それは局所的なエピソードに於いてであり、

言論に富んだ立派な方であったのは間違いないので御座いましょう。

哀公の問いに宰我は答えます。

夏后氏(夏王朝をひらいた帝、帝禹)は松を御神体(御神木)に致しました。

殷の時代には柏が御神体に用いられました。

周の時代は粟でした。

粟は「りつ」と読むのと掛けまして、

また、

社で罪人の死刑が行われていた事からも、

民衆を戦慄させる象徴としての意味合いが御座いました。

宰我の答えに哀公はどう思ったでしょうね。

へえ、と思われたでしょうか。

後に、上の遣り取りを聞いた孔子は仰います。

成事は説かず。

遂事は諌めず。

既往は咎めず。

成事、遂事、既往、全て「過ぎ去ったこと」という意味が御座います。

これをどう解釈するかで御座います。

先ずは、

成事は説かず … 昔の習慣や風俗を批判してはいけない

遂事は諌めず … やってしまった事については諌めない

既往は咎めず … 過ぎた事については咎めない

と致しまして、

周の時代の文化を悪く言った宰我に注意を促している。

というのが一つ。

もう一つは、

三つとも同じ意味の言葉であり、

その意味とは、

「宰我は間違ったことを言ったな。

 然し、言ってしまった事はもうしょうがない。

 今後は気を付けてほしいものだね」

である。

というもので御座います。

俺は後者で読んでおりましたが、

どちらも学ぶべき所の多い解釈だと思われます。

確かに、

現在の社会通念を過去の時代にそのまま当て嵌める事は出来ません。

嘗て存在した習慣や風俗に野蛮だとか不衛生だとかの批判をすべきでないと存じます。

でも矢張り俺は後者の訳の方が好きです。

「なんであんなこと言ったかー!」

と怒るのではなく、

「何言ってんのあいつバカじゃねえ?」

と呆れるでもなく、

もう言ったことはしょうがないね。

と、

やんわりと諭す孔子の姿が、

俺の抱く孔子像で御座います。

宰我は諭されても我を通し続けた印象で御座いますが、

孔子が無理矢理に矯正しようとする人ではなかったからこそ、

我を通せた、

成長を続けられた、

このように思います。

似て非なるもの

以前、中国の市場で物を売る際に、一番頭を悩ませるのは類似品だという記事を見ました。

すぐに低価格で同様の価値を謳う偽物が出回り、

オリジナルの売り上げを妨げるのだそうで御座います。

特許の塊のような医薬品の類でさへ、これが跋扈しているそうで御座います。

日本に来られる中国の観光客が街中で薬を大量に購入するのも、

本国のそれと比べて日本製は質が高いと認識しているからで御座いましょう。

それでも偽物は売れ、

結果、

本物は遠のくので御座います。






八佾第三

二十
子曰、關雎、樂而不淫、哀而不傷、


子曰く、關雎(かんしょ)は樂しみて淫せず、哀しみて傷(やぶ)らず。

關雎(かんしょ) … 詩経に在る詩。登場する最初の篇名。



先生(孔子)が言われました。

「關雎は楽しげであっても踏み外さず、

 哀しげであっても(過度に)感傷的ではない」




(俺なりの解釈での)解説

『詩経』は論語の中に多く登場致します。

前にも書きましたが、

後世の人が「詩経の編者は孔子である」という、

事実とは異なる事をまことしやかに語るほど、

孔子は詩経が大好きで御座いました。

ここでもベタ褒めで御座います。


関関(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)は河の州(す)に在り。窈窕(ようちょう)たる淑女は君子の好逑(こうきゅう)


関々とつれ鳴く雎鳩(ミサゴ)は 河の洲に

たおやかの善き乙女こそ 君子(よきひと)の善き伴(つれ)


ミサゴとは鳥の名で御座います。

連れ添って鳴くミサゴは、黄河の中洲に。

その様子から男女の恋を歌ったもので御座います。

しかし、いい訳し方だなあ。

君子と書いて「よきひと」と読ますのがいいですねえ。

実際にはもっと長〜い長大な詩だそうでして、

上記はその冒頭で御座います。

関関(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)から始まる「關雎(かんしょ)」(全五篇)、

その素晴らしさは、

楽しげであって踏み外さず、

哀しげであって痛くない、

そういった度を過ぎない調和にあると、

注釈が付くものが多いようで御座います。

世で売られている歌、

また歌に限らずもの、

それらは、

楽しさに特化したものであったり、

哀しさに特化したものであったり、

度を過ぎているものが多いように感じられます。

本物は決してそうじゃないのではと思います。

君臣かく在るべし

驕る者が周囲に霧散する弊害の最たるものは、

下の者の芽を摘む事と存じます。

個人の、実務技能的な力量と、

周囲を善い方へと導く力量とは、

全くの別物で御座います。

然し前者が秀でているという事が、

長と成る者の最たる条件で御座います。

長を務める者の中には、

自分は出来る人、

周りは出来ない奴ら、

そうやって部下を卑下し、批判するばかりで育てようとせず、

認めるべき点も当たり前の事として評価せず、

周囲のモチベーションを奪っていく者も、少なくないようで御座います。

「自分はそういう環境の中で今の地位を勝ち得た」と、

嘘を吐くようで御座います。





八佾第三

十九
定公問、君使臣、臣事君、如之何、孔子對曰、君使臣以禮、臣事君以忠、


定公問う、君、臣を使い、臣、君に事うるには、之を如何せん。孔子對(こた)えて曰く。君、臣を使うに禮(れい)を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。


定公が問いました。

「主君が臣下を使い、臣下が主君に仕える。

これにはどうするべきか」

孔子は対(こた)えて言いました。

「主君が臣下を使うには礼をもってし、

臣下が主君に仕えるには忠をもってすることです」




(俺なりの解釈での)解説

懐かしい〜!

おおう、感慨深いなあ。

また再開出来た喜びを噛み締めると共に、

皆様に改めて感謝を致すので御座います。

サンクスです。

ええと、

八佾第三.十九で御座いますが、

これはもう直訳で問題無いかと存じます。

定公は孔子を重用した魯の君主で御座います。

使う者は使われる者に対して「礼」、

使われる者は使ってくれる方に対して「忠」、

多くの訳を見ましても特に注釈はなく、

大体原文のままの解説で御座います。

これを多くの方が職場に適応してくれたら、

現代人の心の在り様も随分変わるんじゃないかなあと思われます。

因みに孔子も仰っているように、

「礼」は、やもすれば諂いや甘やかしと混同される恐れが御座います。

だからもし、

「部下にイチイチ礼儀深くしてたらキリ無えぜ」

などと言う阿呆が居りましたら、

はっきり阿呆と言ってあげてくださいませ。

仕事を割り振る時にわざわざ「お願いします」とか言うのが礼では御座いませんね。

傲慢にならない事、

そしてきちんと正当な「評価」をする事が、

分かり易い具体例ではないかと存じます。

出来ている事は「出来ている」と、

出来ていない事は「出来ていない」と。

その評価は必要で御座います。

仕事なんだから出来ているのが当たり前として、何も言わない。

出来ていない時は烈火の如く怒る。

仕事は覚えるものだと言って何も教えない。

ミスを責めるだけ責めて助言をしない。

如何にも傲慢で御座います。

昔の古き良き職人さんたちはまた別のように見受けられます。

厳しくて恐くて、

優しい言葉も褒める言葉も滅多に掛けない。

一見すると上記に該当するように見受けられますが、

俺が本や映画等から受ける印象は全く別で、

この方たちには、なんと言いますか、

「こいつを一人前にしてやろう」

という、情と言いますか、責任と言いますか、

少なくとも「気に掛けている」所が有るように感じます。

ある朝、

時間になっても若いモンが姿を見せない。

あの野郎、逃げやがったな。

根性無しめ、こっちから願い下げだ、何処なりと行きやがれ。

と、毒づく大将。

然し心中では、あいつ、十分な金持ってたのかな、

ちゃんと実家に帰れるんだろうな、

これからどうするつもりでい、こんちくしょう。

と、気が気でない大将。

「大将!遅れてすいませんでした!」

「ど、どこほっつき歩いてやがったこのべらぼうめ、やる気無えならとっとと辞めちまえ!」

「すいません、事故で電車が止まってしまって、必死で走って来たんですけど、」

おかみさん登場。

「じゃあ、お前さん、信濃から上野まで走って来たってのかい?」

「はい、すいませんでした」

「何を言ってんだい、お前さんの所為じゃないじゃないか、大変だったろうね」

「甘やかすんじゃねえバカヤロウ!電車が止まってもいいぐらい早く家を出たらいいじゃねえか!」

「はい、すいません」

「バカはどっちだい、無茶なこと言ってんじゃないよ」



むう、

止まらん。

こういうの大好きだ。

でも話を元に戻しますと、

「礼」と「忠」は、

血の通ったもの、

熱を感じるものというお話で御座いました。

曖昧な表現になりましたが、

それを体現している善い手本となる方も、

稀でしょうけども、

実際に居られると思います。

百の言葉よりも、そういう方たちの「生」が、

俺らの道を明るく照らしてくれるように思います。

諂(へつら)いに非ず

うわあー!

とか

うおぉー!

とか言いたい。

大きな声を出したい。

然し、普段の生活を営む上で、大声を張り上げるという機会は殆どゼロみたいなもので御座います。

でも大声を出したい心境の時もあるもので御座います。

例えば、強い不満を抱いている時、で御座います。




八佾第三

十八
子曰、事君盡禮、人以爲諂也、


子曰く、君に事(つか)うるに礼を尽くさば、人以て諂(へつら)えりと為す。



先生(孔子)は言われました。

「主君にお仕えして礼を尽くすと、

人はそれをへつらいだと言う」





(俺なりの解釈での)解説

人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。
(他人が自分を知ってくれないからといって恨んだりしない。いかにも君子です)

であったり、

人の己を知らざることを患(うれ)えず。
(他人が自分を知らないことを憂いたりしない)

であったり。

孔子は、余程「自分を正しく観てもらっていない」と感じる機会が多かったので御座いましょうね。

だからと言って、人様に不満を抱いてはいけないと仰っております。

それは理想的なお言葉ですが、

逆に、

在ってはいけないことのようにも、

俺は思ってしまいます。

世の中には、

相手の言葉尻だけを捉えてものを言う人、

他人を簡単に否定して己の正当性ばかりを主張する人、

他人に対してすぐに妬み、嫉み、僻みを抱く人、

居るもので御座います。

他者に対してやたらと否定的な人間は居るもので御座います。

そうやって、他者を否定することで、己が尊大に思えるのかもしれませんね。

思いっ切りグーで殴りたいです。

こういった者達を野放しにさせておいて良いものかどうか、

考えさせられる世の中で御座いますね。


君に事(つか)うるに礼を尽くさば、人以て諂(へつら)えりと為す。

似たような経験をなさっている方、

多いと思われます。

これを、

「孔子にしては珍しく愚痴っぽい」

と読むか、

「世の実情を把握したお言葉」

と読むか、

分かれる所と思われます。

俺は前者で読みたいです。

困難な状況に面しても、自らの常日頃の姿勢を強く保とうとなされる方には、

たまには愚痴ってくださいませ

と、そう思います。

だから、

時には愚痴もまた善いもので御座いますよ、きっと。

俺と同じ理屈屋さんの方は分かってくれると思われますが、

理屈が理解できない事は、

どうしても行動に繋がらないので御座います。

いくら

「こうするのがいいんだよ」

と繰り返し言われても、

何故?の部分が明瞭にならないと、

その効果を説明して貰わないと、

どうしても言われた通りに動くことが出来ないので御座います。

理に適わない事を嫌う傾向が御座います。

上の文に、もし

「ああ、分かる、分かる」

と思われましたら、

以下の文を、

自分が子貢になった気持ちになって読んでくださいませ。





八佾第三

十七
子貢欲去告朔之餼羊、子曰、賜也、女愛其羊、我愛其禮、


子貢、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜や、女(なんじ)は其の羊を愛(おし)む。我は其の禮を愛む。

告朔(こくさく) … 月の朔(はじめ)を宗廟に報告する儀式で御座います。

餼羊(きよう)  … 羊をお供え物として捧げることで御座います。

※当時の魯は告朔の礼は為されず、羊を供える行為だけが習慣になっていたそうで御座います。



子貢が、告朔の餼羊を止めさせようとしました。

先生(孔子)は言われました。

「賜よ、

汝はその羊を惜しむ。

私はその礼を惜しむ」





(俺なりの解釈での)解説

俺は今でもお正月やお盆の際に習慣となっていることは、

意味を分からずにやっていることが殆どで御座います。

先日は七夕様で御座いましたが、

七夕の意味もよく分かってなかったり致します。


笹を用いるのはナンデ?

短冊に願い事を書いてぶら下げるのはナンデ?

その願い事を誰が叶えるの?

織姫さんと牽牛さんか。

いや、

あの二人は自分たちの願い事も一年に一回しか叶えられないぐらいだから、

人様の願い事なんて叶えられる訳が無いかな。

じゃあ二人が一年に一度、七夕の日に会うことを許した天帝さん?

天帝さんに願い事をするのかな。




…ん、




ちょ、ちょっと待てー!

元はと言えばこの人が二人を「もう会うな!」って引き離したんじゃねえか!

しかも、

会えなくなって毎日悲しんでいる二人を見て

「じゃあ、七月七日だけ…」

って、一年に一回かよ!

厳し過ぎるだろ!

こんな人に願い事をするのはリスクが大っき過ぎるなあ。



じゃあ誰に願い事をするの?

んん、

分からん。

分からないもので御座いますが、

願い事をするってのは、

とても素敵なことのように思います。

だって、いっぱい在るもの。願い事。

叶うと善いなあと思います。

ただ、

七夕本来の意味、何故祭るかとか、笹や短冊の持つ意味が分からないので、

飾り付け等の行事としての七夕には、

どうしても参加する気になれなくて御座います。

俺にとっては、

七夕は織姫とひこ星が会う日。

それだけで御座います。

飾りつけも何もしない日で御座います。

願い事は常にしております。

叶えばいいなあとは思いますが、

神様か誰かに叶えてもらおうとは思っておりません。

七夕の日だけ特に強く願う訳でも御座いません。

ただ、

一年に一度の逢瀬にほのぼのする日で御座います。

よかったね。

って。

ですから、

もし子貢と同じ立場であれば、

矢張り同じように羊の供え物を止めさせようとしたと思います。



子貢、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。

告朔という礼は行われなくなりましたが、

羊を供えるという行為だけが、習慣として残っておりました。

何の目的で羊を供えるのか、

その意味が失われているのに、

行為だけを残して何になろうぞ。

羊を供えている人に、「なんで羊を供えているの?」と尋ねても、

「さあ?でも昔からずっとそうしてるから」

との答え。

そんな惰性で続けているだけのものの為にわざわざ羊を殺して供えるのか。

やめてしまえ、そんなもの。

と、俺は思います。

子貢にも理屈屋さんの面が見られますので、

きっとこの「無意味な生贄」が、

善くないものと思われたのではないかと思います。

孔子は言います。

賜(子貢の名)や、

汝はその羊を惜しむ。

我はその礼を惜しむ。

元々、想いが在って、意味が在って、

そして成り立った礼、出来上がった儀式、で御座います。

今は、かろうじて羊を捧げるという行為だけが残っているが、

これすら消してしまえば、

その想いは、

その意味は、

完全にこの世から消え去ってしまう。

羊だけでも続けていけば、

いつか礼も復活することがあるかもしれない。

賜よ、

汝はそれすら消そうとしている。



俺が子貢であれば、

もうグゥの音も出ない程のお言葉で御座います。


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