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なかなか『放射能の発見』→『原子爆弾の開発』→『原子力の平和利用』の歴史について、
… ☆ … ☆ … ☆ 報道してもらえないので、自分で調べました。 結果、人類が『原子力』『放射能』の理論を知り、それらの人体や自然界への影響など、あまり研究 されないまま、≪実用化≫されていた…ということに、とても驚いています。 : 放射線というものが最初に発見されたのが、1894年、レントゲン博士によるものでした。 このときは何だか分からないモノなので、レントゲン先生は『X線』と名前をつけました。… ☆ … ☆ … ☆ さて1907年に生まれつき頑固で無口で頭のいい男の子の赤ちゃんが生まれました。その赤ちゃんの祖父は昔は「武士」でした。つまり日本人です。お父さまは明治時代の地質学者でした。
… ☆ … ☆ … ☆ …この男の子は、お祖父さんの漢文だけで書かれた本を7歳ぐらいから読み始めたそうです。そして12歳頃には学者であるお父さまの書斎に入り、難しい本を読めるようになりました。 ある日…学者であるお父さんが、大学へ講義に行くとき、あらかじめ用意していた本がなくなった! お父さんは、その男の子のせいだと思って叱りましたが、本人は「僕は知りません」と親に向かって口答えをしました。お父さんがますます厳しく叱ろうとすると…何故かお父さんの捜していた本はひょんな所から見つかりました。この時代の子どもなら、お父さんに叱られると、すぐ謝るのが「良い子」とされてましたので、このような頑固さは、とてもめずらしいと言えます。 その男の子が中学生になったとき、兄と喧嘩になありました。兄が「全てのものは『元素』で出来ている。『元素』は物質の最小単位だ」。しかし頑固な弟は「そんなことはない! 元素だってもっと細かくできる筈だ!」 男の子はその後帝国大学で物理学を学び、そして湯川胃腸科病院の婿養子になりました。 さて、かつての少年は、昔からの疑問を研究し、 1934年、「中間子理論構想」を発表、1935年、「素粒子の相互作用について」を発表します。 アルバート・アインシュタイン博士と1904年生まれの、ロバート・オッペンハイマー博士は、この論文に強い関心を持ちました。 その「中間子」の存在を予言した人物こそ、湯川秀樹博士です。 : ロバート・オッペンハイマー氏が誕生した前の年、女性で初めてノーベル物理学賞を受賞した人物がいます。キュリー夫人こと、マリア・スクウォドフスカ=キュリー女史です 女史はあるとき、ウラン鉱石から、『X線』に似た光を自然発光する元素の存在の可能性を耳にしました。そして物理学者である夫・ピエール-キュリー博士と共に、その未知の元素を捜す作業を始めました。 二人は正規の仕事の後、大変粗末な小屋で、ウラン化合物の周囲に生じる電離を計測しました。 そしてすぐに、不思議な『光』の放射の原因はは、分子間の相互作用等によるものではなく(当時『仮説段階』)であった原子そのものにあるという仮説を立てました。 次に夫妻は、この現象がウランのみの特性かどうか疑問を持ち、既知の元素80以上を測定し、トリウムでも同様の放射があることを発見しました(放射性トリウムの発見)。 この結果から、キュリー夫妻はこれらの放射に≪放射能≫と、このような現象を起こす元素を≪放射性元素≫と定義づけをしました。そして直ちに1898年4月12日に科学アカデミーへ論文を提出しました。 但しお二人は≪放射能≫そのものが、どのような作用をするのかは、この段階では全く気づかなかったようです。 その後夫妻は、ウラン鉱石のなかに同じような≪放射性元素≫が存在するという仮説を立て、例の狭い小屋のなかで、皆さまもご存じのように、ウラン鉱石を含む「ピッチブレンド」という鉱石を鍋で融解し棒で引っ掻きまわし、放射性元素「ポロニウム」それに続いて放射性物質「ラジウム」を発見しました。 暗い粗末な小屋の中で、沢山のウラン鉱石の中から、ほんの少しの「ラジウム」を発見し、夫妻二人で、その美しい≪光≫を眺めている場面を、子どもの頃に読まされた「偉人伝」の挿絵で印象に残っている 方も多いでしょう。 夫のピエール・キュリー博士は、あるときラジウムを腕に貼り付けてみました。すると火傷のような傷ができました。医学教授らと協同研究した結果、これは、変質した細胞を破壊する効果が確認され、皮膚疾患や悪性腫瘍を治療する可能性があることが分かりました。今では悪性腫瘍の治療法として、ラジウム放射線治療が実用化 こうしてラジウムは「妙薬」として知られるようになしましたが。この頃、夫妻は有害な放射線被曝の影響について認識していませんでした。 夫亡き後、キュリー未亡人は、1914年〜1918年の、第一次世界大戦の際、すでに医療用レントゲン機器が実用化されていたので、戦場の兵士の命を救うため特別チームを結成自動車にレントゲン機材をおいて、ときには自ら自動車のハンドルを握って、負傷兵の救助に当たりましたが…このときですら、キュリー未亡人は、レントゲン線の危険性を認知していなかったようです。 皮肉にも、マリア・キュリー女史が、祖国ポーランドへの想いを込めて命名した、放射性元素「ポロニウム」は21世紀に入り、ロシアの反体制活動家・アレクサンドル・リトビネンコ氏の暗殺に使われました。 マリア・スクウォドフスカ=キュリー博士は、(たぶん骨髄性の?)再生不良性貧血によって、安らかな眠りにつきました。1934年のことです。先の湯川秀樹氏が、「中間子理論」を予言した年と、偶然同じです。… ☆ … ☆ … ☆ … 朝永振一郎氏や湯川秀樹氏を中心とした『朝永グループ』は、
(続く)『元素』を構成するもの―『原子の構造』―を明らかにしました。(簡単に書いてしまったけれど、構造の仮説を理論的に立て、その仮説が全ての原子に当てはまるかどうか、いちいち検証しては、矛盾があれば仮説をたてなおす…キュリー夫妻が小屋のなかで鍋をかきまわしているのと比べれば、かなり大変なお仕事だと、これを書きながら、わたしは改めて感じました)。 既に『負』の電荷をもつ≪電子≫は1897年にJ.J トムソン氏によって発見されていました。 また、アーネスト・ラザフォード氏によって『正』の電荷をもつ≪陽子≫が発見されていました。 両氏は、≪実験物理学者≫…つまりさまざまな≪実験≫よって、≪発見≫する学者達でした。 一方、「朝永グループ」は≪理論物理学≫によって、原子の構造について考察したのでした。 もちろん、≪原子の構造≫について、先に紹介しました、アーネスト・ラザフォード氏による貢献は素晴らしいものでした。 かくして、時代は、原子および原子核を構造する≪素粒子≫(クォークとか…ニュートリノとか…)を研究する、量子論学の時代へ突入していきます。 : |
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2011年03月25日
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