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大河ドラマ「八重の桜」について、自分のブログ記事に書こうと思ったのだけれど、 どうも文章が思うように進まない。 「八重の桜」の視聴率は低いし…主人公・山本八重(新島八重)の知名度もそれほどでもないし… なのに「八重の桜」について記事を書こうと思ったのは理由がある。 主人公・山本八重(新島八重)の生涯について、インターネットで調べてみると 「当時女性の地位が低かったにもかかわらず、それに抗うように生きた女性」だと感じられるのに、 ドラマのほうは、だらだらと会津戦争のことばかり取り上げている。 2013年7月7日の放映でドラマは2クールを過ぎたのに。 八重はいまだ新島襄と結婚していないし、それどころか今だ会津戦争… だったら、最初から、このドラマは主人公を、山本覚馬・西郷頼母、そして松平容保の3人に絞り、 1年かけて「会津からみた明治維新」をテーマに描いたほうがよかったんじゃないの??? 山本八重、後の新島八重は、会津藩士・山本覚馬の妹で、同志社大学の創設者・新島襄の妻となる。 山本覚馬の妹が、会津戦争の際、男装して戦ったことを、わたしは知っていたし、 新島襄が、同志社大学のみならず、日本最初の看護師養成所の一つである京都看病婦学校を創設して いたことも知っていた。 だが、山本覚馬の妹=新島襄夫人であることは、このドラマを観るまで、わたしは知らなかった。 … ☆ … わたしが今放映中のドラマ「八重の桜」を、どうも気に入らないのは、 「低かった女性の地位を高めようとして生きた、幕末・明治の女性」という視点を、 このドラマが異常に避けているように感じられるからだ。 ドラマの第一回『ならぬことはならぬ』で、わたしは幕末における女性の公的な地位の低さに 改めて驚いた。 劇中の『什の教え』(会津武士の男児に対する七カ条の教え)の中に、 『戸外で婦人と言葉を交わしてなりませぬ』という文言があった。 この時代、会津武士の社会では、女性は公的な場から締め出されていたのだ。 幕末会津といえば、婦女隊(娘子隊)の存在から、何となく女性もそれなりの地位があるものという 先入観をわたしはもっていたが、実際には男尊女卑の気風が強かったようだ。 そんな時代に山本覚馬の妹・八重は、女ながらに早くから鉄砲に関心を持つ。 おそらく周囲は逆風だらけだったと思う。 だが、ドラマはそんな八重の困難や苦悩をあまり描いているように思えない。 妙に八重と、八重をとりまく空気が軽いのだ。 民放の娯楽時代劇・『逃亡者おりん』であるまいし、 そのあたりはもっと重く深刻に描くべきではないかな? 八重の生涯を描くドラマでありながら、八重の後半生、すなわち新島襄との結婚生活を描くドラマに なかなかならないのも、わたしにはもどかしい。 新島襄の妻・八重は、一般に「悪妻」だと世間では思われていたようだ。 夫のことを「ジョー」と呼び捨てにするし、馬車に乗るときは夫よりも先に乗り込んだし。 これらは夫・新島襄の「西洋的な」夫婦のあり方を実現したいという考えに、八重が同調していたために 起こったことなのだが、夫に従ったために世間から「悪妻」と呼ばれるのは、 八重にとっても辛かっただろう。 新島八重は満86歳で、その生涯を閉じる。 ドラマはまだ八重が20代のまま。 夫・襄が亡きあとも、八重の人生は続く。 ドラマはこの先、どう続くやら。 だったら最初から、八重というヒロインを選ぶなよ。 あの世から八重本人が観てがっかりするようなドラマを創るなよ。
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