妙観自在文人 日眼女(Nitigennyo)

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映画が伝える イランの「人と暮らし」  ショーレ・ゴルパリアン(聖教新聞 2010年 1月19

日 火曜日)

 西アジアに広がるイランは、昔からアジアとヨーロッパの懸け橋でした。 人々はイランの大地

を通って西や東へと移動。そのためイラン人は外国人への偏見をほとんど持たず、様々な文化や習慣

を受け入れました。

 太陽の暖かさを感じながら豊かな文化の中で暮らしてきたイラン人は、とても、明るい性格の持ち主

です。 「家には窓が多くも、こころに扉がない」と言われるほどです。

 人々は激しい「波風」を受けてもジョークを飛ばし、小話を作って互いに慰め合い、緊張感を和らげ、

逆境を乗り越えてきました。

 1979年の革命から30年、戦争、インフレ、経済制裁、そして、昨年の6月の大統領選挙など、

心が安らぐことがない人々の癒しは笑うことです。政治や社会問題は小話になり、ニュースよりも

早く広がります。最近では携帯のメールやSMS(ショートメッセージ)でジョークや小話が伝わってい

います。

 一番の娯楽と呼ばれている映画でも、多くのコメディーが作られています。映画誕生からわずか5年

でイランに映画が入りましたが、最初はロイヤル・ファミリーのための上映で、作品はフランスコメデ

ィーでした。

 初めてのイラン映画「アビとラビ」が制作されたのは、1920年です。これはフランスのコメディー

映画を模倣した作品でした。 次に作られた映画もコメディーで、ハジアガ監督の「シネマのアクター」

(1933年)です。「シネマ」という芸術の存在について疑う伝統的な男の物語ですが、その後も

次々とコメディー映画が作られました。

 1979年の革命後、イラン・イラク戦争が始まりましたが、戦争映画が多い中でも、社会への不満

をコメディーにした映画が上映されたのです。例えば、ダリユシ・メヘルジュイ監督の「テナント」(

1986年)は当時の社会問題をブラック・コメディーで描き、戦争中の人を大いに笑わせました。

イラン・イラク戦争後に、戦争コメディーを作ったのはキャマル・タブリジ監督です。

彼の作品「夢がほんとに」(1996年)は国内で大ヒット。映画をベースにしたテレビ・ドラマも

制作されるほどでした。

 テレビ局のデレクターが取材のため戦場に行きます。彼は戦争が恐ろしいため早く帰ろうとするので

すが、前線から離れようとするほど前線に近付いてしまう-----。 これをコミカルに描いたものです。

この作品は翌年福岡国際映画祭にも出品されました。

 「人を泣かせるのは、簡単だが、笑わせるのは大変」と言ったタブリジ監督は福岡国際映画祭で来日し

た時、「日本の観客はイランの観客と同じように笑うだろうか」と気をもんでいましたが、全く、同じ

シーンで笑い声が起こりました。心配は杞憂にすぎませんでした。

 笑いは国を超えるのです。気さくなイラン人は、悲しみや心の痛みを笑いで流す国民でもあるのです。

(ペルシャ語通訳・翻訳家)

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