ボクシングジム新米会長奮戦記

2003年2月にオープンした新田ボクシングジム。新米会長として奮戦する日々を綴っています。

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 新田ジムでの「講演会活動」は、新米会長が「ボクシング界で実績を残した先輩達から何かを掴もう」という趣旨で始めた(自分で言うのも何だが)なかなかの企画だと思う。必ずとはいかないが、なるべく毎月開催しようと考えている。
 初回は、WBA世界フライ級王者のセレス小林を育てた三浦利美さん(現ドリームジム会長)。第2回は、元東洋太平洋フェザー級王者の今岡武雄さん(現イマオカジム会長)を新田ジムにお招きし、選手や練習生達にご自身の体験談やボクシング理論、人生哲学などをお話ししていただいた。何人かは、両氏のお話を聞いて心が奮い立ったり、迷いが吹っ切れたりと、目立たないかもしれないが良い結果を生み出している。
 そして第3回講演をお願いしたのは、‘80年代後半に、日本のボクシングブームの礎を築いた天才カウンターパンチャー高橋ナオトさん(現JBスポーツジム会長)だ。ナオト会長とは、5年程前にあるコラムの取材でいろいろお話を聞かせていただいたのが最初の出会いだった。日本バンタム級・Sバンタム級の2階級を制覇し、米兵ボクサー マーク堀越との激闘は日本ボクシング史に残る名勝負として語り継がれている。不運にも世界のベルトを巻くことはなかったが、“記録”ではなく“記憶”に残るボクサーとして一世を風靡した。
 その高橋ナオトがやってくる!30代、40代以上の練習生達は胸を躍らせた。しかし―、悲しいかな今の若い連中のほとんどは、高橋ナオトを知らない。「いやあ、その日はバイトで・・・」「夜、友達と会うので最初だけ顔を出します・・・」って、お前ら違うだろ!!「ボクシング界で実績を残した先輩達から何かを掴もう」と、お前たちのことを考えて始めた企画だぞ! まあ、私の感情はともかくとして、身近でこういう人の話を聞くということは、どんな形にせよ自分達のプラスになることは間違いないのだ。悲しみつつ、嘆きつつも、選手や練習生達にこの講演会への参加を促した。
 当日フタを開けてみれば、なかなかの盛況ぶりだった。30代、40代以上の練習生達は、最前列を陣取ってワクワクしながら高橋ナオト会長の登場を待ちわびた。そしてローキーのテーマと共に入場―というちょっとした演出も仕掛け、我々は主役を新田ジムに招き入れた。
 「人前で話すのは得意じゃないから、かしこまった形式は避けて欲しい」というナオト会長からの要望もあり、私や聴衆も交えての“座談会形式”で進めてゆくことにした。しかし中盤以降、エンジンがかかってきたナオト会長はペースを上げてゆき、しっかりと“人前で話すのが得意な人”のようになっていた。選手や練習生達からも沢山の質問が飛び交い、講演会は大盛況の中で終了した。30代、40代以上の練習生達もご満悦の様子だった。
 翌日、私は後楽園ホールでナオト会長とバッタリ顔を合わせた。昨日のお礼を言うと、「いやぁ、ああいうのっていいよね・・・」彼はボソッと呟いた。そうさ、やっぱりこの“講演会活動”は(自分で言うのも何だが)なかなかの企画なんだ。新米会長はそう自分に言い聞かせながら、次回は誰に来ていただこうか思いをめぐらせていた。

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「今時の若いもんは―」という言葉がある。大昔からずっと使われてきた言葉である。いつの時代でも、年長者は若年者をそう言って嘆く。私はまだそんな年齢でもない(と自分では思っている)し、先輩諸氏から見れば「今時の若いもん」側の人間と言ってもよい年齢かもしれない。しかし、新田ジムのプロ選手達を見ていると、時々この私でさえ「今時の若いもんは―」と嘆きたくなることがある。
 平成16年8月現在、新田ジムから誕生したプロ選手は合計16名。ジムオープンから1年半とういう期間としては、まあ多い方ではないかと自負している。彼らは皆、純真で心優しい好青年達である。しかし、結構新米会長を困らせてくれたりもするのである。
 デビュー戦に負けた後、少しずつジムから足が遠のき、電話もメールも音信不通になってしまった男―「会長に借りた9,200円を返していないから、ジムに行きにくいんだ・・・」と偶然道で会った他の選手にこぼしたらしい。9,200円はいいから一度顔を出せよな・・・。
 私生活でいろいろ問題が生じ、借金を作って田舎に帰ってしまった純朴な青年。「何年かしたら戻って来てまたやりたいです・・・」って、その“何年か”が一番ボクサーとして大事な時なんだぞっ!
 少しでも多く試合の機会を与えてあげようと、マッチメークに東奔西走して話を持って来ると、「海外旅行に行くのでその時期は出来ません」と笑顔で断る大学生プロ選手―。
試合が終ると開放感に浸りすぎてなかなかジムに戻って来ない。連絡もなかなかつかない。やっと戻って来たと思ったら、丸々と肥えて別人のようになってしまっている男―。  
 そんな“今時の若いもん”に「オレが若い頃はな・・・」そう言って昔話をするのが年長者のお決まりのパターンだ。孫トレーナーはまだ30歳だが、国籍の問題や、もうすぐ3人目の子供が生まれるお父さんとして苦労したりしているので、「本当に“今時の若いもん”は分かんないですよね」と、私よりも更に嘆いている。
 まあそうは言っても、冒頭で述べたように皆本当に好青年なのだ。“9,200円を返せない男”は、金が無いくせにお歳暮を贈ってくれたり、里帰りした時はお土産を持ってきてくれたりしたものだ。“私生活の問題で田舎に帰った男”も、下手くそな字で「会長に対する感謝の思い」を書いた手紙をくれたりしたものだ。“海外旅行で試合を断る大学生”や“試合後に丸々肥えてくる男”も、素直で礼儀正しく、ひねくれた人間はひとりもいない。ボクサーにとってそれが良いことなのかどうか分からないが、私は彼らのそんな所が大好きなのである。
 しかし―、プロ選手16名中、現在試合をする意思があるのが10名。「いつでも組んでください!」というプロ根性のあるのは5名位がいいところだ。ジム会長としては、頭の痛いところである。まあ、「ジムの為に選手がいる」のではなく、「選手のためにジムがある」と考えている新米会長は、彼らに“アメと鞭”を与えながら、良い人生を歩んでゆけるよう、日々の指導やマッチメークに奮戦してゆくだけである・・・。

 ドリームジムの三浦利美会長の講演会を開催し、練習生達のやる気を高揚させることに成功した新米会長は、「また仕事が増える」ということが分かっているにもかかわらず、この講演会活動を定期的に開催することを考え始めていた。
 そしてその第2弾として、元東洋太平洋フェザー級チャンピオンで、現イマオカボクシングジム会長の今岡武雄氏の講演会を開催した。
 今岡会長とのお付き合いは、あるEメールをいただいたことがきっかけだった。「はじめまして。いつも『新米ジム会長奮戦記』を読ませていただいています。同じような苦労を経験されてきた方のお話に勇気づけられています」といった内容だったと思う。それまで話をしたことがなかった今岡会長が、渋谷の一等地にジムを開設して間もない頃、資金調達、会員集め、日々の運営等々で本コラムを参考にして下さっていたのだ。
 何度か互いにEメールをやり取りした後、今岡会長が新田ジムを訪ねてくれた。我々はジム開設に関する苦労話など1時間ほど懇談した。私は、今岡会長が渋谷にあれだけ立派なジムを開設出来たのは、大きなスポンサーが経済的なバックアップをしているか、完全に雇われ会長に違いないと勝手に思っていた。しかしそれは、新田ジムと同様、自分で“事業計画書”を作成し、公的融資を獲得して作り上げた正真正銘の手作りジムだったのだ。
 多少?額はあちらの方が大きいとはいえ、基本的に同じような道のりを歩んでいる今岡会長には、とても親近感を抱いた。しかも、私のコラムを参考にして下さっていると聞けばなおさらである。かくして、知り合って間もない今岡会長に、新田ジム講演会活動の第2弾を担当していただくことになった次第なのだ。
 講演会当日、颯爽と登場した今岡会長は、前回の三浦会長同様、原稿もメモも持たずに語り始めた。その語り口調は実に論理的で説得力があり、聴衆の心を90分間くぎ付けにした。ジム開設にまつわるエピソード、現役時代のトレーニング、引退後のサラリーマン生活等を題材にして、物事に取り組む時の心構えや、良い結果を出す為に必要なことなどについて面白おかしく話して下さった。「今日は何を話そうか、こちらに向う車の中で考えて来ました」と涼しい顔で語る「今岡会長恐るべし」といった感じだった
 講演終了後、今岡会長を近くの居酒屋に誘い、新田ジムスタッフらと共に打上げをおこなった。車で来た今岡会長はアルコールを口に出来なかったが、スタッフらはお客さんを差し置いて、気持ち良さそうにビールジョッキを飲み干していった。
 日曜日の夜というジム営業時間外での活動の為、スタッフには負担をかけてしまっているが、練習生達に「何かを感じ取ってもらいたい」という思いで、出来る限り継続開催をしていくつもりだ。
 今回の講演会の翌日、普段はあまり話をしない練習生のひとりが、「昨日の話は凄く参考になりました」と、ボソッと私の耳元で呟いた。「よし、第3弾もやるぞ!」新米会長は改めて決意を固めたのだった。

 昨年の秋、「入門させて下さい」と言って、ひとりの若い女性がジムに入会してきた・・・。話を聞くと、彼女はタレント事務所に所属しており、競争の激しい業界の中で「何か自分の“売り”を身につけたい」ということでジムの門を叩いて来た。
 現在、日本ボクシングコミッションでは、女子のプロライセンス発行をおこなっていない。つまり、女子プロボクシングを正式に認可していないということである。
 しかし、現実には他団体の女子ボクシング協会が存在し、盛んに活動をおこなっている。この協会は、日本ボクシングコミッションとは関連性のない団体なのだが、国際戦などに参戦して日本人女子の世界王者を生み出したり、元世界王者の畑山隆則氏が、イベントプロデューサーに就任したりと、世間的には認められつつある団体なのだ。
 私は彼女に「“新田ボクシングジム”所属選手としては、この団体のプロライセンスを取得することは出来ない」と話した。ただ、ボクシングの技術を学ぶのであれば、本物のボクシングジムに通うのが一番である。「あくまでも“ひとりの練習生として”であれば面倒を見ましょう」と言うと、彼女は「新田ジムで本格的なボクシングを学びながら、別の女子ボクシングジムに所属する」という方法を取ることにした。
 今春まで学生だった彼女は、学業、そして家業である不動産の仕事を手伝いながらジムに通った。「もともと運動神経は良くない」と本人が言う通り、初めはプロテスト受験にはかなり厳しい状況だった。しかし、会員の“夢を叶える手伝い”をするのが新田ジムのモットーである。私と孫トレーナーは、男子ボクサーと同様に彼女の指導をおこない、少しでもレベルアップするよう努めた。新田ジムにはスパーリングが出来るような女性が他にいない為、男子ボクサーとマスボクシングやライトスパーをおこなったり、交流のある女子ボクサーにパートナーを依頼したりして、実戦の練習を積んだ。
 そして入会から5ヶ月弱。何とか格好がつくようになった時点で、彼女はプロテストを受験することになった。―結果は不合格。「もう一歩」というコメントをもらいつつ、残念な結果となってしまった。テスト終了後、彼女は不甲斐無い出来に悔し涙を浮かべて、「会長、もう一度面倒を見て下さい」と私に懇願した。
 そして半年後、身分は社会人となり、以前よりも練習時間を捻出するのが難しくなった中で、彼女は2度目のプロテスト受験に挑戦。―しかし結果はまたしても不合格。「タレントの事務所からは、そろそろクビだって言われました」どうにもうまくない状況に陥ってしまった彼女だが、「会長、お願いします。受かるまで指導して下さい!」と、今度はしっかりした眼差しで私に言った。
 「ボクシングは一生続けていきたいです」タレントの“売り”としてではなく、ボクシングという競技に目覚めてしまった彼女は、3度目の受験に向けて練習に励んでいる。持って生まれた運動神経はどうすることも出来ないが、何とかしてやりたい・・・ジムのモットーに従う新米会長が背負うものは、どんどん大きくなってゆくのだった。

 東日本新人王予選で、竹内俊介が優勝候補の金晢徹(ドリーム)に苦杯を喫したその2ヶ月ほど前、相手方ジムの三浦利美会長を新田ジムにお招きし、講演会を開催した。敵陣の将に講義を受ける―にわかに理解しづらいかもしれないので、その経緯を話そう。
 三浦会長はご自身も元日本王者であり、引退後はセレス小林を世界王者に育て上げ、エディ賞や年間優秀トレーナー賞を受賞した名トレーナーだ。以前、別件でドリームジムにお邪魔した際、私は三浦会長と初めてゆっくり話をする機会を持ち、ボクシングに対する情熱やエネルギーに圧倒されたという印象が残っていた。その話しぶりはまさに“マシンガントーク”で、1から10まで全部ボクシングの話だった。新田ジムの選手や練習生達にもいろいろな話を聞かせてあげたい―そう思って講演会の開催を相談したところ、“日本ボクシング界全体の発展”を願う思想の持ち主である三浦会長は、快く引き受けて下さったという次第なのである。
 まあ何にしろ、それなりの方に時間を割いて来ていただくわけだから、こちらとしても気を使った。会場は狭くて汚いジムである。ジムが早く閉館する日曜日、練習終了後にいつもより念入りに掃除をし、サンドバッグをはずして演台を設けた。演台には飲み物とおしぼりを用意し、一応それっぽく見られるように準備した。
 1ヶ月前からジム内で張り紙やポスターで宣伝をしたが、“世界王者セレス小林を育てた名トレーナー”というキャッチフレーズは、選手や練習生らに関心を持たせるには好材料で、参加者を募るのにさほどの苦労は要さなかった。しかし集まる人数も大切だが、彼らに「三浦会長のお話の中から何かをつかみ取って欲しい」という思いでこの講演会を開催したので、私は人数そのものよりも彼らが話をどう受止めるかに関心を寄せていた。
 講演会当日、原稿もメモも何も用意せずに三浦会長は話し始めた。ご自身の生い立ちから、セレス小林にまつわるエピソード、ロードワークの重要性、目からウロコの練習方法・・・次から次に話の泉が湧いて出てくる。それはまさに“マシンガントーク”だった。
 講演会終了後の質疑応答の中で、2ヶ月後に三浦会長の愛弟子である金晢徹と対戦が決まっている竹内俊介が、図々しくも「金に勝つにはどうしたらいいか」という質問をぶつけたが、そこは“敵陣の将”である。「竹内君の得意なワンツーを活かして戦えばチャンスが生まれるかもしれない」という当たり障りのない回答でまとめられた。結果的には竹内が判定で苦杯を喫してしまうわけだが、直に三浦会長の話を聞けたことは、彼のモチベーションを高めるのに大いに役立った。
 何人かの選手や練習生が、この講演会をきっかけに何かが変わり、心に火がついたようだった。少しでもそんな人間が出てきたことは、この講演会が大成功だったことを意味する。味をしめた新米会長は、講演会の定期開催を決意し、また自分の仕事を増やしてしまうのであった。

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