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			<title>ボクシングジム新米会長奮戦記</title>
			<description>ボクシング専門誌Webサイトで連載中のコラムを、ボクシングファン以外の方にも読んでいただけたらと思い、ブログでも公開することにしました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000</link>
			<language>ja</language>
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			<title>ボクシングジム新米会長奮戦記</title>
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			<description>ボクシング専門誌Webサイトで連載中のコラムを、ボクシングファン以外の方にも読んでいただけたらと思い、ブログでも公開することにしました。</description>
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			<title>６６．高橋直人会長の講演会 2004年08月19日（木）</title>
			<description>　新田ジムでの「講演会活動」は、新米会長が「ボクシング界で実績を残した先輩達から何かを掴もう」という趣旨で始めた（自分で言うのも何だが）なかなかの企画だと思う。必ずとはいかないが、なるべく毎月開催しようと考えている。&lt;br /&gt;
　初回は、WBA世界フライ級王者のセレス小林を育てた三浦利美さん(現ドリームジム会長)。第2回は、元東洋太平洋フェザー級王者の今岡武雄さん(現イマオカジム会長)を新田ジムにお招きし、選手や練習生達にご自身の体験談やボクシング理論、人生哲学などをお話ししていただいた。何人かは、両氏のお話を聞いて心が奮い立ったり、迷いが吹っ切れたりと、目立たないかもしれないが良い結果を生み出している。&lt;br /&gt;
　そして第3回講演をお願いしたのは、‘80年代後半に、日本のボクシングブームの礎を築いた天才カウンターパンチャー高橋ナオトさん（現JBスポーツジム会長）だ。ナオト会長とは、5年程前にあるコラムの取材でいろいろお話を聞かせていただいたのが最初の出会いだった。日本バンタム級・Sバンタム級の2階級を制覇し、米兵ボクサー マーク堀越との激闘は日本ボクシング史に残る名勝負として語り継がれている。不運にも世界のベルトを巻くことはなかったが、“記録”ではなく“記憶”に残るボクサーとして一世を風靡した。&lt;br /&gt;
　その高橋ナオトがやってくる！30代、40代以上の練習生達は胸を躍らせた。しかし―、悲しいかな今の若い連中のほとんどは、高橋ナオトを知らない。「いやあ、その日はバイトで・・・」「夜、友達と会うので最初だけ顔を出します・・・」って、お前ら違うだろ！!「ボクシング界で実績を残した先輩達から何かを掴もう」と、お前たちのことを考えて始めた企画だぞ！ まあ、私の感情はともかくとして、身近でこういう人の話を聞くということは、どんな形にせよ自分達のプラスになることは間違いないのだ。悲しみつつ、嘆きつつも、選手や練習生達にこの講演会への参加を促した。&lt;br /&gt;
　当日フタを開けてみれば、なかなかの盛況ぶりだった。30代、40代以上の練習生達は、最前列を陣取ってワクワクしながら高橋ナオト会長の登場を待ちわびた。そしてローキーのテーマと共に入場―というちょっとした演出も仕掛け、我々は主役を新田ジムに招き入れた。&lt;br /&gt;
　「人前で話すのは得意じゃないから、かしこまった形式は避けて欲しい」というナオト会長からの要望もあり、私や聴衆も交えての“座談会形式”で進めてゆくことにした。しかし中盤以降、エンジンがかかってきたナオト会長はペースを上げてゆき、しっかりと“人前で話すのが得意な人”のようになっていた。選手や練習生達からも沢山の質問が飛び交い、講演会は大盛況の中で終了した。30代、40代以上の練習生達もご満悦の様子だった。&lt;br /&gt;
　翌日、私は後楽園ホールでナオト会長とバッタリ顔を合わせた。昨日のお礼を言うと、「いやぁ、ああいうのっていいよね・・・」彼はボソッと呟いた。そうさ、やっぱりこの“講演会活動”は（自分で言うのも何だが）なかなかの企画なんだ。新米会長はそう自分に言い聞かせながら、次回は誰に来ていただこうか思いをめぐらせていた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/33562434.html</link>
			<pubDate>Thu, 04 May 2006 10:48:08 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
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			<title>６５．今時の若いもん 2004年08月12日（木）</title>
			<description>「今時の若いもんは―」という言葉がある。大昔からずっと使われてきた言葉である。いつの時代でも、年長者は若年者をそう言って嘆く。私はまだそんな年齢でもない（と自分では思っている）し、先輩諸氏から見れば「今時の若いもん」側の人間と言ってもよい年齢かもしれない。しかし、新田ジムのプロ選手達を見ていると、時々この私でさえ「今時の若いもんは―」と嘆きたくなることがある。&lt;br /&gt;
　平成16年8月現在、新田ジムから誕生したプロ選手は合計16名。ジムオープンから1年半とういう期間としては、まあ多い方ではないかと自負している。彼らは皆、純真で心優しい好青年達である。しかし、結構新米会長を困らせてくれたりもするのである。&lt;br /&gt;
　デビュー戦に負けた後、少しずつジムから足が遠のき、電話もメールも音信不通になってしまった男―「会長に借りた9,200円を返していないから、ジムに行きにくいんだ・・・」と偶然道で会った他の選手にこぼしたらしい。9,200円はいいから一度顔を出せよな・・・。&lt;br /&gt;
　私生活でいろいろ問題が生じ、借金を作って田舎に帰ってしまった純朴な青年。「何年かしたら戻って来てまたやりたいです・・・」って、その“何年か”が一番ボクサーとして大事な時なんだぞっ！&lt;br /&gt;
　少しでも多く試合の機会を与えてあげようと、マッチメークに東奔西走して話を持って来ると、「海外旅行に行くのでその時期は出来ません」と笑顔で断る大学生プロ選手―。&lt;br /&gt;
試合が終ると開放感に浸りすぎてなかなかジムに戻って来ない。連絡もなかなかつかない。やっと戻って来たと思ったら、丸々と肥えて別人のようになってしまっている男―。　　&lt;br /&gt;
　そんな“今時の若いもん”に「オレが若い頃はな・・・」そう言って昔話をするのが年長者のお決まりのパターンだ。孫トレーナーはまだ30歳だが、国籍の問題や、もうすぐ3人目の子供が生まれるお父さんとして苦労したりしているので、「本当に“今時の若いもん”は分かんないですよね」と、私よりも更に嘆いている。&lt;br /&gt;
　まあそうは言っても、冒頭で述べたように皆本当に好青年なのだ。“9,200円を返せない男”は、金が無いくせにお歳暮を贈ってくれたり、里帰りした時はお土産を持ってきてくれたりしたものだ。“私生活の問題で田舎に帰った男”も、下手くそな字で「会長に対する感謝の思い」を書いた手紙をくれたりしたものだ。“海外旅行で試合を断る大学生”や“試合後に丸々肥えてくる男”も、素直で礼儀正しく、ひねくれた人間はひとりもいない。ボクサーにとってそれが良いことなのかどうか分からないが、私は彼らのそんな所が大好きなのである。&lt;br /&gt;
　しかし―、プロ選手16名中、現在試合をする意思があるのが10名。「いつでも組んでください！」というプロ根性のあるのは5名位がいいところだ。ジム会長としては、頭の痛いところである。まあ、「ジムの為に選手がいる」のではなく、「選手のためにジムがある」と考えている新米会長は、彼らに“アメと鞭”を与えながら、良い人生を歩んでゆけるよう、日々の指導やマッチメークに奮戦してゆくだけである・・・。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/33097960.html</link>
			<pubDate>Fri, 28 Apr 2006 14:15:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>６４．今岡会長の講演会 2004年08月05日（木）の日記</title>
			<description>　ドリームジムの三浦利美会長の講演会を開催し、練習生達のやる気を高揚させることに成功した新米会長は、「また仕事が増える」ということが分かっているにもかかわらず、この講演会活動を定期的に開催することを考え始めていた。&lt;br /&gt;
　そしてその第2弾として、元東洋太平洋フェザー級チャンピオンで、現イマオカボクシングジム会長の今岡武雄氏の講演会を開催した。&lt;br /&gt;
　今岡会長とのお付き合いは、あるEメールをいただいたことがきっかけだった。「はじめまして。いつも『新米ジム会長奮戦記』を読ませていただいています。同じような苦労を経験されてきた方のお話に勇気づけられています」といった内容だったと思う。それまで話をしたことがなかった今岡会長が、渋谷の一等地にジムを開設して間もない頃、資金調達、会員集め、日々の運営等々で本コラムを参考にして下さっていたのだ。&lt;br /&gt;
　何度か互いにEメールをやり取りした後、今岡会長が新田ジムを訪ねてくれた。我々はジム開設に関する苦労話など1時間ほど懇談した。私は、今岡会長が渋谷にあれだけ立派なジムを開設出来たのは、大きなスポンサーが経済的なバックアップをしているか、完全に雇われ会長に違いないと勝手に思っていた。しかしそれは、新田ジムと同様、自分で“事業計画書”を作成し、公的融資を獲得して作り上げた正真正銘の手作りジムだったのだ。&lt;br /&gt;
　多少？額はあちらの方が大きいとはいえ、基本的に同じような道のりを歩んでいる今岡会長には、とても親近感を抱いた。しかも、私のコラムを参考にして下さっていると聞けばなおさらである。かくして、知り合って間もない今岡会長に、新田ジム講演会活動の第2弾を担当していただくことになった次第なのだ。&lt;br /&gt;
　講演会当日、颯爽と登場した今岡会長は、前回の三浦会長同様、原稿もメモも持たずに語り始めた。その語り口調は実に論理的で説得力があり、聴衆の心を90分間くぎ付けにした。ジム開設にまつわるエピソード、現役時代のトレーニング、引退後のサラリーマン生活等を題材にして、物事に取り組む時の心構えや、良い結果を出す為に必要なことなどについて面白おかしく話して下さった。「今日は何を話そうか、こちらに向う車の中で考えて来ました」と涼しい顔で語る「今岡会長恐るべし」といった感じだった&lt;br /&gt;
　講演終了後、今岡会長を近くの居酒屋に誘い、新田ジムスタッフらと共に打上げをおこなった。車で来た今岡会長はアルコールを口に出来なかったが、スタッフらはお客さんを差し置いて、気持ち良さそうにビールジョッキを飲み干していった。&lt;br /&gt;
　日曜日の夜というジム営業時間外での活動の為、スタッフには負担をかけてしまっているが、練習生達に「何かを感じ取ってもらいたい」という思いで、出来る限り継続開催をしていくつもりだ。&lt;br /&gt;
　今回の講演会の翌日、普段はあまり話をしない練習生のひとりが、「昨日の話は凄く参考になりました」と、ボソッと私の耳元で呟いた。「よし、第3弾もやるぞ！」新米会長は改めて決意を固めたのだった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/30209851.html</link>
			<pubDate>Wed, 29 Mar 2006 10:22:18 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>６３．女子ボクサー 2004年07月29日（木）</title>
			<description>　昨年の秋、「入門させて下さい」と言って、ひとりの若い女性がジムに入会してきた・・・。話を聞くと、彼女はタレント事務所に所属しており、競争の激しい業界の中で「何か自分の“売り”を身につけたい」ということでジムの門を叩いて来た。&lt;br /&gt;
　現在、日本ボクシングコミッションでは、女子のプロライセンス発行をおこなっていない。つまり、女子プロボクシングを正式に認可していないということである。&lt;br /&gt;
　しかし、現実には他団体の女子ボクシング協会が存在し、盛んに活動をおこなっている。この協会は、日本ボクシングコミッションとは関連性のない団体なのだが、国際戦などに参戦して日本人女子の世界王者を生み出したり、元世界王者の畑山隆則氏が、イベントプロデューサーに就任したりと、世間的には認められつつある団体なのだ。&lt;br /&gt;
　私は彼女に「“新田ボクシングジム”所属選手としては、この団体のプロライセンスを取得することは出来ない」と話した。ただ、ボクシングの技術を学ぶのであれば、本物のボクシングジムに通うのが一番である。「あくまでも“ひとりの練習生として”であれば面倒を見ましょう」と言うと、彼女は「新田ジムで本格的なボクシングを学びながら、別の女子ボクシングジムに所属する」という方法を取ることにした。&lt;br /&gt;
　今春まで学生だった彼女は、学業、そして家業である不動産の仕事を手伝いながらジムに通った。「もともと運動神経は良くない」と本人が言う通り、初めはプロテスト受験にはかなり厳しい状況だった。しかし、会員の“夢を叶える手伝い”をするのが新田ジムのモットーである。私と孫トレーナーは、男子ボクサーと同様に彼女の指導をおこない、少しでもレベルアップするよう努めた。新田ジムにはスパーリングが出来るような女性が他にいない為、男子ボクサーとマスボクシングやライトスパーをおこなったり、交流のある女子ボクサーにパートナーを依頼したりして、実戦の練習を積んだ。&lt;br /&gt;
　そして入会から5ヶ月弱。何とか格好がつくようになった時点で、彼女はプロテストを受験することになった。―結果は不合格。「もう一歩」というコメントをもらいつつ、残念な結果となってしまった。テスト終了後、彼女は不甲斐無い出来に悔し涙を浮かべて、「会長、もう一度面倒を見て下さい」と私に懇願した。&lt;br /&gt;
　そして半年後、身分は社会人となり、以前よりも練習時間を捻出するのが難しくなった中で、彼女は2度目のプロテスト受験に挑戦。―しかし結果はまたしても不合格。「タレントの事務所からは、そろそろクビだって言われました」どうにもうまくない状況に陥ってしまった彼女だが、「会長、お願いします。受かるまで指導して下さい！」と、今度はしっかりした眼差しで私に言った。&lt;br /&gt;
　「ボクシングは一生続けていきたいです」タレントの“売り”としてではなく、ボクシングという競技に目覚めてしまった彼女は、3度目の受験に向けて練習に励んでいる。持って生まれた運動神経はどうすることも出来ないが、何とかしてやりたい・・・ジムのモットーに従う新米会長が背負うものは、どんどん大きくなってゆくのだった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/29397064.html</link>
			<pubDate>Tue, 21 Mar 2006 17:45:59 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>６２．三浦会長の講演会 2004年07月22日（木）</title>
			<description>　東日本新人王予選で、竹内俊介が優勝候補の金晢徹（ドリーム）に苦杯を喫したその2ヶ月ほど前、相手方ジムの三浦利美会長を新田ジムにお招きし、講演会を開催した。敵陣の将に講義を受ける―にわかに理解しづらいかもしれないので、その経緯を話そう。&lt;br /&gt;
　三浦会長はご自身も元日本王者であり、引退後はセレス小林を世界王者に育て上げ、エディ賞や年間優秀トレーナー賞を受賞した名トレーナーだ。以前、別件でドリームジムにお邪魔した際、私は三浦会長と初めてゆっくり話をする機会を持ち、ボクシングに対する情熱やエネルギーに圧倒されたという印象が残っていた。その話しぶりはまさに“マシンガントーク”で、1から10まで全部ボクシングの話だった。新田ジムの選手や練習生達にもいろいろな話を聞かせてあげたい―そう思って講演会の開催を相談したところ、“日本ボクシング界全体の発展”を願う思想の持ち主である三浦会長は、快く引き受けて下さったという次第なのである。&lt;br /&gt;
　まあ何にしろ、それなりの方に時間を割いて来ていただくわけだから、こちらとしても気を使った。会場は狭くて汚いジムである。ジムが早く閉館する日曜日、練習終了後にいつもより念入りに掃除をし、サンドバッグをはずして演台を設けた。演台には飲み物とおしぼりを用意し、一応それっぽく見られるように準備した。&lt;br /&gt;
　1ヶ月前からジム内で張り紙やポスターで宣伝をしたが、“世界王者セレス小林を育てた名トレーナー”というキャッチフレーズは、選手や練習生らに関心を持たせるには好材料で、参加者を募るのにさほどの苦労は要さなかった。しかし集まる人数も大切だが、彼らに「三浦会長のお話の中から何かをつかみ取って欲しい」という思いでこの講演会を開催したので、私は人数そのものよりも彼らが話をどう受止めるかに関心を寄せていた。&lt;br /&gt;
　講演会当日、原稿もメモも何も用意せずに三浦会長は話し始めた。ご自身の生い立ちから、セレス小林にまつわるエピソード、ロードワークの重要性、目からウロコの練習方法・・・次から次に話の泉が湧いて出てくる。それはまさに“マシンガントーク”だった。&lt;br /&gt;
　講演会終了後の質疑応答の中で、2ヶ月後に三浦会長の愛弟子である金晢徹と対戦が決まっている竹内俊介が、図々しくも「金に勝つにはどうしたらいいか」という質問をぶつけたが、そこは“敵陣の将”である。「竹内君の得意なワンツーを活かして戦えばチャンスが生まれるかもしれない」という当たり障りのない回答でまとめられた。結果的には竹内が判定で苦杯を喫してしまうわけだが、直に三浦会長の話を聞けたことは、彼のモチベーションを高めるのに大いに役立った。&lt;br /&gt;
　何人かの選手や練習生が、この講演会をきっかけに何かが変わり、心に火がついたようだった。少しでもそんな人間が出てきたことは、この講演会が大成功だったことを意味する。味をしめた新米会長は、講演会の定期開催を決意し、また自分の仕事を増やしてしまうのであった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/29316268.html</link>
			<pubDate>Mon, 20 Mar 2006 22:05:43 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>６１．最高のチームワーク 2004年07月16日（金）</title>
			<description>　“最高のチームワーク”を取り戻し、打倒・金晢徹に向けてスクラムを組み直した孫トレーナーと新米会長は、竹内俊介を見事なコンディションに仕上げて当日のリングに上げた。東日本新人王予選の優勝候補―金晢徹に対し、依然として不利な予想は変わっていない。しかし、控え室からリングへ向う我々の“出陣”はこれまでのものとは明らかに違っていた。普段、サボり癖のある竹内も今回はハードなトレーニングに耐え、地道な努力を重ねてきた。&lt;br /&gt;
　「食うぞ！！」―竹内、孫、そして私の心はひとつだった。もちろん実際に金選手と戦うのは竹内だ。しかし、“何か”を乗り越え“最高のチームワーク”を取り戻した陣営のエネルギーは間違いなくパワーアップしていた。&lt;br /&gt;
　試合開始と同時に、竹内は前へ攻めて出た。スピードとテクニックで勝る金晢徹を攻略する為に、初回から距離を詰めて乱打戦に持ち込む作戦だった。金の武器である左ボディブローと右アッパーを封じる為に練習してきた、接近戦での“左サイドステップ”と“右シフト”がどちらも見事にツボにはまった。試合は予想外に竹内ペースで展開していった。&lt;br /&gt;
　「食うぞ！！」―熱かった。竹内は、セコンドの指示にしっかりと耳を傾け、試合前に立てた作戦を忠実に実行した。「押し込め！距離を取らせるな！！」我々は声をからして叫んだ。インターバルでは、孫トレーナーが深呼吸、うがい、汗拭きといった物理的ケアに徹し、私は戦況を見て作戦の指示を与えた。作戦については3人とも事前に話し合ってきた。本番では複数の人間が別のことをいうよりも、司令塔はひとりに統一した方が選手を混乱させずに済む。これも話し合って決めた役割分担だった。&lt;br /&gt;
　「いける！」我々の心の中に現実味のある期待感が生まれてきた。時折見せる金選手のするどいブローにヒヤリとすることもあったが、全体の流れは一進一退か、むしろ竹内有利と見てもいい内容で進んでいった。&lt;br /&gt;
　しかし―、第2ラウンド、決して油断したわけではない。両選手の距離がわずかに開いたその瞬間、金選手の鋭い右ストレートが竹内のアゴを打ち抜いた。ストンと腰を落とした竹内はキャンパスにヒザをついてしまった。竹内はこちらを見た。「大丈夫、落ち着け」万が一ダウンを喫した時は必ずセコンドの方を見る。そしてゆっくりとロープを掴んで立ち上がることになっていた。見事に事前の指示を遂行した竹内は、置かれた状況で最高のパフォーマンスを演じて見せた。&lt;br /&gt;
　ダメージは深刻なモノではなかった。再び竹内は前進を続けた。そして予想外の大善戦を終え、竹内はコーナーに帰って来た。勝敗は判定にもつれ込んだ。&lt;br /&gt;
　2対1―。レフェリーに高々と手を上げられたのは金晢徹だった。やはりあのダウンか・・・。善戦しただけに、竹内の結果は残念でならなかった。あと一歩で大金星上げられるはずだった。しかし、この試合で我々が得たものはとてつもなく大きかった。孫との“最高のチームワーク”は、今後新田ジムの大きな武器のひとつとなってゆくはずである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/29107638.html</link>
			<pubDate>Sat, 18 Mar 2006 20:34:12 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>６０．孫トレーナーとのズレ② 2004年07月08日（木）</title>
			<description>　アマ出身の強豪―金晢徹（ドリーム）との東日本新人王予選試合に向け、新田ジム看板選手のひとり、竹内俊介の厳しいトレーニングが進んでいた。ところが、この“Sライト級優勝候補”の攻略法について、孫トレーナーと私の間には、微妙な“ズレ”が生じていた。&lt;br /&gt;
　普段、実際にミットを受けて竹内の指導を担当しているのは孫トレーナーである。しかしある日のスパーリングで、竹内に“左ステップ”ばかりさせている孫に対し、私は「なぜ右シフトをさせないんだ？!　孫、もっと右に回らせろ！！」と突然声を荒げて叫んでしまった。普段は、孫に対して頭ごなしに声を荒げたりすることのない新米会長だが、打倒 金晢徹に向けて話し合ってきた「“右シフト”を中心に組み立てる」ことと、「“左ステップ”を有効に使う」というふたつの点において、孫と私の認識には、微妙な温度差が生まれていたようだ。&lt;br /&gt;
　その時、ジム内には何となく嫌～な空気が流れた。しかし、その場ではどうすることも出来ず、新米会長はただ「ん～、ちょっとまずかったかな・・・」と、今後の展開を憂慮した。孫トレーナーは、私の“右腕”を超え、ジムにはなくてはならない“柱”のひとつとなっているし・・・。&lt;br /&gt;
　その晩、ジム終了後に孫トレーナーをラーメン屋に誘い、「さっきは悪かったな」と私のとった態度を素直に詫びた。その上で、作戦上の“ズレ”について再度話し合った。「会長、やっぱこういうの必要ですね」孫はギョーザを美味そうに頬張りながらそう言った。私はホッと胸を撫で下ろしていた。初めて入ったラーメン屋だったが、とんこつスープが割といい味を出していた。&lt;br /&gt;
―後日、私は改めて孫トレーナーに手紙を書いた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　孫へ―先日の件、再度謝らせてもらいたい。「気にしていない」とは言ってくれたが、もう一度きちんと謝らせて欲しい。&lt;br /&gt;
　何もないところから一緒に築き上げ、共に頑張ってきたパートナーに対して失礼をした。いろいろな考えがあって当たり前だが、それは話し合いの中で何を選択するか決定すべきであると考える。トップはワンマンの部分も多少必要かもしれないが、先日のケースは孫が竹内に対してやってきたことを無にするやり方だった。もっともっと議論し合い、よりよい方向へ進んでいきたいと思う。&lt;br /&gt;
　出来ればこれですっきりしたい。（孫はとっくにすっきりしているかもしれないが・・・）最高のチームワークで再出発できる事を望んでいる。そしてこれからもよろしく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「ありがとうございます。家宝にします―」手紙を読んだ孫は、そう言って笑ってくれた。大切なパートナーを失わずに済んだ新米会長は、もう一度最高のチームワークを取り戻し、打倒 金晢徹に向けてスクラムを組み直した。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/28583874.html</link>
			<pubDate>Tue, 14 Mar 2006 01:34:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>５９．孫トレーナーとのズレ① 2004年07月01日（木）</title>
			<description>　新田ジムから4名の選手がエントリーした「第61回東日本新人王予選―」。トーナメント第1戦で、フライ、フェザー、Sフェザーの3選手が同じ日に3連敗を喫してしまい、“新米ジム”は少々意気消沈していた。しかし、残ったSライト級の竹内俊介が、その2週間後に3ＲKO勝利を収め、なんとか沈没せずに航海を続けることになった。竹内の戦績は、これで3戦3勝3KO。間違いなく、看板選手のひとりとなっていた。&lt;br /&gt;
　この日、竹内の試合の前におこなわれた試合の勝者が、“次に戦う相手”となることが決まっていた為、私はリングサイドでじっくり偵察をしていた。&lt;br /&gt;
　ドリームジムの金晢徹―“次に戦う相手”は、優勝候補のひとりにあげられているアマ出身の強豪だった。実はこの試合の2ヶ月ほど前、私は別件でドリームジムにお邪魔し、偶然この金選手のスパーリングを見る機会があった。「強い・・・」スピード、テクニック、パワー、どれをとっても竹内より優れていると感じた。アマキャリアが豊富なので当たり前なのだが、「竹内の今の実力では歯が立たないだろう」というのが正直な感想だった。&lt;br /&gt;
　この夜、金選手は圧倒的な力の差を見せつけ、第1ラウンドにボディをえぐって相手をリングに沈めてしまった。竹内と同じ3戦3勝3KOというすばらしい戦績を収めた金選手は、翌朝の新聞で“優勝候補”として大きくとり上げられた。同じ戦績を収めながら、竹内の方は試合結果しか掲載されていなかった。&lt;br /&gt;
　さあ、打倒―金に向けて“新米ジム”の戦いが始まった。孫トレーナーが中心となって、竹内の指導に熱がこもった。金選手は、朝鮮高校で孫の後輩にあたる。「“朝高”の選手は、全体的にファイターに弱いんです・・・」孫は、竹内のスタイルを生かしながら、徹底的なファイター作戦でいくことを提案した。私もそれに同意し、金選手の得意な“左ボディブロー”と“右アッパー”をもらわないように、“右シフト”を中心に組み立てる練習をさせるよう孫トレーナーに要求した。&lt;br /&gt;
　私と孫トレーナーの考えは大方一致しており、いい調子で竹内のトレーニングが進んでいるかに見えた。ところがある日、スパーリングでややパンチをもらい過ぎている竹内を見た私は、声を荒げて「何故もっと右シフトをしないんだ？!　孫、右に回らせろ！！」と叫んでしまった。何となく嫌～な空気がジム内に流れた。&lt;br /&gt;
　スパーリングの後、孫トレーナーは竹内のミットを受けながら「会長、これでいいんですか？」と、少しなげやりな感じで私に尋ねた。「オレがやってきた事は意味なかったんだ・・・」ひとり言のように呟く孫トレーナーに対し、「決して否定しているわけじゃない。ただ“右シフト”を中心に組み立てることになっていたよな・・・」と、私なりの思いを&lt;br /&gt;
吐き出した。「分かりました」立場上、そう答えた孫トレーナーだったが、やはり嫌～な空気は依然ジム内を覆っていたのだった・・・</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/28458662.html</link>
			<pubDate>Sun, 12 Mar 2006 23:56:07 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>５８．協会 2004年06月28日（月）</title>
			<description>　「協会に君の力を貸してくれないだろうか。きっと自分自身の勉強にもなると思うよ―」早春のある夕刻、古巣のKジム会長から突然そんな電話が入った。今年度から東日本ボクシング協会事務局長に就任したK会長は、私に協会の活動に対する協力を要請してきた。具体的な活動内容について、この時点では詳しく聞いていなかったが（というより理解していなかっただけ？）、「後でW会長からも依頼が来るので、考えておいてくれよ」そう言われて電話を切った。W会長は、東日本ボクシング協会会長として2期目を迎えることが決まっていた。「出来る範囲で構わないから」というK事務局長の言葉を信じ、手伝えることがあるのならば「出来る範囲で」やってみようという気持ちにはなっていた。&lt;br /&gt;
　何日もしない間に、W協会長から電話が入った。「何とか力を貸してもらいたいんだよね・・・」W協会長にしても、K事務局長にしても、よりによってこんな新米会長に「力を貸して欲しい」と言って下さるわけだが、正直なところ当惑していた。しかし、「きっとこれは光栄なことなんだ」と考え、「やらせていただきます！」と電話口で叫んだ。&lt;br /&gt;
　早速、打ち合わせがあるということで協会事務局に呼び出され、K事務局長、H会計担当理事、事務局員2名らと顔合わせをおこなった。それまでは、10年間の現役時代を含めても、2～3度くらいしか来ることのなかった協会事務局だ。何となく緊張しながら打ち合わせに参加した。&lt;br /&gt;
　話が進むにつれ、少しずつ自分の立場を理解してきた。そして協会の組織図（新年度案）を見せてもらって愕然とした。“書記担当理事　新田渉世”―？？？　やっぱり私はK事務局長の要請を正確に理解していなかったようだ。私はどちらかというと、一般のボクシングファンよりも業界については疎い人間だ。しかも、ジムを立ち上げて協会に加盟してから僅か1年ちょっとの新米会長だ。そんな理事を一体誰が認めてくれるというのだろうか。実際に何も分からない、何の力もないのである。「僕がフォローするから大丈夫」とK事務局長は言って下さるものの、プレッシャーはかなりのものだった。&lt;br /&gt;
　もう居直るしかないと腹を決め、出来ることを精一杯やろうと考えた。月一回の定例理事会、不定期の各種委員会、それらの会合の議事録作成、と意外に多忙だ。会合では分からないことばかりなので、専らインプット中心となる。現役引退後、ボクサーからサラリーマンに転向した頃の辛い時代を思い出していた。&lt;br /&gt;
　そんなある日、K事務局長から「やっぱり協会長や事務局長の我々も、“若返り人事”や“体制の改革”を進めていく中で、風当たりはかなり強いよ。君にも負担をかけるけど、ボクシング界を良くしていこうという信念さえ持っていれば、皆いつかきっと分かってくれると思うんだ」という話を聞いた。この時、私を抜擢した協会長や事務局長は、私なんかよりももっと大きなプレッシャーと戦っているんだということに気付かされた。&lt;br /&gt;
　「精一杯やるだけだ！」改めて私は心の中でそう叫んだ。ジム運営に加え、大きな物を背負い込んだ新米会長は、ちょっとだけ無理してニヤッと笑うのだった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/28365767.html</link>
			<pubDate>Sun, 12 Mar 2006 02:00:01 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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			<title>５７．新人王戦 2004年06月28日（月）</title>
			<description>　「第61回 東日本新人王予選」―日本ボクシング界のこの伝統あるトーナメントに、新田ジムから4名の選手が出場することになった。出場の資格は、その年によって多少変化するが、今年は申し込み時点で1勝以上していることがエントリーの条件だった。フライ級の佐藤祐樹、フェザー級の志賀悠、Sフェザー級のハンマー浜里は、それぞれ1勝（1KO）。ライト級の竹内俊介は、2勝（2KO）という戦績で、この伝統あるトーナメントに挑戦することになった。&lt;br /&gt;
　初めて出席した抽選会では、各ジムの会長やマネージャーらによるくじ引きで対戦相手が決められた。私も4選手のくじを引き、それぞれの対戦相手が決定した。当然だが、相手選手らの戦績も似たり寄ったりで、「まあ、一回戦くらいはクリア出来るだろう」と私は考えていた。先陣の佐藤、志賀、ハンマーは3月30日に第1戦をおこなうことになった。&lt;br /&gt;
　それまで新田ジムの戦績は、前年10月1日のジムとしてのデビュー戦以来、8戦7勝（6KO）1敗と快進撃を続けていた。通常、新規に立ち上げたジムが勝ち星をあげるのはなかなか大変だ―という話を聞いていたが、幸運にも順調な滑り出しをもってここまで来ていた。知識も経験も乏しい我々の武器は、“熱意と情熱”だけだった。&lt;br /&gt;
　ところが3月30日、東日本新人王予選で、新田ジムは悪夢を見ることになった。佐藤、志賀、ハンマーの3人がまとめて敗退してしまった。「一回戦くらいはクリア出来るだろう」という私の考えは甘かった。佐藤、ハンマーは判定負け、志賀は1RTKO負け―。ジムとしての勝率は大きく低下し、デビュー戦をKOで飾って勢い付いていた3選手も、意気消沈してしまった。一晩に3連敗となると、当たり前だが空気は重くなる。その夜は“力を振り絞って”帰路に着くのが精一杯だった。&lt;br /&gt;
　今回、ジムとしては大きな挫折を味わったが、我々にとっては良い薬になったのかもしれない。確かにいつもと同じように一生懸命やった。しかし、どこかに落とし穴があったに違いない。何だろう・・・？ この日、我々に少しだけ、ほんの少しだけ足りなかったものがあったとしたら、それは我々の最大の武器である“熱意と情熱”ではなかっただろうか。&lt;br /&gt;
　この頃から選手や試合数が増えてきてだんだん多忙になり、ひとつひとつをこなすことで精一杯になりつつあった。私は経営やマネージメント業務に追われ、選手管理がどうしてもおろそかになりがちだった。それをトレーナーの孫に押し付けることもしばしばだった。しかし、まだまだ産声を上げたばかりの新米ジムだ。孫も私も1年生。役割分担は必要だが、少なくとも試合の時は一致団結して“熱意と情熱”をひとつにして戦わなくてはならない。この夜は、その意識がやはりほんの少しだけ足りなかったのだ。&lt;br /&gt;
　戦うのは選手自身。しかし、セコンドやスタッフの心持ちも試合に大きく影響するんだと強く感じた。特に知識も経験も乏しい我々のような新米ジムにとっては・・・</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/nittaboxinggym2000/28294484.html</link>
			<pubDate>Sat, 11 Mar 2006 11:43:54 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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