先日東京に出る機会があって、ふと根岸にあるという子規庵に行ってみようと思った。4.5年前から俳句を作り出し、俳句の会への参加とか、たまに新聞への投句をしていることもあり、高浜虚子、正岡子規など言う名前にも少し馴染みだしたので、いい折でありちょっと寄ってみたいと思ったからである。地図で見ると子規庵は上野公園の少し北の方向で、ちょうどその日に行くことを予定していた上野の東京都美術館の近くで、ちょっとした散歩コースになりそうである。
東京都美術館でオルセー美術館展を見てから上野公園を北に抜け、JRの鶯谷駅と日暮里駅の丁度中間あたりと見当をつけてぶらぶらと歩き出した。鶯谷駅を北に突っ切り左手に折れて少し行くと、細い通り沿いにはびっしりとファッションホテルが立っていた。携帯電話を片手にタバコをふかして歩いているミニスカートの女性、なんやら得体の知れないおばさまや、男女のカップルが、ちろちろ歩いておりちょっとここは違ったかな思いつつずんずん歩いていくと、街角のそこここに俳句を書き付けた黄色の紙が貼りだしてあるのが目に付くようになった。子規庵への文学散歩コースの案内もあり目的地に近づいていくのが分かり少し安心する。案内に従って、とある角を左に曲がるとビル街の中に平屋建てのこげ茶色で瓦葺の木造住宅があった、子規庵である。
小さな路の突き当りを抜けると広大な公園や寺社があったりして、都会の中の史跡と言うのはこういう形で突然出現するのがあるな、などと考える。入り口の小さな門をくぐって玄関に入ると左手に受付があり、入場料500円を徴収される。「奥の八畳間で子規の解説のビデオを流しているから見て下さい、お庭は自由に拝観できます」と言う。南に向いた30坪程の庭にいかにも俳句をたしなんでいそうな4.5人の中年女性のグループがいる限りであとは誰もいない。
オルセーの風に酔いけり梅白し
風光る中にモリゾの瞳かな
玄関と玄関左横にある四畳半の次の間、奥の庭に面してガラス障子がある八畳の座敷と六畳の病間、それに玄関の右横の三畳の茶の間がある平屋であった。ガラス障子を通して入って来る穏やかな春の日差の中で、誰もいない八畳の部屋に寝転んで庭をみていたらふと「鶏頭の十四五本もありぬべし」という子規の句が浮かんできた。脊椎カリエスという病気で明治35年に亡くなる子規の明治33年の作である。
病気のため立てず庭に出ることもままならない中、毎年自分の庭に咲く鶏頭を詠んだもので、この「ぬべし」という言葉をめぐって、これが実際の鶏頭を見て詠んだ写生の句か、鶏頭は今年も咲いているに違いないという推測によるものであるかどうかということが、相当議論されていたことなどを思い浮かべる。庭には確かに薔薇や鶏頭、糸瓜などの植物が様々に植わっている。この句がこうして読者によって論議されることが俳句が近代文学として成立していった証であるという人もいて、そういう意味ではこれは読者の想像力を喚起させる力のある、いい句であろうなどとまた考える。
六畳の病間に伸ばせなくなった左膝を入れるため、板をくりぬいて特別に作ったという子規の机があった。その上にあるノートに訪問者の記帳があり、「俳句を始めて○○年、念願の子規庵に詣でることが出来て感無量である」などと書いてある、相当な読み手かもしれない。庭を見て帰ろうと思ったが「病床六尺」で子規が動けない中、立派な沢山の句を詠んだことに敬意を表して、庭はガラス障子越しに見るだけにして帰ることにした。ガラス障子越しに庭を見ても、後で何かの句は作れると思ったが何も浮かばなかった。やはり子規とは相当に隔たりがあると思った。
子規庵の帰りに時間があったので御徒町まで歩いて行って湯島天神の梅を見に行った。梅は満開だったが、人が多くって梅の香を味わうことなく、たこ焼きのソースの匂いを嗅いだだけで観梅は失敗に終わった。
湯島なる梅の座敷に講釈師
|