|
昨年末から、急に右胸が痛みだしたのですが、従兄弟の不幸などがあって 病院にも行けず、ようやく1月4日の夕方に病院に行き、レントゲンと 3DCTの検査、血液検査を受けましたが、胸骨にも軟骨にも肺も異常なく 原因不明、痛み止めの薬とシップ薬を貰って帰りましたが、右腕では車の ハンドルも回せない痛みで、夜、寝ても寝返りも出来ない、薬を飲めば 少しは痛みも和らぎましたが、痛い痛いの毎日で、ようやく1昨日から痛みも 無くなり、昨日は血液検査の結果と診察に行きましたところ、血液は正常で 痛みの原因は筋肉痛ではとのことではっきりとした原因は不明、でも、 よくよく考えると、昨年暮れに従弟が他界したショックが原因の神経痛では? とも思うのですが、すっかり痛みも無くなり一安心です。 写真は、昨日の夕方、夕やけの西の空を襲いかかる様に、北から不気味な雪雲が 夕陽が沈む頃には雪が降ってきましたが、7時ごろには止み夜は寒風の吹く冷たい 星空でした。寒波の襲来で今日も寒い一日になりそうです。 寒さに負けず今日も頑張りましょう〜 |
病気
[ リスト | 詳細 ]
|
長年の喫煙により、肺炎や肺がんで知人が若くして他界し、今だ何人かの友人が、 肺がんで入院・抗がん剤治療を受けていますが、それらの原因の多くはは煙草だと 言われています。最近は電車や飛行機、などは禁煙で、レストランなども禁煙席と 喫煙席などに区別されている所も多く、喫煙家にとっては肩身の狭い状況ですが、 喫煙の恐ろしさは↑の写真を見ればお分かりだと思います。 私は、煙草は吸いません!(この写真は健康診断に行った、某病院に掲示してあった ポスターです)。 |
もしも、あの時に心臓が動いてくれなかったら、いま、こうして皆さんに、体験談を紹介
出来なかったと思いますと、如何に命が大切であるかと痛感しております。そして、私に 演歌がなかったら、これまで元気になれなかったのでは、体質にもよると思いますが、私 にはこれから先も演歌が命の源です、14年の歳月を過ぎた今は体調が安定して、手術前 の様に元気で、以前の会社で、ロボットの開発・グラフィックデザイン等に従事しながら、 釣りにドライブに、いろいろなレジャーを楽しんでいます。一度に4600キロのドライ ブ旅行もしました。 飛天で唄った年の秋から、歌仲間が8年間にわたり、演歌・カラオケで励ましてくれ、今 現在も毎月楽しんでいます。14年間不安や苦しさもありましたが、今、こうして元気に 楽しめるのは皆さんのお陰でだと感謝しています。人にはそれぞれに「運・不運」があり ますが、何事にも決して諦めない事だと思います。「演歌」と云うよりも、音楽がなかっ たら、これまで頑張れなかったのではと思っております。 五木ひろしさんの「天の蛍」と云う歌の歌詞に♪運命とは「命を運ぶこと」「宿命とは」 前世から定められた、命の宿り♪と云う語りがありますが、私の人生は試練の「命の宿り」 だと思います。一度はあの世に行った命! ♪私は「演歌」で癌を克服!そして2度目の命を大切にと強い決意で挑んで行きます♪ 私が前向きの決意をしました、「飛天」での歌ですが、歌というよりも唄える声が出た 時の嬉しさは、今でも忘れる事は出来ない思い出です。 http://music.geocities.jp/nkennka0210/hitenn.mp3
何回にも渡り、私のつたない体験談にお付き合い頂きまして有難う御座いました。
これからも、ブログ仲間として宜しくお願い致します。・・・終・・・ |
||
舌の味覚がなくなってしまったのは、胃を切除したために、鉄分が不足して舌の味覚がな くなるとの事であり、体質により異なるが、5年、10年経ってからなる人もあれば、私 の様に何ヶ月かでなる場合もあるらしい。約1月間点滴に毎日通院してようやく味覚を感 じる様になりましたが、鉄分をいくら補給しても、胃の鉄分を吸収するところが切除して あるために、投薬で補給しなくてはならず、その後は1日3回欠かさず飲んでいます、生 きている限り一生飲まなくてはなりません。2度の手術をしても、今、生きていることに 感謝して気弱になってはと、演歌とギターで気持ちを癒しながら、まわりの人達からも励 まされて、1999年の秋ごろに、ようやく普通に声が出て唄えるようになり、気持ちも だんだんと前向きになって、ダンピングの苦しみも少なくなりましたが、また声が出なく なるかも?と、不安な日々でした。翌年(2000年1月)に、飛天(現在の大阪芸術劇場) の、細川たかし特別公演で、生演奏で課題曲「しぐれの港」を唄える募集があり、声が出 ているうちに、何とか大観衆の舞台の生演奏で唄いたいと思い、練習をして応募した結果、 全国3000人の応募があり、その中からテープ審査・予選が行われて80名の1人に選ば れました。1月22日(土)2200名の超満員の観客の飛天の舞台で一生懸命に唄いま したのがきっかけで、不安な気持ちがなくなり、翌年の2月から、会社に出勤し2年間車 で通勤しましたが、無理がたたりストレスのために、体力も衰えて、通勤できなくなり退 職をしました。その後はまた辛い毎日で、当時同じように手術をされて同室だった方たち が次々と亡くなられて、私も終わりかなと不安の日々で、ただ一つ2度目の手術で疑問に 思っていた事があり、1週間に1度通院していたので、先生に何故、「2度目の手術が7 時間半もかかったのかを、聞いたのですが、」教えてもらえませんでした。 体調は優れず演歌で気持ちを癒す毎日でした。2度目の手術の時以来疑問に思っていた、 何故、「7時間半もかかったのか?」が、ある日の定期検査の時に、先生から手術の時 の心電図を見せられて、驚き・また疑問も解けました、それは、私が2度目に手術を受け る前意識がなくなった時には、既に心臓が止まっていたのです。 手術室で、約3時間半懸命に回復に努力して頂いたお陰で、止まっていた心臓が動き出し 一命を回復させて頂いた事が判りました。 続く・・・・・ |
||




