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7月23日 その10 制限区域内へ 20分遅れでKIXから到着である。 MUは逆光でよく見えず ほぼ満席である、もちろん治療席 寝ているうちに到着してしまった。 なんか違和感を感じてしまう 優先タグの代わりについていた。 久々の北海道は、走り回って終わってしまった。
次回はししゃもの時期に合わせて、富内線あたりを探ってみる予定。 |
2017年7月道央
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7月23日 その9 車を停めては調査を繰り返していたので、フライト時間が迫ってきた。 急いで空港へ走らせる。 赤平駅付近に城が建っていた。人形工房だそうである。 レンタカーを返却して旭川空港へ。 2日間で500km走っていた。+ハーフマラソンである、何をやっているのだろう(笑 ここはそれほど本数が多くないので、のんびりしている。 人民たちがお帰りのよう。段ボールの中身は何だろう? 旭川空港ではいつもここでしょうゆラーメンを食べている気がする。 オージ専用ではなかった。 ここはカードラウンジではないので入室せず。 BRは共同運航便になっていた。 1時間以上遅れているが・・・ 人民御用達の薬屋と化している。
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7月22日 その8 上砂川駅跡を出て、ほぼ並行して走っている歌志内線跡へ 歌志内線は、日本国有鉄道、および北海道旅客鉄道が運営していた鉄道路線。 北海道砂川市の砂川駅で函館本線から分岐し、 歌志内市の歌志内駅までを結んでいた。 国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、 1988年4月25日をもって全線廃止となった。 一時期第三セクター化される予定だったが、 鉄道の存続意義であった空知炭礦の閉山が確定的となり 1987年に日本国有鉄道からJR北海道に承継された後、1988年4月に廃止された。 砂川 - 歌志内 14.5km 西歌駅跡、例によってサイクリングロードとなっている。 左の柵のところが線路跡 神威駅跡 歌神駅跡 この辺りに歌志内駅があったはずだが、全く痕跡はない。 歌志内線はほとんど痕跡がなく、グーグルマップがないと 全くどこに駅があったかは分からない状況になっていた。 郵便局の反対側にタクシーの営業所があるので
この付近に駅があったことだけは間違いなさそうである。 |
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7月22日 その7 駅舎は当時のものだが、悲別という駅名版もかかっている。 1984年に放映された倉本聰脚本・演出のテレビドラマ『昨日、悲別で』で、 当駅がロケ地として使用された。同作品では「悲別駅(かなしべつえき)」として 撮影され、撮影後「上砂川駅」の駅舎や駅名標の裏に 「悲別駅」と書かれるようになった。また、乗車券に小型の「悲別駅」の スタンプが押されて発券されていた。 廃駅当時のままであろう。 冷蔵庫は動いているのだろうか。 石炭運搬がメインだったとはいえ、この短距離でこの本数ではバスには勝てない。 ラッチは鉄製 ヨ800型車掌車とスユニ60型客車である。 炭鉱閉鎖前はここにすべて側線が引かれていたのだろう。 現実と仮想をリバーシブルにしていいのだろうか? 1989年に設立され2003年に閉鎖された地下無重力実験センター。 閉山された炭鉱の縦穴を利用し真空カプセルを落下させて微小重力環境を再現する施設だったそうだ。 マンホールのデザインは、カプセルと太陽、土星、木星のよう。
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7月23日 その6 新十津川駅から15分ほどで砂川駅にやってきた。 この陸橋が以前はここにホームがあった上砂川線と 歌志内線のホームを結んでいた。 (陸橋自体はもちろん建て替えられている) いまだにホーム跡は空き地のままである。 さて、まず上砂川線からたどっていくことに 上砂川支線は、北海道砂川市の砂川駅と空知郡上砂川町の上砂川駅を結んでいた JR北海道函館本線の支線の通称である。砂川駅 - 上砂川駅間 (7.3 km) 当初は、三井鉱山合名会社が保有する三井砂川炭鉱からの石炭輸送を行うために、 三井側が土地を鉄道院へ寄付し、なおかつ三井側の資金により鉄道院が敷設した 国鉄所属の専用線であり、1917年7月に鉄道院よりこの条件で敷設許可された。 1926年に旅客扱いを始めるにあたり函館本線に組み込まれた。 1994年5月16日:全線廃止 鶉駅は駅舎が残っていた。 喫茶店になっていたようだが、廃業したのだろうか。 わかりやすい廃線跡である。 東鶉駅跡 終点上砂川駅はここにあったのだが 少し砂川駅側に移築されていた。 |




