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2月10日 その10 西笠松駅を出て、さびれた商店街を木曽川に沿って進む 町役場を通り過ぎ 木曽川の堤防に上ると、名古屋本線の木曽川鉄橋が見えた 川の向こうは愛知県である 橋のたもとに資材置き場になっている空間があるが ここにはもともと駅があった。 東笠松駅は、岐阜県羽島郡笠松町にあった、名古屋鉄道名古屋本線の駅(廃駅)。 名古屋本線においては岐阜県の最南端にあった駅で、 通常は普通列車のみが停車していた。 利用客の減少に伴い、2005年(平成17年)1月29日に廃止された。 鐵の人たちにしては少し雰囲気が違うが・・・ ここに駅舎でもあったのだろうか ここはRがきつくて減速するので、いい撮影ポイントなのだろう。 隣は笠松競馬場、要するに競馬場の利用者が減ったので 駅もいらなくなったということである。 河川敷を降りて、(競馬開催日だったようで係員が交通整理をしている) 地下道をくぐり 笠松駅へ、有人窓口が開くことなどあるのだろうか。 3番線に竹鼻線の列車が停まっている 豊橋行の快速特急に乗って (笠松に特急が停まるようになったとは知らなかった) 名古屋まで戻った。 廃線後ランニングシリーズはとても面白いので
今後も続けようと思っている。 この項終わり |
2019年2月名鉄竹鼻線
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2月10日 その9 江吉良駅は必要最低限の施設で 元々はメインが直進部分で、後からできた羽島線が 右にカーブしているが、今は一体化している。 後から羽島線を作ったためか、高架から降りてきて 新羽島駅が再び高架という、不自然な構造である。 笠松行のいわゆる赤パンツが入線 ちなみに当駅から新羽島までは1.3kmしかない。 新幹線駅と岐阜駅を結ぶ目的で作られた路線だが 実際には名古屋駅まで出たほうがずっと便利で 所用時間も変わらないため、通勤通学路線としての役割が大きい。 全線単線で15分間隔の運転のため、行き違い駅が限られていて これ以上本数を増やすことは不可能である。 線名の由来となった羽島市の中心である竹鼻 ここでも行き違いをして なぜか終点一つ手前の西笠松で降りた。
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2月10日 その8 広い道路とクロスして 全部でどのぐらいの発電量なんだろう 神社が見えてきて、いい目印である 牧野駅は、かつて岐阜県羽島市にあった名古屋鉄道竹鼻線の駅である。 牧野駅構造は単式1面1線構造の地上駅で無人駅。 かつては2面2線の反対列車との行き違いが可能な構造であった。 廃止時点では駅舎は無く、ホームのみ残っていた。2両分しかなかったため、 4両編成では後ろ2両のドアが開かなかった。廃駅後も対向ホームを含めホームが残っている。 2001年10月1日 江吉良〜大須間の廃止に伴い廃駅 ちょうどホームとホームの間に太陽電池パネルが設置されている。 だんだん住宅が増えてきた 羽島線が見えてきて ここが羽島線と廃止された竹鼻線の合流部分 というわけで、廃線跡探訪は終了である
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2月10日 その7 しばらく行くとバス停に出てきた。 明らかに駅の跡に作られた施設である。 中区駅は、かつて岐阜県羽島市上中町中にあった名古屋鉄道竹鼻線の駅である。 中区駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅で、無人駅。 ホームは2両分しかなかったため、4両編成では後ろ2両のドアが開かなかった。 駅前商店にて硬券乗車券を発売する簡易委託駅であった。 2001年10月1日 江吉良〜大須間の廃止に伴い廃駅。 この辺りにホームがあったようだが、この部分は道路に転換されている。 バス停の裏側はこんな感じ 道路に転換されている部分はこれだけで この辺は日当たりが悪いのだろうか 名神高速の真下にホーム跡があった。 長間駅は、かつて岐阜県羽島市にあった名古屋鉄道竹鼻線の駅である。 長間駅構造は1面1線の地上駅で、待合室があった。 駅舎の無い無人駅で、ホームは2両まで対応しており、 4両編成では後ろ2両のドアが開かなかった。 2001年10月1日 江吉良〜大須間の廃線に伴い廃駅 |
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2月10日 その6 八神駅を出た後、線路跡は北向きに方向を変える 太陽電池パネルはずっと引かれているので 廃線跡がわかりやすい。 羽島市のマンホール、市の花ミノギクと 長良川でのウインドサーフィンだそうだ。 橋台跡は大体どこでも残っている 太陽電池パネルの向きが変わって 少し広い場所に出た。 市之枝駅は、かつて岐阜県羽島市にあった名古屋鉄道竹鼻線の駅である。 市之枝駅構造は1面1線の島式ホームである。ホームは2両分のみで、 4両編成では後ろ2両のドアが開かなかった。無人駅。 かつては行き違いが可能な駅であった。 2001年10月1日 江吉良〜大須間の廃止に伴い廃駅。 太陽電池パネル設置に伴い、ホーム跡が撤去されたようだ。 ここはまた別の会社が管理しているようだ。 少しぐらい橋梁を残しておいてもいいのではないかと 思うのだが・・・ こんなところに材木工場があるのは意外である。
寺社は昔から場所が変わっていないので こういった鉄道考古学をするときには、いい目印になる。 |






